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オデット・フルニエの覚醒


 今日からリュシエンヌは、オデット・フルニエとなる。


 つまりオベール家から籍を抜かれた。

 これも嫌がらせのつもりなのかしら、むしろわたしは困らないのだけれどね。


「家事や領地に関わる書類の決裁はいかがいたしましょう。執務室に運べばよろしいですか?」


 常識的に考えて、他家に嫁いだ娘がすることではない。

 今まで父はまったく関与していないのに、これからどう処理する気なのだろう。

 

「おまえは通いの侍女としてオベール家に勤務することになっている。書類仕事はそのときにすればいい」


 この期に及んでも自分がするとは言わないのね。

 表情を変えることなくリュシエンヌは無言のまま通りすぎる。

 背後で舌打ちする音がしたけれど、この程度の嫌がらせなんて慣れたものだ。

 

「ふん、相変わらず可愛げのない娘だ。いなくなって清々するな!」

「おっしゃるとおりです」

 

 追随するヨハンの声。リュシエンヌがいなければ、もっと自由に振る舞えると思っているのだろう。

 でも今はそんなことどうでもいい。


 歩きながら脳裏でリュシエンヌはフルニエ家の情報を引き出した。

 フルニエ家は大きな商会を持つ成り上がりの一族。隣国から越してきて、今は貴族相手に商売を広げる足掛かりを欲している。一方で王家の血筋であるセレスタン様を迎え入れるためにオベール家は潤沢な資金を求めていた。

 資金を提供する代わりに、縁を結ぶ。つまり完全なる政略だ。


 これで多少はオベール家も持ち直すかしら。

 自分が売られたようなものなのに、半面ほっとしている自分自身に自嘲する。

 少なくとも金策に走り回る必要はないわね。

 自分がいる間に領地とこの家だけは手放さずに済んでよかった。

 部屋に戻って手早く荷物をまとめる。小さなカバン一つに収まるもの、それが今のリュシエンヌの持つ全財産だ。


「あら、とうとういなくなるのね。清々するわ!」

「ええ本当、ようやく肩の荷が下りたわ」


 門を出たところで、馬車から降りるオデットとメラニーとすれ違った。侍女達が大小さまざまな箱を抱えている。またこんなに買い物をして。セレスタン様との結婚が三ヶ月後と決まってから輪をかけて散財している。

 わたしが家を出るのに、散財はすべてわがままな義妹のせいという嘘が通用すると思っているのかしら。

 呆れたようなリュシエンヌの態度が気に食わないようで、オデットは口元を醜く歪めながらリュシエンヌに顔を寄せる。


「相手の男はお金持ちだけれど社交界でも有名な浮気者よ、女性がいないと生きていけないのですって。そんな相手が旦那様になるなんて、かわいそう。ご愁傷様!」


 相手の選択がいかにも父らしい、表情一つ変えることなくリュシエンヌは脇を通りすぎる。

 二人はあからさまに不愉快という顔をした。

 けれど人目があるところでは優しく慈悲深い母娘を演じているからオデットも義母も折檻はできないのだ。

 その代わり、言葉で私の価値を落とすことは忘れない。


「家を出るのに挨拶もないだなんて! 本当、躾のなっていない最悪の娘ですこと。お母様がかわいそう!」

「ごめんなさい、リュシエンヌ。あんな義理の妹がいるせいで、あなたにも肩身の狭い思いをさせてしまって」

「いえ、大丈夫ですわ。わたしにはお母様という心強い味方がおりますもの」

「ありがとう、あなたはわたしの自慢の娘だわ!」


 ここまでくると滑稽で笑える。

 周囲は美談だと盛り上がっているけれど、義理の娘()()を可愛がる異常さにどうして気づかないのかしらね。

 もう家を出るし、これもどうでもいいか。


 延々と続く茶番に背を向けて新居の住所まで歩いた。オベール家の馬車なんて使わせてもらえないし、たいした距離ではないから別に平気だ。

 扉についた呼び鈴を鳴らすと若い男性が顔を出した。

 癖のある柔らかな髪、垂れ目で目元にある小さなホクロがある。優しさを感じさせる甘い顔立ちで、雰囲気だけでも女性に贔屓にされそうな人だと思った。


「はい、どちら様?」

「オベール家から参りました。本日からよろしくお願いします」

「もしかしてオデット様の侍女の方?」

「いいえ、今日からここで暮らせと言われました」


 そう答えた瞬間、相手が目を丸くする。


「えっ、まさか本人⁉︎ あなた公爵令嬢でしょう、侍女や馬車は?」

「侍女は元からいません、ここまで歩いてきました」

「は、え? っと、とにかく中へ!」


 呆然とした彼は、あわててリュシエンヌの手荷物を受け取った。


 なんでこんなに驚くのかしら。

 オベール家でのわたしの扱いはこんなもんだ。簡潔明瞭に聞かれたことにだけ答えただけなのにね。

 リュシエンヌは入口から部屋を見渡す。部屋数もそれなりにあって、居心地の良さそうな家だ。ただ買ったばかりなのか新居には家具が少ない。それでもざっと見た限りでは最低限のものは揃っているみたいだし、なんとか今日から暮らせそうだ。

 

