ファンタズマの長い午後 04
01
双子の月が浮かぶ天空を尊大なドラゴンと可憐な妖精が舞い、黄金の砂漠を山より巨大な地虫が砂嵐を巻き上げながら疾走する――
英雄の志を継ぐ冒険者たちが薄暗い地下迷宮を探索し、深淵なる樹海の最奥に聳える魔城では妖魔の君主が邪悪な陰謀を企てる――
――異世界ファンタジーには摩訶不思議な神秘が数多く存在する。
しかし、そうした幻想世界の最も象徴的な花形要素といえば、やはり“魔法”だろう。
黴臭いローブを着た枯れ木のような老人が怪しげな呪文を一言唱えるだけで、虚空から稲妻の雨を降らし、物言わぬ草木や死者を饒舌にして、ネズミを可憐な貴婦人に変身させる――現代人には夢や空想でしか抱けない奇跡の力――それが魔法だ。
……だが、このファンタズマ世界において魔法とはリアルでシビアな現実であり、そこに甘い幻想は一切存在しない。
――星振塔――
この世界最大最高最強の魔術師ギルドは、機械的なほど合理的なシステムと厳格な階級構造で成り立っていた。
まず頂点にいるのが“三賢者”と呼ばれる者達だ。
彼等は百万年前の“最初の魔法使い”から直接教えを授かった、あるいは最初の魔法使い自身とされる伝説的な存在である。
あらゆる魔法を極め尽くした究極の魔術師と称しても過言ではないが、ここ近年の数十万年間は全く人前に出ることが無く、百万年の長寿は不老不死が当然の魔術師にとってもあまり現実味がないため(まず数十年か数百年で魔法事故や権力闘争で死亡する)、現在では既に消滅して名前だけが残っているという説が流布している。
次に連なるのは“導師”と呼ばれる8人の魔術師である。
各々が魔王討伐や世界改変クラスの魔術的偉業を成し遂げた大偉人であり、一般的に最強の魔術師といえば彼等の事を指す。
星振塔の運営を実質的に執り行っているのも彼等なので、ある意味ではガルタークの地獄を管理している諸悪の根源といえるかもしれない。
その下には“冠位術師”が16人存在している。
(さらにその下には数百人の特級魔術師、数千人の上級魔術師、数万人の一般魔術師と続くが、今は無視しても構わないだろう)
深奥なる魔法の世界において、ある意味一番重要なのは、この16の冠位術師と言える。
なぜなら冠位術師の門派自体が、そのままファンタズマ世界における魔法の種類を意味しているからだ。
たとえばムシヒメの“砂蟲使役”は冠位術師クロレル家の『操命術』に含まれて、バイケンの“雷身”は冠位術師ヴァルディモア家の『天地術』の系統に属している。
全ての魔法は何らかの形で16の門派に分類されており、ゲーム的表現をすれば、ファンタズマ世界に存在する魔法というジャンルの“属性”や“スキルツリー”と称せるだろう。
そうした冠位術師の門派の中でも、ゴルド家の『魔剣術』は相当な変わり種だ。
この術派は、物理的な近接戦闘と魔法を組み合わせた戦闘術を追求した魔法系統なのである。
魔法と近接戦闘という異なる属性を両方極めなければならない習得難易度の高さゆえ、この魔法系を選択する魔術師は少ないが、その実戦的な戦闘力は凄まじく、極めた術者は戦闘においては無敵とされる。
魔力をまとった剣技は一振りで大地を引き裂き、物理的な分身を伴う神速の体捌きは単身で百万の軍勢を蹂躙する――その姿、まさに闘神。
だが――魔女帝フロラレス直属の戦闘術師“五本指”の一指たる最強の魔剣士ムメイが習得している魔剣術は、“虚剣”と“閃歩”の二種類だけだった。
“虚剣”とは、時空魔法と因果操作魔法を抜刀法に応用した魔剣術である。
納刀した状態で、剣を“抜き”つつ目標に“斬り”つけて、最期に鞘に“納める”という、いわゆる抜き打ちの動作から“抜く”と“斬る”を省略する事で、「相手を斬り裂いた」という確定した結果だけを残す。
つまり、虚剣の発動と同時に目標を斬る事実が確実に決定されるのだ(“納める”動作を残すのは、これも省略すると斬撃自体が無かった事になるからだろう)。
