23. リドレックの秘密
探しているときは見つからないのに、何かの拍子で意外なところからあっさりと見つかる――と、言うのが探し物の常である。
ゼリエス・エトに関する事件とその真相についても、意外な人物からもたらされた。
スベイレン上層階中央。
大通りに面した一角にハルシュタット銀行スベイレン支店はあった。
ハルシュタット銀行は、その名の示す通りエルメラ・ハルシュタットの実家が営む銀行であり、支店長もエルメラが務めている。
立場上、支店長と名乗ってはいるが、仕事と呼べるような事には一切、携わっていない。
実質的な業務は全て行員たちに任しており、特別なことでも無い限りエルメラが支店に顔を出すことは無い。
「……それで、何の用かしら?」
土曜日の午後。
明日行われる闘技大会の準備に忙しいこの時期に、エルメラは支店に呼び出された
「要件は手短にお願いできるかしら? 私、こう見えても忙しいのよ」
「忙しいのはこちらも同じさ」
エルメラを呼びつけたのは娼館の女将である。
彼女の経営する娼館《鶺鴒館》でリドレックたちが騒ぎを起こしたのが先週の事。
寮生達の引き起こした騒ぎによって店側は多大な被害をこうむった、というのが彼女の言い分である。
エルメラを呼びつけた賠償について話し合うためであった。
「あんたがそう言うなら、早速用件に入ろうか」
面倒な前置きは抜きにして、早速交渉に取り掛かることになった。
応接室のソファーに悠々と腰かける女将を前にして、エルメラは身構える。
相手は海千山千の娼館経営者。一筋縄で行く相手では無い。
「先日の騒ぎのお蔭で、あたしらは客の信用を失った。これ以上、商売を続けていくことはできない。だから、あんたに責任を取ってもらいたいのさ」
「具体的にどうしろっていうのよ?」
「《鶺鴒館》を買い取っておくれ」
「……何ですって?」
「娼館を買い取ってほしい、と言ったのさ。土地、建物から経営権。女の子達や用心棒など従業員もまとめて《鶺鴒館》に関わる一切合切をハルシュタット銀行で買い取って貰いたい。手付に帝国債権で1500。後払いで300でいいよ。どうだい? 安い買い物だろう?」
「……帰って頂戴」
冷たく言い放つとエルメラは扉を指さした。
「まあ、よくお聞きよ。これはアンタにとっても、まんざら悪い話じゃないのさ」
エルメラの反応は女将の予想どおりだったらしい。
柳眉を逆立てるエルメラに向かって、なだめるようにひらひらと手を振った。
「お嬢ちゃんは知らないかもしれないだろうけど、娼館て所にはいろんな情報が集まる場所なんだよ。娼館に来るような男は大抵わけありさ、他所では言えないような秘密の一つや二つ抱え込んでいる。そして女の子達は皆聞き上手さ。どんな口の堅い男でも、ベッドの上じゃよくしゃべる――わかるだろ?」
女将は意味深な笑みを浮かべた。
下品なジョークは嫌いじゃないが、水商売の女が口から聞くと生々しくていけない。
エルメラの顔も、羞恥で赤くなる。
「そうやって客から仕入れた情報も含めた、一切合切をあんたに譲るって言ってるんだよ? ハルシュタットだったら情報を金に換える手段を知っているんじゃないのかい?」
「……物によるわね」
金融財閥であるハルシュタット家を支えているもの、それは情報である。
情報とは金額の書かれていない小切手と同じだ。
その金額を決めるのは、価値を知る者だけだ。
「爺どもの下半身スキャンダルなんかじゃ一文にもなりゃしない。どんな情報なのかわからないんじゃ、値段のつけようがないわ」
「スベイレンを拠点とした大規模密輸組織の全貌なんて言うのはどうだい? あんたも興味ある話だと思うよ? この事件には今話題のゼリエス・エトと、あんたの所のリドレック・クロストも関わっているからね」
それはまさしく、エルメラが必要としている情報であった。
「……聞かせてもらおうかしら」
食いついてきたエルメラを焦らすように、足を組みなおしてから女将は話を始めた。
「先代総督のガフ・コレッティが交易品の密輸を行っていたって話は知っているかい?」
「噂ぐらいはね」
交易港を擁するスベイレンは地上との交易の要衝である。
ランドルフが就任する以前。前任者であるガフ・コレッティがその地位を利用し密貿易を行っていたと言う話は、スベイレンに居る生徒達ならば誰もが知っている公然の秘密であった。
地上との交易を管理しているのは、交易同盟と十字軍である。
帝国経済を脅かす密貿易は、重い罪に問われることになる。
発覚すれば十字軍に捕えられ、厳しい処分が下される。
「噂なんかじゃない、本当さ。総督はスベイレンの下層にある倉庫区画を彼らに提供。彼らの密輸を見逃す代わりに、賄賂をせしめていたってわけさ。密輸品の輸送を行っていたのは交易船の船長、ボルブ・クラバー。密輸品を売りさばいていたのが、エミエール商会のセイア・エミエール。そして、取引の場所に使われたのが《鶺鴒館》ってわけさ。娼館は人目を避けて集まるのに都合がいいからね。だから、あたしは連中の取引を目の前で見て全て知っているってわけさ」
