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46.人魚の幻影(2)

数瞬ほど眼を見開いていた京子はやがて、「気のせいか」とぼやく。


相手の顔を確認できるような距離ではない。立花たちを案ずる想いが、ただの人影を『人魚』にしてしまったのだろう。


あれこれ考えているうちに、車は橋をとおり抜けた。ふうっと息を吐きながら、数時間前のことを思いだす。


海沿いのカフェで一条から連絡があったあと、立花がいなくなった経緯を翠に説明した。


「そういうことであれば、ワタクシがピンクをサポートいたしますわ。イエローとブルーでは心もとないでしょうから」


「危険だから私がやる、といいたいところだが……任せてもいいか?」


「もちろんですわ。多少のことはワタクシたちに任せていただいて、総帥は今やるべきことをお願いしますわ」


わかった、とその場では頷いた京子だが、早くも後悔していた。彼女たちは誓いを立てた軍人ではない。何かあったら、どう責任を取ればいいのだ……。


いや、責任などと考えること自体が思いあがりなのだろう。立花は自身の使命に準じて『人魚』を追っている。真理亜にいたっては、京子が責任などという言葉を持ちだせば、逆に腹を立てるのだろう。



七時二十分。第七アイランド第四倉庫街に着き、車が止まった。京子は車から降りた。灯りは少なく、ヒヤリとした潮の風が身体を包む。


辺りを見回す。


かなり古くからある倉庫街で、コンクリートの四角い建物が、規則正しく並んでいる。大きな船が着ける港が第七アイランドにはないため、使用率は落ちる一方だ。


いっそうのこと、海に戻して海路を広げた方がいいのではないか? そんな話も出ている。


周辺の建物も確認するために京子は歩きだした。大方の確認をしたところで、今から会う相手のことを考察してみた。


一条という諜報員を抱えて暗躍する組織のボス……。あの海軍から機密事項を引っぱれる機関などそう多くはない。


それこそ大国の諜報機関か、二ホン陸軍ぐらいのものだ。


そんな大所帯がいったいなにを企んで、軍に弾かれた元准尉なんぞに接触してきたというのか……。


京子はさきほど目にした『人魚』の幻影を思いだし、一案が脳裏をよぎる。


もし、『姫』が『人魚』だとしたら……自身が所属する海軍の機密事項などたやすく集められるだろう。


立花の推測どおり、さらに『ママ』となりえるのも、難しくはない。逆にいうと、陸軍や他国のエージェントでは、『ママ』になりえるのは困難が過ぎる……。


京子の中で『人魚』の存在がどんどん大きくなっていく。


そもそも、あのとき見たのは本当に幻影だったのだろうか? 確かに、あの距離で『人魚』と判断するのは不可能だ。


だったらなぜ、あれを『人魚』だと思ったのだろう。論理的な説明はできない。しいていうなら、勘だ。


京子は戦地で、「勘が鋭い」とよくいわれた。ジャングルで潜伏している遠くの敵兵からの攻撃を、事前に察知して回避することがしばしばあったのだ。論理的な説明は難しいので、自身も勘と表現していた。


だが実際には、どうだろう? 風の音に微かに混じるノイズ、どこか不自然な葉や枝の揺れ、普段とは少し異なる鳥や小動物の動き……それらを五感でキャッチし、総括した上での判断なのだろう。


つまり、勘などではなく京子の戦闘技術の一つなのだ。だとすると、気のせいで蓋をすべきものではない。


自分の力を信じろ、あれは幻影ではない。『人魚』だ!


京子は拳銃を握り、すっと倉庫の陰に入った。そして、神経を研ぎ澄ます。どこかに『人魚』が潜伏しているかもしれない。


倉庫街は広すぎるので、こちらから見つけるのは無理だとしても、集中していれば向こうから近づくぶんには察知可能だ。


そのまま時が過ぎた。コンソールで確認すると、あと一分もすれば二〇時だ。


京子はふうっと息を吐く。直後にピクリと肩を震わせた。


微かに足音がした。さらに耳を澄ますともう一歩二歩。


ただ、足音にしては妙な響きがある。ずしりと重い感じだ。


京子は倉庫の陰から顔をだし、目を凝らす。その瞬間、何かが光り、京子は飛び退いて倉庫の陰に入る。


直後にコンクリート片を撒き散らしながら、倉庫の壁の角が砕ける。一秒遅れたら、顔が吹き飛んでいた。


『クロガネ』だ! 京子は隠れた倉庫から飛びだす。


クマのように大きな身体に奇妙なほど小さい頭部の影が、走り迫ってくる。


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