第3章 喫茶店 ミエル・エ・フラム
異世界に来てから、恐らく3週間が経過した。
この世界の暦がよくわからないので、朝起きるたびに自分で正の字を書いて、日数を数えていた。今日で21日目。何とか生活しているけれど、日に日に辛くなるばかりだ。元の世界でも、毎日鬱々とした日々を過ごしていたことはあったけれど、今はその比ではない。
毎日が本当にしんどい。
美味しくないご飯。きつい仕事。帰ってきてからも特にすることもなく、寝転んでぼんやりと休む…それだけの日々だった。
没頭するような趣味もなかったけれど、少しの楽しみは元の世界にはあったのに、ここではそれすらも見つけられない。仕事の帰り道、思わずはあ……とまた、ため息が出た。
死ぬよりかは生きる方がいいかと思い、この世界で生きていくことを決めたけれど、今は本当にそれが正しかったのかわからない。
鬱々とした気持ちで街の中を歩いていると、ふっと突然バターの良い香りがして、思わず立ち止まった。
——どこからしているんだろう?
辺りをキョロキョロ見回すと今歩いている道に立ち並ぶお店のひとつがガラス張りになっていた。中を覗くと綺麗な焼き菓子が美味しそうに飾られている。
見た目は自分の世界で見たことのあるお菓子ばかりだ。クッキーにパウンドケーキ?にガレットだろうか……どれも綺麗な焼き色がついて美味しそうに見える。でも、見た目だけかもしれないし……それにもしかすると、とても高価な食べ物なのかもしれない。
この世界に来て生活するようになって知ったことだけど、この世界では私達の世界だと、肉や卵、乳製品といった食べ物がとても高価だった。理由は簡単で、この世界だとまだ動物を捕まえて食べるのが主流で家畜というものがほぼおらず、食べるためにはかなりの労力を必要とした。
だから、この見るからに美味しそうな焼き菓子もそうした食材が使われているなら、高価な食べ物だろう。
私がぼんやりと見つめているとお店の中から人が出てきた。巻き髪でふわふわの長い金色の髪に薄い優しい色の緑色の瞳、頭には勇ましい角が生えている女性だった。
「こんにちは。お菓子を見つめてたからつい気になっちゃって」
女性は、ふふふっと優しく笑いかけてくれた。
「あ、その……」
どうしよう……。愛想の良さそうな笑顔に困ってしまった。働き始めたばかりでお金なんてほとんど持っていないし、お菓子を勧められても買えない……。
「ごめんなさい!見てただけで……その、買うつもりはなくて……」
情けないけど、本当のことを言うしかない。顔が熱くなるのを感じる。猛烈に恥ずかしい……。
「よかったら、味見していかない?」
「えっ?」
「ちょうど、新作のお菓子を試作している最中で誰かに味見して欲しいの。お代はいらないわ」
そんな上手い話ある……?
