彼女は無邪気な俺の女王 01
01
異世界ファンタズマにおける魔法文明の到達点“ガルターク魔導帝国”――その百万年にも及ぶ長大な歴史は、そのまま首都“ガルタニカ”の歴史と重なっている。
この巨大帝国がまだ王国と呼ばれていた時代から、この土地にはささやかながら王城が建ち、王国の最高行政機関として機能していた。
当時は童話の挿絵のように小さかった王城は、しかし今は直径千mを超える巨大な白亜の半球ドーム“ガルターク皇城”と化し、高さ数千mを誇る漆黒の塔“星振塔”と共に、ガルターク魔法文明のシンボルと化している。
だが、その近代的で荘厳な外観は、ある意味では魔導帝国の本質を表しているのかもしれない。
最上級の真珠の如き華麗な見た目とは裏腹に、その内側にはおぞましく危険極まる闇が隠されているのだ。
02
「――もぉおおお……ここ何処なのよぉおおお……!!」
少女は天を――いや天井を仰いで悲痛な叫び声を漏らした。大声を出すのは危険だと理解していても、もう限界だった。
既に数時間にわたって、彼女はガルターク皇城の地下に広がる迷宮を彷徨っているのだ。
身長150cmに形の良い150cmのバスト。まだ幼さの残る勝ち気な美貌とツインテールの赤毛。ミルゴ村のラミュルト教修道士“アニス”である。
だが、今の彼女はツインテールの片方が解け、普段はピンク色の頬は煤だらけ。修道服はボロボロに腐食して、瑞々しくプルンと弾けそうな乳房やお尻が丸見えになっているが、そんな些事を気にする余裕も消え失せていた。
魔女帝フロラレス直属の戦闘術師“バイケン”に拉致されたアニスは、ガルターク皇城地下の図書室に閉じ込められていた。
しかし天才少女は特級以上の魔術師でなければ理解できないはずの高位魔導書を読み解き、咄嗟に習得した魔法を使って図書室から逃げ出す事に成功したのだ――が、問題は脱出した後の事だった。
百万年に及ぶ魔法的な増改築を繰り返していた皇城の地下は、文字通りの踏破不能な地下迷宮と化していたのである。
現状、アニスが身に付けているものといえば、露出度が9割増しとなった修道服と、図書室からチョロまかした魔導書だけ。
その魔導書は極めて希少価値が高く、1ページで城が買えるほどの値打ちがあるが、それを今の少女が知っても慰めにならないだろう。
運が良いのか悪いのか、魔導書には監視された部屋から逃げ出す類の魔法は記載されていたが、迷宮を踏破して皇城を脱出するのに役立ちそうな移動系の魔法は無かったのだ。
周囲はジメジメした石壁の陰鬱な通路。床と天井もヌルついて注意しないと足を滑らせそうだ。
でも今の場所はまだマシな方だろう。さっきは武装した骸骨の群れに襲われたし、その前の部屋は(なぜか)服だけを溶かすスライムに飲み込まれそうになった。
この色々な意味で危険極まる迷宮の中では、もはや脱出の方法を探るよりも、自分が生き残る手段を見つける方が重要かもしれない――
「――どこへ行きやがったクソガキィイイイイイ!!!」
「きゃっ!」
長時間の徘徊で疲労が限界に達したアニスは、ヌルヌルした石床に顔をしかめながら腰を降ろそうとして――突然、通路の先から雷鳴の如く轟いた怒声に、慌ててお尻を浮かせた。
聞き間違えるはずがない。剣呑極まりないパンクロッカー姿の雷術士――バイケンだ。脱走した少女を御自ら捕まえに来たらしい。
声の大きさから推測するに、まだかなり距離が離れているらしいが、相手は魔女帝フロラレス直属の戦闘術師“五本指”が一指という最強の敵である。遭遇すれば抵抗すらできずに捕らえられてしまうだろう。
アニスは反射的に通路の前方――声の方向から逃れようとして、
(……待って、おかしいわよね?)
ピタリ、と足を止めた。
なぜバイケンは大声でこちらに呼び掛けたのか。
追跡者が逃亡者に自分の存在をアピールするなんて普通は考えられない。
つまり、あの叫び声はある種の罠であり、離れるのではなく逆に近付くのが正解なのでは――
……いや、それはそれで、罠にしてはわざとらしい。12歳の少女に見抜かれるような稚拙な罠を女帝直下の凄腕が張るだろうか。
いやいや、むしろ裏の裏をかいている可能性も――
(あーもう! 考えれば考えるほどドツボにハマるじゃない!!)
