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冴鬼奇譚  作者: 山田太朗
11/12

句点――冴鬼優作

「どういうつもりだ、富嶽?」

 優作はぴかぴかに磨き上げられた床を見つめながら言う。普段であれば微かに音楽が流れ、薄暗いはずのファムファタール店内のVIPルーム。すでに千葉と美作は席を外している。この小さな声がやけに響くほどの静寂。

「分かっているでしょう、優作さん。もう反抗期は終わらせないといけませんよ」

 富嶽敦は悠然と足を組んだまま、まるで子供に言い聞かせるようだった。照明に照らされて、彼の上等なスーツは微かに光沢を放っている。優作は自身が着ているよれよれのジャケットを見て顔を顰めた。

「オヤジの差し金か? それとも当主様か?」

「それをいう事は禁じられております」

 それがまさに答えではないか、優作はそう言う代わりに富嶽の顔を睨み付けた。


 富嶽敦。王朗会幹事長。つまりはナンバーツーであり、実質的なかじ取り役。痩せぎすな身体をしていて、一見ではヤクザ者と判断できない。それは表の顔で、実際は冴鬼優馬の子飼いの一頭、しかも優作の教育係でもある男だ。

 冴鬼家は裏社会にも歴然たる影響力がある。表向きは暴力団排除などと謳っておきながら、実態はこんなものだ。西に本家を持つ最大の暴力団は、次男である通孝が管理していると優作は訊いている。ゴシップ誌なんかで書かれている裏社会最大の緊張状態なんてものはなく、実際は冴鬼家主導のマッチポンプだった。

 だからこそ、優作は彼らと関わりのない中華系の組織や、シチリアの流れを汲む韓国系マフィアとしか仕事をしていないつもりだった。千葉との関係も王朗会本家ではなく、流れの中華系窃盗団との関りで得たものだ。いつかはこういった日が来ると分かっていても、ヤクザ者との関係を断つのは難しい。歌舞伎町では特に。先伸ばしていたツケを払う日がとうとう来てしまったという事だろう。


「本家に連れ戻せとでも言われたか?」

「いえ。優作さんが元気にしているかの確認だけだと仰せつかっております」


 嘘だろうと優作は瞬時に判断した。優作が定期的に連絡を取っているのは、妹である幽と春日の二人だけだ。妹が可愛いというのもあるが、彼女たちには優作の場所を知りうる術がないと判断したから、冴鬼の状況を知るために連絡を取っている。優作は言わば彼女たちを利用していた。冴鬼とはそういう家なのだ。

 血の繋がった家族ですら信用ならない。妹たちは知らないが、少なくとも優作はそうやって育てられてきた。これが父である優馬の命令であれば、こうやってのんびりと会話などしていない。ファムファタールに入る前に輩に囲まれ、気付いた時には冴鬼家の牢座敷にでも監禁されているだろう。その富嶽がこういったあからさまな嘘を吐く時は、彼の独断であると優作は教えられてきた。

「つまり、本家の騒動に動きがあったという事か?」

 富嶽は無言のまま、フチなしの眼鏡を持ち上げた。これは二人の間での決めごとの一つだった。正答の意味である。

 優馬の差金ではない、そして、俺の居場所を知っている(あるいは調べることのできる)人間は冴鬼本家にそうはいない。通孝や、敏夫では調べることすら許可されていないのだ。冴鬼という家の特殊性もあるが、絶対君主制を敷いている本家では、その他に『序列が下の者は、上の者を調べてはいけない』というルールがあるせいだった。優作は冴鬼本家序列第三位である。上には当主である幽と、実の父である優馬しかいないのだ。そのどちらのやり方でもない、つまりは……。


「なるほど、大御所様の差金か」


 富嶽ははっきりと笑い、もう一度眼鏡のリムを持ち上げる。

「なるほどな、ただそれは富嶽本人が動いてくる理由でもあるのか? 違うだろう?」

「私が帝都まで出てきたのは別件ですが、そうでなくとも本家の命令には逆らえませんよ」

 富嶽の本邸は別の県にあり、ヤクザ者にありがちな義理事以外に帝都に出てくるのは稀だと聞いている。

「別件? つまり本家の会長が?」


 ここで言う本家とはもちろん冴鬼の事ではない。王朗会の会長、つまり頂点にいる男は若い時からの酒好きが祟って肝臓を壊し入院していた。ここまでは週刊誌などに書かれている誰でも知りうる情報である。だが、実際は癌が転移しており、医者も匙を投げているそうだ。それなのに緩和ケアに移行していないのは、彼がヤクザ者であるからに他ならない。

 ここで問題となるのは、西の暴力団最大組織の長もほぼ同時に病に冒されており、こちらも余命幾ばくという話である。(表向きとはいえ)緊張状態にある両団体のトップが同時に死ぬとなれば、この国の裏社会は荒れるだろう。それを隠すため――という建前があるが、実は冴鬼本家の問題が大きいから、というのが真相である。要は、裏社会なんてどうもいいから冴鬼のゴタゴタが収まるまで大人しくしていろ、という事だった。酷い話ではあるが、これが大日本帝国の実態であり、冴鬼本家、影響力の大きさでもある。


「……長くはないのか?」

「残念ながら、持って数日との診断です」


 優作はそこで考える。もしかしたら死神が囁いたのは、ヤクザ者のトップ二人ではないのか?

 首を振る。そんな訳がない。()()()()()()冴鬼本家の代替わりが既に済んでいるとはいえ、女系に恵まれなかったのは確かなのだ。軽く計算しても五十年は当主が代わっていないと考えると、死神が囁くのは一人しかいないだろう。優作はラジオやテレビ、はてはウェブニュースですらも話題を独占し続けているあのお方を思った。

 下男の小笠原あたりが言いかねない開闢以来連綿と続く冴鬼なのだ。その間に死神との付き合い方をも、理解しているはずだった。だが、現在を見るととても上手くいっているとは思えない。優作ですらそう考えている。優馬や大御所の気苦労など想像もつかなかった。


「とは言え、こちらが本件であるというのも事実です」

「なるほどな、じゃあ縁ばあちゃんに伝えてくれ、優作は元気にゲロ以下の仕事やってるって」

「いえ、違います。私が命令を受けたのは緑様からです」

「は? 緑ばあちゃん?」

「はい。それでは伝言をそのままお伝えします」

 富嶽は懐中から封筒を取り出した。やけに分厚い。緑がそこまで長い手紙を(したた)めるはずもないから、中には相当な札束が入っているのだろう。案の定、富嶽が取り出した便箋は一枚だけだった。


「この手紙を誰かにより読み上げれられたその瞬間より、冴鬼優作の本家序列は第二位に繰り上がります。この命令は、冴鬼優馬が死亡する瞬間まで有効とし、それ以降の本家組閣は当主である冴鬼幽により決定されます――以上となります。詳細は書類にしているそうですので、顧問の立花先生にでも伺ってください」




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