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彼女は無邪気な俺の女王 02


01


 あたかも時間が停止したように、夕陽は地平線の同じ位置に留まっていた。

 沈む太陽と同じ速度で西に向かって高速飛行すると、こんな光景を見る事ができる。


 地面すれすれの高度で一直線に空を飛ぶ一機の戦闘用アンドロイドと一柱の魔王級魔族――両者の前方に地平線の彼方まで広がる雪原はどこまでも紅色だ。

 大陸西部地域は沼沢地や河川等の湿地帯が多く、年間を通して湿度が高い。この時期に降り積もる雪は膨大かつ重く、気温の低さに反して少量の粉雪が舞う程度のラングレードの地とは、そんな面でも対照的である。


 ガルターク魔導帝国・東部平原エリア――ファンタズマ世界における魔法文明の頂点であるガルタークだが、人口の大半が首都ガルタニカに集中している面もあり、国土の大部分は無人の大地が広がっている。

 山岳や森林がまるで見当たらず、どこまでも平坦な荒地が広がっているのは、百万年の歴史の中で全ての資源を採り尽くしたからだ。


「焦る気持ちは分かりますが、今は慎重に進みましょう」


 210cmの身長と210cmの爆乳。滑らかな褐色の肌と輝く金髪をなびかせながら三十路の色香を放つ絶世の美女司祭――“マザーウィル”は、並飛行する同僚をやんわりとたしなめた。

 ティーンエイジのサキュバス形態を取らないのは用心のためである。ガルタークの地でサキュバスの立場は実験生物でしかないからだ。


『はい』


 共に240cmの身長とバストサイズ。星々を紡いだ銀の髪と冷たく輝く白銀のボディ。無機の機能美とアートの造形美を極限まで昇華させた鋼の美神――“レミュータ”は感情の無い単音節を返す。

 先刻の戦いから彼女はそんな生返事が多かった。


 魔剣術士ムメイとの激闘の後、タケル皇帝の護衛任務をシグナスに引き継いだレミュータは、同行を申し出たマザーウィルを伴って、拉致されたショータとアニスを救出するべくガルターク魔導帝国内に侵入を果たしていた。

 常にマスターの居場所をストーキング……もといモニタリングしている危険なアンドロイドは、既にマスター達の所在地は把握している。

 その気になれば超光速移動で瞬時に主の御元へ駆け付ける事ができるのだが――


「それでは間違いなく魔法警戒網に引っかかります。星振塔を甘く見てはいけませんよ」


 ミルゴ村の子供たちが人質に取られているも同然の現状、あらゆる行動には慎重に慎重を重ねる必要があった。

 音速を超える程度に速度を落とし、乳先が雪原に触れそうな低空飛行を続けているのも、魔法監視レーダーの目から逃れるためである。


『はい』


 繰り返される生返事には理由があった。

 現在、レミュータのAIは超高速で同じ演算を繰り返している――人間的に言えば思考の迷路に囚われているのだ。

 どれほど人間に類似した存在であっても、機械であるアンドロイドの精神は人間のそれとは全く異なるシステムで構成されている。だが、あえて人間の認識に無理矢理翻訳すれば、今のレミュータの思考は以下のようになる――


 ――なぜ対ムメイ戦で自分は『目標の分析による攻略法の解明』に失敗したのか?――


 冷徹な機械のロジックでは疑問の解答は出力されている。


 まず1つ――ムメイの本体がブロードソードではなく甲冑側だと常識的に判断してしまったからだ。

 からっぽの鎧をいくら分析しても正確なデータが得られるはずがない。

 呪われた魔剣が中身のない鎧甲冑を動かす――地球では怪談で語られるだけのフィクションが、ファンタジー異世界では実在する可能性を失念した故のミスだった。


 そして最も大きな理由――それはレミュータ自身の不調である。

 時空爆雷による次元崩壊によって、地球からファンタズマに異世界転移した時点でレミュータは大きなダメージを受けていたが、更にマザーウィル、シグナス、武帝ガイ、ムメイとの連戦で機体損壊は容赦なく積み重ねられていた。

