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リュシエンヌ・オベールの事情2

長いので切った残り半分です。引き続き、お楽しみいただけるとうれしいです。


 その日から、代わりにリュシエンヌとなったオデットは積極的に社交の場へと姿を現すようになった。


 今回の件はもともと事前に計画していたらしく、どうやら父を通じて家庭教師から公爵家にふさわしい教養とマナーを学んでいたらしいオデットは、一切問題を起こすことなくリュシエンヌを演じているらしい。

 誰もがオデットをリュシエンヌだと信じている。

 理由はただ一つ、髪色がオベールの黄金だから。現実を思い知らされたリュシエンヌは静かに追い詰められていく。

 そして最後に奪われたのは、最愛の婚約者だった。

 後で思えばこうなるのは時間の問題だったと思うけれど、当時は余裕がなくてそんな未来を思いもしなかった。


「もしかして、セレスタン様?」


 家事に追われていたリュシエンヌは、庭から響く最愛の人の笑い声でようやく気がついた。

 最近の父は領地のことだけでなく家内の差配や対外的な交渉ごとまですべてリュシエンヌに丸投げするようになって、負担は増すばかりだった。メラニーは公爵夫人の仕事なんてできないからその代わりを務めることと、いなくなった執事長と侍女長の代わりに雇った人物がまた怠け者でまったく役に立たないからだ。

 メラニーの友人だと言っていたわね。二人とも、どこにいるのかしら。

 今、リュシエンヌは出入りの商人と交渉して、ようやく今までどおり食材や生活物資を納品することを約束させたというのに。

 当主となった父はずいぶんと資産を食い潰した。公爵夫人となったメラニーとオデットの身の回りの品を新調するためだと言っているが、物には限度がある。

 収支が合わなくなり始めたことで、リュシエンヌは金策に走り回るようになった。厳しい台所事情は商人が一番先に気がつく。取引を止められそうになったところを、売掛ではなく現金で精算することでようやく納得してもらった。


 疲れ切った体を引きずるようにして部屋に戻る途中、庭の陽当たりの良い場所でお茶会が開かれていることに気がついた。誰だろうと思い、遠くからのぞいたところで顔色が真っ青になった。


 一人はオデットが成りすましたリュシエンヌ。

 そしてこちらに背中を向けて座るのは、リュシエンヌの婚約者であるセレスタン第二王子殿下だった。

 生まれたときに決められた婚約者で、リュシエンヌの最愛の人。容姿端麗、頭も良くて、誰にでも優しい皆の憧れる生粋の王子様だ。

 向かいに座るオデット瞳はうるみ、頬は薔薇色に染まっている。

 まるで自分の姿を見ているようだった。


 なぜセレスタン様がここにいるの?

 たしか来週が婚約者の務めである月一度のお茶会だ。それなのにどうしてこんな早くに!


「無理を申し上げましたのに、予定を合わせてくださってありがとうございます」

「リュシーから会いたいと言われたのは初めてだから、無理してでも会いに来るに決まっているよ」

「はい、どうしてもお会いしたかったのです!」


 無邪気に笑ったオデットにセレスタン様の表情がゆるんだ。


「私の黄金姫、愛している」


 セレスタン様はそう言って金の髪に口づけを落とした。

 ――――もう、限界だ。

 人目があることや礼儀を完全に忘れてお茶会の場にリュシエンヌは走り出た。


「やめて、リュシエンヌはわたしよ!」


 悲痛な面持ちに、涙を浮かべた。


「違うのです、セレスタン様。それはわたしではないの、だからオデットを愛さないで!」


 お願い、わたしを(オデット)愛さないで。


 突然、訳のわからないことを言いながらお茶会の席に乱入してきたリュシエンヌを見て、普段は寛容と評されるセレスタン様が眉を顰める。

 かつてのリュシエンヌが向けられることのなかった冷えた眼差しに呆然とした。

 セレスタン様には見えない角度で口元を歪めたオデットの顔に、リュシエンヌは嵌められたことに気がついた。


「オデット嬢、招待されていないお茶会に押しかけるのはマナー違反だよ」

「も、申し訳ありません。ですがそこにいるのはオデットで、わたしがリュシエンヌなのです!」


 リュシエンヌは真実を告げただけだ、それなのに。

 セレスタン様は冷めた目で苦笑いを浮かべる。

 周囲の使用人達も思わずという様子で失笑した。


「オデット嬢、君が義理の姉であるリュシエンヌに憧れる気持ちはわかるよ。たしかに彼女は美しく聡明で優しい。正当なオベールの血を引く公爵令嬢で、皆の憧れる淑女の鑑だ」

「うれしいですわ、セレスタン様」


 オデットはまるでリュシエンヌを真似るように、はにかんで笑って見せた。

 どこまでも狡猾なオデットにリュシエンヌの顔色は真っ青になる。

 子供が嫌々をするように激しく頭を左右に振るリュシエンヌの頬に忌々しい茶の髪が触れた。


「第一に君の髪はくすんだ赤茶色ではないか。オベールの黄金ではない」

「それは髪色を」

「ヨハン、それからヘレン。これ以上は当家の恥になります、今すぐオデットを下がらせなさい」

「はい、リュシエンヌ様。さあオデット様、それ以上はいけませんよ」


 リュシエンヌの台詞に被せるようにしてオデットは鋭く叫んだ。すぐさま侍女長であるヘレンがリュシエンヌの腕を掴んで口元をもう片方の手で覆った。そして執事長であるヨハン、以前に当主の部屋でリュシエンヌを突き飛ばした乱暴な使用人だ、彼はリュシエンヌを引きずるようにして庭から連れ出した。抵抗するリュシエンヌの背後でセレスタン様の呆れたような声がする。