「ええと、公爵家のご令嬢が身ひとつで嫁いでくるとは思わなかったので、これからいろいろ揃えようと思っていました。ですが間に合わなかったようですね」

「お気遣いありがとうございます。ですがわたしにはこれでも十分です。それで……あなたのお名前は?」

「申し訳ありません、驚きすぎて名乗らず失礼しました。あなたの夫となるエリック・フルニエです」


 互いに手を差し出して握手する。互いにぎこちなく、妙に淡々としていてまるで商談相手みたいだ。


「エリック様、その話し方に慣れていらっしゃらないようですね。二人のときは敬語はいりませんよ、名前も呼び捨てでかまいませんわ。わたしのほうが歳下ですし」


 すると彼はあからさまにほっとしたような顔をする。


「うん、ありがとう。どうにも堅苦しいのは苦手でね」

「意外ですね、商家の方はこういう場面に慣れているものと思っていましたから」

「兄弟の出来の悪いほうの長男で、放蕩息子だからだよ。家から半分くらい除籍されかかっている」


 彼の浮かべた表情はリュシエンヌには見慣れたものだった。

 理解してもらうことをあきらめた、そんな顔だ。

 

「侍女のことや馬車のこと、君の態度を見てなんとなく理解したよ。君も家にとっていらない人間らしいね」

「はい、そのとおりです」

「ならばお互いにこの状況を利用しようじゃないか」


 唐突に何を言い出すのかしら。

 あまりにも予想外でリュシエンヌは目を丸くした。ただ、思っていたよりもその言い方に嫌な感じがしないのは不思議だ。もはやさまざまな状況に慣れすぎて、リュシエンヌ自身の感覚もまともではないのだろう。


「君はわたしの悪い噂を聞いているかい?」

「はい、家を出るときに聞きました。浮気者で、女性がいないと生きていけないとか」

「相変わらずひどい言われようだ。浮気だなんて、そんな事実ないのに。しかも家を追い出す直前になってようやく結婚相手を教えたところも君と同じ。つまりお互いに本人の意思とは関係なく結ばれた婚姻ということだね」


 リュシエンヌに直前になって教えたのは嫌がって逃げ出さないように、とかだろうか。

 教えた直後に追い出せば住むところがないからとりあえず言われた住所に行くだろうと。

 とはいえ、エリック様もまさか公爵家の気狂い姫――――社交界ではオデットはこう呼ばれていた、そんな女が結婚相手だとは知らずにいたとはね。


「結婚式もなし、披露宴もなし。つまり世間に公表する気はないみたいだ。ただ両家の利益のためだけに書類上で厄介者同士をくっつけた、本当に趣味が良い」


 完全に嫌味だ。でもリュシエンヌにもエリック様の気持ちはよくわかる。

 オベール家は公爵家の名誉と引き換えに金銭面の支援を受けるためフルニエ家にオデット・オベールを嫁がせた。


「とにかくこうなったらしょうがない。先が決まるまで、しばらくここで暮らそう。金銭面では苦労をかけないようにするよ。家からの援助もあるし、わたしも仕事を持っているからね」

「どんなお仕事をされているのですか?」

「女性服をデザインしている。それだけで彼らは我々男性のデザイナーは浮気者で、女性がいないと生きていけないと本人を前にして堂々と言うんだ」


 ああ、なるほど。彼の悪評には裏にそんな事情があったのか。


 この国では女性服をデザインするのは女性と決まっている。決まっているというよりも男性が女性の服に興味を持つことを忌避する風潮があった。だから女性服をデザインする男性は、女性にだらしのない浮気者という不名誉な烙印を押されてしまう。

 結果、淘汰されてこの国には女性のデザイナーしかいなくなった。


「あなたの悪評はそういう理由だったのですね」

「今は別の国に住んでいる。そこでは性別に関係なく皆、真摯に働いているのにね。迷惑な話だ」

「あえて女性服の分野を選んだのですか?」

「そう。種類も多いし、変化に富んでいて面白い。男性服もデザインするけれど女性もののほうが好きだな」


 わたしの夫になった人は女性服のデザイナーなのか。


 オデットがお茶会や夜会のために特注の高価なドレスや小物を身につけているから、リュシエンヌもきれいな服を創造する人がいて、さまざまな作品を作りあげていることは知っていた。

 でも一生縁のない人々で遠い世界の話だと思っていたのよ。それが、まさか結婚相手にそういう仕事をしている人が選ばれるなんてね!

 いまさらだけれどリュシエンヌは結婚のことだけでなく、この期に及んで相手の人柄すらまったく知らないことに気がついた。


 一体、どんな人なのだろう?


「単なる偏見でしょう、否定されないのですか?」

「正直なところ噂を否定するほうが面倒なんだ。噂なんて無責任で無限に湧いてくるものだろう? 否定するのは後ろぐらいことがあるからだと逆効果だった。だからって否定するために女性との付き合いを制限されると仕事に差し障る。わたしにとって彼女達は新しい発想を生み出す泉、地上に愛と調和をもたらす女神達だ。そのうえ顧客であり、重要な取引相手でもある」


 泉に女神、後半はともかく前半は言っている意味がさっぱりだ。リュシエンヌは言葉を失った。

 唖然とした顔のリュシエンヌにエリック様は肩をすくめる。


「誰も信じてくれないが噂は嘘ばかりだ。でも女性がいないと仕事にならない、それは認めるよ」


 女性服のデザイナーだからね。リュシエンヌと視線を合わせて困った顔で彼は笑った。


「君にすれば謎かもしれない。なぜ自ら面倒な道を、この国では偏見に満ちた仕事を選んだか。理由はとても単純だよ、自分以外の誰かの価値観に合わせて生きることが正しいと思えなかった。誰を不幸にするわけでもない。それでも他人のために、どうして自分の生き方を変えなくてはならない」


 エリック様の言葉にリュシエンヌはハッとして顔を上げた。


「わたしの目に狂いがなければ君とは共闘できそうだ。どうだい、手を組まないか?」


 

長かったので切りました。次話に続きます。

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