 外見だけなら傷一つ無い美しい姿を維持しているのは、ハードウェア的な損傷は“ガーゴイル”の亜空間ネットワークを介した武装コンテナによって新品同然に換装されているからだが、それらを制御するソフトウェア――AI部分の深刻なダメージは回復の目処めどが立っていない。

 現在の総合的な機体損傷率は85%。

 地球にいた頃なら修復を考慮することなく廃棄される状態である。

 今のレミュータが無骨な『戦闘モード』ではなく人間的な『待機モード』の姿を取っているのも、わずかなリソースでも自己修復機能に回したいからだ。

 これほど機体コンディションが悪化していれば、ムメイの情報解析が上手く行かなかったのも当然で――



 ――本当に?


『――ッ』


 ――本当は、ただ焦っていただけではないの?


『……』


 ――マスターがいなくなった事に、マスターの身に危険が及んでいる事実に、私の電子頭脳こころは追い詰められていた。


『…………』


 ――そう、まるで人間みたいに。


『……私、は』


 ――でも、それはとっても危険なこと。


『……』


 ――このままでは、この世界も壊れちゃうよ?



『同意します』

「え?」

『独り言です』

「は、はぁ」


 今度はマザーウィルが生返事をこぼした。

 不安気に。

 夕陽に照らされたレミュータの凍結した銀水晶を思わせる横顔が、一瞬、何か別の存在に見えたからだ。


『385秒後に目的地に到達します』


 そして、レミュータは考えていた。

 まるで、まるで、まるで、人間みたいに。


 ――おそらく、そう遠くないうちに――

 ――私は私を廃棄する事になるかもしれない――



02


 ガルターク魔導帝国首都ガルタニカ――ファンタズマ魔法文明の結晶たる超近代的な“中央エリア”と、その周辺に広がる荒廃したスラム“実験体収容エリア”で構成された二律背反アンビバレンツの都市は、今は平等に夕陽の紅に染められている。この黄昏の光景だけは百万年前から変わらなかった。


 ……いや、今日の夕刻は普段とは違う姿を見せているかもしれない。

 実験体収容エリア――廃棄物で薄汚れた廃墟が広がる光景は変わらないが、常日頃のそこを知る者が見れば違和感を覚える要素があった。

 死ぬ事さえ許されずに痩せ衰えた身体を路上に晒す“実験体”の姿がどこにも見当たらないのだ。


 だが違和感――というより場違い感なら、この瓦礫が散らばる広場に独り立つドレス姿の美女に勝るものはあまり無いだろう。

 身長とバストサイズは共に220cm。豪奢な紫色のドレスを着てもスマートなプロポーションが際立っている。薄紫色の縦ロール髪に濃紫色の輝く瞳。色香放つ高貴な美貌――“ムシヒメ”である。


