61話
一気に駆け抜けた。襖の向こうに会わなければならぬ者がいる。清は襖に手をかけると、その場の空気が凍りつくように張り詰めた。
「失礼します……」
清は座して襖をゆっくり開ける。すっと襖を開けると奥に人影が……しかし、背を向けたまま座している。気配を感じぬ訳ではない。それは主君を護るため、命を刃と隣り合わせで研ぎ澄ませてきた感性。
「またか……今度は何ようか?」
呟くように現路は言葉に出した。
「また……ですか?」
しかし、現路は聞き慣れた声とは違うことに戸惑いを覚える。そして驚きの声を上げた者の方向に首を振り座し、頭を下げる者に目をやる。
「何奴……? ここは罪人扱いの間と存じておいでか……?」
「はい……私は宿清と申します」
清は頭を下げたまま答えた。
「宿? もしやそなたは宿静殿の妹君……?」
「今、なんと……」
咄嗟に清は聞きたくもない名前に顔を上げ、現路に目を合わせた。
「なぜ……その名を……!? やはり、姉さまはここに……」
花化従の一言が、清の心に再び暗い波紋を広げた。『そちが知る必要はなきにありんす……それよりよいのか? 静さまはもう会われたぞ……花紋様の浮き出る者と……力なきとは憐れ……無知とはほんに憐れ……』。この言葉が心に爪を食い込ませる。花霧の霧がこの部屋を包み歪ませたように今、心が憎しみの波紋で波打つ。
「そなたもこの左手に何か見えるのか? そう言えば花紋様と言っておったの……」
現路は問いかけた。清は掲げられた左の甲を見つめた。
「はい……花紋様……畏れおおきにございますが、死期を告げる痣がはっきりと浮かび上がってございます」
「そうか……不思議なものよ。そして我に見えぬ痣を持ってそなたらは我の命を仕舞うのが役目……なのだろう?」
現路は清の目を見ることなく呟いた。
「はい……私は花仕舞師……舞を持って徳の心を希望とし、終幕を迎えさせるが我が使命でございます」
「徳の心? それは『忠』か?」
「はい、そうでございます……」
現路はふっと息を吐いた。空気の流れが変わる。
「『忠』か……では、今の我には不必要な舞ぞ」
「なんと!?」
清は驚き目を見開く。
「私は今まで『忠』を持って、それを信念に生きてきた。しかし、それは……間違いだった。我の心は『妄』……。我は『妄』に生きてきた男」
「何ゆえにそう思われますか……? なぜ否に生き様を歪められる?」
「生き様を歪めたのではない。我が心を歪め、思い込んでいただけなのだ……」
現路は格子越しに空を見上げた。霧のかかった空は白く濁っていたが、それでも現路は遠く、晴れ間を描くように見上げていた。
「あの頃は心が高揚していた。しかし、今、この霞む心では我が主君、匠盛に合わせる顔がない……」
それは、足掻き続けた男がふと諦めに似た微笑みを浮かべた、刹那的な静寂であった。




