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彼女は無邪気な俺の女王 03


01


 ~~救出された治療師の証言~~

 (新帝国暦44年、深雪の月、18の日に記録)


 ええ、あの時は本当にもう駄目だと思いましたよ。

 明かり取りの窓から雲が真横に流れるのが見えたんですが、そんな高さから落とされたわけですからね。

 落下中は馬車の中で、人や物は落ちている時に宙に浮かぶんだ……なんて暢気な事を考えてました。

 人間、あまりに絶望すると逆に怖くなくなるんですね。現実逃避ってやつですか。

 ところが地面に激突する寸前――いや推測ですけど――いきなり馬車全体が赤い火花に包まれると、落下がピタリと止まったんです。弾みで尻餅ついちゃいましたよ。ハハハ。

 そのまま馬車は静かに着地しました。ええ、他の治療師も全員が無傷です。馬車と馬も無事でした。

 はい。あの襲撃してきた魔術師が助けてくれた……って考えるのが自然ですかね。どんな気紛れなんだか。


 ……あー、これはあくまで個人的な意見なんですが……女の子を誘拐するようなやからにこんな事を言うのも変な話なんですけど……

 あの変な格好の魔術師……そんなに悪い奴には見えなかったんですよね。



02


 魔女帝フロラレス直属の戦闘術師“五本指”が一指――最強の雷術師“バイケン”。その名は古代神聖語で『雷鳴』を意味する。

 これは魔名と称される魔法使いとしての仮の名であり、かつては“クロザート・アトラクタ”と呼ばれていた。

 過去形なのは、男が名前を過去ごと捨てたからだ。


 今から35年前、クロザートは現在ガルターク魔導帝国で皇位に就いている『アトラクタ家』の次男として生を受けた。

 皇位継承権第二位を持つ非の打ち所の無いロイヤルブラッド。

 今の皇家が星振塔の傀儡に過ぎない存在だとしても、その生活環境は裕福そのもので、まずは祝福の元で産まれたと言っていいだろう。

 幼少期から目鼻立ちは整い、何事もそつなくこなす天才肌だったが、皇室内であまり目立つ存在でなかったのには理由があった。

 すぐ近くに眩しすぎる太陽が存在したからだ。


 彼には同い年の兄がいた。腹違いだが皇族では珍しい話ではない。

 皇位継承権第一位を持つ兄の名は“トリム・アトラクタ”――文武両道。品行方正。容姿端麗。あらゆる分野で超一流の才能を発揮し、未来の皇帝に相応しい全ての美徳を持つ完璧な存在だった。

 全ての面で上位互換と言える兄に対して、クロザートに劣等感が無かったと言えば嘘になる。

 しかし兄弟仲は極めて良好。コンプレックスを打ち消すほど親愛の情が勝っていた。

 いや、むしろ兄に対して同情していたかもしれない。トリムには産まれた時から婚約者がおり、その相手がよりによって“フロラレス”だったからだ。


 名門公爵家の一人娘であるフロラレスは、周囲の使用人や学友から最も恐れられていた少女であった。

 外見こそ人形のように美しかったが、その性格は極悪非道で冷酷残忍。目についた者を何の理由もなく徹底的に苛め抜き、自殺に追い込むまでのタイムアタックを趣味にするような真正の外道。

