第100話 動き出す夏
氷室を出ると、強い夏の日差しが山道を照らしていた。
さっきまでの冷たい空気が嘘のように、むっとした暑さが体を包む。
誰も、すぐには話さなかった。
返歌。
“久しぶり”
そして――
“まだ足りない”
あの言葉だけが、みんなの胸に残っていた。
◇
林を抜けると、少し開けた場所へ出た。
黒崎は立ち止まり、リュックから一冊のクリアファイルを取り出した。
「今日は、もう一つ見せたいものがある」
春人たちは顔を見合わせる。
「まだあるん?」
陸が驚く。
黒崎は笑った。
「今日分かったことがあったけぇな」
透明なファイルから、何枚かの写真を取り出す。
「……これ」
春人は思わず息をのんだ。
森の中にそびえる巨大な岩。
人が横へ立っても小さく見えるほどの大きさだった。
「でかっ……」
陸が目を丸くする。
「これ、日本?」
「日本じゃ」
黒崎は静かに答えた。
「伊勢神宮じゃ」
一瞬、空気が止まる。
「伊勢……?」
蒼太が顔を上げる。
「伊勢神宮に、こんなんあるん?」
「ある」
黒崎はゆっくりとうなずいた。
「しかも、昔から祭りが行われとる場所じゃ」
みゆは写真をじっと見つめる。
「……石」
「そう」
黒崎はさらに地図を広げた。
指が順番になぞっていく。
「五十鈴川」
「山口祭の磐座」
「正宮」
「荒祭宮」
「鏡岩」
一本の流れになっていた。
蒼太が小さくつぶやく。
「……順番」
「歌みたいじゃ」
黒崎は少し笑った。
「わしも最初見た時、そう思うた」
少しだけ間を置いて続ける。
「今でも、昔からの祈りが途切れず残っとる場所は、そう多うない」
「その一つが伊勢じゃ」
五人は黙って写真を見つめていた。
円形列石。
氷室。
陰陽石。
そして伊勢。
離れた場所なのに、一本の線でつながっているように思えた。
「黒崎さん」
春人が静かに尋ねる。
「……行けるんですか」
黒崎は少しだけ笑った。
「行ける」
「じゃが問題がある」
「あ」
杉谷が続ける。
「もうすぐ盆じゃ」
「伊勢は人が一気に増える」
蒼太が息をのむ。
「調査どころじゃなくなる」
「そういうことじゃ」
黒崎がうなずく。
「ゆっくり石を見るなら」
「今しかない」
「あと二、三日じゃ」
山の風が吹いた。
誰もしゃべらない。
あと二、三日。
その短さだけが胸へ残る。
やがて陸が口を開いた。
「……行きたい」
「わしも」
蒼太も即座に言う。
「絶対行きたい」
「わたしも」
みゆが静かに続ける。
「行ってみたい」
あかりも笑う。
「こんなん見たら行きたくなるじゃん」
春人もうなずいた。
「僕もです」
黒崎は五人を見回した。
「じゃが」
「親御さんには、山へ行く許可しかもろうとらん」
五人の表情が引き締まる。
「泊まり」
「県外」
「話は別じゃ」
その時だった。
杉谷が笑って言った。
「そこは任せぇ」
五人が顔を上げる。
「午後から、わしと黒崎で一軒ずつ家を回る」
「一軒ずつ?」
あかりが聞き返す。
「そうじゃ」
「その家その家で説明した方が安心じゃろ」
黒崎もうなずく。
「安全のこと」
「行き先」
「宿」
「日程」
「全部わしらが話す」
「お前らは家で待っとれ」
陸が笑った。
「家庭訪問みたいじゃ」
「まあ、そんなもんじゃ」
杉谷も笑う。
「夕方、また納屋へ集まれ」
「その時に結果を聞こう」
「はい!」
五人は元気よく返事をした。
◇
夕方。
納屋へ最初に飛び込んできたのは陸だった。
「春人!」
「どうじゃ!」
続いて春人が自転車を止める。
「うち……」
笑顔になる。
「行っていいって」
「よっしゃ!」
陸が拳を握る。
「わしもじゃ!」
そこへあかりが駆け込んできた。
「聞いて!」
「うちも大丈夫!」
「ほんま?」
「ほんま!」
三人が笑い合う。
少し遅れてみゆが入ってくる。
「……うちも」
「やった!」
あかりが思わず手を握る。
「みんな行けるじゃん!」
最後に蒼太が息を切らして飛び込んできた。
「蒼太!」
陸が叫ぶ。
「どうじゃ!」
蒼太は肩で息をしながら、
「……行ける」
それだけ言った。
「やったーー!」
陸が飛び跳ねる。
「あはは!」
あかりも笑う。
「全員じゃ!」
「ほんまに全員じゃ!」
「伊勢行ける!」
「泊まりじゃ!」
「初めてじゃ!」
納屋は一気にお祭り騒ぎになった。
その様子を見ながら、入口で二人が笑っていた。
「元気じゃのう」
黒崎だった。
隣には杉谷もいる。
「全員、行けるようになってよかったな」
五人は一斉に振り向く。
「ありがとうございました!」
杉谷が手を振る。
「礼はまだ早い」
「宿も取れた」
「七人乗りのワゴンも準備できた」
黒崎が地図をたたむ。
「出発は――」
少し笑って言う。
「二日後」
「朝五時じゃ」
一瞬、納屋が静まり返る。
二日後。
本当に出発する。
伊勢へ。
春人は机の上の地図を見つめた。
今まで遠かった「伊勢」の文字が、急に手の届く場所まで近づいた気がした。
調査は、甘岩の山を越える。
忘れられた歌は、ついに新しい土地へ五人を導こうとしていた。




