ep159:宮廷調教師と馬場馬術
王令によってクルールの馬主となった僕は、急いで調教師のもとへ向かった。
クルールに鞭は必要ない。
僕はクルールがこれ以上鞭打たれないように、一秒でも早く調教方針を変えることを報せたかった。
フルール城の馬術訓練場に隣接する宿舎に、若手調教師のグラファール先生がいる。
僕は宿舎に着くと、そこの一室の扉をノックした。
「グラファール先生、いらっしゃいますか?」
「ん? 何かあったかね?」
僕の呼びかけに応えて自室の扉から出てきた人が、ルジェ・ファーブル・グラファール宮廷調教師だ。
彼は馬の調教に長けた伯爵家の長男であり、老いた父の後を継いで調教師になったばかりの人だった。
「国王陛下からクルールを賜りました。今日から僕が彼の主です」
話しながら、僕は王令が書かれた羊皮紙をグラファール先生に手渡す。
先生は驚いて目を見開き、受け取った羊皮紙を広げて食い入るように見つめた。
「鞭を使わずにクルールを乗りこなす近衛騎士候補生がいると聞いたが、君がそうか」
「はい」
「私もこの目で見てみたい。クルールに乗ってみてくれるか?」
「分かりました。クルールを厩舎から連れてきます」
「私も行こう。あの気まぐれな馬が君を見たときの反応が気になる」
僕はグラファール先生と共にクルールがいる厩舎へ向かった。
向かい合わせの馬房が続く厩舎の中、壁に等間隔で設置された魔道具の照明が辺りを照らす。
入口に近い馬房から、ゴーフルが不思議そうに顔を出した。
ゴーフルの馬栓棒に仕掛けた魔法は発動していない。
僕は彼女の無事な様子にホッとしつつ、綺麗な尾花栗毛の頭を撫でて通り過ぎた。
「んっ? ヴィシュー君、そこで何をしているんだ?」
「せ、先生! たっ、助けて下さいっ!」
厩舎の奥、クルールの馬房が見えてくると、蔦でグルグル巻きにされた赤毛豚鼻男も見えてきた。
異様な光景に、グラファール先生が軽く引いている。
豚鼻男は床に転がり、頬には馬蹄型の痣が出来ていて、顔が腫れて口の端から血が出ていた。
僕は何が起きたかすぐに理解した。
豚鼻男はクルールを虐待しようとして馬房に近づき、まんまと罠にかかったんだ。
おそらく、馬栓棒に仕掛けた魔法が発動して蔦で縛られ、身動きできなくなったところへクルールに蹴りを入れられたんだろう。
「ジェヌール令息、王令により僕がクルールの主となりました。今後は彼に近づかないで下さい」
「なにぃ?! 貴様、平民の分際で国王陛下から馬を下賜されただと?!」
僕はマジックバッグから羊皮紙を取り出すと、書かれた文字が見えるように広げて見せた。
豚鼻男は情けない表情から一転して、ブチ切れ憤怒の表情を浮かべる。
「クルール、おいで」
「クヒヒヒン」
「ふぎっ!」
僕が呼ぶと、馬房の中から鼻鳴きしながらポニー姿のクルールが出てくる。
クルールは通りすがりに豚鼻男の顔に横蹴りを入れた。
今までどれくらい鞭打たれたかは分からないけれど、クルールは豚鼻男が食らう「ざまぁ」を楽しんでいるようだ。
泣きっ面に蜂という感じの豚鼻男を見て、グラファール先生がまた軽く引いていた。
「クルール、今から乗馬に付き合ってくれるかい?」
「クヒヒン」
「驚いた……鞭を使わなければ従わない馬が、こんなに従順になるとは」
僕が問いかけるとクルールは鼻鳴きで答え、その姿をポニーサイズからサラブレッドサイズに変える。
厩舎の出口へ向かって歩き出す僕の後に、大きくなったクルールが続く。
無口頭絡も引き綱も無しで大人しくついてくるクルールを見て、グラファール先生が驚いていた。
月が明るい夜。
馬装スペースでクルールのブラッシングと馬具の取り付けを終えた僕は、一人と一頭で馬場に出る。
クルールは馬場に入った僕が立ち止まると、その隣で四肢を曲げて屈み、乗りやすくしてくれた。
僕は楽に鞍上へ上がり、立ち上がったクルールの脇腹を踵で軽く叩く。
クルールはすぐに発進した。
地球では、馬術のフィギュアスケートともいわれる馬場馬術。
AクラスからSクラスがあり、Aクラスが難易度が低く、L、M、Sと難易度が上がっていく。
(クルールと組めば、最上位クラスの大会もいけるかもしれない)
優秀なクルールに、オッサンちょっと野望を抱いてしまったよ。
地球にクルールを連れていけないから、大会には出られないけどな。
馬の三歩様、常歩、速歩、駈歩は、スムーズに切り替わる。
ピルエットと呼ばれる後ろ脚を中心に足踏みしながら三六〇度回る技も、均等に六~八歩でできている。
パッサージュと呼ばれる、肢を高く上げる弾むような速歩も滑らかに美しくこなす。
前進せずにその場で柔らかく足踏みするピアッフェさえも、思いのままだ。
ピルエット、パッサージュ、ピアッフェは、地球の馬場馬術における最高難度の運動とされている。
クルールは僕の指示に正確に動いてくれて、その全てを成功させた。
「凄いな。クルールが名馬のようだ」
「馬房でやる気なさそうに寝てる奴とは思えない」
ザワつく声が聞こえる。
グラファール先生が唯一の観客の筈が、馬場の柵の外側に調教スタッフや騎士たちが集まっていた。




