最後に、趣味と交流について考える。
最後に、もう一度、感想欄について、考えを巡らせたいと思います。
作者にとって色々と思うところがあるからでしょうね、以前から、感想についてのエッセイは、度々上がっていたと思います。
また、最近では、批判に対するエッセイがなろうを賑やかしています。
これらのエッセイで、私も、どんな感想が良くてどんな感想は良くないだとか、そういった意見を、何度も見てきました。
感想でほめて貰えばモチベーションになる、確かにそれは多くの人が感じる事実でしょう。筆を折るような感想はいらない、私もそう思います。ですが、あまりに短絡的に結論を出している、そんな論が多く見受けられる気がします。
批判がどうとか、褒め言葉がどうとか、そんな枝葉のことよりも、まずは、「感想を伝えることの価値」というのを考えるべきではないでしょうか。そう思い、今回、私は筆をとりました。
私は、感想欄は、作者にとって「客観的な視点」を育てるためには、無くてはならない物だと感じています。
それは、作者を育てる元になるものだと思います。そして、指摘だけでない、好意的で素直な感想も、作者にとって糧になるものだと思います。
読者から心無い感想を書きこまれて、傷つき、筆を折りたくなる気持ちもわかります。ですが、例え傷ついても、面白いと思って読み続けてくれている読者よりも、否定的なことしか言わない読者を優先していい理由はありません。筆を折るというのは、面白いと言ってくれた読者を裏切るような行為です。
趣味だから、嫌な思いをしてまで書くことはない。確かにそれも一つの考え方でしょう。ですが、それは「受け身の娯楽」に対する考え方だと、個人的には思います。
創作というのは、「受け身の娯楽」とは違います。
そうですね。私は一時期、自炊をしていた頃に料理に色々とこだわったことがあるのですが、それに似ているのかもしれません。
少なくとも私は、自分で料理を作って、自分で満足のいく味なのに「不味い」なんて言われればね、「じゃあ食うな」の一択です。その場で下げます。
それは、自分の作る料理に自信があるから言えることです。
料理は愛情という言葉がありますし、自分のための料理よりも、人のために作る料理の方が身が入るのは確かです。ですが、人のために料理を覚えれば上達するなんてことはありません。
料理を趣味としている人は、基本的に、自分が好きだから料理を作っているのです。上手く作れるようになりたいから勉強もするし、練習もする。実験台に食べさせたりもするわけです。そこに愛情なんてものは入ってくる余地はありません。
同時に、料理は愛情という言葉は、一つの真理でもあります。
誰かをもてなそうとするとき、もてなす側は美味しい料理になるように、いろんなことを調べて、真剣に料理に取り組む。もてなされる側は、その料理に込められた熱意を含めて味わう。
そうして生まれる空気はきっと、単に出来合いの惣菜を買ってきた以上に居心地が良いものではないでしょうか。
なろうは、読者とコミュニケーションをとりながら執筆できる場所です。出来合いのものを売りに出すのとはまた違う価値観で活動する、そんな人がいてもいい、そう思います。
先にあげた料理の例は、多くの趣味に言えることでしょう。常に上手く行くわけではない、時には失敗もする、そういった趣味には、意外と共通点も多くある気がします。
一人で楽しんでいるように見えて、誰かに楽しんでもらう要素もある、皆で楽しんでいるように見えて、自分一人でも楽しめる、そういった、自分と他人の関係というのもその一つでしょうか。
趣味は自分のためにするものです。ですが、その趣味の中には、どこか、人が見たときに魅力に感じる、そういったものがあるものです。
料理だと、作り出された料理でしょう。サイクリングだと、旅先の風景だったり、走破した距離に対する驚きだったりするわけです。
作家は当然、作り上げた作品であるべきでしょう。ですがそれは、常にプロ級の作品でなければいけないのでしょうか?
作品を楽しみながら、読者とのコミュニケーションも含めた面白さを味わう、そんな楽しみ方もあって良いのではないでしょうか。
そして、そんな楽しみ方だからこそ、感想をしっかりと受け止めてほしいのです。
読者が、作者を励ますために好意的な感想を書こうとするのはわかります。とてもありがたいとも思います。ですが作者は、そんな貴重な感想を、自分のモチベーションのための道具にするべきではないと思います。感想は、目の前にぶら下げたニンジンではないのです。
作者はもっと、自分の書いている作品が面白いということを信じるべきです。その上で、さらに面白くするためにはどうすれば良いか、考えるべきです。
そのためにも、読者からもらった「面白い」という感想を、もっとかみしめて欲しいと思います。読者が伝えられた「面白い」という感想は、信じて良いのです。そして、それをかみしめて、成長の糧にしてほしいのです。
どんな書き込みも、受け手となるのは作者です。未熟な作者よりも成熟した作者の方が、一つの感想から、より多くのものを感じ取り、より良い形で指摘を生かすことができます。
好意的な感想を受け止め、かみしめれば、きっと今よりも上達します。それは、どんな趣味にも共通した面白さです。やる気の源です。
そうして「読者からの励ましがなくても書き続ける」、そう断言できるようになって、初めて「趣味」と言えるのではないかと、自分は思います。
始めたばかりで、悪意に負けてしまうのは仕方がないのかも知れません。「受け身でない趣味」を他に持っていないのなら、なおさらです。
ですが、そこから脱却して、「何があっても書き続ける」と、一人でも多くの人が言えるようになれば良いな、そんな風に思います。
趣味はきっと、人生を豊かにしてくれるものだと、私はそう信じています。