第2章 異世界生活
朝が来た。
昨日のことは夢であって欲しかったのに、何も無い天井と硬いベッドが私の家で無いことをはっきりと教えてくれた。
あのあと、小柄なおじさん、もといポピンさん達は私が異世界で生きていくというと、この仮住まいを案内してくれた。
なんでも、私のような別世界から連れ去られてくる人はここでは、そんなに珍しいことでもないので、そういった被害にあった人が住むための居住区というのがある。
案内された部屋は簡素なベッドと申し訳程度のテーブルとイスがあり、この世界の飲水は飲料用の井戸から汲んできて、部屋に置いてある水瓶に貯めておくのだそうだ。側に置いてある乾燥させた葉っぱは毒消しで水を飲むときに入れて飲むものらしい。この世界の食べ物には、消化しきれない微量の毒を含むものもあるので、水を飲むときには必ずこの葉っぱを浮かべて飲むのだそうだ。
——何かすごい世界にきちゃったな……。
生活のために必要な最低限の衣服や生活用品と食事が渡されて、昨日はベッドで休んだのだが、ベッドが硬くて朝起きた時、身体がいたかった。
渡された服に着替えるとさらに気持ちを憂鬱にさせた。恐らく、何か植物の繊維で作ったであろうごわごわした肌触りの薄茶色のワンピースは快適とは言えない着心地だった。下着はとりあえず、自分が身につけていたものをそのまま使っている。
——異世界生活って、もっとワクワクやドキドキがあるものじゃないの?
「はあ……」
思わず、ため息が出てしまう。
今日はポピンさんに仕事を紹介してもらえる。攫われてきて、昨日の今日で急な気がするけれど、自分の生活の面倒を見てくれる人がいないので仕方がない。
とりあえず、ポピンさんが迎えに来るまでに備え付けの洗面器に水を汲み、顔を洗って軽く身支度を整えた。
テーブルの上には食事だと言って用意してくれたバスケットがあり中身を確認すると、パンと恐らくジャムのような赤黒い液体が入った小さな小瓶とスプーンに、乾燥させたお茶っ葉が入った袋が入っていた。
この世界の物を初めて食べる。パンを食べようとちぎると、バリっ……と良い音が響いたが、カチコチだった。フランスパンをさらに硬くして干したようなパンだった。もそもそと咀嚼してみる。普通に食べられる。そうだ、ジャム?をつけて食べでみよう。用意されていた小瓶をあけてスプーンで中の液体をすくってみる。
確かにジャムっぽい感触だ。赤い苺ジャム?のようなものをパンにほんの少しつけて食べてみる。
——味がしない?
何かの果実を煮詰めたジャムのようなものであることは間違いないけど……量が少ないのが問題?
もう一度、さっきより多くパンにつけて食べてみると……失敗した!何これ!苦い!渋い!
それだけじゃない、鼻を抜けるような青臭さがあとからやってきて、思わず水瓶に走って水をすくって一気に飲み干した。
「……お、美味しくない……」
飲み込んだあとも、口の中にえぐみが残った。成長していない未熟な果実を噛んだようだった。この世界の人はこれが美味しいと思っているの?私はこれからここで生活していけるのかな……。もやもやしながら水瓶の蓋を閉めると、トントンとドアがノックされた。
「おはようございます!サクラさん。ポピンです!」
ドアの向こうからポピンさんの明るい声が聞こえた。
「今開けます!」
ドアを開けると赤ら顔に、にこにこ微笑むポピンさんが立っていた。
「おはようございます!昨日はよく眠れましたか?」
「おはようございます……まあ、一応……」
「よかったです。あっ、お洋服もよく似合ってますよ!」
「それは、よかったです……」
着心地が悪くて首の周りがチクチクしたけれど、ポピンさんの笑顔を見ていると着心地が悪くて別の物に変えて欲しい……とは言えなかった。
「朝ごはんは食べましたか?もう準備がお済みなら、お仕事に行ってみましょうか!」
「大丈夫です。行けます」
「いいですね!行きましょう!」
ポピンさんに連れられて、宿舎を抜けてこの世界の街の中を歩く。朝とはいえ、様々な姿の人達が行き交い、生活していた。その姿はみんなバラバラだった。頭だけが獣のような人もいるし、頭からつま先まで毛むくじゃらでほぼ獣の人もいれば、ポピンさんのように小柄で耳の尖った人、トカゲのような見た目の人もいた。私と似たような人間の姿の人もいるが、角が生えていたり、目の数が多かったり、とにかく多種多様だった。
「珍しいですか?」
私がキョロキョロとしていたので、ポピンさんが話しかけてきた。
「あ、はい……。みんな私の世界にいた人とは違うので……何だか、物語の中にでもいるみたいです」
「そうですか、そうですか。そのうち、慣れていきますよ」
ポピンさんはにこにこしながら話を聞いてくれたが、この世界にいつか慣れていくことなんてできるのだろうか?
