第10話 初代議長エルダーラ・レグランド
「受け入れなければ、どうなさいます?」
王妃の問いに、国王は答えなかった。
王宮の小会議室。机の上には、ヴァルデック公爵領で開かれた諸侯会議から届いた報告書が置かれている。
王家は残す。
国として必要な仕事も残す。
ただし、国全体に関わることを国王一人の判断では決めない。
王国の各領から代表を1名ずつ出し、王領からも1名を出す。まず半年間、暫定的に運用する。
そこまでが、諸侯側でまとまった基本案だった。
国王はもう一度、報告書へ目を落とした。
「王家の権限を削れ、と言っている」
「そうですね」
王妃は否定しない。
「それを受け入れろと?」
「では、受け入れなければどうなさいます?」
「兵を出しますか?」
「出せません」
答えたのはルーヴァンだった。
国王が息子を見る。
「分かっている」
「いいえ。以前の私なら、出せる方法を探したと思います」
王妃の目がわずかに動いた。
ルーヴァンは机の地図を見る。王都の周囲から、すでに諸侯軍は消えている。
だが、彼らが帰ったのは王家が勝ったからではない。レグランド領へ軍を送らせないという目的を達したからだ。
「今は、先に考えるべきことが違うと思っています」
「何をだ」
「兵を出せるか、ではなく」
ルーヴァンは父を見る。
「兵を出す必要があるのか、です」
国王は黙った。
王妃が、ほんの少しだけ笑う。
「ようやくね」
「母上」
「褒めているのよ」
「そうは聞こえません」
「エルダーラなら、もっと直接言うでしょうね」
ルーヴァンの顔が少しだけ苦くなる。
国王が椅子へ深く座った。
「では、お前はこの案に賛成なのか」
「すべてに、ではありません。国境で戦が始まったとき、各領の代表が集まるまで何もできない制度では困ります。外交も同じです。相手国は我々の会議が終わるまで待ってはくれません」
「なら王家に権限を残す」
「必要な範囲は」
「その『必要な範囲』を誰が決める」
「それを、これから話すのだと思います」
国王が少し笑った。
「お前まで、あの娘のようなことを言うようになったな」
「……そうでしょうか」
「全部を一度に決めるな。問題を分けろ。必要なところから考えろ」
ルーヴァンは反論しなかった。反論できなかった。
王妃が夫へ向き直る。
「王家を守ることと、今までの王権をすべて守ることは同じではありません」
「分かっている」
「本当に?」
「お前たちは今日、私を随分追い込むな」
「この3か月、国全体が追い込まれましたので」
王妃の返答は容赦がなかった。
しばらくして、国王は報告書を閉じた。
「ヴァルデック公爵へ返答を出せ」
「内容は」
宰相が顔を上げる。
「王家は協議に応じる。ただし、諸侯側の案をそのまま受け入れるという意味ではない。王家に何を残し、何を協議へ移すかは、こちらも意見を出す」
「それでよろしいかと」
王妃が頷く。
「お前は本当に王妃なのか?」
「王家を残すためのお話をしております」
「少しはこちら側へ立て」
「立っておりますよ。国の側に」
国王は額を押さえた。
数日後。
王宮の大会議室へ、諸侯側の代表が入った。
オスヴァルト・ヴァルデック公爵。
エーベルハルト・グライゼン侯爵。
そして、エルダーラ・レグランド侯爵。
エルダーラ自身は、なぜ自分まで来なければならないのか最後まで納得していなかった。
「案を形にした一人だからだ」
「皆様でまとめたのです」
「最初に形へしたのはお前だ」
「最初に『皆で決めれば』と言ったのはティナリアです」
「誰だ、それは」
「……忘れてくださいませ」
3か月ぶりに入った王都は、以前より少し静かだった。
閉まった店がある。人通りも減った。
それでも市場は開き、子供たちは走り、荷馬車が街路を進んでいる。
ヴァルデック公爵が窓の外を見た。
「思ったより普通だろう」
「はい」
「完全に壊れていれば、いっそ全部作り直せたんだがな」
「まだ使えるのでしたら、使えばよろしいでしょう」
「お前らしい」
公爵が笑った。
大会議室には、国王、王妃、ルーヴァン、宰相、軍務卿、財務官が揃っていた。
礼を交わし、席につく。
婚約解消以来、エルダーラとルーヴァンが直接顔を合わせるのも初めてだった。
