回天――三島公威
「いったいどうしたんだ、公威くん。いいじゃないか」
興奮した様子で古賀は紙の束に目を落とす。あまりに興奮したせいで、いつものように平岡先生と呼ばずに、プライベートでの名を呼んだ。
いつものファミレス。あらかた客はひいたとは言え、多少はいる。それすらも忘れたような声音だった。現にいくらかの客たちは、彼らが座っているボックス席を何事かと見つめてきている。
「……はぁ」
三島はそんな彼らの視線が気になってしまい、いつもよりも更に小さな声で零し辺りを見渡すと、肩をすくめた。
「いや、いいよ。この瑞々しい筆致。素晴らしい。死に向かうというのに――いや、だからこそか。こっちが赤面してしまいそうな真っすぐさ。そうそう、こういうのを待っていたんだ」
先月、古賀にプロットを見せた時は期待してないようだったが、本文を読み始めるとこの有様だった。三島自体は変わったつもりはなかったが、古賀はこれを待っていたとばかりに褒めちぎる。
いや、変化はしているのだ。だが、たった一人の少女と出会っただけで変わったと三島自身が認めたくないだけだった。
「うん、平岡先生。これは絶対に世に出しましょう。天才復活だ。いやぁ、今からアオリが目に浮かぶようだよ」
「天才、ですか……?」
「言っているじゃあないか。君は間違いなく才能があるって」
確かに言ってはいたが、それはいつも古賀の顔が真っ赤になっているときだけだった。三島は酔っ払いの戯言だと流していたが、どうやら古賀も彼と同じように小心なようである。
「それにしてもいったいどういった心境の変化だい? 平岡先生はこういった真っすぐさは嫌っていたように思えるけども」
「変化ってほどではありませんが、まぁ色々とありまして」
「お、もしかして浮いた話かい? 君にはそういうのなかったから気にはしてたんだが」
「ち、違いますよ!」
「本当かなぁ。それはそれとして、プロットに変更は?」
「そこは大丈夫ですが、ただちょっと時代考証が怪しくて」
「史料は?」
「ありますが、手元のものだけだとちょっと……」
「普段であれば勢いでと言うんだが、これは確かにテーマがテーマだ、必須だろうね。こっちでも当たっておくから平岡先生は、今のまま続きをどんどん書いてください。詳細はこっちでツメるからとにかく今はどんどん書いて」
「分かりました」
「それにしてもこんな引き出し持っていたとはなぁ……」
そう呟きながら、古賀はまた紙に目を落とした。
三島が書いたものは、半世紀以上昔の大戦だった。ぼんやりと構想は思い浮かんでいたものの、古賀が言うように何かが足りないと感じていたから今まで書かなかった題材。書く気になったのは、もちろんあの日の少女の影響で、だった。
あの日、彼女は三島に真っすぐな目を向け「書くべきです」と断言した。
「書くべきです。絶対に」
「そうかなぁ」
少女の力強い瞳は生涯忘れることはないだろう。
あれから半年近く経つというのに、彼女の吐息すらも鮮明に思い出せる。
ヘンドリクス『マシン・ガン』の大胆なアレンジ。
挽きたての豆の香り。
彼女が断言した瞬間、カウンターに立っていたマスターがくしゃみをして、ばつの悪そうな顔をしていた。
週末の新宿だと言うのにカフェの客は三島達以外なく、まるで切り取られた空間にいる気がしたことも覚えている。
「平岡先生が面白いと思うものを書かないと読者は楽しめませんから」
そういって少女は件の本を挙げる。
「これ以降は楽しんでるように思えないんです」
「それは……」
図星だったからこその絶句だったのだが、少女は失言だったとばかりに深々と頭を下げてきた。
「すみません、素人が偉そうに」
「いえ、その通りだと思います。ぼくは確かに楽しんでませんでした」
「……そうなんですか?」
少女がまるで怒られた子供のようにしゅんとしているので、三島は可笑しくなった。笑いを堪えるための立ち上がり、マスターへ向き合う。
「すみません、ピープル・ゲット・レディありますか?」
マスターはひとつ頷くと奥へと消える。レコードを取りにいったのだろう。
「ブルースもお聴きになるんですか?」
「カーティスじゃあありませんよ」
それからしばらくするとサックスの音が聴こえてきた。次いで、三島が聴きなれたドラムの音。
「トニー・リーダスのピープル・ゲット・レディ……」
そう零したので、三島は目を見開いた。
「よくご存じでしたね」
「インコグニートは兄が好きでよく聴いていたので。マスターピースのひとつです」そう微笑む少女。
「道理で。お若いのにジャズが好きとは聞いてましたが。おっと、女性に年齢の話題はよくないですね。すみません」
「気にしませんよ」
にっこりと笑うと、少女は歌詞を呟き始める。
歌詞もそうだが、発音も完璧に近い。言葉遣いや物腰といい、おおよそ高校生とは思えない。どこか達観した、老練という言葉を近く感じさせる所作。だから先ほどのように年齢相応の態度を見せるとどこか可笑しくなってしまう。だが、それすらも彼女は計算してやっているのではないか。思春期特有の歪さをこの少女は持っていない。
――だからこそ、こうやって会話が通じているとも言える。
三島は窓に映った、自身の無精髭が残った顔を認めると、自嘲気味に頭を振る。
そんな三島を彼女は楽し気に見つめる。ころころと表情を変える少女にいつしか三島は魅せられていた。いや、魅入られていた。
だから書くのだ。それが死神の掌の上だと気付いたとしても。
感想をいただけると励みになります。