私の横を頭部にも目のついた人が通り過ぎて行く時、頭の目達は通り過ぎるまで私をずーっ……と見つめていた。とても慣れる気がしなかった。
「サクラさん!ここです。今日からあなたが働く場所です」
ポピンさんが連れてきてくれた場所は大きな大衆食堂のようだった。この街の中では一際目を引く大きさだった。
まだお客さんは入っておらず、料理の匂いと慌ただしい声が聞こえてくる。
「店主にはもう話してあります。今までも、サクラさんと同じようにこの世界に連れて来られてしまった人も働いているので、心配しないでくださいね!」
「はい……」
にこにこと笑顔を振りまきながらポピンさんはお店のドアを開けて中に入っていく。
あとに続いて入っていくと、中は外から見るよりさらに広く感じた。長いテーブルに大人数用の大きな丸テーブルが沢山並べられている。ここにお客さんが入ってきたら、さぞ賑やかになるだろうな。
「店主さんはどちらですかね~……厨房に行きましょう!」
物怖じせずにどんどん店内を進むポピンさん、すごいな……厨房の向こうからは、ときどき怒声すら聞こえてくるのに……。
「失礼しまーす!店主さんおられます?」
元気良くポピンさんが厨房の扉を開けて中に入っていく。
「ああ?ポピンじゃねーか。なんだ、また誰か連れてきたのか?」
厨房に入ってすぐ目の前にワニのような見た目の人が料理の下ごしらえをしていた。中は慌ただしく働く人が大勢いた。
「ニイワさん、おはようございます!今日も牙が素敵ですね!店主さんはどちらに?」
「いちいちうるせぇ男だな。奥にいるよ」
面倒くさそうに首を振って鼻先を奥に向け、ニイワさんは答えるとちらりと後ろにいる私を見たあと、また下を向いて黙々と作業を始めた。
「教えてくれてありがとうございます!さっ、サクラさん!ご挨拶に行きますよ!」
「はっ……はい!」
ポピンさんがおはようございまーす!と元気に挨拶しながら、厨房の中を早足で歩いていく。働く人達は街中で見かけたような多種多様な種族の人達が沢山いた。
私達が進むと目で追う人もいれば黙々と作業に没頭する人、腕が何本もある?!人もいれば一心不乱に次々と作業をこなしている人もいた……。
私は一体なんの仕事を任せられるのだろう……。
厨房の奥に行くと一際大きな身体の角が生えた人がいた。二本の尾びれのような尻尾まで生えている。
「店主さーん!シュシュさん!おはようございます!ポピンでーす!」
ポピンさんが元気に声を掛けるとその人は大きな身体を揺すってこちらに振り向いた。動物を捌いていたのか、手は血みどろだ……。
「……ポピン?ああ、昨日言っていた、例の……」
重く響く声の店主のシュシュさんは口から見事な牙が上下に生えていた。口の周りも立派な髭が生えている。コックさんなのだろうか?私の世界の清潔感ある白い仕事着……ではなく、薄汚れたシャツを着ていたが、腰にはエプロンらしき布を巻いており、腰には仕事で使うのであろう刃物に鈍器を携えている。見た目は鬼みたいだ。
「こちら、サクラミスミさんです!よろしくお願いします!」
ポピンさんがにこにこ愛想良く挨拶するが、店主の顔はぴくりとも動かない。
「よろしくお願いします……」
私が挨拶すると私のほうをじろりと見た。
「ついてこい……仕事場を案内する……」
「は、はい!」
身体の大きさが私の倍違うので、足早に彼の後ろをついていく。私の後ろからはポピンさんが楽しそうに周りの人に挨拶をしながらついてきていた。
調理場を抜けると、その奥は水を流す音と、がしゃがしゃと食器の擦れる音が聞こえた。
「ここが、あんたの職場だ。ここに持ってこられる食器や鍋を洗ってくれればいい」
大きな水槽のような洗い場にはすでに沢山のお皿やお鍋が水に浸かっていた。私の住んでいる家とは違い、どこからか水を引いているのか、洗い場の上には水が流れてくる入口があり、ここは水がずっと流れているようだ。
——……これって結構重労働なのでは……?働いている人の姿を見ていると一抹の不安が頭をよぎる。
「この世界のことをよく知らない相手に食べ物の下処理は任せられねえし、かといって給仕係で客の相手もな……ここが妥当だと思うんだが……やれるか?」
店主さんが私の顔を覗き込んできた。急に近づいてこられて少し驚いてしまったが、やるしかないのだろう。この世界で生きていくことにしたのだから。