これだけなら回避も防御も抵抗すらもできない無敵の必殺技に思えるが、実際はそう甘くはない。
なんとこの術は発動に数秒間の深い瞑想に似た精神集中を必要とし、間合いもまた通常の剣が届く範囲に限定される。
敵の目前で数秒間も無防備を晒すなど、実戦においては自殺行為に等しいだろう。
そのため、この技はあくまで魔剣術の基本的な『型』でしかなく、実用性はないという考えが使い手の中でも主流となっている。
そして“閃歩”の方だが、こちらは『相手の意識がこちらから離れた瞬間に、一気に間合いに踏み込む』という近接戦闘では基本的な技術でしかなく、魔法というより武術の一種――それも初歩の技と捉える方が正しいだろう。
いずれにしても“虚剣”と“閃歩”は、どちらも達人にしか習得できない高位の術には程遠い、基礎的な初歩の初歩の魔剣術だ――そう、一般の使い手には認識されていた。
……だが、いかなる世界においても真理は一つ。 極め抜かれた基礎は奥義へと至る。
ファンタズマ世界最強の魔剣士ムメイの“虚剣”は、もはや間合いを問わない。その剣気は半径100mに存在する万物を一瞬で屠る絶対死滅の領域と化している。
そして“閃歩”は、一瞬でも彼から意識を外した者の懐へと文字通り空間転移する瞬間移動に昇華されていた。
更に今のムメイの能力はそれだけではない。
黒ベルトから供給される魔女帝フロラレスのチート“無限の魔力”を、彼は強力無比な「死の呪い」に転換しているのだ。
仮に“虚剣”の一撃に耐えられるタフな相手がいても、同時に襲いかかる無限大の出力を持つ死の呪いの前には、剣が僅かでも触れれば生物非生物を問わずに即死する結果が待っている。
あらゆる戦場において絶対的な死を約束してきた無敵の魔剣。
今、その鋭利な死の宣告が、アルバイン帝国皇帝の喉元を静かに、そして確実に貫こうとしていた――
02
「――と、以上があーしの探査魔法で分かった範囲だし。あの白甲冑クンの能力、大体こんな感じかな?」
寒々しい午後の陽光を曇天が覆い隠すラングレードの荒野――その只中に奇怪なオブジェが出現していた。
直径数百mに及ぶ半球状の巨大ドーム。表面には星空のテクスチャが貼り付きランダムな方向へと高速で流動している。
最強の戦闘術師“五本指”が一指――世界最高位の次元門使い“ヴォイド卿”の作り出した巨大結界だ。
「早い話が、あいつの半径100mの間合いに踏み込んだら問答無用で斬り殺されて、あいつからちょいとでも目を離したら刹那に懐に飛び込まれるってわけかい」
触れるもの全てを素粒子レベルで分解消滅させる檻に閉じ込められているのは、結界の端まで追い詰められたアルバイン帝国皇帝“タケル”と、彼の周りを囲む近衛兵。並んで武器を構えるラングレードの蛮族戦士。
「結界の解除には後どれくらいかかるのさね?」
「まだ全然ダメだし……せめて今が夜なら、あーしも本調子が出るんだけどさぁ」
二柱の魔王級魔族――身長210cmの金髪褐色ボディと210cmの乳房を誇る黒ギャル女司祭“マザーウィル”に、身長爆乳共に230cmの華麗かつ野性的な純白の狼女“シグナス”と――
「レーちゃんの方はどうさね?」
『レミュータ、です。対象の分析完了推定時刻は不明』
身長3m。バストサイズも3m。
美しさと機能美を両立させた白銀に輝く強化外骨格“ガーゴイル”に身を包みし鋼の戦乙女――“レミュータ”戦闘モード。
「……要するに、絶体絶命の状況は変わらないって事かい」
そして、四方八方に方舟戦艦の残骸が散らばる灰色の大地を、一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと、しかし確実にターゲットに向けて足を進める恐るべき魔剣士――腰に幅広のブロードソードを佩いた白い全身甲冑――五本指が一指“ムメイ”。
彼の白甲冑は結界内部に存在する全員の注目を一身に集めていた。
一瞬でも目を離せば瞬時に斬り殺されるからだ。
暗殺目標であるタケル皇帝まで150m。あと50mで、皇帝の命はアルバイン帝国の命運ごと尽きることになる。
