光線――冴鬼幽
「一体どういうつもり?」
幽の部屋をノックもなしに開いてから、春日の第一声がこれだった。厳密には幽の部屋は和室なので、ノックは必要としていないが、それにしても急だと思った、それだけだった。
「ねぇ、幽ちゃんどういうつもりなの?」
もう一度繰り返して、春日は幽を睨め付ける。どうやら相当にお怒りのようだ。文字通りの意味で生まれた瞬間から一緒の二人だ。それくらいの機微は簡単に察せれる。だからこそ、幽には春日がなぜ怒っているのか、理解ができない。
「なんで代替わりが済んで一日でこうなっちゃうの? もう父さん出ていっちゃったよ」
なるほど、そっちか――そう口の中で呟いて幽は春日を眺める。この期に及んで、なお春日は優馬を父と呼んだ。随分と家族想いなものだ、そうは思うがもちろん口にはしない。だから簡潔に現状を説明する事にした。
「私が――現当主である冴鬼幽が命じたから優馬は出ていった、それだけだよ。春日ちゃん」
「だからその呼び方で父さんの事言うの辞めてって言ったじゃん! なんで聞いてくれないの、幽ちゃん」
「だって春日ちゃんだって、優馬は嫌いでしょ? それに、これで優にいちゃんだって帰って来れるよ。なんで怒るの?」
「確かに父さんはうるさいし、すぐあれこれ指図してくるよ。でもね、家族なんだよ。もちろん優にいちゃんだって一緒の!」
「違うよ。優馬を家族にカテゴライズしたらいくらなんでも、優にいちゃんが可哀想だよ、春日ちゃん」
「何が違うの? 一緒だよ、それに父さん追い出すんだったら、敏夫おじちゃんだってでしょ、それに今もいるけど、通孝おじさんだって」
「敏夫には利用価値があるから置いてるだけ、あれも自分を弁えてて口答えもしないでしょ? それが答えだよ」
通孝も似たようなものだと付け加えようとした幽がそこで止まった。まるで能面のような無表情のまま、感情を爆発させていた春日の瞳から大粒の涙が溢れてきたからだ。
「ねぇ、幽ちゃんの中で家族ってなんなの……?」
「愛すべき人達だっていつも言ってるよ、春日ちゃん」
「だから父さんは家族じゃないって?」
「そうだよ」
「冷酷だね」
「違うよ、簡潔なだけ」
「愛してないからこうやって簡単に追い出せるの? 二十年近く一緒に過ごした家族じゃん」
「落ち着いて、春日ちゃん。いつも一緒だった私たちがこの温度差なんだよ、それがそのまま答えになるんじゃないかな?」
「……だって幽ちゃん、その辺の家のこと言わないじゃん。なんでそこまで父さんを憎むのかなんて、あたしにはわかんないよ」
「ねぇ、春日ちゃん。子供の頃に拾ってきた猫ちゃん覚えてる?」
「覚えてるよ、確か次の日には飼い主さん見つかったんだよね? 夜一緒に寝てたのにいつの間にかいなくなってるのだって覚えてるよ」
「あれね、春日ちゃんの布団から優馬が取り出したの」
「は?」
「まだ分からない? 猫ちゃんを次の日春日ちゃん見てないよね? 私達って早起きなのに」
「そんな……まさか……」
「優馬ってね、そういう男なの」
「それでも……猫ちゃんは可哀想だと思うけど、やっぱり違うよ」
「一緒だよ。優馬にとっては猫も人も変わらない。春日ちゃん、私達は冴鬼の人間なんだよ?」
春日が絶句している。幽は薄い唇にはっきりとした笑顔を讃える。嘘は言っていない。確かに春日が眠っている布団から黒猫を取り出したのは優馬だ。だが、それを指示したのは幽だった。だって、春日ちゃん猫にクロなんて名前つけて私より可愛がっているんだもん、仕方ないよね――そう言いかけて口をつぐむ。
冴鬼幽という人間は、静かに壊れていた。そして冴鬼家に女として生を受けた時点で、帝王学を授かりそれを隠す仮面を身につけていた。彼女は他人を愛さない。しかし家族には常人以上の愛を注ぐ。
冴鬼幽という人間は、愛するべき人間がたった三人しかいないと信じている。冴鬼優馬を放逐し、その一人が帰ってくるのを待てば、それだけでいいと考えているのだ。
冴鬼幽という人間は、この世界がどうなってもいいと思っている。実の父親である冴鬼優馬ですら、切り捨てようとも問題ないと思考している。それだけの能力と人脈は、既に優馬から手にしていた。
冴鬼優馬最大の失敗は、冴鬼幽という人間が生まれたその瞬間に――冴鬼の頂点に立つ以前に弑してしまわなかった事だった。そうしていれば、きっと春日はいい傀儡になった事だろう。
「ね、春日ちゃん泣かないで。私はずっと春日ちゃんと一緒だから。もちろん優にいちゃんだって」
「……うん」
「愛してるよ、春日ちゃん」
「……うん、あたしも」
幽は優しく春日を抱きしめる。まさにその瞬間、照和が終わった。
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