「さあ、さあ。中へどうぞ」
彼女に促されるまま喫茶店のドアをくぐる。お店の名前はミエル・エ・フラムと記載されていた。お店の中に入るとカウンターに、テーブルと椅子が並ぶ小さな喫茶店だった。
カウンターには彼女とよく似た角の生えた女性がカードをめくって眺めていた。
私と彼女が入ってくると、扉についていた鈴がチリンと音をたてたので、こちらを見た。
「なあに?また、お金にならなそうな客を連れてきたの?」
濃い青みがかった黒いウェーブした髪に、深い青い瞳。角は金色にも見えなくはない。
着てる服も着流しのようで神秘的で占い師のような雰囲気だ。
「姉さんったら、また愛想の無いことを言って。どうせ暇してるくせに。気にしないでね、いつもこうなの。お客さんに、にっこり笑いかけたことなんて、一度もないんだから」
金髪のお姉さんが振り返って困ったような顔で笑いかけてくれる。
「失礼ね。にっこり笑う日だってあるわよ」
ふんっと鼻を鳴らして、また彼女はカードを眺めるのに戻ってしまった。
「こちらにどうぞ、すぐに準備するわ」
占い師のような彼女から2つ離れたカウンターの席を引いて案内してくれた。
席に座ると金髪のお姉さんがパタパタとカウンターの奥に入っていき、手際よくお茶とケーキの用意をしてくれている。
お店の中を見回すと、見たことのない観葉植物が飾られており、窓に近い席には午後の西日が差しかかっていた。お客さんは私しかいないみたいだ。
お店の中を見回していると、ふとカウンターでカードを眺めていた彼女と目が合った。
「あっ……じろじろ見回してすみません……」
感情の見えない顔に思わず謝ってしまった。ちょっと見すぎだったかな……。
「いいのよ、気にしないで。お客さんもいないし。もう、姉さんこそお客さんのことジロジロ見すぎ!失礼よ」
すかさず金髪のお姉さんが声をかけてくれる。
「ちょっと気になっただけよ……あんた、よく確認もしないで客を招き入れるから……」
「おかしな人なんて連れてきたことないでしょ?姉さんは神経質すぎるのよ」
カウンターの向こうからいい香りが漂ってくる。金髪のお姉さんがケーキとお茶を運んできてくれた。
「さあどうぞ。新作のケーキ、お口に合うといいんだけど……」
ことりと目の前に置かれたケーキは飴色の果物がのったタルトのようなケーキに、一緒に運ばれてきたお茶は鮮やかな琥珀色をしていた。見た目は美味しそうだけど、ここ数日食べた食べ物の味を想像するとちょっと怖い。
そっとフォークで一口に切って食べてみた。
――あっこれは……アップルパイの味がする。よく知っている味だ。
一緒に出てきたお茶も一口飲んでみる。少し渋い気もするけど、これも知っている味だ。紅茶の味がする。
「どうかしら?」
「美味しいです」
「ルミナがいたら言いにくいわよね」
にやりと青い黒髪のお姉さんが笑う。
「もう!セレナったら!そんなことないわよね?」
私が頷くと、ほら!とルミナさんがセレナさんにまた言い返していた。仲がいい二人だな。
それにしても、この世界に私でも食べられるものがあってよかった。好きになれそうなものがあってよかった。そう思ったら、なぜか自然と涙がぽろぽろと溢れてきた。
慌てて拭うが、あとから、あとから流れ落ちた。
「目をこするとよくないわ。使いなさい」
セレナさんがさっと綺麗な刺繍の施されたハンカチを出してくれた。
「大丈夫です。汚れちゃうし…………」
「汚くないわよ」
そう言って、ハンカチを持って隣の席に来ると頬を流れる涙をそっと拭いてくれた。一度、溢れてしまうと上手く止めることができずに泣いてしまったが、泣いている間ずっとセレナさんは背中をさすってくれたし、ルミナさんはそういう日もあるわよね。と呟きながらそっと見守っていた。
「ごめんなさい。取り乱してしまって」
セレナさんに謝った。
「大丈夫よ。気にしないで」
「落ち着いた?温かいお茶をどうぞ」
ルミナさんがにっこり笑ってお茶を変えてくれた。
「勿体ないです!全部飲みます」
「今はこっちのほうがいいと思うわ」
「すみません……」
「もし、だけど。何か溜め込んでる辛いことがあるなら、聞いてあげるし、何か解決策を見つけてあげることもできるわ」
セレナさんが私のほうを静かに見つめて言った。
「姉さん、このお店だと占いをやってるの。よく当たるのよ」
「話を聞くのは仕事の一環ね」
私のことを話して何かが見つかるのだろうか?元の世界に帰る方法とか?
