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18.立花の決意

ぶよぶよと太った白い女は、ワインをラッパ呑みしながら、タブレットサイズのコンソールを操作する。


見知った顔が表示され、その指が止まった。


「悪徳刑事……か……」


女はワインを呑み干し、しばらく苦い表情をしてから、タブレットを操作して電話をかける。


「おはよう、ママ!」少年の元気な可愛いらしい声が返ってきた。


「しばらく、会ってないわね。最近はどう?」女の声は甘く、優しく、そして切ない。


「お友達ができた! 一緒に猫を飼ってるの!」


「そう」と頷いた女は、しばらく世間話をしてから本題に入った。


「お仕事よ、蘭」




    ■□■□■




立花の担当するマフィアでゴタゴタがあり、家に着いたのは深夜零時を過ぎていた。


立花が住んでいるのは埋立地の賃貸マンションで、離婚した三年前からそこにいる。


独り身に3LDKは広すぎる気もするが、寂しく想ったことは一度もない。独りのほうが性にあっているのだろう。


家庭の都合にふり回されることなく、刑事の仕事に没頭できる。立花としては今の生活に、特に不満はなかった。


そんな日常をぶち壊したのは由紀と真理亜だ。


テロ事件の翌日、仕事から帰ると彼女たちはベランダのガラスを割って侵入していた。


問いつめると、どうにも由紀は、立花に生活の全てをみてもらうのが当然だと思っているようなのだ。


相手にしてられないので、その日は力づくで追いだすと、あきらめて去っていった。


だが次の日、帰宅するとまたもや由紀と真理亜が部屋にしのびこんでいた。ただちに追いだしたが、由紀が「パパ! パパ!」と泣きながらドアを激しく叩きだす。


すぐにいなくなるだろうと無視していたが、あまりにもしつこいので、「やかましい!」と怒鳴りながら外に出ると、隣人に警察を呼ばれる寸前の状況となっていた。


警官なんぞに来られたら、笑い話にもならない……。


立花はなんとか怒りをおさえて、二人を家の中に入れた。それから奇妙な共同生活がはじまり、もうすぐニ週間が経とうとしている。



リビングに入ると二人はいなかった。すでに彼女たちの自室で寝ているのだろう。自室とはいっても、物置として使っていた二部屋が、勝手に荷物を放りだされて占拠されているにすぎない。


立花はシャツとスラックスを脱ぎ捨てて胡座をかき、タバコを吹かしながら酒をあおった。


妻と娘がいる頃はできなかったが今は自由、といいたいところだが、ここ数日はそうでもない。真理亜がリビングにいると、酒臭いタバコ臭いとうるさいのだ。


二本目のタバコに火をつけたところで、電話が鳴った。課長からだった。


マ対課の後輩である井川が殺された、との連絡だ。数瞬は唖然としたものの、すぐに立花はコウベ署に戻った。


十階のマ対課エリアに行くと、数人の刑事がいた。立花と同じように駆けつけたのだろう。


「課長は?」


「今向かってます」この中では一番若い浅山が応えた。


「井川はまだここの地下か?」


コウベ署の地下には霊安室がある。


「ええ。井川さんのお嬢さんが来られたので、江見さんが案内しています」


「井川は酷い状態だと聞いたぞ! 中学生に見せるものじゃないだろ!」


「僕に怒らないで下さいよ! 江見さんの判断です!」


立花は舌打ちを落としてから、エレベーターに急いだ。江見は井川の同期だが、仲は悪い。


霊安室に入ると井川の遺体の前に、娘の雫が立っていた。部屋の隅にいた江見を睨んでから雫の隣に立つ。雫は眼を細め、じっと井川の亡骸を見ていた。


戦地で機関砲でも喰らったかのように井川の身体はボロボロで、死体には慣れっこの立花ですら見るにたえない状態だった。


雫には何かいってやるべきなのだろうが、かける言葉など見つからない。


「おじさん」しばらくして、雫が静かにいった。「検死解剖があるんでしょ。お父さんが家に戻るのに、何日ぐらいかかるの?」


「……三日、ぐらいだ」


「そう……。でも、もうすでに解剖されたみたいに、なっちゃってるね」


「今日は帰ろう。車で送る」


「うん、ありがと」か細い声で、雫は答えた。




無言のままコウベ署の駐車場に行き、立花の車に乗り込んだ。そして雫は、せきを切ったように話し始めた。


「タバコくさーい。おじさん、まだ吸ってるの? お父さんはとっくに止めたよ。あっ、そういえばおじさんの車乗るのっていつ以来だろう。おじさんが離婚する前だから、えーと、皆でキャンプいったときだね。あのときは、おじさんがわざと砂利道走るから、珠理奈ちゃんが車酔いしちゃったんだ」


立花は適度に相槌を打ちながら、空元気であろう雫の言葉に耳をあずけた。



大学時代、剣道部の後輩でもあった井川は、同じ釜の飯を食った仲だ。


基本的には先輩をたてるが、いいたいことはずけずけという。そのバランスが立花には丁度良くて、学生の頃からよくつるんでいた。


井川は立花を追うように警察の門を叩き、お互いに何度かの異動があってから、奇しくもマ対課で合流することになった。


「ねえねえ、おじさん。すっごいこと聞いていい? あのさ、お母さんとキスしたことがあるって本当?」


「そのおかげで、うちは離婚になったんだ」


「えー!」


「冗談だ。まあ、雫のお母さんとは幼馴染だが、昔からそういう困った嘘をいうんだ」


「怒らなかったの?」


「怒ったけど、ききゃーしない」


雫の母親、菜々美は年子の妹の親友で、小学生の頃から立花の生家によく遊びに来ていた。三人で遊ぶことも多かったので、妹が増えたような感覚でいた。


とはいえ中学にもなると意識が変わり、高校になるとお互い意識しあっていると感じる瞬間がままあった。


それでも立花は踏み込まなかった。なぜだろう……今の関係を崩したくなかったからだろうか? 立花自身にもよく分かっていない。


二十代も終盤に差しかかったころ、井川と菜々美の三人で呑むことがあったのをきっかけに、あれよあれよで二人は結婚してしまった。


やがて立花もコウベ署の事務員と結婚して、娘の珠理奈が産まれ、井川とは家族ぐるみのつき合いが続いた。


そして、菜々美が交通事故で亡くなったのは二年前、さらに今、井川も……。雫は十三歳で、天涯孤独となってしまった。



井川がローンで買ったマンションの前に着き、車を止めた。助手席の雫は車のドアを開けるも、降りようとはしなかった。


「一人は寂しいな。俺でよければ、今日は泊まろうか?」


「大丈夫だよ」雫は首をふった。「でも、おじさん。一つ、無茶なお願いしてもいい?」


「ああ」


「犯人はおじさんが捕まえてね」雫は泣きながら車から出ると、何かに追われているかのように、マンションへ駆け込む。


タバコを一本吸ってから、立花は課長の石倉に電話をかけた。


「立花です。申し訳ありませんが、俺が担当してる案件を全て他に回して下さい」


「なに勝手なこといってんだ。てかお前、どこにいるんだ?」


「俺は井川の件を調べます」


「おい、立花! ふざけてんのかっ!」


「やるといったら、俺は絶対やります。課長も俺の性格は知ってるでしょ」


石倉の怒鳴り声が帰ってきたが、無視して電話を切った。


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