「できます……やらせてください」
店主さんは私の返事に満足したのか、なら、頼むと短く返事をして、仕事に使うエプロンを渡してくれた。
「このたわしを使って、食器や鍋の汚れを落としてすすいだら、となりの籠に入れておいてくれ。たまったら、洗った食器を片付ける奴が取りにくる。鐘がなったら、休憩時間だ。食事は賄いを出す。厨房まで取りにきてくれ」
「わかりました」
エプロンに袖を通す。少し大きかったけど問題なさそうだ。
「うん、うん!サクラさん!とっても似合っていますよ!それじゃあ、私はここまでで、帰りはまたお迎えに来ますね。今日の感想を教えてください!」
「ありがとうございます。頑張りますね……」
ポピンさんがいなくなることに少し不安を覚えたが、頑張るしかない。
乾かしたへちまのようなたわしを持って、水に浸かった食器を持ってひたすらガシャガシャと洗い始めた。
少し時間がたった頃、外が騒がしくなってきたのが聞こえた。お客さんが入ってきたのだろう。あっという間に厨房も洗い場もバタバタと人が忙しく出入りするようになった。洗い場の目の前はお客さんの食べる場所になっており、食事の済んだお客さんや給仕の人達が空いたお皿やコップを持ってくる。それを次々と水ですすいで、落ちない汚れはたわしで落とす、を繰り返した。
何とかなると思ったけど、これ結構きつい……。ずっと水に手をつけているとふやけてくるし、初めのうちは気にならなかったけどだんだん水の冷たさが辛くなってきたが、周りの人を見るとみんな黙々と作業をしている。となりの人は手に魚のような鱗がついていて、もしかすると私より水とか辛くないのかも……。
そんなことを考えながら作業をしていると、目の前の食器置き場に人が立っているのが見えた。
溜まっている食器が邪魔なのかもしれない。手を伸ばして空いたお皿をおけるように他の食器をまとめていると、急に手がにゅっと伸びてきて私の右腕を掴んだ。
「えっ!な……っなんですか?」
「新入りか?白い手だな」
腕を引っ張られて、ニヤニヤしながらじろじろと顔を見てくる。棚の向こうの人はいかにも柄が悪そうな鎧をきた男だった。
「あのっ……」
急なことでびっくりして言葉が続かない。一体どうしたら……。
「ちょっと、あんたやめなよ。シュシュさん呼ぶよ」
となりにいた魚のような鱗のついた手を持った人が咎めるように声をかけてくれた。
鎧を着た男は馬鹿にしたように鼻でフッと笑うと手を離してどこかに行ってしまった。心臓がばくばくいっている。
「あの、ありがとうございました……」
となりの人に声をかけると、その人はいかにも嫌そうな顔をした。
「おどおどしてるから舐められるんだよ。しっかりしな」
「すみません……」
そのあとは特に会話もなく、また黙々と作業に戻った。じんわりと涙が浮かんで泣きそうになったが、ぐっと堪えた。
鐘がなり、周りで作業していた人達が一斉に仕事の手を止めて、ぞろぞろとどこかに向かっていく。休憩の時間だ。
いい匂いがするけれど、どんな料理が出てくるんだろう。朝のジャムみたいなのではないといいな……。
休憩の人の波についていくと、列に並んで順々に食事が配られているのが見えた。私も列に並び順番を待っていると温かいスープとパンが手渡された。スープにはわずかに食べられそうな肉や野菜の切れ端が浮いていた。
これだけ?いや、でも賄いってこんなものなのかな……。
列を離れて、食事を持った人たちについていくと、働いている人達が休む休憩スペースのような場所があった。ここは仕事場のように水は流れておらず、飲み水用の大きな水瓶と水を飲む用のお椀が置いてあり、近くにお茶の葉が置いてあるだけだった。テーブルや椅子が置いてあり、それぞれが好きなところに座って食事をしていた。
私も空いているところに座って食事をとることにした。座るとどっと疲れが出てくる気がした。元の世界ではデスクワークで座ってばっかりだったから、午前中だけなのに、もう足と腰が痛い。こんなんで、午後もやっていけるのかな……。
温かいスープに口をつける。いい匂いだし、見た目もコンソメスープみたいな飴色だし、ここは食堂なんだから、朝みたいなことはないと思うのだけど……。
そっと一口飲んでみる。
……?なんか……味が薄い?
