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王太子との模擬戦に損害ゼロで勝ったら婚約を解消されました――領地に帰っただけなのに、なぜ王都が包囲されているのですか?  作者: 月白ふゆ


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2/11

第2話 理を使えば、力押しも戦術ですわ

「本当に、今からなさるのですか?」


エルダーラ・レグランドは、もう一度尋ねた。


王国騎士団の演習場。


つい先ほどまで240名の騎士が駆け回っていた草地には、まだ靴跡が無数に残っている。


模擬戦は終わった。


ルーヴァン軍、全滅。


エルダーラ軍、損害0。


本来なら、これから戦術講評へ移るはずだった。


なのに。


「やる」


王太子ルーヴァン・ルディオクは、演習用の剣を握ったまま答えた。


「一対一だ」

「それは先ほど伺いました」

「なら構えろ」


エルダーラは困ったように息を吐いた。


「お腹が空いております」

「終わってから食べろ」

「昼食が冷めます」

「それくらい我慢しろ!」


周囲の騎士たちが、また笑いを堪えている。


エルダーラはそちらをちらりと見た。余計に肩が震え始めた者がいる。


「殿下」

「なんだ」

「皆様が笑っておられます」

「分かっている!」

「でしたら、お声を少し――」

「お前のせいだ!」

「わたくしですか?」


本当に分かっていない顔をされた。


ルーヴァンは額へ手を当てたくなったが、剣を持っているのでやめた。


模擬戦では完敗した。それ自体は認める。


兵の動かし方、地形の利用、伝令の遮断、こちらの判断の誘導。


どれを取ってもエルダーラが上だった。


だが、個人戦は違う。


ルーヴァンは剣術に自信がある。


王太子だから周囲が手加減してきた、ということもない。騎士団でそんな真似をすれば、ルーヴァン本人が怒った。


体格にも恵まれている。腕力もあり、間合いも長く、足も遅くない。


同年代の騎士と比べても、剣術は上位だ。


エルダーラが弱いとは思っていない。


レグランド侯爵家の娘だ。幼いころから武術教育を受けている。


だが、自分より小さい。


腕の長さも違う。


真正面から剣を合わせれば、体格差は出る。


軍なら地形も兵も使える。相手の性格まで読めるだろう。


だが一対一なら、剣一本。身体一つ。


「一戦だけですよ?」

「3戦だ」

「増えましたわね」

「3本勝負にする」

「なぜです?」

「一度だけでは偶然と言われる」


誰に、とは言わなかった。


エルダーラも尋ねなかった。


代わりに、


「3戦ともわたくしが勝った場合は?」


と言った。


周囲が静まる。


ルーヴァンが眉を寄せた。


「ずいぶん自信があるな」

「確認しただけです」

「そのときは私の完敗だ」

「分かりました」


エルダーラは剣を抜いた。


刃を潰した演習用。白い染料も新しく塗り直されている。


「では3戦」


老騎士が近づいてきた。


先ほど模擬戦の審判を務めていた男だ。


「私が見る」

「頼む」


ルーヴァンが頷いた。


「規則は先ほどと同じだ。有効部位への明確な一撃で一本。頭部への強打、関節を壊す攻撃は禁止」

「承知しました」


老騎士はそこでルーヴァンを見た。


「それから、熱くなるなよ」

「分かっている」

「今のお前を見ていると不安だから言っている」

「分かっている!」


また笑いが起きた。


「静かにしろ!」

「殿下」

「今度はなんだ!」

「始まりませんわ」


ルーヴァンは口を閉じた。


二人が向かい合った。


距離は10歩ほど。


模擬戦を終えた騎士たちが円を作っている。観覧席にいた貴族たちも、まだほとんど残っていた。


むしろ人数が増えている。


模擬戦の結果を聞いた者まで集まってきたらしい。