最強の戦闘型アンドロイド。二柱の魔王級魔族。一騎当千のアルバイン帝国近衛兵。勇猛果敢なラングレードの蛮族戦士――現時点ではファンタズマ最強級と呼んで差支えない面子が、たった一人の刺客の前に絶体絶命の窮地に追い詰められていた。
その要因は複数あった。
まず、一同がヴォイド卿の結界に閉じ込められている事だ。
このピンチを打開する最も手っ取り早い方法は、ムメイを無視してこの場からさっさと逃げ出す事なのだが、触れるもの全てを粉砕破壊する次元結界がそれを妨げている。
現状、この結界を解除できる者は世界最強の魔法の使い手であるサキュバス・エンプレスことマザーウィルしかいない――が、只でさえ結界の魔法構成式が芸術的なまでに複雑な上に、現時刻が高位魔族が弱体化する昼間であることが災いして、結界術の解呪に相当手こずっていた。
次に、ムメイの直接的な排除が悉く失敗している点である。
レミュータのショートレーザーやシグナスの毛針、様々な種類の魔法でムメイの間合いの外から攻撃をしても、
ぱちん
あの鍔鳴り音と共に全て斬り払われて無効化されてしまうのだ。
途切れない遠距離攻撃連続掃射や概念コントロール系魔法の搦め手も同じ結果に終わり、恐るべき魔剣術の迎撃範囲に限界は無いように思われた。
戦闘用アンドロイドの重装甲やライカンスロープの再生能力を駆使して被弾覚悟で攻撃するという方法は、マザーウィルにきっぱりと止められた。
ブロードソードの柄に結わえられた黒ベルト――そこから魔女帝フロラレスのチート“無限の魔力”が「死の呪い」と化して供給されている限り、シグナスは剣がかすっただけで即死――サイレンス・フィールドで呪いを無効化できるレミュータでも、無限魔力の出力の前では耐えられるのはせいぜい一撃のみで、続けざまの二の太刀三の太刀で斬り伏せられる可能性が極めて高いからだ。
こうなると最後の頼みは、今までの強敵との戦闘でレミュータが見せていた『目標の分析による攻略法の解明』となるのだが――
『――やはり対象の分析完了推定時刻、算出不能』
奇妙な事に、幾度となく観測と計算を繰り返しても、白甲冑の分析結果はエラーしか吐かなかった。
これがAIの不調なのか、他に何か原因があるのか……それすら分からないのである。これはレミュータにとっても初めてのケースだった。彼女がアンドロイドでなければ酷く動揺していただろう。
「参ったねこりゃ……みんなで遺言でも唱えるさね?」
不敵な態度を崩さないシグナスだったが、その声には隠しきれない焦燥が混じっていた。
ヴォイド卿の次元門結界とムメイの魔剣術――魔女帝のチートによって文字通り無限に強化された能力の合わせ技が、盤面を完全な終局へと追い詰めていた。
「……あー、伝言は聞こえたって事でいいんだよな?」
――ふと、レミュータのすぐ傍にいる男が独り言のような呟きを漏らした。ショータとアニスが襲撃を受けたことを報告した蛮族の伝令兵だった。
『はい』
「そんじゃ、次の仕事に取り掛かりますかね……っと」
短い肯定を聞いた伝令兵は散歩するような軽い足取りで歩き出した。
鼻歌交じりの気楽な様子で、しかしムメイの間合いには踏み込まないようにぐるりと回り込みつつ、レミュータの傍から離れていく。
やがて伝令兵はタケル皇帝がいる結界の壁際とは反対側の端にたどり着いた。
戦場を上空から俯瞰すると、ちょうどムメイを挟んでタケル達とは正反対の位置になる。
「全員、俺っちから離れろ。あいつの間合いよりも遠くに、だ」
意図を察した周囲の近衛兵や蛮族戦士が言われるままに伝令兵から距離を置く。
そして――
「上手く行ったらお慰み……と」
――誇り高きラングレードの戦士に、戦場で死を惜しむ臆病者は存在しない――
伝令兵は、意識的に、魔剣士から、顔を逸らした。
ぱちん
鍔鳴り音。
“閃歩”で背後に瞬間移動したムメイに“虚剣”で斬り裂かれながらも、伝令兵の死に顔は満足気だった。
「…………」
