92話
翌朝、早朝から清は起き上がり身支度を済ませ、根音と根子に再度、言い聞かせた。
「いいですか? これからは私を母と思いなさい。主従という間柄もしばし忘れるのです。良いですか?」
根音と根子は黙って頷く。
「食事のご用意ができましたけれど……」
襖越しに朱鷺の声がする。すっと襖が開く。
「少しは癒されましたか? これから道中、共に歩みますがよろしくお願い申します」
朱鷺は深々と頭を下げた。清も頭をさげた。
「こちらこそ……幸吉殿、はじめみなさまの御心遣い改めて感謝申し上げます」
堅苦しい会話が続く。ふと根子と根音が立ち上がり、朱鷺の元に寄る。
「これからよろしくお願いします。お朱鷺さま……お身体十分に労りください……」
根子がそっと口添えをする。
「えっ? ありがとね」
朱鷺が驚き、根子の頭を撫で消えていく。
「おっ母……あのお朱鷺さま……まだ気付かれてないご様子ですが、稚児を宿らせてます。……いろいろと配慮が必要かと……」
「誠にか……」
清は新たな問題に直面したと感じた。ただ仕舞うだけではない。この幸吉の家族を巻き込むであろう使命は容易ではない。じりじりと焼け付くような感情を心に仕舞い、食事を頂いた。
そして旅立ちの時───。
「それではお館さま、行って参ります」
「道中気を付けてな……それにお雪殿とやらに十分甘えてまいれ。積もる話もあろうしな。それと朱鷺を宜しく頼むぞ……」
「お館さま……もう私はそんな幼子ではありませんぞ……朱鷺は命に代えてもお護りいたします」
幸吉と朱鷺は屋敷を出ていく。
「それに清とやら……可愛い稚児には十分に気を付けなされ」
兵之助が言葉をかけ、根音と根子の頭を撫でた。
「お館さま……ありがとうございます」
根音が笑顔で返し、根子ははにかみながら微笑んだ。
「ほんに可愛い……早く、儂も孫の顔が見たいものだ」
兵之助がぼそりと呟いた。
「お気遣いほんにありがとうござんした……お朱鷺殿は無事にお連れいたします」
「なんと不思議な魅力的な人ぞ……しかし、何かしらの悲哀を感ずるのはなんとしたことか……」
兵之助は背中を見守りながら囁いた。清は一礼をし笠をかぶり、新山升やを後にした。
カチッ──カチッ──
門をくぐると女将が邪気祓いと旅の安全を願い火打ち石を鳴らす。清はその音を聞きながら幸吉の安らかな仕舞いと朱鷺とその腹に宿る稚児を無事、この屋敷に戻すことを心に誓った。
陽は優しく射し風はゆるりと吹く。一歩一歩がゆっくりと重みを増すことに清は知らず知らずため息をついた……が、表情は決意に満ちていた。