ルーヴァンは剣を構えた。


正面。


重心は安定。


攻防どちらへも移れる、基本に忠実な構え。


対するエルダーラは、やや半身。剣先は少し低く、足も完全には止めていない。


ほんのわずかに、重心が動き続けている。


老騎士が手を上げた。


「第1戦――始め!」


ルーヴァンが先に出た。


一歩が長い。


一気に間合いを詰め、剣を振る。


速い。


だが、いない。


「っ」


エルダーラは横へ外れていた。


大きく逃げたわけではない。


剣の軌道から、身体一つ分だけ。


そのまま懐へ入る。


白い剣先が脇腹へ来た。


ルーヴァンは剣を引き、受ける。


甲高い音。


エルダーラの剣が弾かれた。


「軽い」


やはり、剣を合わせれば押せる。


エルダーラが離れる。


ルーヴァンが追う。


突き。


身体をひねってかわされる。


そのまま横薙ぎ。


低く沈まれる。


三撃目。上から。


今度はエルダーラが受けた。


ガンッ、と鈍い音がして、小さな身体が一歩下がる。


押せる。


ルーヴァンはさらに踏み込んだ。


エルダーラが二歩下がる。


一撃。


二撃。


三撃目を振り上げた、その瞬間。


エルダーラが前へ出た。


「な――」


近い。


近すぎる。


振り上げた長い腕が、かえって邪魔になる。


白い剣が一度だけ走った。


手首。


軽く触れる。


「一本!」


老騎士の声。


ルーヴァンが止まった。


右手首に、白い線が一本。


「有効だ。実戦なら右手を斬られている」

「分かっている!」


エルダーラはもう剣を下ろしていた。


「殿下は一撃が強いですから」

「何?」

「まともに受け続ければ、わたくしの方が先に崩れます」

「なら、なぜ」

「受けなければよろしいでしょう?」


当たり前のように言う。


「逃げ回っただけではないか」

「逃げてはおりません」

「同じだ」

「違いますわ」


エルダーラは剣を軽く持ち上げた。


「大きな方と小さな者が、同じ戦い方をする方がおかしいでしょう?」


ルーヴァンは答えなかった。


第1戦。


エルダーラ。


短い休憩。


ルーヴァンは水を一口飲み、今の攻防を頭の中で組み直した。


速い。


単純な走力ではない。


初動、方向転換、間合いの出入り。


そして、大きく逃げない。


ぎりぎりで外し、すぐ次へ移る。


なら、追わない。


自分から攻め続けるから、あの速さが生きる。


来させればいい。


大振りもやめる。


踏み込んだ瞬間だけ狙う。


「第2戦」


老騎士が二人を見る。


「始め!」


エルダーラが一歩出た。


ルーヴァンは動かない。


さらに一歩。


まだ。


剣先が右へ揺れる。


反応しない。


左。


動かない。


エルダーラが踏み込んだ。


来た。


ルーヴァンの剣が走る。


だが、エルダーラは入ってこない。


踏み込んだように見せただけ。


剣が空を切った。


「っ!」


すぐ戻す。


エルダーラは既に離れていた。


次。


今度は本当に来る。


ルーヴァンは待つ。


一歩。


もう半歩。


ここ。


突く。


エルダーラが剣で逸らし、そのまま横へ。


ルーヴァンも回る。


剣が交わった。


一度。


二度。


三度。


第1戦とは違う。


ルーヴァンは大きく振らない。剣先を常にエルダーラへ向け、懐へ入る余地を作らない。


エルダーラも簡単には入れない。


周囲から小さなどよめきが上がった。


いける。


速度には対応できる。


エルダーラが右へ動けば合わせる。


左へ動いても合わせる。


一歩下がる。


追わない。


エルダーラが止まった。


「どうした」

「考えております」

「戦いながら考えろ」

「そうしております」


腹立たしい。


エルダーラがまた動く。


右。


左。


踏み込み。