この結果に、白甲冑の中で沈黙の魔剣士は何を思うのだろうか。
あと50mまでタケル皇帝を追い詰めていたムメイは、次元結界の端と端まで距離を離されてしまったのである。それも自分の魔剣術によって。
「全員、彼に続け! 互いの間合いに注意して順番に行くぞ!」
近衛兵リーダーの号令に、蛮族戦士も含めた兵士たちが距離を置きつつ横列を組む。あの伝令兵の策に習って、刺客が皇帝の眼前に迫るたびに一人ずつ意図的に視線を逸らしてムメイの“閃歩”を誘い、距離と時間を稼ぐ捨て身の作戦だ。
「なんてことを……」
マザーウィルがギャル口調を忘れて短い悲鳴を漏らす。
「……」
アルバイン帝国皇帝タケルは無言のままだった。たかが一兵卒が犠牲になったくらいで動揺しては皇帝の座は務まらない。
ただ、己の爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめていた。
「ハッ! 気合入ってるねぇ、あのオッサン!」
凶暴極まる哄笑がシグナスの口元から溢れ出した。
「人間にあんな姿を見せられちゃあ、オレ達みたいなバケモノも覚悟を決めるしかないさね。なぁレミュ助?」
『レミュータ』
狂気すら秘めた壮絶な眼差しを向けられても、鋼のアンドロイドは冷静冷徹な態度を崩さない――が、
『攻略法が確立しました――“奥の手”を使用します』
無感情な呟きと同時に、白銀の重装甲に青白い電子の輝きが走った。
――伝令兵の捨て身の行動は、時間稼ぎの他に重要な情報をレミュータに与えていた。
それは白甲冑の魔剣士ムメイが、特定の条件下で自分の意思と関係なく行動してしまう、ある種の自動戦闘機械だという事だ。
そうでなければ、ムメイが獲物をあと一歩の距離まで追い詰めながら、わざわざ伝令兵への攻撃を優先した理由を説明できない。
おそらく、己から視線や意識を外した相手の傍にで瞬間移動する“閃歩”と、100mの間合いに入った者を斬り捨てる“虚剣”は、意識の外で自動的に発動してしまうのだろう。
突破口はそこにある。
『対象の排除には私と貴方の同期行動が必要です。以下の作戦を提案します』
「お、おう…?」
シグナスは訝しげな顔で重武装アンドロイドのヘッドパーツ部分に狼耳を寄せた。なぜかレミュータの台詞がライカンスロープの超聴力でもギリギリの小声だったからだ。
まるでマザーウィルやタケル皇帝に内容を聞かれたくないかのように――
『――以上が作戦内容です』
「説明を聞いても“奥の手”の内容が意味不明だったけどさ……それ以前に、そんな単純な手が通じるのさね?」
『65536回のシミュレートの結果、これが最も成功確率が高いタクティクスです――ただし、2つの問題があります』
「……嫌な予感をヒシヒシ感じるけど、一応聞いておこうかね」
『作戦時間が3000兆分の1秒を超過した場合、貴方は素粒子レベルで完全消滅します』
「ハハッ! いいじゃねぇか!」
白い狼は嗤った。仕事は危険なほど面白い。
『もう1つのリスク――成否に関係なく“奥の手”を使用した場合、1024分の1の確率で全宇宙が崩壊する可能性があります』
「……ハハ、ハ!」
今度の笑顔は流石に引きつっていた。
「殺ってやるさね! 女は度胸、バケモノは愛嬌さ!!」
威嚇するように両腕を広げ、身構えるシグナス――
『メイン戦闘システム、再展開――』
鋼の戦乙女の強化外骨格“ガーゴイル”から電子の咆哮が溢れ、大気が震える――
『――状況開始』
03
同時刻――
「……?」
粉雪が舞うオルガー平原を地響きを立てながら行軍する伏魔殿――ガルターク正規軍。その切っ先に立つ先発隊の1人である道化師じみた格好の魔導兵が、前方に奇妙な物体を発見した。
一片の大きさが50cmほどの八面体にカットされた青く輝くクリスタル状の物体が、荒野の真ん中で空中に浮かんでいるのである。
先日の戦いで遺棄された魔道具の残骸だろうか。いや、あの物体に魔力らしきものは何も感じない。ラングレードの蛮族が残した未知の罠か?
