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冴鬼奇譚  作者: 山田太朗
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曇天――冴鬼優作

「あー、ユサク? ワタシね。チンよ。携帯の電源切ってなにしてるか。仕事溜まてるよ。早く連絡するね」

 

 自宅のひとつである四谷のマンションに優作が着いたのは、空も白み始めた六時前だった。張り込みをしているときは常に携帯電話の電源を落としているのを失念していた優作は、電源を入れて留守番電話サービスに接続した。気を張っていた優作の疲れを倍増させるかのような能天気な音声がかすかにノイズ混じりに聞こえる。彼の仲介人であるチンの声だった。

 思わず顔をしかめ、乱暴な手つきで音声の消去をし、ワンルームの部屋に置いてあるソファーベッドに携帯電話を放った。ソファーベッドに跳ね、フローリングの床へと落ちる。その音が大きく響き、優作は大きく息を落とした。

 殺風景な部屋だ。十畳ほどのワンルームには、ソファーベッドのほかには調度と呼べるものが何一つない。部屋の隅でうなりを上げているワンドアの冷蔵庫が無機質さに拍車をかけていた。それを開き、緑茶のペットボトルをひとつ取り出して、枕元に置いてある固定電話機にも留守電が入っていることに気付いた。手を伸ばしかけたところで、見計らったように着信音が鳴り響く。

 携帯はまだしも、固定電話の番号を知っている人間はたった一人しかいない。件の仲介人が早口でまくし立てる前にこちらからしっかりと言わなくては。持ち上げた受話器を耳に当てる前に、優作ははっきりと言った。


「悪いが疲れている。仕事の話は明日――ああ、もう今日か。とにかく後でゆっくり聞くから今は眠らせてくれ」

「あ? 言うじゃねぇか、木っ端の便利屋風情がよ」


 自分の迂闊(うかつ)さを呪うように力いっぱい唇を噛みしめ、優作は蛍光色に光るナンバーディスプレイを見た。そこにははっきりと「ツウチバンゴウナシ」とある。チンがこんなことをするはずがない。そもそもこの声は彼のものではない。この相手を恫喝(どうかつ)することだけに特化した声音を、優作は脳内メモリへと素早く照会をかける。ヤクザ者、そして優作を便利屋と呼ぶ人間。数名を思い描き、そいつらの声を思い出す――ここまでジャスト一秒。

「……お久しぶりです、千葉(ちば)さん。ここにかけてくるのは相方だけなんで、間違えました。申し訳ないです」

「ああ、あのシナ野郎か。まだつるんでやがるのかよ。いい噂聞かないぜ」

 会話が続いているということは正解だったようだ。優作は相手にばれないようにそっと胸を撫でおろした。

 千葉。確か下の名前は(たけし)とか言ったか。もちろん本名じゃないのだろう。ヤクザ者は渡世名(とせいめい)といってよく分からない偽名をつけたがる。表向きはホストクラブの経営者。本業は歌舞伎町を仕切る関東随一の組織、王朗(おうろう)会の四次団体である美作(みまさか)組の舎弟頭(しゃていがしら)。こういうと聞こえはいいが、その辺を歩いているチンピラとそう変わりはない。何せ美作組は構成員十名にも満たない弱小組織なのだ。かつて西の最大組織に対抗するため、頭数を増やすという理由だけで吸収された枝のそのまた枝。そのことすらも今や有名無実で、組織の荷物になっている。現在の彼らの役割は鉄砲玉になるか、出頭要員だと聞く。千葉の表向きの仕事もそういうことなのだろう。ホストクラブは王朗会の洗い場――マネーロンダリングの為に作られたものらしい。千葉はおろか、親の美作ですら王朗会直径組長の盃は受けていないはず。王朗会を名乗ることすら許されていないのだ。木っ端はそっちだろう――出かかった声を飲み込み、優作は先を促した。


「それで、今日はどういった用件で?」

「ああ、それがよ。うちのオヤジがお前に用向きだそうだ」

「美作組長が?」

「とりあえず出てこいや」

「……今からですか?」

「店は知ってんだろ? 奥のVIPにいるから三十分以内にな」


 そこで通話が途切れた。こちらに拒否権がないのは元からだったが、それにしても急な話だ。そもそも、美作組々長である美作(きよし)とは面識もなければ、「木っ端の便利屋」である優作の話題が彼らの間で出るとも思えない。


「厭な予感がする」


 そう呟いて、優作はウォークインクローゼットに向かう。このワンルームに似つかわしくないクロークは三畳ほどの広さだ。数着のスーツに私服、それに雑多に積み上げられたカラーボックス。中身は調査資料だ。そのカラーボックスの裏側、分かりづらい場所の床下に金庫が置いてある。ここにはそれなりの現金、ならびに「探偵・優作」の身分証(もちろん偽造した偽物だ)が入れてあった。金庫以外にも法に触れそうなものはここにある。

 しかしこれらすべては、優作が真に守り通したいものを隠すダミーである。

 クロークの入り口すぐの天井をずらすと、傍目には分からない小さな丸穴があった。専用のキーを差し込みまわすと、微かな物音がする。しかし変化はないように見える。優作は天井を元通りにすると、クローゼットを出てユニットバスへと向かった。

 こちらにも変化はないように見えるが、それこそが優作の狙いだった。換気扇をずらし、屋根裏へと潜り込む。立って歩くのは不可能だが、中腰でならば辛うじて動ける程度のスペース。ズボンからペンライトを取り出し、ゆっくりと光を這わせる。優作が身じろぎするたびに羽虫かのように埃が舞った。

「ち、どこだったか」

 這いつくばるように梁を注意深く観察する。これは秘中の秘であるために、仕掛けを作った彼ですら分かりづらい場所にそれはあった。クローゼットの天井と同じ丸穴である。先ほどと同様にキーを差し込むと、滑るように目前の壁が下がり優作はペンライトを消した。微かな光が屋根裏に入ってきたためだ。

 優作は両手を突き、そこに昇った。

 そこは三十畳ほどの空間で、優作の部屋と比べても殺風景だった。この場にあるのは、今もうなりを上げている大きなデスクトップPCが三台のみ。それ以外には常時遮光カーテンが閉められている窓があるだけ。玄関にあたる場所には本棚が積み上げられ部屋を出ることすら出来ない。優作が居た部屋の上階である。下階よりも広いのは、左右の壁を破っているからだ。

 冴鬼家の優作だからこそ出来る細工のひとつ。彼の部屋を中心にして上下左右の四部屋に、優作は自室から入れるようにしてあった。作成費用、維持費などは自分で(まかな)っている――という理屈をつけてはいるが、彼が忌み嫌う冴鬼本家の持つマンションでなければこんなことは出来なかっただろう。それを本能的に理解しているからか、優作はこの部屋に入るときに顔を(しか)めずにいられない。

 しかし今はそんな感情を出している余裕などない。すでに電話を切って五分ほど経っていた。ここから千葉の言っているホストクラブまでは十五分ほど、出来れば五分前に到着したい。となると残された時間はあと五分ほど。

 優作は部屋に置かれているPCに向かい、マウスを動かし始めた。





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