ルーヴァンは待つ。


肩が動く。


来る。


剣を出した。


エルダーラも出す。


今度こそ先に届く。


そう思った瞬間、エルダーラの身体が沈んだ。


剣が下から跳ね上がる。


ルーヴァンの剣の軌道が上へ逸れた。


胸が空く。


身体を引く。


白い剣先が胸甲すれすれを通った。


避けた。


反撃。


だが、エルダーラはもう下がっている。


また最初から。


ルーヴァンの呼吸が少し荒くなった。


「何を狙っている」

「何がです?」

「さっきから似た入り方ばかりだ」

「そうですね」

「私が反応するのを待っているのか」


エルダーラが少し笑った。


「殿下」

「なんだ」

「今、それを考えてしまいましたね」

「……何?」


来る。


今度は一気に。


ルーヴァンは反射的に剣を出す。


だが頭の片隅に残った。


また同じか。


フェイントか。


本当に来るのか。


ほんの一瞬、判断が遅れる。


エルダーラの剣が下へ。


足。


ルーヴァンが引く。


違う。


剣先が反転した。


肩。


「一本!」


左肩へ白い線。


「第2戦、エルダーラ・レグランド」


ルーヴァンは自分の肩を見る。


明確な白い線が残っている。言い訳はできない。


「……読まれたのか」

「すべては読めません」

「では」

「選択肢を増やしただけです」

「何?」

「殿下は第1戦で、わたくしの速さを警戒なさいました。だから追わない。大振りもしない」


その通りだった。


「そこへ似た動きを何度か見せれば、次も同じか、違うのか、考えますでしょう?」

「一瞬だぞ」

「一瞬あれば十分です。わたくしは手数で戦いますから」


聞けば簡単だ。


だからこそ腹が立つ。


「2勝ですわね」

「ああ」

「もう終わりでもよろしいのでは?」

「3戦すると言った」

「そうでした」


エルダーラは頷いた。


「では、あと1戦」


二敗。


ルーヴァンは目を閉じた。


第1戦では、攻めて崩された。


第2戦では、待って崩された。


なら、さらに対策する。


剣を身体へ引きつける。


肘を畳み、構えを小さく。


重心はやや後ろ。


急に踏み込まれても下がれるようにする。


視線を剣先へ固定しない。


肩、腰、足。


全体を見る。


フェイントに反応しすぎない。


こちらから決め打ちもしない。


見てから動く。


ルーヴァンが構えると、老騎士が眉を上げた。


「ずいぶん変えたな」

「二度負ければ学ぶ」

「それなら上等だ」


エルダーラも、しばらくルーヴァンの構えを見ていた。


「何だ」

「いえ」

「言え」

「よくお考えになりましたね」


一瞬、褒められた。


「当然だ」

「はい」


エルダーラが剣を握り直した。


今度は何をしてくる。速度か、フェイントか、それともさらに別の手か。


どれでもいい。


見て、判断して、対応する。


老騎士が手を上げた。


「第3戦――始め!」


エルダーラが走った。


真正面から。


「……?」


速い。


だが、横へ出ない。


そのまま一直線。


誘いか。


ぎりぎりで外れる。


そう思った。


エルダーラが剣を振り上げた。


大きい。


第1戦、第2戦ではほとんど見せなかった振り。


まだ待つ。


フェイント。


来る。


ガンッ!


「っ!」


違った。


真正面から剣と剣がぶつかった。


重い。


思っていたより。


ルーヴァンが半歩下がる。


エルダーラが一歩詰めた。


二撃目。


ガンッ!


また正面。


「なっ!」


受ける。


一歩下がる。


その分だけ、また詰められる。


三撃目。


ルーヴァンは剣を身体へ引きつけている。


速さへ対応するため。


肘を畳み、構えも小さい。


重心は後ろ。


急な接近から逃げるため。


そこへ、踏み込みながらの重い一撃。


ガンッ!