魔導兵は手近のゴーレムに調査を命じた。
「行け」
それが彼の残した最後の言葉となった。
更に、同時刻――
「……おぅ?」
ガルターク魔導帝国首都“ガルタニカ”――その中心部に聳え立つ漆黒の塔“星振塔”――その麓を自動歩道で移動してた一般魔術師の1人が、目に見えない何かに衝突して急停止した。
いや、衝突したという表現は適切ではないかもしれない。
一般魔術師には何かに接触した感覚は何もなく、まるでその瞬間に自分から動きを止めたようにしか感じられなかったのだ。
自動歩道で移動していたにもかかわらず。
「誰か、いる……のか?」
一般魔術師は訝しげに首を傾げながら、前方の“何か”に手を伸ばした。
無謀にも。
04
「……」
一歩一歩、再び目標に向かって、雪交じりの荒野を踏み締めるようにゆっくりと、しかし確実に足を進める白い甲冑の魔剣士――ムメイ。
名も無き蛮族の捨て身の作戦によってターゲットへの距離を稼がせてしまったが、自分が圧倒的に有利な状況は何も変わっていない。多少時間を費やそうとも、この恐るべき魔剣術の前では、アルバイン皇帝の命を刈り取る事は、もはや決定事項に等しいのだ――
――が、
「……?」
一瞬、沈黙の魔剣士が歩みを止めた。
いつのまにかムメイの真正面――“虚剣”の間合いギリギリの位置に、白銀の巨躯が立ちはだかったからだ。
身長3mバストサイズ3mの威容を誇る鋼の戦乙女レミュータ。その手に多目的ライフルは無く、ただ指先に青白い輝き“ディメンションカッター”が宿っていた。
まさか――レミュータは接近戦を挑もうというのか。あの世界最強の魔剣士に。
そして今、シグナスの姿が消えている事にムメイは気付いただろうか。
「……」
一歩、ムメイが足を進める。
一歩、レミュータも魔剣の間合いに踏み込む。
ぱちん
雪の戦場に乾いた鍔鳴り音が小さく響いた。
……この瞬間、発生したイベントを説明するのは難しい。
少なくともその光景を見ていた兵士たちやタケル皇帝には何が起こったのかさっぱり分からなかった。例外は当事者たちとマザーウィルだけだ。
全てが3000兆分の1秒という神の瞬きにも満たない刹那の攻防だったからである。
最初の一手はレミュータによる超光速の突撃だった。
時空間制御機構を臨界まで駆動させた彼女は質量を持ったまま光速の壁を突破し、ゼロ秒でムメイの懐へと飛び込んだ。
――が、
ぱちん
魔女帝フロラレス直属の戦闘術師“五本指”が、超光速戦闘に対応できないわけがない。
横一文字の閃光が3mの爆乳を斬り裂いた。
「死の呪い」はサイレンス・フィールドで無効化できたが、ムメイの神域に達する斬撃術と無限の魔力はガーゴイルの重装甲を紙のように切り裂き、爆乳内部の光り輝くエネルギー領域まで露わとなる。
――そこから黄金の獣が産み落とされた。
切り裂かれた装甲の間から躍り出たのは、全身の毛を金色の炎のように輝かせたシグナスだった。
亜空間ネットワークを利用してレミュータの機体内に潜伏し、自分の存在を現実世界から消すと同時に、フリーエネルギー受容体の無限大エネルギー供給を直接受けることで“金狼”へと変身を遂げたのだ。
しかし、その代償は凄まじい。彼女の肉体は無限大エネルギーによって骨まで無残に焼け焦げていた。もし3000兆分の1秒を超えてレミュータの機体内に潜んでいたら、無尽蔵の再生力を持つ金狼であっても跡形も無く消滅していただろう。
だが、リスクの価値はあった。
レミュータの突撃とムメイの虚剣による迎撃、そして金狼化したシグナスの出現――それは全て「同時」に実行された。
全ての行動が超光速で進行したために、本来なら段階的に発生する流れが時間的には零で発生したのである。
これがムメイを攻略する作戦の肝だった。
仮にレミュータとシグナスが個別に突撃していたら、ムメイの虚剣に2人まとめて斬り裂かれていただろう。
だが、ムメイの間合いに入った者はあくまでレミュータ一機のみであり、魔剣術で切り捨てたのも当然ながら彼女だけとなる。自動的に目標を攻撃してしまう虚剣では“同時に”間合いに出現する目標外の存在に対応できないのだ。
そして“間合い”に降臨したのは、伝説の金狼シグナス――それが意味するものとは、