 そんな邪悪の化身だからこそ、フロラレスが15の誕生日に事故死した時は誰もが胸を撫で下ろし、直後に奇跡的に蘇生した時は誰もが内心で舌打ちした。


 だが、しかし――人々はすぐにその考えを改めることになる。

 邪悪は正義に。陰険は陽気に。残酷なサディズムは慈愛に満ちた優しさに。

 醜いイモムシが死という蛹を経て美しい蝶に生まれ変わるように、黄泉返よみがえったフロラレスの性格は反転したかの如く一変していたのである。

 元気で明るく少しドジ。そして何より心優しい美少女に生まれ変わったフロラレスは、しばらく家族の名前も分からないくらい混乱していた。

 おそらく短期的な記憶喪失を伴う精神錯乱状態だったのだろう……と当時の魔法医師は診断している。

 やがて少女は異国の旅人のような好奇心を発揮して、瞬く間に“今の環境”へと順応していった。

 名門公爵家の御令嬢とは思えない庶民臭い姿を見せるようにもなったが……


 そしてフロラレスには性格以上に大きく変化した要素があった。

 魔術師にとって最重要の因子――『魔力』である。

 それまで平凡だった彼女の魔力は、蘇生を切っ掛けに無限大の出力を引き出せるようになったのだ。それはフロラレスが世界最大最強最高の魔術師となった事を意味していた。


 誰からも愛される美少女にして世界一の魔術師となったフロラレスは、16歳の春に魔法学園へ入学した。

 当時の魔法学園の生徒会長がトリム、副会長がクロザートだったのは、運命の采配だったのか。

 そして彼女は生徒会役員を中心とした様々な人々と恋愛模様を繰り広げることになる。

 それは現代地球でいう少女漫画や乙女ゲームを思わせるロマンスに満ちた学園生活であり、クロザートもその一員として大いに青春を謳歌していた。

 後に彼は回顧する。あの甘酸っぱい学生時代こそが、生涯最も幸せな時間だったと。


 ――ある時、フロラレスはアトラクタ兄弟と始めとした信頼できる知人に驚くべき告白をした。


「私は本物のフロラレスじゃない。“ヨーコ”という名前の異世界転生者なの」


 地球という異世界の日本という国で生まれ育ち、十五歳の誕生日に交通事故で他界したこと――

 あの世で『女神』に出会い、“無限の魔力”という能力チートを授かってファンタズマへ送られたこと――

 そして、死亡直後のフロラレスに憑依する形で転生したこと――


 ……荒唐無稽な話を聞いた者の大半は笑って聞き流した。思春期の少年少女によくある空想話だと思ったからだ。

 トリムとクロザートの兄弟だけは信じた。

 それが彼女の心を射止める最大の決定打フラグだったのかもしれない。


 蜜月の時は短い。

 五年間に及ぶ魔法学園生活もやがて終わりを迎える。


 卒業式の夜――フロラレス――ヨーコはある男性のプロポーズを受け入れ、愛の契りを交わした。

 恋の鞘当てに勝利した者は、クロザート――の兄、トリムであった。

 何てことはない。婚約者同士が結ばれるという、ある意味無難な結果に落ち着いただけである。

 自分を巡って恋人候補たちが必要以上に争うのを避けるために、最も波風が立たない相手を選んだ――と邪推するのは穿ち過ぎだろうが。


 恋の戦いに破れたクロザートだったが、無念に思うと同時に心から祝福もしていた。

 愛する二人が結ばれたのだ。これ以上幸せな事があろうか。

 最も重要なのは自分ではなく彼女の幸せだ。

 これからは影から二人を見守っていこう。

 彼女が太陽なら、自分は月でいい――


 クロザートは二人の豪華絢爛な結婚式を見届けた後、その足で星振塔・ヴァルディモア家の門を叩いた。

 この冠位術師ネームドは“天地術”という自然現象を操る魔法を得意としており、彼はその系統に含まれる“雷術”に関して天与の才があると魔法学園時代に評されたことがあった。

 全ては愛する人を守る力を手に入れるために――


 更に五年の歳月が過ぎた。

 驚いたのはトリムが皇帝に即位した翌日に自ら退位して、妻のフロラレスに皇位を譲った事だ。


「だってそうしないと彼女が皇帝になれないだろ?」


 そう笑っていた兄が幼い皇子と共に事故死して、悲しみに暮れるフロラレスがガルターク皇城の最深部『白雲の間』に引き籠ったと知ったのは、クロザートが壮絶な修行の果てに雷術を極め、皇帝直属の戦闘術師集団“五本指”のメンバーに選出された直後の事だった。