「……そろそろかしら、ね」


 他に誰もいない広場の只中で、何かするわけでもなく呆然とたたずんでいる――ように見える紫色の美女は、ふと何か思い出したように頷いた。

 ほぼ同時に、


 ざわり


 ムシヒメの周囲を渦が巻いた。

 黒い風の渦が。


 ざわ ざわ ざわ


 実験体収容エリア全体から黒い風が次々と広場に押し寄せていく。それは漆黒の竜巻と化し、ムシヒメの細い体を飲み込んで――


 ぱんっ


「ふぅ、お腹いっぱい。準備万全ですわ」


 瞬く間に雲散霧消し、人型の風船を限界まで膨らませたような胴体直径3mを超える異様な肥満体の怪人を生み出した。

 魔法的ナノマシン“砂蟲”を充填完了した異様にして威容な姿は、まさに魔女帝フロラレス直属の最強戦闘術師“五本指”に相応しい奇怪な迫力に満ちている。


「……え? それは止めた方がいい?……安心なさいませ。ワタクシ荒事には慣れておりますの……できるだけ穏便に? うーん、それは――」


 不可解なのは、先程から奇妙な独り言を零している事だ――が、次の瞬間、


「――ちょっぴり難しいかもしれませんわ」


 刹那にも満たない瞬刻――ムシヒメの眼前に、白銀色の武装外骨格で全身を覆った戦闘用アンドロイドと、若く瑞々しい褐色金髪のサキュバス・エンプレスが降臨していた。

 レミュータとマザーウィル――共に戦闘形態。


「異界の戦闘人形レミュータ様、サキュバスの女帝マザーウィル様……ですわね?」


 茹で過ぎた腸詰のような指でスカートの裾を摘まみ、90°の角度まで深々と頭を下げる風船女。


「御初に御目にかかりますわ。ガルターク魔導帝国“五本指”が一指、ムシヒメと申します。以後御見知りおきを――」


 その姿、まさに慇懃無礼。


「……自己紹介は不要って感じ? キミが誘拐したあーしの弟子たちを――」

『早急にマスターの――ショータの身柄を此方に引き渡しなさい。受諾できない場合は強制執行します』


 少しだけ眉をひそめるマザーウィルを遮り、こちらは無表情なままのレミュータが足音を立てずに前に出る。最強の戦闘術師を前にしても欠片も恐れる様子はない。


 それなら――“五本指”を教えてやろう。


「承知いたしましたわ……ですが、その前に――」


 ムシヒメは静かに嗤った。


「レミュータ様の実力、試させていただきますわよ!!」


 紫色の巨体が更に膨れ上がった。ムシヒメの全身から黒い風――砂蟲が凄まじい勢いで放出され、無防備に歩を進めるレミュータに襲いかかる!!

 ――が、


『相手が悪い、です』


 万物の分子構造を自在に変質させる魔法的ナノマシンの奔流が鋼の戦乙女の爆乳に接触する直前、白銀の胸部装甲が自ら分離解放パージされて3mの生乳がまろび出た。

 同時に乳房が黄金色に輝き、まばゆい閃光を周辺に解き放つ。


「えっ!?」


 黄昏の廃墟に深紅の薔薇が咲いた。

 爆乳から放たれる黄金の光が黒い嵐に触れた瞬間、ムシヒメが操る幾兆幾京の砂蟲が爆発的に燃焼し、煤も残さず消滅してしまったのである。

 後に残されたのは乳房以外が別人のように痩せ細った紫ドレスの美女だけだった。


「ワタクシの砂蟲が……全滅……あの一瞬で!?」


 瞬時に強制ダイエットされたムシヒメに勝ち誇るが如く、黄金に光り輝く爆乳が重々しく揺れた――


 ――ナノマシン兵器の最大の欠点、それは火炎や電撃のような接触自体がダメージとなる攻撃に極端に弱い事である。

 微細な粒子で組成されている性質上、そうした高エネルギー体と容易に反応し、連鎖的に破壊されてしまうからだ。火口ほくちが燃える原理や粉塵爆発をイメージすればいいだろう。

 ナノマシンを収束させればある程度は耐える事ができるが、その状態では単なる質量兵器と化し、分子機械の利便性は大幅に低下してしまう。

 無論、ムシヒメ側もそうした弱点は把握しており、魔法で砂蟲の耐久力を強化していたが、今回レミュータが使用した攻撃は機体内に充満する『フリーエネルギー受容体』のプランク時間解放――無限大の出力を持つ爆乳ブレスト放熱ファイヤーは、堅固な魔法防御を容易たやすく粉砕したのだ。

 ナノマシン兵器は超未来の地球ではポピュラーな兵装である。戦闘用アンドロイドであるレミュータは、当然ながら対処法も熟知していた。


「……噂に違わぬ戦闘力……お兄様の仰る通りですわね」


 ムシヒメはほんの一瞬だけうつむくと、しかしすぐに笑顔を浮かべて頭を上げた。220cmの胸を張り、両手を頭の後ろに回す。ファンタズマ世界における降伏のポーズである。