腕に衝撃。


さらに一歩下がる。


反撃へ転じるには、一度重心を前へ戻さなければならない。


その前にエルダーラが来る。


「エルダーラ!」

「はい!」


返事だけは妙に明るい。


四撃目。


腰を入れ、足で地面を押し、身体ごと前へ運ぶ。


受ければルーヴァンが下がる。


下がれば、また詰める。


「お前!」

「何でしょう!」

「これは――」


五撃目。


ガンッ!


「力押しではないか!」

「ええ!」


認めた。


あっさり。


「なぜだ!」

「殿下が!」


ガンッ!


「わたくしの速さへ対応するために!」


ガンッ!


「後ろへ退きやすい構えを!」


ガンッ!


「なさいましたので!」


ルーヴァンの足が、また下がった。


受けられないほどの力ではない。


真正面から押し合う準備をしていれば、むしろルーヴァンが勝つ。


だが今は違う。


引きつけた剣、畳んだ肘、後ろへ置いた重心。


すべて速さへの対策であり、正面から圧を受け続けるための構えではない。


エルダーラが一歩深く踏み込んだ。


腰を落とす。


最後は下から、全身で振り上げる。


ルーヴァンも受けた。


だが、後ろへ逃がしていた重心へ下から衝撃が入る。


剣が跳ねた。


「あ」


手を離れる。


演習用の剣が宙を回り、草地へ落ちる。


そのときには、エルダーラの剣先がルーヴァンの胸元へ止まっていた。


あと指一本。


「一本!」


静寂。


草の上へ落ちた剣の音だけが、妙にはっきり聞こえた。


「第3戦」


老騎士が宣言する。


「エルダーラ・レグランド!」


少し遅れて、演習場が沸いた。


エルダーラはすぐ剣を引いた。


「ありがとうございました」


礼。


完全に試合後の礼だった。


ルーヴァンは草地に落ちた自分の剣を見る。


「……力任せではないか」

「ええ」

「お前、第1戦で力では私に勝てないと言わなかったか」

「真正面から同じ条件で押し合えば、殿下がお勝ちになります」

「今、押し切ったではないか」

「条件が違いましたので」


エルダーラはルーヴァンの構えを指した。


「剣を身体へ引きつけ、重心も後ろへ置かれました」

「お前の接近へ対応するためだ」

「はい。正しい対策です」

「なら」

「ですから、力で押しました」


ルーヴァンが黙る。


「殿下が、最も力を出しにくい形になっておられましたので」


反論しようとした。


できない。


最初から力勝負だと分かっていれば、構えは違った。


重心も前へ置く。


受けるだけではなく、自分から打ち返す。


そうしていれば、結果は分からない。


だが、自分はそうしなかった。


速く来る。細かく来る。惑わせてくる。


そう思ったから、その対策をした。


その結果、真正面から押された。


「……最初から、第3戦では力で来るつもりだったのか」

「いいえ」


即答。


ルーヴァンが顔を上げた。


「違うのか」

「殿下の構えを見て決めました」

「その場で?」

「はい」

「もし私が変えなければ」

「別の方法にいたしました」

「何を」


エルダーラは少し考えた。


「殿下がなさらなかったことですので、分かりません」


ルーヴァンは言葉を失った。


老騎士が低く笑う。


「なるほどな」

「何がだ」

「こいつは速さが好きなわけでも、策が好きなわけでもない」


エルダーラが首を傾げた。


「好き嫌いは考えたことがございません」

「だろうな」


老騎士は笑った。


「使えるものを使っているだけだ」

「はい」


あっさり。


ルーヴァンはまだ納得できなかった。


理屈は分かる。


気持ちが追いつかない。


「ずるくないのか」


口から出た。


周囲が静まる。


エルダーラは怒らなかった。


「何がでしょう」

「相手が対策したら、別のことをする」

「はい」

「常に相手が嫌がることを選ぶ」

「はい」

「正々堂々、自分の得意なもので勝負するという考えはないのか」


エルダーラが瞬きをした。


「なぜです?」