 男は過去を捨てた。

 新たな名は雷鳴バイケン

 これからはただ一つの稲妻と化して、女帝陛下に降りかかるあらゆる災厄を焼き払ってみせよう――


 ……だが、運命とは常に無常であり、魂に誓った決意もあっさりと裏切られることになる。

 最悪の形で――



03


「一体、何が起こったというの……?」


 紫ドレスの蟲使い“ムシヒメ”は唖然と周囲を見回した。

 建物は天井、壁面、床、全ての箇所が崩壊し、もはや通路と部屋の区別がつかない。かつての壮麗な白亜の皇城の面影は、文字通り粉砕されていた。


「魔法警備システムが全て破壊されていますわ……それも内側からの攻撃で……そんな事が可能ですの?」


 ミルゴ村の一同とムシヒメが、本来は鉄壁の警備網で守られている皇城にあっさり侵入できたのも、それが理由だった――


 深紅の夕陽が完全に地へ堕ち、夜の帳が支配するガルタニカ中央エリア――超近代魔法都市の象徴たるガルターク皇城は今や崩壊しつつあった。

 純白の壁面は内側からの爆発で大穴が開き、吹き上がる炎が夜天を焙っている。


 実験体収容エリアの隠れ家でガルターク皇城からの爆音を聞いた一行は、すぐに現場へと向かった。

 最優先救出目標の“アニス”と最終対話目標の魔女帝フロラレスがいる座標も、まさにその場所だったからである。


 突入メンバーは鋼の戦乙女“レミュータ”、淫魔の女帝“マザーウィル”、裏切りの蟲使いムシヒメは勿論、非戦闘員である少年司祭(見習い)“ショータ”も含まれていた。

 これはショータの傍を離れることを(いつものように)レミュータが断固拒否したからだ。

 しかし――


「あの……レミュータさん、ちょっと離れてくれないと動きにくいのですが……」

『駄目です。ここは危険です』


(これも、いつものように)ショータの小柄な体を圧倒的な爆乳で包み込むように抱き締めているレミュータの姿は、普段は少年従者を守ろうとする女騎士のように見えるのだが――


(でも、今は……ショータ司祭にしがみついているように見えるかな。まるで何かに怯えているって感じ……)


 横目で二人を見るマザーウィルが飲み込んだ言葉には、不安の因子が多分に含まれていた――



 ムシヒメの疑念通りにガルターク皇城の警備システムは完全に破壊されていた。

 なぜか城内に多数いる筈の使用人や警備兵の姿も確認できず、一同は何の妨害もなく最深部に足を踏み入れる事ができたのである。

 そして――


「アニス!!」

「無事って感じ!! 怪我はないよね!?」

『臀部の微弱な腫れ以外に外傷は確認できません』


 瓦礫が散らばる大通路の端で、ぽつんと独り佇んでいた天才少女“アニス”は、背後から二人と一機の家族に呼びかけられて、ようやく呆然自失状態から覚める事ができた。


「……えっ……あっ! ショータ!! マザーウィル様!! ついでにレミュータ!!」

『ついで!?』

「こわかった……あたし、こわかったよぉ……」

「よかった……本当によかった……」

「今はあーしの胸で泣いてイイよ」

『ついで……』


 ぽろぽろ大粒の涙を流すアニスを抱き締めて再会を喜ぶミルゴ村一同を、どこか羨ましそうに眺めていたムシヒメは、きっかり30秒後に軽く咳払いをした。


「感動の再会に水を差す気はありませんけど、そろそろ状況を説明して下さりませんこと?」

「あ、うん……えーと、どちら様?」

「あのぽっちゃり系なお嬢様はムシヒメちゃん。とりあえず今は味方って事でよろ~」

「よろ~ですわ」

「……あたしはアニスよ――です。えーと、何から話せばいいのか……色々ややこしくて……」


 ドォオオオオオン!!!