視線が合う。
互いに軽く頭を下げる。
それだけだった。
国王が最初に言った。
「基本案は読んだ。王家を残すこと。王国各領から代表を出すこと。半年間の暫定運用。その3点について、王家から異論はない」
「ありがとうございます」
ヴァルデック公爵が頷く。
「問題は、その先だ。どこまでを王家の仕事とし、どこからを代表会議の決定にする」
最初に決まったのは、王領だった。
王領の徴税。
王領内の行政。
王宮財産。
王家固有の使用人。
近衛の内部管理。
そこへ代表会議が日常的に口を出す必要はない。
「それは当然でしょう」
エルダーラが言う。
国王が少し意外そうな顔をした。
「もっと削ると思っていた」
「王領を治めるのは王家のお仕事ですもの」
「では、外交は?」
「国家間の窓口としては、国王陛下が最も分かりやすいかと」
ヴァルデック公爵も頷く。
「国書、外国使節の接受、通常の外交実務。それまで毎回代表会議へ持ち込む必要はないでしょう」
グライゼン侯爵が聞いた。
「では、国王がどのような条約でも結べるのか」
そこは止まった。
エルダーラが紙へ視線を落とす。
「国内へ新たな負担を生じさせない範囲であれば、外交実務は王家へ」
「負担が出る場合は?」
「代表会議へ」
「例えば?」
「新たな軍役。新規課税。複数領へ及ぶ通商義務。領地の割譲などもそうでしょう」
「そこは分けられるな」
国王が頷いた。
次は軍事だった。
軍務卿が最も慎重になった。
「国境への急襲だけは、会議を待てません」
「わたくしもそう思います」
ルーヴァンが顔を上げた。
「緊急時に限り、国王へ暫定的な動員権を残してはどうだ」
「期間は?」
ヴァルデック公爵が聞く。
「14日」
ルーヴァンは即答した。
「実際に武力攻撃を受けた場合、王家は直ちに必要な防衛を始める。その間に各領へ通知し、代表会議を招集する。14日を超えて継続する全国規模の軍事行動は、会議へ移す」
「30日では長い。7日では、遠隔領の代表が間に合わない。14日なら現実的でしょう」
軍務卿が頷く。
「よろしいと思います」
エルダーラも頷いた。
ルーヴァンが彼女を見る。
「何だ」
「いいえ」
「何か言いたそうだな」
「以前より、ずいぶんお考えになるようになりましたのね」
ルーヴァンが固まった。
王妃が横を向き、ヴァルデック公爵も口元を押さえている。
「馬鹿にしているのか」
「褒めております」
「……そうか」
それ以上は言わず、ルーヴァンは紙へ14日と書き込んだ。
最も揉めたのは、一領を反逆者と認定し、討伐軍を出す場合だった。
今回の騒動そのものだからだ。
「本当に反逆を企てる領が出た場合まで、王が動けない制度にはできん」
国王が言う。
グライゼン侯爵が返した。
「今回のように、疑いだけで軍事措置の検討へ進まれても困ります」
「だからといって、すべての代表が揃うまで待ってからでは手遅れになることもある」
「全員揃うまで待てとは申しておりません」
軍務卿が口を開く。
「現に攻撃が始まっている場合と、攻撃するかもしれないと疑っている段階を分けるべきではありませんか」
「わたくしも、そう思います」
エルダーラが続ける。
「領軍が他領へ侵入した。王都へ進軍している。国境軍へ攻撃した。城や街道を実力で占拠した。そのように、現に武力行使が始まっている場合は、緊急防衛として対応する」
「うむ」
「ですが、謀反の疑いがある。人が集まっている。影響力が大きい。その段階で一領を討伐対象とするのであれば」
エルダーラは国王を見る。
「代表会議へ諮っていただく」
一瞬、誰も言葉を挟まなかった。
国王は逃げなかった。
「……そうだな」
短く答えた。
全国的な新規課税。
複数領への軍役命令。
国全体の幹線街道。
共同備蓄。
広域災害。
領地をまたぐ大規模事業。
それらも代表会議へ移すことになった。
「国王には、一度だけ再議を求める権利を残したい」
国王が言った。
エルダーラは少し考える。
「理由を添えて、であれば」
「理由?」
「はい。何が問題なのかを明確にしていただきたいです」
「口頭では駄目か」
「後から言った言わないになります」
「王に向かって」
「王であっても記録は必要です」