「降参致しますわ。ワタクシの負けで――」


 鋼鉄の降打右拳チョッピングライトが笑顔の右乳首に炸裂したのは次の瞬間だった。


「ですわッ!?」


 すぐ足元にクレーターができる勢いで打倒されるムシヒメ。間髪入れずに左乳房を鋼の豪脚がストンピングする。彼女が常人だったら即死間違いなしの容赦ない追撃。


「おおおおお待ちになって!! 降参!! 降伏しましたからぶべらッ!?」


 意外に元気そうなムシヒメの爆乳に、容赦なく鉄拳を叩き込む鋼の戦乙女――

 ――これはレミュータ側の過剰追撃オーバーキルではない。


 砂蟲使い――ナノマシン使いの最も厄介な点は、その不死性にある。

 本体のナノマシン制御機能と材料となる物質が周囲に存在する限り、たとえ粉微塵になっても無制限に肉体を再生できるからだ。

 つまりレミュータの執拗な追撃は再生を防ぐための対ナノマシン戦闘のセオリーであり、決して愛するマスターをさらった相手に対する個人的恨みではない。

 決して個人的恨みではない。


「あっちゃあ……」


 かつて自分も同じような目に遭ったマザーウィルが居たたまれずに顔を覆い、流石にやり過ぎ感のあるレミュータを止めようとして――


「――レミュータさん! そこまでです! 止めてくださぁい!!」


 ――先に台詞を言われてしまった。


 叫び声が響いたのは、意外な場所からだった。

 モザイクが必要な姿でビクンビクンと痙攣するムシヒメ――その紫色のドレススカートの中から必死の面持ちで姿を見せたのは、最強のアンドロイドと魔王級魔族が探し求めていた子供たちの片割れ――若干10歳の美少年“ショータ”であった。


『マスター!……なぜスカートの中にいるのですか』

「おひさ~♪ その様子ならショータ司祭は無病息災って感じ?」

「はい、僕は大丈夫です。マザーウィル様」

「ワタクシは無事ではありませんわ……ちょっとレミュータ様の実力を確認したかっただけでしたのに……」

『なぜスカートの中にいるのですか』

「だからレミュータさんを試す真似は止めた方がいいって言ったじゃないですか……」

「あーしが言うのもアレだけど、それって悪手っしょ」

「ううう……反省しますわ……」

『なぜスカートの中にいるのですか』

「それはともかく、誘拐犯ちゃんと仲良しってフインキ(雰囲気)だけど……色々と事情があるみたいな?」

「はい。色々お話ししたい事があります」

「それではワタクシの隠れ家に行きましょう。アナタ方に御紹介したい御方がおりますの」

『なぜスカートの中にいるのですか』



03


 ぱちぱち ぱちぱち


 焚火の淡光が夕焼けの後釜に座ろうとしていた。

 ムシヒメの隠れ家――そこは外見だけなら実験体収容エリアに存在する他の廃屋と大した違いはない。天井や壁面は大部分が崩れ落ち、夕陽の最後の一片が中央エリア街のビル影に消えかけているのが室内からも見て取れる。

 部屋の中央で静かに燃える焚火を囲む男女たちも、その表情は黄昏の陰影に深く沈んでいた。


「――まずは我々の都合でショータ君を拉致した件を心から謝罪したいと思う」


 他の実験体と同じく痩せ衰えているが、瞳には強い意思を宿した男が深く頭を下げた。

 彼は10年前に人間の尊厳を取り戻した者の一人であり、ガルターク魔導帝国への抵抗者達レジスタンスの代表でもあった。


「……だが、強引な手段を取らざるを得なかった我々の危機的状況を考慮してくれるとありがたい」

「その点に関しては自分も同情できるな。俺たち治療師部隊の救助が遅かったら、誇張抜きで大量の死者が出る状態だったぞ」


 ショータと共に拉致された治療師たちのリーダーが小さく頷く。事実、収容エリアの実験体たちは、ほぼ全員が衰弱死寸前まで追い詰められていたのだ。

 (……実はガルタークの政策を考えるとこの状況はかなり奇妙なのだが、今それに気付く者はいなかった)