「歯ぁ食いしばれ!!」
垂直に振り下ろされたシグナスの右掌爪が白甲冑を脳天から腰まで唐竹割に切り裂き、間髪入れずに横殴りの左手刀がムメイの首を横一文字に一閃した。
レミュータの突撃からシグナスの連撃まで、体感時間では3000兆分の1秒ジャスト。外部からの観測時間はゼロ秒。
十字型に分断された白い甲冑が、スローモーションのように力なく崩れ、灰色の大地へと沈んでいく。
それっきり、白甲冑が動く事は二度と無かった。
「「「ウォオオオオ!!」」」「「「やったぞ!! ついにやった!!」」」
結界内に野太い歓声が爆発した。タケル皇帝も深く安堵の息を吐き、額の汗を拭う。
作戦成功――勝敗は決した。
――が、
「……ンにゃにイ?」
両手の爪を振りぬいた姿勢のまま、黄金の狼は固まっていた。
ムメイの白甲冑を切り裂いた瞬間、異様な感覚が尖爪から伝わってきたのだ。それは人体のそれとは全く異なる感触だった。
『想定外の展開です』
爆乳を斬られて片膝をつくアンドロイドの無感情な呟きに、困惑の因子が混じっているのは気のせいだろうか。
無残に引き裂かれ、地に転がった白い甲冑――その内部には誰もいなかった。
中身を抜き取られた空き缶のように、そこには空虚な空間が広がっているだけだった。
これは超高速の脱出でも透明化の魔術でもない。レミュータの全センサーを以てしても、そこに生命の痕跡すら見つからないのだ。
正真正銘、この結界を絶望で支配していた最強の魔剣士ムメイには、最初から実体など存在していなかったのである。
そして――
「全員その場から急いで離れて!!」
マザーウィルの絶叫が戦場に轟く。
――戦いはまだ終わっていなかった。
うぉん うぉん
女司祭の警告と同時に、地に伏した白甲冑の残骸から一本の剣がゆっくりと浮上した。
柄に黒いベルトを巻いた無骨なブロードソード。
鞘はどこかへ打ち捨てられ、奇怪な文様が刻まれた刀身が剥き出しになっている。
うぉん うぉん
地獄の底から響くような不気味な脈動を禍々しい波動と共に周囲に放出しながら、ブロードソードは切っ先を天に立てて垂直に浮かんでいる。その脈動のリズムには明らかな意思があった。
「自立武装!? なんてこった、あいつは剣の方が本体だったのかい」
『……そういえば、ここはファンタジー世界でしたね。最近忘れていました』
自らの意思を持ち、持ち手を必要とせずに宙を舞う魔剣――それがムメイの正体だったのだ。
周囲の驚愕をあざ笑うかのように、魔剣ムメイは精密時計の如き正確なリズムで死の鼓動を刻んでいたが――
うぉん うぉぉん!!
――突然、オーラの色が漆黒に転じた。
同時に魔剣から凄まじい殺意が膨れ上がるのを、周囲の誰もが五感を超えた生存本能で感じ取った。
これは――まさか!?
「やべっ!」
『!!』
シグナスは地に伏していたレミュータを片手で強引にかき抱くと、全速全力で魔剣から距離を取った。狼のプライドをかなぐり捨て、脱兎の如き勢いでその場を離脱する。
うぉおおおおおおん!!!
刹那――死の波動が爆発した。
あらゆる方向に広がる「死の呪い」を込めた無限大の魔力は、触れるものすべてを滅殺する漆黒の暴風となって魔剣を中心に渦巻いた。死の領域範囲は――半径200m。
「ぐあっ!!」
かろうじて死の爆風の圏外へ逃れたシグナスとレミュータは、そのまま灰色の大地へ激突し無様に転げ回った。
最強の戦闘生命体“金狼”とは思えない無様な姿には理由があった。
黄金の毛に覆われている筈の獣脚が、禍々しい漆黒に変色している。
『大丈夫ですか』
「大丈夫じゃないさね……くぁあああ……」
シグナスの苦悶は本物だった。
漆黒の波動に触れてしまったわけではない。ギリギリで回避は間に合っていた。
だが「避けた」というだけでは無限の魔力から逃れるには足りなかったのである。ムメイの恐るべき死の波動は、先程よりも格段に強化されていた。
「おいおいおい……状況が悪化しているんじゃないかコレ!? どうすればいいんだ!?」
もはや冷静冷徹な皇帝の仮面をかなぐり捨てているタケルの姿を、傍のマザーウィルは見ていなかった。もうそんな余裕は無くなっていた。
(いくら何でも呪いの出力が強力過ぎる……あの力の源は一体?)