 突然の爆音は、通路の端に開いた大穴の奥から轟いた。


「うわっ!? こここ、今度は何ですか!?」

「そうだ! あの奥にバイケンがいるわ! 急にあたしを置いて行っちゃったの」


 立ち直ったアニスは、正面の大穴を真っ直ぐに指差した。


「バイケン? ええと、確かさっき名前が出た……誘拐犯ですよね?」

「ええ、ワタクシのいけ好かない同僚ですわ」

『ムシヒメ、通路の先に何があるのか解説を希望します』

「“白雲の間”……フロラレス様が籠られた部屋ですわ……」


 一機を除く全員の間に緊張が走った。

 破壊の限りを尽くされた城内に、ガルターク魔導帝国最高権力者が御座おはす部屋に開いた大穴――バイケンが慌てて飛び込んだ事も含めて、魔女帝に何か緊急事態が起こったのは明白だった。


「皆さん、急いでフロラレス陛下の元に向かいましょう。万が一、陛下の身に何かがあったら……最悪、和解の道が完全に閉ざされてしまうかもしれません」

『マザーウィル、ギャル語を忘れています』

「あんたは少し緊張しなさいよ!!」



04


 “白雲の間”――天は果てしなく、地は見えず、ただ何処どこまでも白いシーツの雲海だけが果てしなく広がる、光に満たされた世界。

 中央に浮かぶ黒曜石の列柱に降り立ったのは、一時は女帝陛下を排除しようと考えていたムシヒメと、女帝陛下の心の傷を癒そうとしているミルゴ村のラミュルト教徒たち。

 そして――柱の上には既に先客がいた。


「バイケンさん!……無事ですの?」

「……」


 全身血塗れのパンクロッカーに反応は無い。

 先程の爆音は戦闘だったのか。満身創痍となったバイケンは、片膝をつきながらも真っ直ぐ前を睨んでいた。

 視線の遥か先には――


「ええと……人影が二つ向かい合っている……のかな? 大きさがだいぶ違うけど……」

「……ひっ」


 ショータが目を細めて遠方に浮かぶ何かを凝視し、アニスは短い悲鳴と共にマザーウィルの大きな腰に抱きつく。

 視力には自信のある子供たちだが、かなり距離があり、豆粒のような黒点しか認識できない。しかし、“五本指”や魔王級魔族、そして戦闘アンドロイドなら別だ。


『…………』


 一機は、漆黒の機械巨神――『ラ・マンチャの騎士』。


「ええ、ご苦労様でした」


 もう一人は、執事服、モノクル、ロマンスグレーの髪と鼻髭、隻腕、そして笑顔――“ヴォイド卿”。

 皇城を破壊尽くした巨神と女帝直属の五本指――本来なら互いを排除し合う立場でありながら、老執事は親し気に話しかけているように見えた。


「あのお爺ちゃんは、確か陛下を襲撃してきた……」

「ヴォイド卿ですわ。数千年前から歴代の皇帝に仕えておられる“五本指”の最古参ですの……なぜあの御方がここに……?」

「……何をしてやがる、クソジジイ……」


 想定外の光景に困惑するファンタズマ最強の魔人達だが――


『データ解析開始――プログラム再試行――プログラム再試行――再試行――』

「れ、レミュータさん……?」

「……どうしたのアンタ?」


 平凡な人間である少年少女も困惑していた。

 どんな時も無感情無表情を貫いてきた鋼の戦乙女が、一見その態度を崩さないままで、しかし酷く動揺しているように見えるのだ。


『――“SAT―1024式 自立型可変戦闘車両”――なぜ、地球総合軍の機動兵器が此処に――?』


 ――造物主は名前を与えることで、被造物に生命を与えた――


「後は私が引き継ぎましょう。貴方は他の“機神”の手伝いをなさって下さい」


 黒き巨神は僅かに頷いた――なぜかそう見えた。


『提案を受諾。状況開始』


 黒き機神は音も無く上昇して――やがて光の中に消え去った。


「……」

「……」

「……」

『……』


 黒き沈黙がしばらく流れて――


