29.ピンクの休息
言葉の意味を確認すると、『クロガネ』はまったくの不明だが、『ニンギョ』は誰もが知っている『人魚』でいいとのことだった。
ただ、両方とも海軍のコードネームなので、それがなにを意味するかはわかっていない。人なのか、物なのか、場所なのか、はたまた作戦名なのか。
「『聖なる灯り』を調べたら、やはり海軍の機密事項にいき当たった、ということか?」
「そうなりますわね。潤一郎はやる気満々なので、継続して調査させます。なんでも、ここからが腕の見せどころ、らしいですわ」
「よろしく頼む」立花は翠に頭を下げた。「ちなみに、どれくらいかかりそうなんだ?」
「潤一郎なら大抵のことは一日で調べられるはずですわ。ともあれ、随時報告はしてくれるので、それを待つしかありませんわ」
「わかった。海軍の情報が手に入るというのなら、いくらでも待とう」
立花は大きく頷く。前に進んでいる感が、素直に嬉しかった。これでこそ、暴行されたうえに銃で撃たれた甲斐があったというものだ。
「そぉすーい」隣に座る由紀が手をあげた。「時間がかかるなら帰っていい? パパの顔色が悪いのぉ」
「たしかに、ピンクは休んだほうがいいだろう」京子が頷く。
「待て。俺は大丈夫だ」
「いや、まだ無理をする場面ではない。少しでも回復に努めてくれ」京子の口調には、有無をいわせない迫力があった。
「わかった、いったんは帰ろう。だが、潤一郎氏からの報告があったらすぐに知らせてほしい」
「了解した」力強く首肯する京子を見て、立花は立ちあがった。
午後三時すぎ、勤務時間内であるのはもちろんのこと、課長の石倉からなんども電話があったようだ。
だが、コウベ暑に戻る気にはなれず、車で直帰することにした。由紀と真理亜も同乗していた。
家に着くとシャワーでさっと汗を流してから、リビングに入る。由紀が寝そべってテレビを見ていた。
立花としては、彼女たちと顔を会わせるたびに「出ていけ」といっているので、真理亜をリビングで見かけることはなくなった。立花が在宅のときは不法占拠している部屋にこもっている。
だが由紀のほうは、なにをいっても響かない。どういう思考回路をしているのか不思議でならないが、立花に養ってもらうのが当然だと思っているようなのだ。
忌々しげに由紀を見やってから、サイドボードから焼酎とグラスをだして、座卓の前で胡坐をかいた。
今の状態でアルコールを入れるのは、身体への負担が強すぎる気もするが、しらふで寝ると悪夢にうなされそうな予感があった。
「パパぁ、お酒はやめといたら?」
そう由紀はいったが、立花は無視してグラスに焼酎を注いだ。
「だめだってばぁ」由紀は立花の背中にぴたりと身体をよせ、白い腕を立花の首元にまわした。
まるで恋人が甘えているような仕草だ。今までこんなことはなかった。
「なんの真似だ」と冷たい声で返した。
「今日のことでね、私、気付いたの。今までのパパがいなくなったのは、私がちゃんと守らなかったからだと」
「なんの話を――」とだけ発し、続きの声はだせなかった。
息もできない。
ほっそりと脆そうな由紀の腕が蛇のように絡みつき、喉を絞めあげてくるのだ。
「大丈夫だよぉ。ぐっすり眠れるような落としかたにするから」
ふざけるなっ! 立花は声にならない嗚咽のようなものを漏らして抵抗するも、すぐに意識が遠くなった。そして、最後に覚えているセリフはこうだ。
「猫のミルク買いたいから、財布からお金もらってくね」
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キャットミルクが入った袋をさげて、河川敷を進む。真理亜が以前住んでいたブルーシートのテントが見えてきた。そこで五匹の猫を飼っている。
もともとは野良猫だったのを、餌をやって慣らしていったのだ。
「毎日きてるのか?」真理亜がいった。
「朝と夕方の、毎日二回だよ」
「暇なやつだな」真理亜は鼻で笑った。
はじめに誘ったときには、「猫なんぞに興味ない」といっていた真理亜だが、なぜか今日はついてきた。口にはださないが、面倒だなぁ、と由紀は思っている。
着いてすぐに、真理亜がテントの入口を乱雑に開けた。中には十歳ほどの少年と、それに群がる猫たちがいた。
「今朝もいたな、ボウズ。ナニモンだ?」真理亜はその少年に鋭い視線を浴びせる。
「お友達だよ。ラン君っていうんだ」由紀はランに手をふりながらいった。
ランとはじめて会ったのは一週間前、このテントでのことだ。
今日と同じように、由紀が猫の様子を見にくると、ランが猫と戯れていた。それから毎日、ランはここに訪れているようだった。実際に顔を会わせるのは五回目だが、すれ違いとなったときでも、掃除や餌の補充をしているので、来たということはわかっている。
「こんにちは、お姉ちゃん」ランは由紀に微笑んでから、真理亜を見た。「オバサンこそ、誰?」
「オバサンだとっ!」真理亜は目を剥いた。
「この人は真理亜ちゃん。私よりも年下だから、お姉ちゃんって、呼んであげてね」
「うん、わかった。よろしくね、マリアお姉ちゃん」ランは無邪気に手をふった。