彼女の疑問はすぐに判明した。
ぼこり
魔剣ムメイの真下の地面が不自然に盛り上がる。
そこから這い出てきたのは、朽ち果てた金属鎧を纏った一体の骸骨だった。
遠巻きに目撃していた蛮族戦士の中には、それが数千年前にラングレードの戦士が使用していた鎧と同じデザインだと気付いた者がいたかもしれない。
物言わぬ骸骨戦士はマリオネット人形の如きギクシャクした動作で起き上がると、縋りつくように魔剣に手を這わせた。
そして、それは一体では終わらない。
ぼこり ぼこり ぼこり――
蛆沸く屍体が、崩れかけた白骨が、ボロボロに錆びた武具が、次から次へと地面から沸き出し、魔剣の元へ跪くように積み重なっていく。
瞬く間に魔剣ムメイは、己を頂上に戴く高さ数十mに達する屍の山と化した。
「……合点がいったし。この地の死者の怨念を取り込んだって感じ?」
数万年単位で蛮族同士が群雄割拠の戦争を繰り広げ続けていたラングレードの大地には、それこそ幾千幾万幾億もの死者が弔われる事もなく眠っている。この地もそんな古戦場跡の1つだったのだろうか。
うぉおおおおおおおおおおおおん!!!
再び魔剣が吼えた。
もはや竜巻の如く渦を巻き膨れ上がる漆黒のオーラ。その範囲は――半径300m。
死者の怨念を取り込んだ呪いの波動は秒単位で増幅され、生者の領域を着実に侵食していく。
「ハハハ……こいつは……詰んだって状況さね?」
もう乾いた笑いしか出てこないシグナスの両足は呪いに蝕まれ動かない。レミュータも爆乳のダメージが大きく、半ば限界を迎えていた。
今の二人に先程のような奇襲攻撃を行う余力は無い。
もはやレミュータ達に成す術はないのか。
『あります』
「……は?」
『現状を打開する武装を所持しています』
「あるのかよ!! さっさと使っておくれよ!!」
シグナスのもっともなツッコミを無感情に無視しつつ、レミュータは亜空間コンテナから“現状を打開する武装”を展開した。武帝ガイとの戦いの直前で有用な兵器の大半が原因不明の故障を起こしたが、全てが使用不能になったわけではない。
頭部光学センサーに電子の輝きが宿ると同時に、切り裂かれた胸元に直径50cmほどの球形の空間が出現した。
透明な内部に浮かんでいるのは、積み重なる屍の山と頂上に突き刺さるブロードソード――今や死の波動をすぐ目の前まで広げている、魔剣ムメイのミニチュアだった。
『量子ミラーリング開始。時空間同調シーケンス問題なし。臨界状態に移行』
うぉおおおおおおおおおおおおん!!!
白銀のアンドロイドの淡々とした呟きに何か脅威を感じたのだろうか。突如、漆黒の波動が収束し、津波の如く押し寄せてきた――!!
『“イレイザー”実行』
――普段と何も変わらない、無感情な一言――
ぶぅん
小さな起動音は誰の耳にも届かなかった。だが、その効果には誰もが目を見開いた。
かつて地球で「丑の刻参り」や「ヴードゥーの呪い」と呼ばれた概念操作能力は、この技術だったのかもしれない。
球体内のミニチュアが砂絵のようにドット単位で消えるのと同期して、屍の塔が麓から急速に消滅していったのだ。
概念同期型物体排斥システム『イレイザー』――量子ミラーリングを応用した時空間同調技術により、特殊閉鎖空間に目標の複製体情報を創造。複製体をデリートする事により目標本体を同期消去する。
うぉおおおおおん……
瞬きにも満たない一瞬――唖然とする一同の前で、漆黒のオーラも、死の波動も、屍の山も、全てが夢から覚めるように消え去っていた。
さくっ
裸の魔剣が力無く雪の大地に堕ちる。
この時、レミュータが魔剣ムメイ本体を消去しなかったのは、主の命令である“不殺の誓い”を厳守したからだろう。
しかし当然ながらシグナスが誓いに従う義理はなく、この隙を見逃すほど甘くもない。
カッ
神速で放たれた黄金の針が刀身を貫き、魔剣は半ばからへし折れるように砕け散った。
ぱりん!