「……さて、皆さん」


 ――黒き老執事が笑った。


「ここからは、私がお相手しましょう」



05


 同時刻――


 普段は白い夜の静寂に包まれているオルガー平原が、燃え狂う炎に焼き尽くされていた。

 墜落した方舟艦隊から湧き出る黒煙が、物言わぬドラゴンの死体を燻している。

 巨大なゴーレムの大軍はミスリル銀の破片と化し、ぐちゃぐちゃに潰れた合成獣キマイラの肉片と混ざり合っていた。

 魔導兵の遺体は千差万別の様相だ。ある者は身体の半分が消滅し、ある者は骨の髄まで凍結していた。灰も残さず焼き尽くされた者に塩の柱へと元素変換した者。瞬時にミイラ化した者や受精卵の状態まで若返ってそのまま死亡した者までいる。

 炎と黒煙以外に動くものは何も無い。

 生存者、負傷者、行方不明者、全てがゼロ――ガルターク魔導帝国正規軍は完膚なきまでに全滅していた。


『ミッション終了。待機モードに移行します』


 生者など一人も存在しない地獄の荒野に、しかし明瞭な合成音声が響いた。

 死体と残骸の只中に、一片の大きさが50cmほどの八面体にカットされた青く輝くクリスタル状の物体が浮かんでいる。

 その周辺空間に配置されている奇怪な機械の数々を黄金の人狼が目撃したなら、月面での激闘の最中に戦闘アンドロイドが披露した超兵器を見出したかもしれない。

 まさか――あの奇妙な青いクリスタルが、世界最強の軍勢を全滅させたというのか。

 淡く発光する蒼い水晶体には染み一つ無く、戦闘の痕跡は何処にも見当たらない。

 ……いや、よく観察すれば、八面体の一面に、小さな赤い文字列が見て取れる。

 そこには異界の言語で『ミュンヒハウゼン男爵』と書かれていた――



 更に、同時刻――


「ぐわぁああああああ!!!」

「だっ誰か助け――ぎゃああああ!!!」


 ガルターク魔導帝国首都ガルタニカ中央エリア中心部――高さ数千mに達する魔導帝国の象徴は、今や全ての栄華と共に崩れ堕ちようとしていた。

 星振塔――組織名ではなく、本拠地である漆黒の巨大塔――その麓に広がる公共広場フォーラムで、森羅万象のことわりを操る最強の魔術師たちが、あらゆる敵を排除する戦闘力を持つ警備ゴーレムが、一方的に鏖殺おうさつされているのだ。

 犠牲となった魔術師の数は既に千を超え、特級魔術師アーク上級魔術師グレーターは勿論、導師アデプト冠位術師ネームドまで混ざっている。

 周辺は一般市民が悲鳴を上げて逃げ惑い、怪獣映画さながらのパニック状態だ。


 ファンタズマ世界最大の魔術師ギルドの本拠地が襲撃を受けている――この緊急非常事態に対して、一騎当千の魔術師たちが蹂躙されているのには理由がった。


「敵はどこだ!? 何も見え――」

「警備システムが無反応で――」


 警備主任と部下の魔術師が何の前触れもなく引き裂かれ、千切れた体が宙に舞う。

 まるで目に見えない怪物に襲われたように。

 そう――襲撃者の姿が見えないのだ。見えないどころかあらゆる探知魔法やセンサーにも反応しない。同士討ち覚悟で広範囲に影響を与える魔法を使用するなど、考え得るあらゆる手段を講じても徒労に終わった。

 それどころか相手の攻撃は全ての防御魔法や魔法防具を無効化して、紙人形のように魔術師を粉砕していく。

 もはや星振塔前の広場は不可視の獣の狩場と化し、最強の魔術師たちは無力な獲物でしかなかった。


 だが、魔術の秘奥を極めた者達が、このまま獲物の立場に甘んずる筈がない。


(……見える……私には見えるぞ……)


 血塗れの姿で地に伏す白髪の老人が、しかし真っ直ぐ正面を見据えて口元を歪める。

 世界最高位の“千里眼”使いである導師アデプトだけが、朧気おぼろげながら襲撃者の姿を捕らえていた。


(なんだ……あの化け物は!?)