とはいえ、散々二人の前で泣いてしまった手前何も話さないのは気が引ける。それに……できればこのお店にまた来たかった。
「あの、上手く話せないし、長いですけど聞いてもらえますか?」
「もちろん。構わないわ」
セレナさんが優しく笑って頷いた。
私はこれまでの経緯を二人に話した。異世界から連れ去られてしまったこと、元の世界に帰るには寿命が足りないこと、紹介してもらった職場のお客さんが苦手なこと、ご飯が美味しくないこと、この世界で生きていけるか今は不安でいっぱいなこと……。
セレナさんも、ルミナさんも、終始うんうんとうなづきながら話を聞いてくれた。
「ひっどい話ねえ!」
話終わったあと、セレナさんが私の気持ちを代弁してくれたかのように怒ってくれた。
「本当ね。生きるか死ぬかなんて……」
ルミナさんが気の毒そうに私を見つめる。
「そもそも、監視局って何してるのかしら?いまだに、異世界から連れ去られて来る人多いものね。厳重に取り締まれないものなのかしら……。とにかく、あなたのことはよくわかったわ。当分の間はこの世界で生きていかなきゃいけないし、とはいえ、そうね……職場は変えたほうがいいと思うわ。そうだ!ねえ、メリアが管理人探してなかったかしら?あなた、足の多い生き物は平気?」
「えっ?虫とかって意味ですか?たぶん?大丈夫です?」
急に何の話だろう?虫は平気だけど、この世界の生き物で足の多い生き物なんて虫よりももっと違う生き物の可能性もあるけど…………。
「カミラの宿り木のこと?そういえば、前来たときそんなことを言っていたような……」
ルミナさんが思い出そうとしているのか首を傾けている。
「そう、そう。ほら、メリア赤ん坊のときに自分以外で住人の面倒を見てくれる人が欲しいって言ってたじゃない」
赤ん坊のときに、自分以外で住人の面倒を見てほしい?また、よくわからない話が出てきたな……。
「ああ!そうね。メリアさんそんなこと言ってたわね。お世話してくれる人見つけたのかしら?」
「私達の友達にメリアって魔女がいて自分の家の部屋を貸している魔女がいるのね。その家の住み込みの管理人をしてくれる人を探していて、あなた真面目そうだし、どうかしら?興味無い?」
「住み込みの仕事ですか……私、他の人とうまくやっていけますかね?今の仕事でも、周りの人と仲良くないですし……」
元の世界の職場でも人間関係が良いほうではなかった。良くも、悪くも必要以上に人と関わらないようにしていた。そんな感じなのにうまくやっていけるだろうか?
「今って戦士とか傭兵とか荒っぽい仕事してる連中ばっかりでしょ?人も多いし。カミラの宿り木は魔女しかいないし、そんなに人数もいるわけじゃないし、昼間はほとんど人がいないんじゃないかしら?いてもずっと引き篭もってるような子ばっかりだし」
「そうそう。それに、確か女性がいいって言ってたわ。魔女ばっかり住んでるし、カミラの宿り木は女性専用ってわけじゃないけど、部屋を借りにくるお客は女ばっかりなのよ」
それなら大丈夫かな?私も社交的なほうではないけど、最低限、挨拶するだけで会話も少ないなら平気かも?
「ちょっと気になります……」
「なら、見に行ってみない?メリアも今の時間ならいると思うわ」
話が早い!でも、動かないことには何も変わらないよね。それなら……。
「ぜひ、行ってみたいです」
「決まりね。ルミナ、あとはお願いね。占いと薬の注文のお客がきたら、今日はいないって言って」
「わかったわ。いってらっしゃい。また、いつでも来てね。サクラさん」
「お金、いくらですか?」
私が慌てて、わずかばかりのお金の入った袋を出す。
「新商品だからお代は気にしなくていいの。そういう約束でしょ?メニューにものってないし、次きたときに頼んでくれると嬉しいわ」
「でも……」
「ルミナがいいって言ってるんだからいいのよ。さあ、行きましょ」
セレナさんはさっさっと扉を開けて外に出て行ってしまった。
「さあ、さあ行って!姉さん、振り返らないでどんどん歩いて行っちゃうから」
ルミナさんが楽しそうに笑って手を振ってくれた。
「ありがとうございます!また来ますね!必ず!」
そう言って、先に行ってしまったセレナさんのあとを追いかけた。