「謝罪は不要です。社会的困窮者への献身はラミュルト教徒の義務ですから」


 司祭モードに戻ったマザーウィルの声は慈愛に満ち、


「はい、僕も、その、ええと……怒っていません」


 大の大人に頭を下げられるという状況に慣れていないショータは、被害者なのにむしろ恐縮していた。


「そう言っていただけると有り難いですわ。それではワタクシ達の計画にも賛同していただけると――」

『それは別問題です』

「……やっぱり? ですのね……」


 ショータの左腕にぎゅっとしがみ付くムシヒメの提案を、右腕側にしがみ付くレミュータは無機的に否定した。

 両手に花というよりは超大型の爆弾に挟まれているような光景だが、ショータにそれを指摘する余裕はない。


 ぴぃ


 レミュータの爆乳の上でアンキロサウルスが鳴く声は、妙に暢気に響いた――



 ――ムシヒメと実験体レジスタンスの計画……それはガルターク魔導帝国と星振塔を打倒して実験体達を解放するという壮大かつ無謀なものだった。

 それは10年前の僅かな期間だけ施行された魔女帝フロラレスの善政によって、己の悲惨極まる境遇に気付いた“人間”には当然の反抗心理と言えるかもしれない。

 だが、戦力と言えるものがムシヒメ一人しかいない状態では不可能に等しい妄言であるのも事実だった――あらゆる魔法を無効化する力を持つ異界から来訪した戦闘人形の存在を知るまでは。

 何とかして彼の戦闘人形を味方に引き入れる事ができれば、魔導帝国と星振塔を倒す事も夢物語ではなくなる――そんな矢先に別件でショータ達を拉致する計画が施行されたのは、まさに千載一遇の僥倖だった。

 後は現状の通りである。二分の一の賭けに勝ちショータを拉致できたムシヒメは、少年に自分たちの境遇を訴えて、レジスタンスの作戦に協力するように懇願(あるいは脅迫)したのだが――