微かに動物のお肉が入っているような出汁の効いた味に野菜の切れ端が浮いて、優しい塩味……といえなくもはないけど……それにしても薄味すぎる……。お湯の量を入れすぎたほぼ味のしないインスタントスープを飲んでいるようだった。
パンは相変わらず朝食べたのと同じ、硬くてしなしなのパンだし、たぶん、この世界の主食なのかもしれない。
朝よりはマシなのかな……。温かいし、食べられる味ではあるし……。
しなしなのパンを嚙みながら、これからずっとこれが続くのかと思うと正直、どんよりとした暗い気持ちがずーん……と胸にのしかかってきた……。
休憩後も黙々と働いていると、サクラさーん!というポピンさんの明るい声が聞こえてきた。
「お疲れ様です!サクラさん!今日はもうあがっていいそうですよ!」
ポピンさんのにこにこ笑顔が今はやけに癒される。
「あっ、わかりました。でも、まだ洗い残しがあって…………」
「夜担当の人が引き継がれるはずですよ!あっ、ほら!お疲れ様でーす!」
ポピンさんの後ろから、ぞろぞろと人がやってくる。各々が持ち場に入り、私の場所にも耳の尖った背の高い女性がやってきた。
「……お願いします」
彼女はわかったというように頷くとエプロンをして、ガシャガシャと洗い始めた。私のとなりで作業していた人はもうすでにいない。
「さあ、さあ、帰りましょう!」
ポピンさんが意気揚々と前を歩いていく。
「あ、あの借りたエプロンはどうしたら……」
周りをキョロキョロと見回すが誰も反応してくれない。
私がついてきていないことに気づいたポピンさんが、振り返った。
「おや、どうしました?」
「お借りしたエプロンはどこに返せば……」
「仕事のために借りてるんですから、持ってて大丈夫ですよ!」
「そうなんですね……すみません」
エプロンをはずして、さっと畳む。何だか、本当に居心地が悪い。
「いえ、いえ!さっ帰りましょう!帰りましょう!」
ポピンさんに促され、仕事場を後にする。外から見たお店はとても賑わっていた。
「お仕事、初日はどうでした?慣れない場所で大変でしたでしょう?」
「ええ、まあ……」
「もっと落ち着いた職場も検討してみたのですが、どうしても魔法とか、そっちの能力が無いとどーにも働けないところばかりでして……」
なるほど……。異世界でも能力とかそういうのはシビアなのね……。それにしても、魔法って……本当にファンタジーの世界なんだな。
「でも、あまりにも仕事が辛かったら言ってくださいね。他のお仕事もご紹介できますので」
私が黙っていたからか、心配してくれたのかもしれない。ポピンさんはニコニコ笑顔だったが、眉毛が八の字になっていた。
「今日は1日目ですし、少しずつ慣れていけると思います。まぁ、その……体力勝負ではありますけど……」
「そうですか、そうですか!前向きに頑張ってくださって、サクラさんはえらいですね。僕も頑張らないとなあ!」
ポピンさんは家まで送ってくれた。明日からは一人で仕事場に向かうことになる。
何とかなるかとは言ったけど、正直……もう、元の世界に帰りたい。