ほぼ同じタイミングで、周囲を取り囲む次元結界が粉々に砕け散る。
今度こそ本当の勝利の雄叫びを上げる近衛兵や蛮族戦士たちの頭上に、砕け散った星空の破片がファンファーレの紙吹雪のように舞い踊った。
「……今更だけど、結界の解除が終わったし」
「ホントに今更だな!!……いや、感謝する。大義であった」
皇帝陛下の労いの言葉をマザーウィルはほとんど聞いていなかった。ある疑念に心を奪われていた。
今なんとか解除できた巨大結界は、誇張抜きでファンタズマ世界最高の魔法の使い手であるサキュバス・エンプレスでも、到底作れないほど強大かつ芸術的な精度の産物だったのである。
これほどの結界を創造できる技量があるなら、わざわざ目標を結界内部に閉じ込めるような真似をしなくても、結界そのものを直接ぶつければ全て磨り潰せる筈なのだ。
いや、そんな手間をかけなくても、魔剣士ムメイをタケル皇帝の目の前にポータルで転送すれば、それだけで暗殺任務は容易に終わらせる事ができた。
ヴォイド卿――あの黒い老執事は、わざと手を抜いた。あるいは皇帝暗殺任務が失敗しても問題なかったのだろうか。
あの決して笑顔を絶やさない怪老人は、はたして何を考えているのか――
一方、功労者である人外二人組は――
「――そんな便利な技があるのなら、最初から使っておくれよ!」
『“イレイザー”は基点重力圏における静止状態の目標にのみ作用します』
「は?」
『全く動かない相手しか消せないのです』
「……実戦じゃ使えないだろ、それ」
『使い方次第です』
本来は要塞などの静止目標に使う兵器である。
疲れ切った黄金の人狼と白銀のアンドロイドは地べたに腰を降ろし、己の脚や爆乳を揉み解しながらダメージの回復に専念していた。
魔剣の破壊と同時に死の呪いも解けたらしく、シグナスの脚は黄金の毛並みを取り戻し、レミュータの胸部装甲と爆乳の損傷も自己修復機能で塞がりつつある。
「それにしても薄氷の勝利ってヤツだったね。ここまで運に助けられた戦はオレも初めてさね」
『確率論的には問題のない勝利でした』
「いやいや、お前さんがムメイの攻撃を食らった時に、その馬鹿デカいオッパイを上手く切り開いてくれたから、中にいたオレもタイミングよく反撃できたわけだ」
『確かに』
「あの時、オッパイじゃなくて胴体や脳天を唐竹割に斬られていたら、オレもお前さんもオダブツだった筈さね」
『私が胸部を攻撃される事象は決定されていました』
「……それが、お前さんが言ってた“奥の手”かい」
『……』
白銀の無表情に返事はない。
その無表情に金色の抜き手が走った。
直撃すれば頭部が爆裂しても不思議ではない本気の一撃。
爪先が額に触れる直前に銀色の手が掴み止めていなければ、本当にそうなっていただろう。
「――どうだい?」
『負傷は完治したと判断します』
魔剣の呪いが癒えるのとほぼ同じタイミングで、五本指が一指“平凡”から受けた傷も完治した事を確認したシグナスは、不敵にニヤリと笑い――
「たった今、皇帝護衛の任務はオレが引き継いだ」
今度は励ますように優しく、白銀色の背中をポンポンと叩いた。
「行ってきなよ。お前さんの愛しいご主人様を助けに、な」
返事の代わりに、レミュータは夕陽が沈む地平線を見つめた。
激闘の最中に夕刻を迎えていたらしく、この時期には珍しい見事な黄昏が広がっている。
ショータとアニスが連れ去られた、遥か西方の大地――ガルターク魔導帝国の地に。
つづく