しかめっ面で赤髪を掻きむしる少女の心は疑心暗鬼の迷宮に囚われていた。
前に進むか。後に戻るか。あえて留まるか。
アニスの命運を決めるルートは、果たしてどれが正解なのか――
03
「――どこへ行きやがったクソガキィイイイイイ!!!」
天才少女の推測は半分当たっていた。
追跡者――バイケンがあえて大声を出したのは、逃亡者――アニスからのリアクションを誘うためのものであり、残る半分は……単に怒りが爆発した咆哮だった。
全身から赤い火花を放ちつつ、大股でずかずかと脚を進めながら、バイケンは不機嫌そうに地下迷宮を闊歩していた。
周囲は幾何学的な構造の壁面が秒単位で変形する奇怪な通路だが、男の歩みに迷いはない。
アニスの逃亡が発覚した後、バイケンは単身で逃亡者の追跡を続けていた。
部下や皇城内の警備兵に探索を頼まなかったのは、他の重要な任務を任せているのと、星振塔が事実上のクーデターを起こした現状では自分以外の誰も信用できないからだ。
「こんな事なら、探索系の呪符も用意しておくべきだったぜ……クソがッ」
初歩的な探知魔法を使うのも難しい……特定の魔法に特化している戦闘術師の泣き所である。
実はアニスが道に迷っているのと同様に、バイケン側もターゲットを見失っているのだった。
バイケンはイラつきを隠そうともせず、全身の放電の勢いを益々強くした。
(……まぁいい。どうせ逃げ道は無ぇんだ。じっくり鬼ごっこに付き合ってやるぜ)
しかしパンクロッカーの足運びに焦りはない。どれほど複雑怪奇な地下迷宮でも、バイケンにとっては自分の庭も同然だった。
なぜなら――彼はこの城で生まれ育ったのだ。
かちん
「あ?」
そして、勝手知ったる我が家だからこそ、バイケンはこの通路に存在しないはずの罠に引っかかった。
突然、足元に展開される魔法陣。光り輝く複雑な紋様から急速に生えてきたのは、艶めかしく蠢くピンク色の触手の群れだ。
そのヌラヌラした体表から強力な催淫効果のある粘液が分泌されて、触れる者を老若男女種族を問わずに快楽の地獄に叩き落とす。
哀れバイケンは、足元から襲いかかる触手の群れに襲われて、あられもない姿をさらし――
「誰がそんなサービスシーンを喜ぶかよ!!」
特殊な性癖を理解しないパンクロッカーが跳躍すると同時に全身が灼熱の雷球に変わる。瞬きにも満たない間に成人指定な触手は焼き尽くされた。
身体を稲妻に変えているバイケンは、あらゆる物理的干渉を無効化できるのだ。
――が、
かちん
着地点に新たな魔法陣が浮かび上がった。
吹き上がる魔力の奔流がバイケンの身体を包み込む。
たちまち180cmを超える細身の体が、強力な空間縮小魔法で十分の一のサイズへと縮んでいった。
「しゃらくせぇ!!」
再びその身体が雷球に転じ、爆発するように膨れ上がって魔法陣を焼き潰す。
サイズが十倍になった時点で雷球は消滅し、後には元の大きさに復元されたバイケンが残された。
「……クソガキめ、魔法の罠まで仕込んでいやがったか」
最強の雷術使いの悪態には、しかし微かな笑みが混じっていた。
魔力痕跡から判別するに、この魔法陣の罠は明らかに田舎のぼっち修道士が仕掛けたものだ。
非殺傷の魔法を罠にするとは甘ちゃんなラミュルト教徒らしいが、図書館に閉じ込められてからの僅かな時間で、これほど見事な魔法罠を使いこなせるとは……どうやら少々認識を改める必要がありそうだ。
だが――
「だが、甘いなクソガキ。これは立派な“逃亡の痕跡”だぜ?」
微笑の濃度が増した。物騒な方向に。
今までバイケンがホームグランドでアニスを見つけられなかったのは、広大な地下迷宮の何処にいるのか見当がつかなかったからだ。
だが、こうして魔法の痕跡を見つければ、一気に捜査範囲を狭める事ができる。
バイケンはその場に膝をつき、魔法陣の残滓に指を這わせた。
刹那、指先から奔った赤い稲妻が迷宮の床を伝い、血管のように四方八方へと拡散していく――
04
たったったったっ
石畳を駆ける軽快な足音が地下世界に響き渡る。
光源もないのに通路全体が地上と大差なく明るいのは、空間自体に何か魔法的な仕掛けがあるのだろうか。
しかし息を切らせて一心不乱に走る赤毛の少女には、そんな疑問を抱く余裕も無かった。
(上手く罠が発動してくれると良いけど……いいえ、発動しない方が良いのかな……)
魔導書から習得した魔法を罠に使用することで、逆にこちらの居場所を追跡者に推測されるリスクはアニスも承知していた。それでも魔法陣の罠を仕掛けたのは、アニス側もバイケンの追跡ルートを限定したいからだ。
お互いが居場所を把握していないこの状況は、鬼ごっこというより隠れんぼと称する方が適切だろう。それなら相手の現在地と移動ルート把握した側が圧倒的に有利となる。
たったったっかっ
問題はアニスがバイケンからの追跡を逃れるだけではなく、この地下迷宮を脱出する事まで考慮しなければならない点だ。
今も走りながら魔導書を読み直しているが、都合よく地下迷宮から脱出したり救援を呼ぶ類の魔法は見つからない。
それでも諦めきれずに少女はもう一度魔導書を読み返そうとして――
かっかっかっかっ
――いつのまにか、通路の材質が無骨な石畳から平らな金属製の床面に変化している事に気付いた。
それ自体は特に珍しくもない。この複雑怪奇な魔法の迷宮において通路や部屋を構成する物体が変容するのは、もうアニスにも見慣れた光景だった。壁や床が木や石で建造されているのは勿論、透明な結晶体や脈動する肉壁のような意味不明な材質の場合も――
(――金属!?)