「その通りです」
王妃が即座に言った。
国王が妻を見る。
「少しはこちら側へ立て」
「立っております」
「どこにだ」
「記録が残る側に」
返す言葉がなかった。
4日目。
ようやく文書が完成した。
正式名称は、
『王国国政協議暫定憲章』
有効期間は半年。
王国の各領から1名ずつ代表を出す。王領も1代表。
国全体へ負担を及ぼす案件は代表会議で協議する。
王家は国家元首としての機能、王領統治、通常の外交実務、現実の武力攻撃に対する14日間の緊急動員権を持つ。
一領への懲罰的な軍事行動は、実際の武力攻撃が始まっていない限り、代表会議へ諮る。
国王は可決案件について、一度だけ、理由を文書にして再議を求めることができる。
半年後、実際に起きた問題を記録し、制度そのものを再検討する。
国王。
ヴァルデック公爵。
グライゼン侯爵。
エルダーラ。
ほか、交渉に参加した代表たち。
それぞれ署名した。
国王が王璽を押す。
「これで私は王のままだが、以前ほど勝手はできない」
「はい」
「随分はっきり言うな」
「確認かと思いましたので」
王妃が笑い、国王も苦笑した。
「まあいい。今回ばかりは、その方がよいのだろう」
暫定代表会議の最初の開催日は、その翌週になった。
名称は簡潔に、
『王国代表会議』
開催地はヴァルデック公爵領。
王都では王家の影響が強すぎる。
レグランド領では、今度こそ本当に「エルダーラ派の会議」と呼ばれかねない。
そしてヴァルデック公爵領なら、主要街道も多い。
最初の議題へ入る前に、オスヴァルト・ヴァルデック公爵が言った。
「まず議長を決める」
エルダーラは嫌な予感がした。
傍聴席にいるティナリアは、もう笑っている。
「議長の役割は、議事整理、発言順の調整、採決確認、議事録の確認。議決権は自領代表としての1票のみ。拒否権も追加票もない。任期は半年。暫定憲章と同じだ」
「そこまでは結構です」
「候補を」
大広間が静かになった。
誰も手を上げない。
ヴァルデック公爵がエルダーラを見る。
「レグランド侯爵」
「辞退します」
笑いが起きた。
「まだ推薦していない」
「でしたら、そのままお願いいたします」
「推薦する」
「なぜですの!」
グライゼン侯爵が答える。
「話が混ざれば分ける」
「それだけで?」
「誰が何を守りたいのかを見る」
「それも」
「意見が違っても、すぐ敵味方に分けん」
別の伯爵も言った。
「この制度案をまとめるところまで散々やっただろう」
セルヴェント子爵が頷く。
「難しいことが得意だ」
「お父様と同じことを言わないでくださいませ!」
「お前の父上、良いこと言うな」
「広めないでください!」
エルダーラは反撃する。
「ヴァルデック公爵閣下は?」
「断る」
「即答ですの?」
「場所を出した家が、最初の議長まで取るべきではない」
正しい。
「ではグライゼン侯爵閣下」
「断る」
「理由は?」
「面倒だ」
「もう少し整えてくださいませ」
「年寄りだ」
「3か月間、最も面倒な話ばかりなさっていたではありませんか」
「それとこれは別だ」
駄目だった。
最後に、エルダーラは王領代表席を見る。
そこにはルーヴァン本人が座っている。
「殿下は?」
大広間が少し静まった。
ルーヴァンは首を横へ振る。
「私では駄目だ」
「なぜです?」
「王家だけで決めないために作った会議だ。その最初の議長が王太子では、何のために分けたのか分からない」
エルダーラは少し目を細めた。
「……本当に、お考えになるようになりましたわね」
「今それを言うな」
ヴァルデック公爵が机を軽く叩く。
「他に候補なし。採決する」
結果。
エルダーラ・レグランド。
圧倒的多数。
反対1。
本人だった。
ティナリアの声が傍聴席から飛ぶ。
「自分で自分に反対してる!」
「静粛に!」
反射的に言ってから、エルダーラは止まった。
大広間が爆笑した。
ヴァルデック公爵まで笑いながら言う。
「初仕事が早いな」
「……もう結構です」
エルダーラは諦めて立ち上がった。
「王国代表会議、初代議長。エルダーラ・レグランド侯爵」
拍手が起きる。
エルダーラは議長席へ座った。
少し高い。
「次に机を作る際は、この段差を低くしてくださいませ」