「なぜって」

「対策されているものを、わざわざ使い続ける理由がございませんでしょう?」

「だから、それが――」


「殿下」


声は柔らかいまま。


けれど、少しだけ真面目になった。


「力押しそのものに、難しい理屈は要りません」

「……」

「こちらの力が勝っているなら、そのまま押せばよろしいのです」


エルダーラは剣を鞘へ戻した。


「ですが、いつでも力で勝てるわけではございません」

「なら?」

「力を通せる条件を作ればよろしいでしょう?」


ルーヴァンが見る。


「相手が何を得意とするのか。何を警戒しているのか。どの姿勢なら力を出せないのか。そして、今はこちらの何が最も通るのか」


少し間を置く。


「それを考えるのが、戦術でしょう?」

「なら、今の力押しも」

「同じです」


エルダーラは言った。


「理を使えば、力押しも戦術となります」


誰もすぐには口を開かなかった。


ルーヴァンは、その言葉を頭の中で繰り返した。


理を使えば、力押しも戦術。


「お前は、勝つためなら何でもするのか」

「規則の範囲で、ですが」

「実戦なら?」

「目的の範囲で」

「名誉は」


エルダーラが少し考えた。


「勝つために必要なら守ります」

「必要でなければ?」

「人命より優先する理由はございません」


何人かの騎士が、わずかに頷いた。


ルーヴァンはそれを見た。


また、模擬戦のあとと同じ目だった。


尊敬。


納得。


信頼。


「でも、お姉さまは強いよ」


突然、場違いなほど幼い声がした。


全員が振り向く。


観覧席の端。


3人の小さな少女が並んでいる。


よく似た顔。


8歳。


アウレリア。


セルフィリア。


メリディア。


レグランド侯爵家の三つ子の娘たち。


その横には母親と侍女たち。


どうやら最初から見ていたらしい。


今の声はアウレリアだった。


「お姉さま、3回勝った!」


セルフィリアが小声で訂正する。


「4回」

「え?」

「さっきの軍も入れたら4回」


メリディアが指を折る。


「いち、に、さん、よん。ほんとだ」


ルーヴァンの顔が引きつった。


周囲の騎士が一斉に下を向く。


肩が震えている。


エルダーラが額へ手を当てた。


「アウレリア」

「なあに?」

「今は静かになさい」

「どうして?」

「どうしてでもです」

「でも殿下、4回負けたんでしょ?」

「アウレリア」


今度は少し強い声。


アウレリアが口を閉じた。


セルフィリアが姉の袖を引く。


「だから言わない方がいいって」

「言ってないじゃん!」

「今思った」

「ずるい!」


メリディアが二人の間へ入る。


「あとで言えばよかったんじゃない?」

「そういう問題ではありません」


エルダーラが遠くから言った。


「3人とも、お母様のそばへ」

「はーい」


3人が揃って返事をする。


そして、アウレリアだけが最後にルーヴァンを見た。


「殿下も強かったよ!」


エルダーラが目を閉じた。


おそらく、8歳なりの気遣いだった。


だから余計に痛かった。


「……妹たちは元気だな」

「申し訳ございません」

「いい」


怒る気にもなれなかった。


4敗。


事実だ。


「殿下」

「何だ」

「右手」


見る。


第3戦で剣を弾かれたときの衝撃だろう。


掌の付け根が少し赤い。


「この程度、怪我ではない」

「念のため冷やしてください」

「必要ない」

「あとから腫れるかもしれません」

「大丈夫だ」


エルダーラが少し笑った。


「そうおっしゃると思いました」

「……それも読んだのか」

「いいえ」


即答された。


「赤くなっているのが見えましたので」

「それだけか」

「それだけです」


エルダーラはルーヴァンの右手を見る。


「殿下のお気持ちを読む必要はございません。赤くなっているなら、冷やしておく方が困る可能性が低い。それだけですわ」

「……」

「見えるものから考えた方が、間違いが少ないでしょう?」


