ep41:着火魔法は便利です
月曜日、僕は自分の身体に戻って目が覚めた。
身体の軋みは無い。
腹の筋肉痛は有る。
(今更もう腹を引き締めなくていいのに……)
こっちへ来る度に人の身体で五百回も腹筋する少年に、もはや苦笑するしかない。
少年が諦めるか、オッサンの腹肉が引き締まるか、勝負だな。
「おはようございます。今朝は伊勢海老汁ですよ」
「おお、それは美味そうですね」
女将さんは、今朝も枝垂桜の下を掃き掃除している。
竹ぼうきで丁寧に白い玉砂利を整えている姿は、大切なものへの愛情が感じられた。
伊勢海老汁は、伊勢海老のお造りが夕食に出た翌朝の定番メニューらしい。
休憩室に行くと、一人用の鉄鍋に伊勢海老の兜と白葱が入っていた。
卓上コンロには固形燃料がセットされていて、自分で火をつけて温めて食べられる。
(あれ? つかないな。ガス切れか)
テーブルに置いてあるチャッカマンを手に取って、固形燃料に向けてカチッとやっても火がつかない。
何回かカチカチとスイッチを押してみたが、全く火がつかなかった。
(マッチかライター、あったかな?)
代わりの物を探したけれど、見つからない。
しばし考えた後、僕は固形燃料に人差し指の先を向けた。
(こっちでも使えればいいのにな。点火……えっ?)
僕はベルさんから習った生活魔法を使うイメージを思い浮かべて、心の中で呟いた。
すると僕の指先からライターくらいの火が出て、固形燃料へと飛んだ。
燃え始める固形燃料を呆然と見つめているところに、新品のチャッカマンを持った桔梗さんが入ってくる。
「あれ? つきました? ガス切れてるよって聞いたんだけど」
「え? あ、つきましたよ」
「ん~…、もうつかないですね。最後のガスだったかな」
桔梗さんは火がついている卓上コンロを見てキョトンした。
僕は魔法で点火したなんて言えないから「ついた」とだけ言っておいた。
桔梗さんは古いチャッカマンのスイッチを押してみた後、新しいのを置いて休憩室を出ていく。
(異世界の生活魔法、日本でも使えるとか、聞いてないぞ)
僕は桔梗さんがいなくなった後、指先に小さい火を出してみた。
自分の指がチャッカマンみたいに火がつく。
魔法の火は燃料となる魔力を出す者、つまり術者には無害なので熱くはなかった。
(ま、いっか)
僕はしばし考えたあと、開き直る。
使えて困ることはないし。
むしろ便利だし。
気にしないでおこう。
もしもいつか警備員の仕事を干されたたら、大道芸人になろうか。
気を付けな、僕の右手が火を吹くぜ。
中二病再発しそうなのは、おいといて。
民宿初鹿の伊勢海老汁は、出汁をとる殻が炭火で焼かれていて、香ばしさと深いコク、濃厚な甘みと旨味がある絶品味噌汁だった。
あれを異世界で作れないだろうか?
異世界の海老は、どんな味がするのだろう?