「最初の指示がそれか?」
「皆様を見下ろしているようで嫌です」
書記が本当に記録した。
ティナリアがまだ笑っている。
エルダーラは息を整えた。
「では、最初の議題へ移ります。冬季の北部街道維持について」
「初代議長の最初の議題にしては地味だな」
アルヴェスト侯爵が笑った。
「冬は待ってくださいませんので」
その日、決まったのは三つ。
北部街道の維持費。
冬季備蓄の最低基準。
国境警備の情報共有。
新しい仕組みが始まった日にしては、驚くほど地味だった。
だが、道は冬になる。
備蓄は減る。
国境では人が見張る。
決めなければならないことは、待ってくれない。
会議が終わったあと。
諸侯が帰り、ティナリアも「お腹すいた」と言って食堂へ消えた。
書記も下がらせた大広間に、エルダーラとルーヴァンだけが残った。
「殿下。お帰りにならないのです?」
「話がある」
「王領の議題でしたら、次回へお願いします」
「違う」
エルダーラは書類を置いた。
ルーヴァンが口を開く。
「エルダーラ」
「はい」
「婚約を、もう一度結び直す考えはないか」
静かだった。
エルダーラは驚いたが、すぐには答えない。
「理由を伺っても?」
「まず、政治的な理由がある」
「まず?」
「王家と代表会議が完全に別のものとして存在するより、婚姻によるつながりがあった方が衝突を避けやすいと思った」
以前とは違う。
自分の権威。
自分の面目。
そこから始まってはいない。
一応、理屈がある。
「お前が王太子妃になれば、王家からも会議からも、互いを完全な外部とは見にくくなる。将来、私が王になった後も――」
「殿下」
「何だ」
「今回は、考える前提をお間違えです」
「なぜ」
エルダーラは、自分の議長席と王領代表の席を見る。
「せっかく分けたものを、婚姻でもう一度一か所へ寄せてどうなさるのです?」
ルーヴァンが黙った。
「議長と王太子妃が同一人物になれば、わたくしへ話したことが王家へ伝わるのか、議長へ伝えたことなのか、その境界も曖昧になります」
「なら議長を辞めれば」
「制度上の問題は減ります」
「では」
「ですが、そうしましたら今度は、なぜわたくしが王太子妃になる必要がございます?」
また止まった。
「王家と代表会議は、別でよいのです。意見が違えば話す。必要なところで合意する。どちらかがもう一方へ入ってしまわなくても、それはできます」
エルダーラは少しだけ笑った。
「そのために、わざわざ話す場所を作ったのでしょう?」
ルーヴァンは長く息を吐いた。
「制度そのものを、間に置くと」
「はい」
しばらく黙ってから、ルーヴァンがもう一度口を開いた。
「では、政治を抜きにしたら?」
エルダーラが瞬いた。
「私個人が、もう一度婚約したいと言ったら」
6年。
王都で過ごした日々。
模擬戦。
婚約解消。
領地へ戻った日。
謀反の疑い。
父。
母。
8歳の妹たち。
3万人。
全部を思い出してから、エルダーラは答えた。
「お断りします」
今度は迷わなかった。
ルーヴァンが苦く笑う。
「早いな」
「理由は、もう十分お分かりでしょう?」
「……謀反の件か」
「それだけではございません。殿下が婚約を解消なさったこと自体は、もう受け入れております。悲しくはありましたが、殿下の判断でしたから」
「だが、その後がある」
「はい」
自分一人なら、まだよかった。
だが父も、母も、妹たちも。
レグランド家全体が、反逆者の家族にされる可能性があった。
「そこは、まだ腹が立っております」
「……悪かった」
短かった。
言い訳はなかった。
エルダーラは少しだけ表情を緩める。
「謝罪は受け取ります」
「婚約は?」
「別です」
「そうか」
「はい」
ルーヴァンは少し黙ったあと、笑った。
「以前の私なら、ここで納得できないと言ったかもしれない」
「今は?」
「納得はしていない」
エルダーラが眉を上げる。
「ですが」
「理解はできる」
エルダーラも少し笑った。
「それも成長ですわね」
「上から言うな」
「議長席ですので」
ルーヴァンが一瞬固まり、それから本当に笑った。
「それはずるいだろう」
「高い席を使っただけです」
「お前、そういう冗談を言うようになったのか」
「失礼ですわね」
翌朝。