「本当だ、噂に聞いていた以上にマナーがなっていないね」

「申し訳ありません、普段からよく言って聞かせているのですが」

「君が謝ることはないよ。せっかく公爵家で学ぶ機会を与えられているというのに、勉強だけでなくマナーの練習もさぼっていると父上から聞いている。すべて自業自得、オデット嬢の責任だ」

 

 何の話だ、さぼっているとは。彼らが学ぶ機会を奪ったというのに!


「あなたの義母となったメラニー様は聡明な方であるのに娘があれではかわいそうだな」

「ええそうなのです。実の娘とはいえ、母親には似ても似つかない愚かさにはお母様もずいぶんと心を痛めておりますの」


 手荒く引きずられながら、リュシエンヌは歯噛みした。

 底辺を這うオデットの評判とは対照的に、公爵夫人となったメラニーの評判はむしろ良かった。身分が低く礼儀には疎いからと後方に控えて、常に次期当主となるリュシエンヌを立てている。


「一時はどうかと思ったが、分別のある聡明で謙虚な女性ではないか」

「義理の娘でありながら次期当主であるリュシエンヌ嬢を献身的に支える賢妻だ」


 そもそも前提が違うのに。メラニーが支えるのは今も昔も実の娘だ。

 誰も信じてくれないのだ、仲の良かった友人も、学校の教師も、親戚も。


「父と義母、義妹にいじめられている」


 そう訴えても誰も信じてくれないのだ。

 彼らは皆、リュシエンヌとなったオデットを心清らかで慈悲深くそんなことをする娘ではないとかばった。

 むしろオデットとなったリュシエンヌを憎み、頭のおかしい娘だと思っている。


 どうして私は公爵令嬢でありながら、こんなにも無力なのだろう。

 

 ヨハンは別の使用人にリュシエンヌを引き渡すと閉じ込めるように指示した。

 使用人はすぐさまうなずいて部屋にリュシエンヌを放り込むと扉に鍵をかける。


「男爵令嬢の娘ごときが、身の程知らず。生かしてもらえるだけありがたいと思うんだな!」


 あの口ぶりからして、使用人達も本気でリュシエンヌをオデットだと思っているらしい。

 短い間だけれど、あれだけ近くで働いていたのにそれでも気づかないものなのね。

 絶望したリュシエンヌの脳裏にはセレスタン様の言葉とともに冷ややかな眼差しが浮かんでいる。


 すべて自業自得。


 お母様、申し訳ありません。

 男爵令嬢の娘が簡単に成り代われるほど、わたしには公爵令嬢と名乗る価値はないようです。


 その後、リュシエンヌは沈黙した。なぜなら嘘がつけないから。

 オデットと呼ばれることのないよう立ち回り、書面にオデットの名は決して残さない。

 愚かと笑われても、それがリュシエンヌにとって唯一できる抵抗だ。


 そこから数年経ち、リュシエンヌは閉じ込められたまま死んだように生きた。


 表向きの身分は公爵令嬢だけれど、オベール家での扱いは平民以下だった。

 必要最低限の時以外はうつむいて、笑顔もなく感情の欠落した顔は気味が悪いと言われている。生きるために最低限の食事しか出してもらえないので、痩せていてかつての面影はまったく残っていなかった。

 支給された侍女服を着て、家事と領地経営をこなす毎日。仕事が忙しすぎて貴族学校にも通えなかった。

 親しい友人ができることもなく、ほんの一握りの古くからの知り合いを除けば、影のようなリュシエンヌを気遣う人はいなかった。

 そこまでしてリュシエンヌが守ろうとしたオベール家は、見た目は煌びやかでも内側の経済状況は厳しいままだった。理由はメラニーとオデットの散財。どれだけ努力しても現状維持が精一杯で、資産を増やすなど夢のよう。

 このままでは領地で災害が起きても対処できない。

 

 お母様は病に侵食されながらも領民のために尽力して亡くなった。だからせめて、母の誇りである領地だけでも。


 リュシエンヌが奮闘し疲弊する一方で、オデットは順風満帆だった。セレスタン様との仲も良好で二人は学園を卒業したら結婚するそうだ。

 幸せいっぱいで自信に満ちたオデット、搾り取られた残り滓のようなリュシエンヌ。これだけ表情が違えば、たとえ隣にいてもオデットとリュシエンヌの顔立ちがよく似ていることに誰も気がつかないだろう。


 そして十八歳の冬のこと。

 間もなく同い年のオデットが学園を卒業するという時期のことだった。

 廊下ですれ違いざまに目も合わせず父からこう告げられた。


「エリック・フルニエに嫁げ」 

「いつでしょうか」

「もう婚姻届は提出してある、今すぐにだ」


 理不尽とも思える扱いをされても、もはやリュシエンヌは驚きもしない。

 どうやら本人が知らないうちにリュシエンヌはオデット・フルニエになっていた。


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