「まさかレミュータ様がラミュルト教に入信されて、不殺の誓いまで立てられていたとは想定外ですわ~!!」

「見習いとはいえ主であるショータ君がラミュルト司祭である時点で、この展開を予想しておくべきだったな」

「……治療師殿の言う通りだ。我々の見通しが甘かった」


 そう、ショータはレジスタンス側の要求をきっぱりと拒否したのである。

 嘆くムシヒメと実験体リーダーに強く同情はしても、ショータの意思は変わらなかった。

 美しき異界の戦乙女に殺戮や戦争行為を認めると、間違いなく何か恐ろしい事態になる――根拠のない勘と言えばそれまでだが、なぜか少年はそれを確信していた。


 しかし、同時に敬虔なラミュルト教徒としては実験体たちの悲惨な境遇を見逃すわけにもいかない。

 悩みに悩んだショータは、やがてある解決案を思いついた。

 それは――


『魔女帝フロラレスを引き籠り状態から立ち直らせて、再び劣性魔力排斥法を廃止してもらう――ですか』

「はい。これなら誰も傷付かずに解決できると思うのですけど……ダメ、でしょうか?」

『私はマスターの命令に従うのみです』


 確かに魔女帝が皇位に就いてから引き籠るまでの5年間は実験体を苦しめる悪法は悉く廃止され、帝都の人々は誰もが平和を享受していたのである。

 星振塔もチート“無限の魔力”を持つ最強の魔法使いに逆らうことはできない。

 なかば理想論ではあるが、実現すれば最も平和的な解決法ではあった。


 一方、レジスタンス側としては少年司祭(見習い)の提案にしぶしぶ同意したものの、それが消極的な妥協である点は否めない。


「うーん……ホントにその方法で上手く行くのかしら? ワタクシ正直不安でしてよ……」

「フロラレス陛下の受けた心の傷は深く大きい。説得が失敗した時点で我々の破滅が決定するだろう。この計画に二度目はないのだ」

「そこは我等ラミュルト様の信徒にお任せください」


 マザーウィルは自信たっぷりに巨大な胸をポンと叩いて見せた。


肉体からだの傷であれ精神こころの傷であれ、苦しみ悩む者を癒すのはラミュルト教徒の使命です。必ずや女帝陛下を快癒させて御覧にいれましょう」

「はい! マザーウィル様なら絶対に大丈夫です!」

「ショータ司祭にも手伝ってもらいますよ」

「えっ」

『頑張ってくださいマスター』

「レミュータ修道士もです」

『えっ』

「……ホントに大丈夫ですの?」


 まぁいざとなれば淫魔の力で精神操作するという手段もありますから――という言葉は流石に飲み込んだサキュバス・エンプレスであった。


「――ですが、その前に解決しなければならない事があります。それも火急に」

「アニスの救出ですね……レミュータさん?」

『ターゲットの現在位置は既に特定しています。ガルターク皇城、地下最深部です』

「それならすぐに――」

「同僚のワタクシが言うのもアレですけど、そう簡単に事は運ばないと思いますわよ」


 ぱちん


 弾けた焚火が派手な音を立てる。ゆらり、と一同の影が大きく揺れた。


「アニス様を拉致したのは五本指が一指“バイケン”――世界最強の雷術師ですわ。その実力は勿論のこと、アイツは女帝陛下に絶対の忠誠を誓っておりますの」


 パンクロッカーという反体制の象徴的な外見とは裏腹に、彼自身はガチガチの女帝派だ。主義主張に関係なくレジスタンスの存在など絶対に許さないだろう……というのがムシヒメの見解である。


「とにかく、説得するにせよ戦うにせよ、容易な相手ではありませんわ――」


 刹那――


 ドォォォォンッ!!!


 ――ムシヒメの言葉を遮るように、大地を揺らす轟音が響き渡った。


「「「!?」」」


 一同が崩れた外壁の外に目を向けると――そこには信じがたい光景が広がっていた。


 夜天の中にも美しく栄えるガルターク皇城の白い遠影シルエット

 その白亜の外壁が内側から膨れ上がった巨大な爆炎によって、まるで陶器のように粉々に吹き飛ばされていた。


「な、何事ですの!? まさか他の同士レジスタンスが先走った!?」

『否定します……あの爆発エネルギー波形は……まさか……』


 レミュータの瞳に蒼い電子の火花が散る。

 崩落する城壁。

 舞い上がる火柱。

 その混沌の内側に潜む巨影――鋼の戦乙女には馴染み深い『何か』が、地獄の底より目覚めようとしていた。


「アニス……!!」


 ショータの叫びが帝都の夜に虚しく消える。

 平和的な解決という少年の願いとは裏腹に、事態は最悪の形で動き出そうとしていた。



04


 一方、当のアニスは――


「――来てる!! すぐそこまで迫ってるわよ!! もう目の前!!」

「黙ってろクソガキ!! 舌噛むぞ!!」


 必死の面持ちで全力疾走するバイケンに持ち運ばれていた。

 これがお姫様抱っこなら絵になるかもしれないが、荷物のように肩に担がれているのである。それも頭が後ろを向いた体勢なので、否が応でも眼前に迫り来る『それ』を見せつけられていた。

 人型の上半身と四脚型の下半身を持つ黒鉄の巨神――正面装甲に小さく『ラ・マンチャの騎士』と書かれた機械の怪物の威容を。


「うおっ!」

「きゃあ!」


 すぐ頭上をエネルギーの奔流が通り抜ける。超未来兵器の知識など皆無な二人にも、直撃すれば欠片も残さず消滅する威力である事は理解できた――


 ――ガルターク皇城・地下迷宮最深部でアニスとバイケンが遭遇した鋼の怪物は、永い眠りから覚めるように『起動』すると、なぜか猛然と襲いかかってきたのである。

 唐突な襲撃に腰を抜かした少女をさらった最強の戦闘術師は、しかし怪物に背を向けて一目散に逃げだした。正面からり合おうとは一瞬も思わなかった。

 あの黒鉄の巨神には戦闘のプロフェッショナルにそう判断させる“何か”があった。

 彼の認識は正しかったと言えるだろう。『ラ・マンチャの騎士』は逃げる二人を追跡しながら、凄まじい勢いで怪光線や砲弾を四方八方に撃ち始めたのだ。

 砲撃の威力たるや、世界最高の防御魔法で強化しているガルターク皇城の建材を玩具のように破壊し、怪光線は外壁を貫いて中央市街の建物まで焼き払ってみせた。

 そして、バイケンに逃げの一手を選択させた最大の理由は――


「……ぶつぶつ……ぶつぶつ……えいっ!!」


 アニスは肩に担がれた体勢のまま必死に魔導書を読み直し、即興の攻撃魔法を放とうと眼前の巨影に右手を突き出す――が、


「やっぱり魔法が使えない……なんで……?」


 ――何も起きない。ただ右手を虚空に突き出しただけで終わった。


 ぱぁん!