次々と出てくる聞き覚えのある名前は、エルメラの興味を掻き立てた。
疑い半分で聞いていた女将の話も、信憑性を帯びてきた。
「はじめのうちは目立たない慎重にやっていたのさ。しかし、長く続けていくに連れそういうわけにもいかなくなった。密輸の噂はスベイレンの学生までもが耳にする周知の事実となった。潮時と見た総督は密輸を辞めてトンヅラすることにした。人脈を頼り、今まで稼いだ金をばらまいて中央への栄転を勝ち取った。それと同時にゼリエス・エトに後始末を命じた」
「ゼリエスに?」
「奴は筋金入りの殺し屋さ。あんたも聞いたことはあるだろう? 《無明》のことは?」
「噂ぐらいはね」
素っ気ない様子で答える。
真耀流に伝わる暗殺剣《無明》。
そして、その暗殺剣を体得した隠密剣士。
名前だけは知っているが、そんな都市伝説めいた存在をエルメラは頭から信じてはいなかった。
「総督は騎士学校のシシノ教官を通じ、真耀流から腕利きの暗殺者――ゼリエスを借り受けた。密輸取引の顧客の大半は、帝国の名士たちだ。露見すれば一大スキャンダルになる。総督は密輸にかかわった関係者の殺害をゼリエス・エトに命じた。口封じって奴さ。エミエール商会のセイア・エミエールをはじめ順調に始末をしていったんだが途中、誤算が生じた。ゼリエスの危険なアルバイトに気が付いた友人が、十字軍にタレこんだのさ」
「……リドレックのこと?」
「そうさ、だけどね正義感に駆られてってわけじゃない。あいつは自分の私利私欲の為に、ゼリエスを売ったのさ」
「……売った?」
「ゼリエスを告発した見返りに、リドレックは十字軍に自分を売り込んだのさ。ゼリエスが逮捕されたその後、リドレックは地上に降りた。十字軍の手先となって密輸取引の摘発に多大な功績を上げたのさ。ボルブの話じゃ、わざわざガーメンにまで追いかけて来たそうだよ。結局逃げきれずに、スベイレンに舞い戻ってきた所を殺されちまったけどね」
そこまで言うと、女将は肩をすくめた。
「総督が消えた後、スベイレンの裏社会を取り仕切っているのが、シシノ・モッゼスだ。シシノは先代総督に取り入って、スベイレンの裏社会の一切を取り仕切っていた。密輸組織の運営から、暗殺――風俗店のみかじめ料の取立てまで。剣技教官風情がすっかり、暗黒街の帝王気取りさ」
女将の店もみかじめ料を搾り取られていたのだろう。
シシノの名を呼ぶ彼女の顔は嫌悪に満ちていた。
「総督が変わって統治体制が混乱している現在、シシノのやりたい放題だ。そして、一月前。あのテロ事件が起きた。それ以降、様相が一変する――あんた《無銘皇女》って知っているかい?」
「……噂だけは」
再び、素っ気ない様子で答える。
平静を装いつつも、その胸中は動揺を悟られないようにするのに必死だった。
「三年前、暗殺されたアーリク・ノイ・ヴェルシュタイン皇太子殿下には公にされてない、御落胤が居るって噂が以前からある。その御落胤が、この学校にいるっていう噂が最近になって出回っているのさ。巨人騒ぎはその《無銘皇女》を狙って仕掛けられたって噂さ。で、その噂を聞きつけた真耀流宗家が動いた。真耀流は三年前の暗殺事件にも関与しているって噂は知ってるかい? 今度は娘の方まで手にかけようってわけさ」
繰り返される彼女の噂はエルメラが既に知っている事ばかりだった。
そして、それら全てが噂で無い事をエルメラは知っている。
「ベイマンの本家道場から指示を受けたシシノは《無明》の使い手、ゼリエスをスベイレンに呼び戻すことにした。何も知らない道楽貴族のランドルフを利用して、ゼリエスを釈放。そして、この学校のどこかに居る《無銘皇女》を探し出して始末させようとしている……」
「……っていう、噂?」
小ばかにするような調子で話を遮る。
これ以上、この女に話をさせるのは危険だ。
エルメラは話を切り上げることにした。
「さっきから聞いてれば何? 噂、噂、噂って、噂話ばかりじゃない! いい加減にして、あたし達は銀行屋なのよ。そんな陰謀論、真に受ける訳ないでしょう。金が欲しいのならば、明確な証拠をよこしなさい。それが出来ないなら帰って頂戴。まったく、時間の無駄……」
まくし立てるエルメラの前に、女将はデータチップを差し出した。
親指大のデータチップは、エルメラの言う明確な証拠であった。
「それは?」
「航海日誌さ。ボルブが死ぬ直前に、あたしに預けて行ったのさ。密輸品の仕入れ先、売却先、取引の日時が記録されている。密輸組織の全貌を暴く決定的な証拠になるはずだ」
そう言うと、女将はデータチップをエルメラに向かって放り投げてよこした。
「店を買い取ってくれるならば、こいつもあんたに譲るよ。ハルシュタットだったらこの情報をうまく扱えるはずさ。公表して関係者すべてを失脚させるも良し、隠匿して強請りのネタにするも良し。どっちにしろ相当な金になるだろうさ――あたしは御免だけれどもね。皇女暗殺なんて命がいくつあっても足りやしない」
深いため息を吐く女将の顔には、すでに娼館の主としてのしたたかさは消えていた。
そこには、人生に疲れた年経た女がいるだけだった。