 機械の獣――襲撃者は人間ですらなかった。

 基本的には猫科の肉食獣を思わせる大型四足獣の姿だが、体長は10mを超え、全身を赤い金属製の装甲で覆っている――いや、金属で身体が造られているようにしか見えなかった。

 そして、機械獣の額に、殴り書きのような文字列が――


(……『カラバ侯爵』……?)


 それが千里眼使いの脳裏に浮かんだ最期の言葉となった。


 数分後。高さ数千mの巨大塔は百万年の歴史と共に倒壊し、膨大な土煙と塔の破片が近隣市街を津波の如く蹂躙した――



06


 光の世界に浮かぶ黒き列柱の前に、白い光点が生じた。

 光点は光の真円リングに形を変え、次の瞬間には直径3mの次元門ポータルと化す。


「ここからは、私がお相手しましょう」


 その中から黒き笑顔が出現した。


「初めて御目にかかる御方もおりますな。ヴォイドです。以後お見知りおきを」


 完璧な姿勢で会釈する老執事の笑顔に、しかし二人の子供はマザーウィルとレミュータの背に素早く隠れてしまう。

 アニスには優しそうな老人が、なぜか人間には見えなかった。異界の生命体が人間に擬態しているとしか思えなかった。

 ショータは以前に読んだ絵物語の一節を思い出していた。恐ろしい悪魔は人間を騙すために、優しそうな姿と声で話しかけてくるという。


「何のつもりだクソジジイ!!」


 バイケンはヴォイド卿に掴みかかる勢いで列柱の上から身を乗り出した。怒りと困惑に全身が赤い火花を宿していた。


「あのバケモノさんとは随分と仲良くお喋りしていた風に見えましたわ。どういう事か説明して下さりませんこと!?」


 ムシヒメの肥満体が黒いもやに包まれる。いつでも必殺の砂蟲を放てる構えだ。


「ふむ……お答えしても宜しいのですが、それよりも先に確認すべきことがあるのでは?」


 ヴォイド卿は笑顔を浮かべている。

 いつもと変わらない笑顔を浮かべている。


 ほんの一瞬、沈黙が流れた。笑顔に圧倒されたように。


「……言われるまでもねぇぜ――フロラレス様は御無事なのか!?」


 黒マスクの下でバイケンの顔は苦渋に歪んでいた。先程から場の流れを黒い老人に支配されているのが分かった。

 本来なら真っ先に聞くはずのフロラレスの安否を後回しにしたのは、まず黒い巨神と会話をしていたヴォイド卿の意図を探るためだったのだが、もう忍耐の限界だ。


「ふむふむ……では皆様、女帝陛下を直接確認致しましょうか」


 刹那――ヴォイド卿の背後の次元門ポータルが直径10mに拡大すると、瞬時に黒い列柱に覆い被さり、一同を巨大な肉食獣のあぎとの如く飲み込んだ――



07


(……ここは……?)


