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冴鬼奇譚  作者: 山田太朗
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空転――大石三郎

「大石ぃ! 貴様やったことが分かっているのか!」

 雨でけぶる冴鬼本家に、敏夫の怒号が響き渡る。巨躯を怒りに震わせるその様は、仁王を思わせた。その彼の足元で、こちらも巨躯を折り曲げて地に頭をこすりつける大石が恐怖に震えている。

「申し訳ございません!」

 ただそれだけを繰り返している大石を踏みつけかねない勢いの敏夫の肩に手が置かれた。

「こいつをどうこうを決めるのはお前じゃねぇだろ。おい、大石顔上げろ」

 やけに嗄れた声が聞こえてもなお、大石は顔を上げない。そればかりか、声を聞いただけでその主を判断できたせいか、更に身体をこわばらせた。

 冴鬼家次男の通孝(みちたか)である。

「敏夫よ、長兄や(おれ)がいないなか気張るのは分かるが、そう怒鳴りつけるだけじゃあ人は使えんぜ。清濁(せいだく)併せ飲む器量がないから大事を任せれんのだって気づけよ、なぁ」

「しかし、通孝兄ィそれじゃあ示しが……」

「真っすぐなとこはお前の美徳ではあるが、まだ家を任せるには足りんな。おい、大石()()を抑えられた?」

 その言葉を聞いた大石がびくりと頭を上げた。和服を着ている老人がニヤニヤしながら顎を掻いていた。禿頭に刻まれた皺がそれに遅れて笑みを作るために寄ってゆく。通孝独特の厭な笑みだった。

「通孝様、どこでその情報を……」

「はん、お前はただ己がのんべんだらりと経済回してるだけだと思ってんのか? 情報が大事ってのは、お前が餓鬼の頃家に来てから口酸っぱく教えてきた事だろうが、一歩出たら冴鬼のやり方は忘れたってか?」

「おい、通孝兄ィなんだそれは?」

「敏、お前はもういい、大御所様に付いてろ」

 何か言いたげに敏夫は屋敷の奥へと向かった。冴鬼家は絶対君主制度を敷いている。上の命令は絶対なのだ。敏夫が消えるのを待って、ようやく大石が口を開く。

「仙台です。地盤を抑えられてはどうしようもありません」

「だろうな。急所は金で買えんだろうし、()()()もよく理解している」

「通孝様はすべてをお分かりで……?」

「お前も質問が軽いな、大石。それを理解した上で家に来たんだろ」

「まさしく、御慧眼(けいがん)でございます」

「上ッ面の挨拶はどうでもいい。今長兄と落としどころ探っているってのに。ったくお前も面倒持ってきやがって。今日はもういい。連絡待ってろ」

「は、失礼いたします」


 扉が閉められて更に一分ほど経ってようやく大石は顔を上げた。

「先生、着替えはどうなさいますか?」

 音もなく大石の隣に宮田が立っていた。

「いらん」

 それだけ言うと、大石は冴鬼から逃れるかのような足取りで車へと向かう。宮田が何か言う前に、ずぶ濡れのスーツのまま座席に座った。

「宮田、車のGPSを切れ。携帯もだ」

「は?」

「何度も言わせるな」

「しかし先生、このタイミングで切るとなれば、また冴鬼家に何を言われるか」

「構わん」

「……分かりました」

 宮田が運転席に座り、GPSの操作が終わるのを見届けた大石が「どう思う?」と問うてきた。

「あの失言ですか?」

「分かっているじゃないか。通孝は、はっきりと『お前も』と言った。他方の有事に心当たりはあるとこっちも理解しているだろうに、奴らも焦っているのか、それとも意図的なものなのか」

「先生、まだ冴鬼家敷地です」

「盗聴はない。心配するな」

 大石は冴鬼のやり方を知悉(ちしつ)している。公用車や、公務に使う携帯電話にGPS装着を義務づけるといった危うい法は鼻歌混じりで通すのに、黒いところだけは放置。こういった逃げ道を作っておくのはいかにも陸軍総帥、冴鬼優馬らしい手口と言える――いや、この法案を通したのは先代だったか。ともかく。

「それで、どちらに向かいますか?」

「海軍省へ向かえ。勅使河原(てしがわら)海軍大臣にもうアポはとっている」

「先生……何故そんな大事を私に無断で……」

「賭けだ。いつまでも冴鬼に頼っていては大日本帝国が()を脱する事など夢でしかないからな」

「それで勅使河原ですか……奴ら海軍についた所で妾扱いなのは変わらないと思いますが」

「それは失言ではないか? 海軍は陸軍ほど道理が通用する訳じゃないぞ」

「……取り消します。失礼いたしました」

 それ以降会話はなかった。大石は窓を見る。冴鬼家に訪れると必ず雨だな、と益体もないことを考えながら、賭け額の計算を始める。天秤に乗せるものが真なる民主主義国家と、自身の命程度で吊りあう訳がない。だから冴鬼優馬と勅使河原昭雄(あきお)の両横綱も乗せる。

 冴鬼家は今、混乱の極みにある。大戦の前から権勢をふるっていた大御所の姉妹が余命を察して引退を決したことに乗じて、数多もの組織が動き始めたのだ。時代が動く隙を見逃すような甘い連中は冴鬼家の周辺にありはしない。大が動けば小も動く。その中でもとびきりに小さい大石を冴鬼が気にかけるとは、大石自身も考えていない。だからこそのパフォーマンスだった。ここで冴鬼家を訪問することで、彼らは今まで視界に入れすらしていなかった大石を、多少なり意識したであろう。そのせいで警戒されることも織り込み済みだった。

 大石はこの賭けに、文字通り『(すべ)て』をベットしていた。自身だけではなく、取り巻く総てを。

 これ見よがしにばら撒いてある書類に目を落とす。

 これは賭けだ。冴鬼家の監視カメラの画質が良いものであるのか?

 これは賭けだ。一見では解けない難解なパズルのような文字の羅列、その正答を冴鬼家が捕まえることが出来るか?

 これは賭けだ――大石が冴鬼家当主を暗殺する前に、奴らが回答にたどり着けるかのチキンレース。ブレーキを踏むつもりは毛頭ない。


「……追いついてみろ、冴鬼優作」


 宮田に聞こえないほどの呟きが、雨とともに流れていった。




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