少女の脚がピタリと止まった。その顔は強張っていた。
金属――伝導体――電気――稲妻――!!
それは連想というより予感の一種だったが、勝ち気な少女を一瞬で戦慄させるには十分だった。
(い、急いでここから離れ――)
「遅ぇよ」
刹那――足元から絡みつく赤雷の衝撃に、少女は全身を硬直させた。痛みは無いが指一本も動かせない。
「魔法罠をあちこちにバラ撒いたのはミスだったな。大雑把でも移動ルートを把握できれば、後は単純な追い込み漁だったぜ」
金属床に広がっていた赤い放電が一点に収束する。
次の瞬間、それは髪を逆立てた黒いマスクのパンクロッカー姿――バイケンと姿を変えた。
「手間掛けさせやがって……お仕置きだ。交渉が終わるまで、その格好のままで――」
「イ・ヤ・よ」
不敵に口元を歪める少女にバイケンは目を見張った。
微弱な電流で神経と筋肉を支配した状態では声を出す事もできない筈だ――
ぼんっ
「なあっ!?」
間抜けな効果音と共に煙と化した少女の姿に、バイケンもまた素っ頓狂な声を上げてしまった。
唖然とする最強戦闘術師の目の前で、アニスは――アニスの幻影は文字通り煙のように消滅したのだ。
“完幻”――幻覚系魔法の最高位。完全な実体と自由意志を持った幻影は魔法の行使すら可能だ。
「……最初から俺様は、ニセモノを追いかけていたって事かよ……」
そう、罠を張ったはずの男は、逆に罠にハメられていたのである。
たかが12歳の田舎娘に、栄光ある女帝直属のプロフェッショナルが手玉に取られた。ジョークを通り越して失笑すら出ない。とんだ四流喜劇だ。
「……ハッ」
プライドをズタズタにされた男の体に、一瞬、赤い火花が爆ぜた。
「ハッハッハッハッハ……」
笑い声が漏れるたび火花は深紅の稲妻へと膨れ上がり、俯く男の全身を絶え間なく削り取るように駆け巡る。
「……ハッハーッ!!!」
そして――地下世界に紅の嵐が爆発した。
金属製の床や壁が瞬時に溶解し、埃一つ残さず蒸発する。イオン化した空気が青白く放電発光した。
数瞬後、ガルターク皇城地下に直径100mの球状の空間が穿たれ、その中心に赤雷と化したバイケンが浮かんでいた。
「いいだろうアニス。これからは遠慮なしだ。本物の鬼が追いかけてやるぜ」
世界最強の戦闘術師“五本指”が一指は、獣の如く吼えた。
「YAAAAAAAAAAAAAAAA!!
HAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
05
一方、本物のアニスは――
「あうっ」
胸元を走り抜けた鋭い痛みに、赤毛の美少女は剥き出しの150cmバストを押さえて顔をしかめた。
(この痛み……幻覚の方がやられちゃったって事かな……ゴメンね)
今まで追っ手を引き付けてくれた分身の冥福を祈りつつ、アニスはキョロキョロと辺りを見渡した。
「それにしても……ここ、何処なの?」
自然にため息が出る。
幻覚の罠でバイケンに一泡吹かせることに成功したアニスだが、当の本人は完全に自分の居場所を見失っていた。
彼女は知る由も無いが、今のアニスのいる場所は地下迷宮の最深部。地上に逃げるどころかますます状況が悪化しているのだ。
(ここは隠れる場所もないし……先に進むしかないわよね……はぁ)
当てもなく彷徨っているうちに、いつのまにかアニスは広々とした空間を歩いていた。
周囲の壁や天井は闇に溶け、足元には灰色の無機質で平滑な床がどこまでも続いている。現代の地球人が見ればアスファルトやコンクリートを連想したかもしれない。
こつ こつ こつ こつ
しばらく、少女が足を進める硬質な音が響き渡り――
こつ こつ こつ――
――唐突に、止んだ。
「えっ……なに……これ……これって……」
アニスは唖然として、目の前にそびえ立つ、“それ”を見上げた。
そして、自然にその名前が口から零れ落ちた。
「……レミュータ?」
どれほどの時間が過ぎたのか。
「――やっと追い詰めたぜ、アニ……クソガキ」
直立不動のアニスの背後に特大の赤雷が落ちた。瞬時に人型の実体に変わる雷球の正体は言うまでもない。
「今度は正真正銘の本物だな。もう二度と逃しは……しな……」
バイケンの怒りの波動が、しかし急速に萎んでいく。
いまだ唖然としているアニスと同様、彼も眼前にそびえる“それ”の巨体に目と意識を奪われたからだ。
あたかも、神の降臨を前にした人間が些事を忘れ、魂を奪われたが如く魅入るように――“それ”には、そうさせるだけの何かがあった。
“それ”の外見をやや強引にたとえるなら「人間の上半身を乗せた四本足の蜘蛛」という風になる。
ただしその体高は10mを超え、材質は黒曜石のような黒光りする金属だ。全身に走る深紅のエネルギーラインが、まるで心臓の鼓動のようにゆっくりと点滅している。
斜め四方に昆虫のような外骨格構造の脚を突き出した下半身の上には、複雑怪奇な機械的兵装が乱雑に――しかし奇妙な法則性を持って積載し、偶然なのか意図的なのか、シルエットが人間の上半身のように見えるのだ。
四脚型の戦闘用巨大ロボット――現代の地球人ならそんなSF作品の兵器を連想するかもしれない。
しかしファンタジー世界の住民である2人には、それが得体の知れない怪物――または神々を模した巨像にしか見えなかった。
「おい……何だこりゃ?」
怒りを忘れて見上げるバイケンの額にほんの一滴だけ冷汗が浮かんでいた。
世界最強の戦闘術師が怯えていた。
“それ”には、そうさせるだけの何かがあった。
この城の内部は自宅のように知り尽くしている筈の彼が、今の今までこの巨像の存在を知らなかったのだ。
「あたしが知るわけないでしょ……」
生返事をこぼしつつも、アニスには“それ”に見覚えがあった。
正確には“それ”が纏う雰囲気を知っていた。
――レミュータ――
外見に類似点はまるで無いが、なぜかアニスは白銀の女騎士を思わせるスカポンタンな後輩の姿を連想したのである。
「……あれ?」
ふと、アニスは訝し気に眉を寄せた。
巨像の黒光りする表面装甲――ちょうど少女の目線の高さの位置に、赤い塗料で書かれた小さな落書きを見つけたのである。
絵筆で走り書きしたような乱雑な文字列だが、それは神的な威厳すら放つ巨像にとって無視できない穢れのような違和感と存在感を放っていた。
「何て書いてあるのかしら……アレ」
天才少女の知識を総動員しても、文字列の言語は分からなかった。強いて言えば古代神聖語に使われる記号文字が似ているような……
「待ってろ」
同じく文字列に気付いたバイケンが懐から解読魔法の呪符を取り出した。あの文字列にはただの落書きだと見逃せない奇妙な存在感があった。
短い単音節の詠唱と共に呪符が燃え尽きる。
同時に男と少女の脳裏に単語の意味が浮かび上がった。
「「……『ラ・マンチャの騎士』……?」」
――古代宗教の聖典曰く、造物主は“名前”を与えることで、被造物に生命を与えたとされる。
“これ”は、その再現だったのかもしれない――
……ぐぉん!!
下腹の底に響く重低音が2人を襲った。
紅いエネルギーラインが激しく発光する。
黒曜石の如きメタルブラックの外部装甲が機動形態に変形していく。
「な、な、ななな、何よこれ!?」
「下がってろ、クソガキ!!」
無意識にアニスは男の足にしがみ付いた。
無意識にバイケンは少女を背にかばった。
頭部と思われるパーツに深紅の眼光が宿る。
そして、巨神像は――『ラ・マンチャの騎士』は――目覚めた。
『メイン戦闘システム起動。状況開始』
「――えっ!?」
「やべぇ――」
刹那――内側から膨れ上がった巨大な爆炎が、ガルターク皇城の外壁を紙細工のように吹き飛ばし、魔法光が煌めく夜天を蹂躙した――
つづく