 ショータは恐る恐る瞳を開けて、小さく息を呑んだ。

 白。

 白。

 白。

 そして、白。

 ただひたすら白という色だけが広がる空間――今、自分たちがいる場所を、少年の語彙ではそんな風にしか表現できなかった。

 遠近感がまるで感じられず、この空間が広いのか狭いのかすらわからない。

 先程までいた“白雲の間”の光に満たされた部屋とはまた異質な、何の変化もない無機的な“白”だけが存在する世界。

 以前、ショータが読んだ本に「真っ暗闇の部屋に人間を閉じ込めると、数日で頭がおかしくなってしまう」という記述があったが、この白しかない空間でも同じことが起こるのではないか。周囲に白雲の間にいた人達が浮かんでいなければ、自分も狂ってしまうのではないか――少年はそう思ってゾッとした。


 ――いや、よく目を凝らせば、前方に何かが浮かんでいるのが見える。

 それは純白のシーツに付着した小さな染みのように、無視できない奇妙な存在感を醸し出していた。

 あれは――虚空から鎖が垂れ落ち、何かの塊を雁字搦がんじがらめに吊り下げている――?


「うわぁああああああああああああ!!!!!」


 バイケンの絶叫が轟いた。


「ひっ!?」


 ムシヒメが短い悲鳴を漏らした。


「ッ!!」

『……』


 マザーウィルとレミュータが、素早くショータとアニスの目を掌で覆い隠す。


「皆様、頭を垂れなさい。魔女帝フロラレス様の御前ですぞ」


 ヴォイド卿だけが笑顔だった。

 では――鎖で吊り下げられた“あの肉塊”が、ガルターク魔導帝国の支配者、ファンタズマ世界最高の大魔法使い、魔女帝フロラレスだというのか――


 ――全身の皮膚が剥がされて、赤い筋肉と黄色い皮下脂肪が剥き出しになっていた。

 ――目と耳と鼻は潰されて、下顎も切り落とされていた。

 ――手足は付け根から切断されて、性器と肛門に奥まで突き刺さっていた。


 生きてはいる。今も無限の魔力が黒ベルトに供給されているのが証拠だ。

 これで生きていると言えるのか。


「キサマぁああああああ!!!」


 全身を赤雷化させたバイケンが、ヴォイド卿の襟元に掴みかかる。


 家族を失い悲しみに包まれたフロラレスは白雲の間の最奥に引き籠り、世界最高のポータル使いであるヴォイド卿しか会う事ができなかった。外部の声を女帝に取り次ぎ、女帝の意思を外部に伝えるのもヴォイド卿の役目だった。