ルーヴァンは国王から呼ばれた。
王妃もいた。
国王は執務机の前ではなく、窓際に立っている。
「昨日、エルダーラへ婚約を申し込んだそうだな」
「なぜご存じなのです」
王妃が答えた。
「母親ですもの」
「それで分かるものですか?」
「顔を見れば」
エルダーラと同じことを言う。
ルーヴァンは少し嫌な顔をした。
国王が聞いた。
「断られたか」
「はい」
「そうか」
それだけだった。
「父上」
「何だ」
「それを聞くために呼ばれたのではありませんね」
「ようやく、そのくらいは分かるようになったか」
「最近、皆が私へ同じようなことを言います」
「成長期なんでしょう」
王妃が言う。
「19歳ですが」
「遅いよりいいわ」
国王が椅子へ戻った。
その顔は、昨日までより落ち着いて見えた。
「私は退位する」
ルーヴァンは動かなかった。
「……何と?」
「王位をお前へ譲る」
「なぜ」
国王は息子を見る。
「今回の混乱の責任を取る」
「それは」
「始まりには、お前の判断があった」
「はい」
「だが、お前一人ではここまでにはならなかった」
国王は淡々と続けた。
「レグランド家への監視継続を認めたのは私だ。軍務院が最悪の場合を想定して机上試算を行うことも止めなかった。諸侯が不安を抱き始めた段階で、疑いを解くための説明を十分にしなかったのも私だ」
王妃は黙って聞いている。
「王太子の失敗なら、王が止めるべきだった」
少し間を置く。
「止めなかった。なら最終的な統治責任は私にある」
ルーヴァンは言葉を探した。
「ですが、新制度が始まった直後です。今、王が代われば」
「だからだ」
国王は遮った。
「古い権限を持っていた王が、そのまま新しい制度の上に居座るよりよい」
「父上」
「私は、権限を削られた王になるのが嫌だから退くのではない。古い仕組みを動かして、ここまで拗らせた王が、その責任を取って退く」
そして、息子を見る。
「お前は最初から、制限された王として即位する」
ルーヴァンは黙った。
かつて、自分は国に二つの中心ができることを恐れた。
王になる自分。
王妃になるエルダーラ。
彼女が自分より支持されれば、二つの中心が生まれる。
そう考えて婚約を切った。
そして今。
自分が継ぐ王位の隣には、正式に王国代表会議が存在する。
「……皮肉ですね」
「何がだ」
「私は、二つの中心を嫌って婚約を解消しました」
「そうだったな」
「結果として、もっとはっきり二つに分かれました」
王妃が訂正する。
「二つとは限らないわ」
「母上?」
「国には王も、会議も、領主も、都市も、商人も、軍も、民もいるでしょう」
ルーヴァンは少し考える。
「……そうですね」
「一つの中心だけで全部を動かす必要なんて、最初からなかったのよ」
あの日の自分なら、きっと受け入れられなかった。
今は。
「分かりました」
ルーヴァンは父を見る。
「王位をお受けします」
退位は、今回の混乱に対する統治責任を取る形で正式に公表された。
レグランド家への疑義。
監視の継続。
軍事的危機を想定した検討。
そこから諸侯の出兵、王都の物流混乱、人の流出まで招いたことについて、国王が最終的な責任を負う。
王家そのものは残る。
王妃は王太后へ。
そして、ルーヴァン・ルディオクが新たな国王として即位した。
盛大な祝賀は行われなかった。
王都も各領も、まだ立て直しの途中だったからだ。
新王本人も望まなかった。
即位後、最初の王国代表会議。
王領代表席へ現れたルーヴァンを見て、エルダーラが一瞬止まった。
「……陛下ご自身が来られるのですか」
「悪いか」
「王になられたので、代理を出されるかと」
「半年間は私が出る」
「お忙しいのでは?」
「忙しい」
「では」
「今回の制度がどう動くのか、自分で見る」
エルダーラは少し考えてから頷いた。
「承知しました」
ルーヴァンが席へ座る。
王領代表。
そして国王。
それでも、代表として持つ票は一つ。
「陛下」
「何だ」
「王であっても1票です」
「分かっている」
「本当に?」
「分かっていると言っているだろう」
周囲から小さく笑いが起きた。
ルーヴァンは怒らなかった。
「議長」
「はい」
「始めろ」
「では、本日の第1議題。王都西街道の修繕について」