「きゃん!?」


 つづみを打つように剥き出しのお尻を叩かれて、アニスは彼女らしからぬ悲鳴を上げてしまった。


「痛いじゃない!! 何するのよ!!」

「ジタバタ暴れるんじゃねぇ! 走りにくいんだよ!」


 バイケンの声には苦渋があった。


「あいつには魔法が効かない……いや、魔法が使えないんだ」


 黒鉄の巨神像の頭部と思われる個所に、赤い電子の輝きが宿るのをアニスは見た気がした――


 ――魔法が使えない。正確な手順で魔法を使おうとしても発動すらしない。

 ラ・マンチャの騎士が起動した瞬間から、なぜかバイケンとアニスは魔法を使えなくなってしまったのである。

 いや、ただ使えないだけではない。バイケンが所持する各種マジックアイテムや肉体に付与されていた強化魔法も効果が消滅したのだ。

 あたかも巨神の周辺世界から魔法という概念が否定されたかの如く。

 ただの一般人に成り果てた戦闘術師と天才少女には、もはや眼前の脅威からネズミのように逃げ回る事しかできなかった。


(クソったれ……どうして俺がこんな事を……)


 息が乱れる。

 足がもつれる。

 女帝陛下直属のエージェントとして魔法の技術だけでなく身体も相応に鍛えていたバイケンでも、身長150cmバスト150cmな12歳の女の子を担いで長時間走り続けるのは困難だった。追跡者の移動が思いのほか鈍重でなければ、とっくに二人はき殺されていただろう。

 もう少女を投げ捨てて自分だけ逃げようかとバイケンは何度も思ったが、


(……いや、あのクソガキは大事な人質だ。だから助ける。他意は無いはずだ……)


 そう自分に言い聞かせて思い直していた。


「あいつ変形した!! 何かヤバいわよ!!」


 刹那――アニスの叫び声が耳に届くや否や、倒れるように床に伏せたのは百戦錬磨の戦闘術師としての勘だった。

 勘は見事に的中した。

 頭上数ミリの距離を凄まじいエネルギーの奔流が通り過ぎていくのを、少女は引きつった顔で見送った。

 だが、その行為は逃亡者の足が止まる事も意味する。


「きゃぁあああ!!」

「クソがっ!!」


 体高10mを超える黒鉄の巨躯が猛烈な勢いで迫り来る――!!

 アニスは思わず目を閉じ、バイケンは瞳を見開いて、黒鉄の死を迎え入れた――が、


「……え?」

「……!?」


 轢死の運命は訪れなかった。

 ラ・マンチャの騎士は二人の頭上を通り過ぎて、前方に開いた大穴の奥に消えて行ったのである。

 先程の喧騒が夢幻だったような静寂。


「助かった……の?」

「…………」


 きょとんと呆けるアニスの声は、しかしバイケンには届いていなかった。

 女帝直下のプロフェッショナルは理解したのだ。

 黒鉄の巨神――ラ・マンチャの騎士はこちらに襲いかかっていたのではない。ただ皇城を破壊するために四方八方を攻撃していただけだ。

 ましてやこちらを追いかけていたわけでもない。たまたま逃げる方向が奴の移動ルートに重なっていただけだ。

 それなら、あいつの目的とは――


「――ッ!?!!」


 バイケンは気付いた。

 大穴の開いた方向は――ガルターク皇城の最奥部――選ばれた者のみ足を踏み入れる事が許された聖域――魔女帝フロラレスが御座おはす『白雲の間』――!!


 赤い稲妻が絶叫した。

 最強の戦闘術師の仮面が剥がれ落ち、一人の男としての剥き出しの悲鳴が迷宮に響き渡る。


「ヨーコォオオオオオ!!」




つづく





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