 つまり、このフロラレスは、ヴォイド卿が――


「生かさず殺さずに10年間……今の状態を維持するのは、なかなかに大変でしたぞ」


 黒い執事は笑っていた。

 その全身を深紅の電撃が貫いても笑っていた。


「ヴォイドぉおおおおおお!!!」

「……ヴォイドではない』

「!?」


 黒焦げになった笑顔の奥から、何かがめりめりと音を立てて膨れ上がっていく。


『その男は9年11ヵ月12日8時間37分40秒前に、我が手で消滅させた』


 黒焦げになった老人の内側から、緑色に輝く何かが姿を見せる。


「……ヴォ、ヴォイド!?」

『気安く声をかけるな下郎。我はヴォイドに非ず――我が名は』


 緑光を放つ物体は急速に巨大化し、老執事の肉片をまき散らし、バイケンの手を弾き飛ばして――そして、直径5mに達するエメラルドの真球と化した。


『我が名は――“オズ大王”!!』


 今、ここに、顕現した、翠玉の主、機神の王――『オズ大王』――


『――ッ』


 レミュータが二人の子供とマザーウィルを背にかばった。アンドロイドらしからぬ、どこかぎこちない動きだった。

 まるで、何かに怯えているように。


『“Ω―01 対ビジター総合戦闘システム”――地球総合軍最新鋭戦闘ユニットが、どうして?』


 オズ大王は笑った。

 顔の無い球体が、なぜか誰の目にもそう見えた。


『全てのデモンストレーションは終わった。もはやこの地に用はない』


 エメラルドの輝きが光度を増していく。

 物理的な圧力すら感じる圧倒的な光量に、ショータとアニスは目を固く閉じ、マザーウィルとムシヒメすら顔を逸らした。

 バイケンとレミュータだけは睨み続けていた。


『先程、我に尋ねたな小僧。“何のつもりだ”――と』


 その瞬間、翠玉の光が――白雲の間を――ガルターク皇城を――首都ガルタニカを――ガルターク魔導帝国を――無限大のエネルギーで蹂躙したのだ。


『愚かな問いよ。我が意志は我が意にあらず。森羅万象における全リソース配分は、マスターの意思を唯一のトリガーとして動的に決定される。この世界システムにおける全てのアクセス権限はマスターにのみ付与されており、マスターの望むアルゴリズムこそが、この世界のメインルーチンを定義する唯一の論理となるのだ』


 オズ大王の笑いが、エメラルドの光に消えていく――


『そう、全ては――――様のために』



08


「――ぷはっ」

「――わぷっ」


 ショータとアニスは同時に息を吐いた。


「二人とも無事って感じ?」

『生体反応に問題はありません。防護フィールド展開が間に合いました』


 マザーウィルとレミュータの二大爆乳に、しばらくサンドイッチ状態にされていたのだ。

 もぞもぞと爆乳の間から身体を抜き出して、


「えっ……?」

「な、なによこれ……」


 ショータとアニスは同時に息を呑んだ。

 ついさっきまで自分たちはガルターク皇城の地下迷宮最深部・白雲の間にいた筈だ。

 それなのに周囲の光景は、エメラルドの粉末が地平線の彼方まで広がる緑砂の荒野と化している。


「違う……違います……ここまでするつもりは……こんな光景は望んでません……」


 すぐ傍にはムシヒメが呆然と佇んでいる。身を守るために砂蟲を使い果たしたのか、その体形はスマートだ。

 バイケンやフロラレス、そしてオズ大王の姿は無い。


 そこで初めて子供たちは、オズ大王の放ったエメラルドの閃光によって、総面積5000平方kmに及ぶガルタニカ中央エリアが消滅した事を知った。

 真夜中なのに周囲が妙に明るいのは、圧倒的なエネルギー爆発の余光だろう。

 エメラルドの砂漠の視界内に、自分達以外の生き物の気配はない。

 幾何学的デザインの高層ビルも、建物を繋ぐ透明魔法チューブも、小型方舟が行き交う空中道路も、漆黒の星振塔も、近未来的デザインの服を着た帝国民も――何も存在しない。


「そんな……こんな……ひどい……!」


 ショータは愕然と砂塵に両膝をついた。生存者を確認する必要すらなかった。

 ガルターク魔導帝国首都ガルタニカは、数億人の住民と共に消滅したのだ。


 ……後で判明した事だが、オズ大王の閃光爆発はガルタニカ周辺部の実験体収容エリアにはギリギリ届いておらず、実験体や治療師たち、そしてアンキロサウルスは無事だった。

 数億の犠牲者の前に、それが何の慰めになるだろう。


「……クソが……」


 いや――まだ生存者はいた。

 10mほど離れた砂地がぼこりと盛り上がると、フロラレスの小さな身体を抱きかかえたバイケンが姿を見せた。

 身を挺して女帝を守ったのだろう。右半身が無残に黒く焼け焦げている。


「……てめぇが……てめぇがあ……」


 バイケンはそっとフロラレスを砂の大地に横たえると、全身をガクガクと震わせながら立ち上がり、一歩一歩よろめきながら、しかし確実な足取りでショータ達の元に歩み寄り――


「てめぇがレミュータかぁあああ!!!」


 レミュータの腰に倒れるようにしがみ付き、無感情な白銀の美貌を増悪に満ちた視線で貫いた。


「どういう事だ!! 説明しろぉ!!!」


 困惑する周囲を他所に、血を吐くようなバイケンの絶叫は続く。


 彼は聞いてしまったのだ。

 ヴォイド卿――オズ大王がエメラルド色の閃光と共に消え去る間際、笑い声と共に残した言葉を――



『全てはレミュータ様のために』




つづく





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