56.その少年の名は
「三上総帥閣下。その富士さんという方とお会いになるのなら、私もお供してもよろしいでしょうか?」
翠が唐突にいった。
彩子はあからさまに苦い顔をし、若干の間があってから答えた。
「ぜひとも全員で、とのことです。……それと、グリーンさん。総帥などという階級はニホン軍にはないはずですが、それを閣下と呼ぶのが妥当なものなのか……との質問です」
「ヒーロー戦隊シリーズにおいては、総帥だとか総司令だとかの呼称で隊員たちのボスが登場しますけど、だいたいは閣下と呼ばれていますのよ。それに、誰を閣下と呼ぼうがワタクシの勝手ですわ。そう、富士さんにお伝え下さい。ああ、『人魚』さん経由ですでに聞こえているのでしたわね」
しばらくの沈黙があってから、「では、今日はこれで失礼する」と残し、京子はなんの余韻もなく部屋を出た。
翠と真理亜、由紀もそのあとに続いたが、立花は美沢の亡骸に視線をやったまま、動けなかった。
「さすがに家族のもとには返してやれるのか?」
「そうね、少し時間はかかると思うけど。ともあれ、事後の処理は海軍諜報部にまかせておいて」
「わかった」立花は美沢に向かって手を合わせてから、踵を返した。
外に出ると、ここが歓楽街の雑居ビルであることがわかった。
翠いわく、潤一郎のピンク追跡プログラムは街中の監視カメラを主な情報元としているので、山奥や海に出られると追跡できなかったそうだ。
そうか、運が良かった……。
立花は独り言ちながら、騒然とした夜の歓楽街を眺める。科をつくる客引きのホステス。喚き散らしちらしている学生の団体。青い顔で座り込んでいる酔っぱらいのサラリーマン。
その喧騒が、生きていると実感をもたらす。
たとえ一つでも歯車が噛み合わなかったら、俺は死んでいたのだろう。
そう考えると身体が震えだした。おさまれおさまれ! いいながら両腕で肩を強くつかむも効果はなく、やがて視界が暗くなってその場に倒れた。
目を覚ました立花は数秒ほうけていたが、やっと自室のベッドの上にいるのだと気付いた。
「騒がしいな……」立花はつぶやき、鉛のように重い身体を起こす。
部屋を出てリビングのほうに行くと、由紀と真理亜にくわえて京子と翠もおり、机を囲んで宅配ピザを食べていた。
由紀がふり向き、ピザを片手にいう。
「パパぁ、大丈夫? いきなり倒れるなんて、気絶しちゃうくらい怖かったんだよね、可哀相に。でも、これからも私が守ってあげるから安心して」
由紀のモノイイにはカチンときた立花だが、彼女たちのおかげで生きていることには、素直に感謝したかった。
特に京子には、ちゃんと感謝と謝罪の気持ちを伝えたい。
「すまない、『人魚』にいいようにやられた。総帥の忠告どおりだったな」
「謝罪の必要はない。結局、『人魚』こと相馬彩子に迫るのは、この案件には必要なことだった。今回はピンクが『人魚』を呼ぶ餌となったが、どのみち誰かが餌を演じる必要があった」
「そういってくれるとありがたいが……次は総帥が『ママ』をおびきよせる餌となるわけだな」
「そうなる。餌として善処するから、バックアップはお願いしたい」京子は黒目勝ちな瞳をまっすぐ、こちらに向けた。
「まかせてくれ」立花は頷き、それにしてもと、前置きをしてから続ける。「海軍大将に名指しされたな。それって凄いことじゃないのか? 陸軍ではなく、海軍でキャリアを積むのもアリでは?」
「それは考えもしなかったな」京子は眉をあげた。
「昼過ぎのカフェでは大人げない皮肉をいっちまったが、やはり総帥は軍のしかるべき地位に返り咲いて、軍人として活躍すべきだと思う。それが海軍でもいいんじゃないか? 総帥が女だてらに優秀すぎるなんて理由でつまはじきにした陸軍なんかより」
「私が陸軍からはじかれたのは、もう少し込み入った事情がある」京子は苦い笑みを浮かべる。
「込み入った事情? 建前上は、モデルガンで幼稚園に立てこもった少年を射殺したことが問題視されたんだったよな。それが誤った判断とは思えないが……。ああ、確かその少年の名は阿川翔吾といったな。阿川某という大臣がいたはずだが、ひょっとしてババふんじまったか?」
「なんの話をしているのだ?」京子は目を細めた。
「込み入った事情というのが、射殺した少年が実は大臣の親戚だったとか、そういう話なのかと思ってだな……。いらぬ詮索だったな。すまない」
「そうじゃなくて、私が射殺した少年はアガワショウゴなどという名ではない」
「そうなのか? 俺が使っている情報屋から手に入れた軍の機密文書では、阿川翔吾となっているはずだが……」
立花はコンソールを操作し、文書のスキャンファイルを確認した。やはり、阿川翔吾だ。
「任務とはいえ、十五歳の少年を射殺したのだ。そんな私が、彼の名前を間違えることなどありえない」
京子は首をふってから、その名を口にした。立花は頭をハンマーで殴られたほどの衝撃を受けた。
「聖くん……だというのか……」眩暈を覚えながらつぶやく。
聖の母親の名は、灯だ。つなげると『聖なる灯り』となる。さらに灯は色白で肥満だ。彩子がいっていた人相とも一致する。
そういえば一年前、聖の葬儀に参列したあと、「おもしろい人を見かけましたぜ」と江見がいっていた。軍では一国一城の主とまで言われる「大佐」の肩書を持っていた男だ。
考えれば考えるほど、点と点がつながっていく。
立花は家を飛びだし、コウベ署に向かった。




