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冴鬼奇譚  作者: 山田太朗
7/12

燦然――冴鬼春日


「春日様。こんな深夜にいったいどちらへ?」


 広大な冴鬼家、その敷地内に巡らされてある塀に手をかけたところだった。冴鬼春日は手を放し、声の方をねめつけた。彼女に向けられていた懐中電灯は降ろされていて、闇に浮かび上がっているその顔は春日の予想通り、下男の小笠原(おがさわら)義満(よしみつ)のものだった。

「どこだっていいでしょ」

「なりません。御屋形様から仰せつかっております。もう少し冴鬼家党首としての自覚をお持ちいただきたい」

「あのね、ミッチ。クソオヤジ――じゃなくて御屋形様はとんでもなく過保護なの。あたしにどれだけの守護者がついていると思ってるの?」

「その呼び方はおやめ下さいと言ったはずです。それに守護者とはいえ人間。万全を期すためにも、せめて総裁選までは……」

「ふぅん、それが本心なのね」

 小笠原は失言だったとばかりに顔を歪ませる――正直な男だと思うが、主である春日にしていい表情ではなかった。


 ――そこが気に入ってるんだけど。


 春日は口には出さず、未だ俯いたままの義満を睨む。ただ彼の言わんとすべきことも理解はしているのだ。

 冴鬼家は今まさに渦中にある。

 義満が言っていたように、与党である帝国党の総裁選がある。本来であれば問題はない。何せ議席の大半が冴鬼優馬が総帥を務める陸軍主体で占められているからだ。戦後しばらくしてから陸軍が行政、海軍が立法、空軍は司法といったように不可侵の暗黙が出来上がっていた。表向きは権力の分散化としてはいるが、内実は一番の旨味である政治を手中にするため冴鬼主導のもとだった。

 しかし、今年に入ってから急に海軍が横やりを入れ始めたのだ。今の海軍大臣は冴鬼分家の書生だった男である。しかもそれを擁立したのは、冴鬼家本家序列第五位である敏夫子飼いの政治家である大石という小男なのだ。言わば飼い犬に手を噛まれたようなものだった。

 おかげで家じゅうがピリピリとしている。こうやって春日が出かけるのも一苦労なのだ。この国を牛耳る冴鬼本家党首という立場であるにも関わらず。


「あたしは冴鬼家党首なんじゃないの? そのあたしが良しとしてるんだけど」

「それは正確ではございません」

「それも何回も聞いた! 代替わりが済んでないと言うんでしょ? じゃあ党首なんて呼ぶなって話よ」

開闢(かいびゃく)以来、連綿(れんめん)と続く冴鬼です。数多のしきたりがあるのも当然だとお教えしてきたはずです」

「じゃあ、幽ちゃんは? 喜々として出かけてまだ帰ってないはずだけど」

「幽お姉様、でございます」

「あーもー! 優にーちゃんだって家出てるのになんであたしだけ……」

「春日様!」


 今度は春日が口をつぐむ。冴鬼家本家長男である優作の名は禁句になっていたのを失念していた。義満は明らかに激怒していた。


 ――だからそれはあたしに向けていい目じゃないって。


 そう言いたいのを堪え、春日は代わりに「分かったわよ」とだけ言い母屋に向かい出す。義満はそれを見て安堵していた。だからこそ、すれ違いざまに春日が「もう目的は達成したし」と小声で零したのを聞き逃した。

 塀の向こう側で、セダン車が走り去る独特の排気音を聞き、春日は満足げに頷いた。



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