ルーヴァンは何も言わなかった。


昼食は、結局かなり遅くなった。


戦術講評を先に行うことになったからだ。


地図が広げられる。


老騎士は、ルーヴァン自身に敗因を説明させた。


斥候。


追撃。


中央への戦力集中。


一つずつ認めていく。


そして最後に、ルーヴァンは少し黙った。


「……私自身が前へ出すぎた」


老騎士が頷く。


「それが一番大きい」

「敵指揮官を取れば逆転できると考えて、残った軍の指揮を放棄した」


言葉にすると、さらに明確だった。


「結果、私一人だけが残った」

「そうだ」


ルーヴァンはエルダーラを見る。


「お前は、私を止める必要がないと言ったな」

「はい」

「私が前へ出る方が、都合がよかった」


エルダーラは地図へ指を置いた。


「殿下一人がこちらへ来ることと、殿下が後方に残って100名近くを指揮し続けること」


二か所を指す。


「どちらが危険でしょう?」


答える必要はなかった。


後者だ。


ルーヴァンは息を吐く。


また同じだ。


相手が最も力を出せない場所へ動かす。


軍でも、一対一でも、やっていることは変わらない。


講評が終わるころには、昼を大きく過ぎていた。


騎士たちは解散し始める。


エルダーラは三つ子のところへ向かった。


すぐに3人が寄ってきた。


何かを言い合っている。


エルダーラは一人ずつ顔を見た。


「アウレリア」

「なに」

「殿下へ失礼なことを言ったと分かっておりますね」

「……ちょっと」

「セルフィリア」

「はい」

「止めなかったことを気にしていますね」

「……ちょっと」

「メリディア」

「なに?」

「二人が怒られると思って、話を変えようとしましたね」

「……なんで分かるの?」


3人が揃ってエルダーラを見る。


「顔に出ています」

「出てない!」

「出てないよ」

「たぶん」


三者三様。


エルダーラが少し笑った。


少し離れた場所から、ルーヴァンはそれを見ていた。


戦場だけではない。


こいつは普段から、人をよく見ている。


だから、相手が何をするのかを考えられる。


模擬戦でも、一騎打ちでも同じだった。


ルーヴァンは自分の右手を見る。


いつの間にか、医務担当から受け取った冷たい布を巻いていた。


「……どう見ます?」


近くで、軍務官が老騎士へ尋ねた。


「何をだ」

「レグランド嬢を」


老騎士は、三つ子に囲まれたエルダーラを見る。


「面白い」

「それだけですか」

「危なっかしいとも思う」


軍務官が意外そうな顔をした。


「彼女が?」

「ああ」

「どこが」


老騎士は少し考えた。


「他人のことは、よく見えている」


その視線の先では、騎士たちが次々とエルダーラへ挨拶して帰っていく。


今日、彼女の指揮下にいた者。


ルーヴァン側だった者まで。


「良い勉強になりました」

「ありがとうございました」

「次は負けません」


エルダーラは一人一人に丁寧に返している。


けれど、自分へ向けられている視線が朝とは違うことには気づいていない。


老騎士が言った。


「自分がどう見られているかには、案外鈍い」


軍務官も黙って、その光景を見た。


観覧していた貴族たちも。


ルーヴァンも。


見ていた。


この日、王太子ルーヴァン・ルディオクは婚約者エルダーラ・レグランドに、軍を率いて1敗、剣を交えて3敗した。


4度、負けた。


それが単なる演習の記録ではなくなるまで、そう長くはかからなかった。

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― 新着の感想 ―
他から見たエルダーラちゃんゎ 『善く戦う者は、人に致して人に致されず』 またゎ 『善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ』 って感じですかね? エルダーラちゃんSideから…
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