62話
現路は目を閉じた。思い出されるは匠盛の寂しさを匂わせた顔。
「現路……お前の忠義、誇りに思う。ただ……もし、俺に何かあっても、生き抜いてはくれまいか……」
匠盛は夕暮れを背に現路に語り掛けた。
「何をおっしゃりますか? 私は我が主と共に……」
逆矢間熙剣との合戦の最中、攻め込まれ敗戦濃厚の空気が漂う中での出来事だった。
「まだ負けた訳ではないがな……私は君主としての資質は乏しいのかもしれない、ただ人を見る目は間違えておらぬと自負する。だからこそ、現路……お前にはこの世を生き抜いて欲しい」
現路には切実なる願いに聞こえた。
「殿は君主としても……」
その時だった。近場に陣を敷いた熙剣の軍勢から法螺貝の轟音が鳴り響く。空気がざわめきを覚えたようだった。現路はまだ、時があると匠盛を安全な場所へと導こうとした。それが現路の一瞬の隙だった。現路の耳元を風が貫くような音。
シュッ──
判断の誤りだった。現路の見た光景は何よりも残酷な世界だった。一本の矢が匠盛の胸を貫いていた。突き刺さるは致命傷ともいうべき場所。心の臓を貫かれた匠盛は片膝をつき動揺していた。
「現路……」
匠盛は手を伸ばした。しかし、現路の背後には絶望するほどの黒き影の波と軍声の嵐。
「あぁ……あぁ……殿……」
喊声に現路の言葉が搔き消されていく。後は記憶が曖昧になるほど匠盛に敵を近づけまいと刃を抜き、切付けた。血飛沫は舞い、土煙が弾ける。刃で刃を受け止める度、歯こぼれはまるで己の心のようだった。霞むのは視界だけではない。心も霞んでいく。人非らざる者とは心を喪った者のことを言うのかも知れない。相手の肉はまるで鋸で切付けたような傷。血の香り、腹を裂いた際の糞尿の香り。そこは侍としての美学も名誉もない。
「取り押さえろ……現路殿は生きて捕らえろとのご命令、網を張れ、不用意に近づくな!」
その言葉を合図に網が現路に投げ掛けられる。網が身体に絡みつき、現路は身動きが取れなくなる。抵抗する。己の愛刀さえ手放さない。しかし、足をとられ倒れ込む。そして……その先には掲げられた匠盛の首。
「赤間家の匠盛、討ち取ったり!!」
歓声が上がる中、一人、討ち取られた主の首を見つめていた。自然と歯こぼれの刃が己の首筋に向かう。しかし……首に辿り着く前に取り押さえられる。
現路が見た夕焼けの光景。匠盛の首を掲げる敵の姿は夕日で輪郭が赤く縁取られ心を抉る。その恐ろしき光景さえ、夕日が美しく赤く、赤く染め上げる。
匠盛が最後に遺した、『生き抜いてくれまいか……』という願い。その言葉に込められた願いが、赤く夕日に溶けて滲んでいった。