派手な話ではない。
王位が変わった直後の議題としては、あまりにも地味だった。
だが、道が壊れれば荷が届かない。
荷が届かなければ、人が困る。
議論が始まる。
王領は、王都へ近い区間の修繕を優先したい。
アルヴェスト侯爵領は、交易量の多い西側中間区間を先に直したい。
ノルデン伯爵領は、冬前の輸送計画との接続も考えてほしいと言う。
エルダーラは全部聞いた。
「では、街道を修繕すること自体には、皆様賛成なのですね」
誰も否定しない。
「意見が分かれているのは、どこから直すかです」
一つだった問題を分ける。
そこから話す。
ルーヴァンも意見を出す。
エルダーラも必要なら反対する。
王だから通ることはない。
議長だから押し切ることもない。
最終的に、修繕区間は3段階に分けられた。
全員が完全に満足したわけではない。
それでも決まった。
次へ進める。
それでよかった。
季節が一つ進んだ。
エルダーラがレグランド侯爵邸へ帰ると、馬車を降りる前から3つの声が飛んできた。
「お姉さま!」
「走らない!」
アウレリアの速度が少しだけ落ちる。
本当に少しだけ。
「おかえり!」
「ただいま戻りました」
「会議終わった?」
セルフィリアが聞く。
「今月分は」
「王様と喧嘩した?」
メリディアも聞く。
「議論です」
「喧嘩じゃないの?」
「たまに似ておりますが、違います」
玄関では父が腕を組んで待っていた。
「帰ったか、議長」
「家でまでそう呼ばないでくださいませ」
母が笑う。
「お疲れさま」
「ありがとうございます」
夕食の途中。
アウレリアが、ずっと何か言いたそうな顔をしていた。
「何です、アウレリア」
「なんで分かったの?」
「顔です」
「出してない」
「出ております」
アウレリアは少し考えてから聞いた。
「お姉さま、王妃にならないの?」
エルダーラの手が止まった。
父も母も、セルフィリアもメリディアも見る。
「なりませんわ」
「王様に、また婚約してって言われたんでしょ?」
「どこで聞きましたの?」
「ティナリア」
セルフィリアが答えた。
「……あの女」
メリディアが聞く。
「断ったの?」
「はい」
「もったいなくない?」
「何がです?」
「王妃」
セルフィリアが横から言う。
「でもお姉さま、侯爵だよ」
「議長でもあるよ」
メリディアも続く。
アウレリアはしばらく考えた。
「じゃあ、お姉さま何なの?」
「侯爵です」
「それは知ってる」
「では、議長です」
3人が顔を見合わせた。
「議長って何?」
エルダーラは少し考えた。
「皆様で難しいことを相談するときに、話を整理する係でしょうか」
「一番偉い?」
「違います」
「でも前に座るんでしょ?」
「座席で偉さを判断しないでください」
「喧嘩止める?」
「たまには」
「じゃあ私もできる」
エルダーラは笑った。
「そうかもしれませんわね」
そこで父が大きく頷いた。
嫌な予感がした。
「やはり」
「お父様?」
「難しいことは、お前がやるのが合理だな」
エルダーラは目を閉じた。
「お父様」
家族が笑う。
最後には、エルダーラも笑った。
王太子との模擬戦。
120対120。
エルダーラの側は、損害0。
あの日、勝つだけならもっと簡単な方法もあった。
けれど彼女は、全員で戻ることを選んだ。
必要以上に相手を傷つけることもしなかった。
今回も。
王都は落ちなかった。
王家も残った。
退位した国王も生きている。
王太后もいる。
新王ルーヴァンもいる。
諸侯も、王都の人々も、レグランド家も残った。
誰も王都へ突撃しなかった。
誰も王座を奪わなかった。
誰か一人を敗者にして、その上へ新しい国を建てたわけでもない。
変わったものはある。
誰か一人の判断だけで、国全体へ大きな負担を及ぼすことは難しくなった。
違う意見を持つ者が、同じ場所で話す仕組みができた。
そして。
間違えたなら、直せる。
倒す必要のない相手は、倒さない。
壊す必要のないものは、壊さない。
使えるものは使う。
問題があれば分けて考える。
間違えたら直す。
それが、エルダーラ・レグランドの戦い方だった。
そしてこの国も。
ようやく少しだけ。
同じ戦い方を覚え始めていた。




