10-5話 複雑な兄弟関係
馬という生き物はその外見と想像以上に巨大な生物であり、傍まで来ると威圧感がとんでもない。
そんな馬の集団が目の前にあるのだから同じく馬に乗らない限り、圧倒されない訳がなかった。
その先頭にいるシルドは馬から降りようとせずただ上から見下ろすのみ。
それは威圧的であるというより、完全に故意に威圧し自らが上であると主張している。
それを実の兄にしているのだから、それがどういう意図であるか考える必要すらないだろう。
「次期公爵様。御身の様な方がこの様な所で油を売るのは時間が惜しゅうございますぞ」
そう、騎乗集団の傍にいた一人の老人が声をかける。
少々独特ながら学者風の服装をしたその老人の周囲には同じ服装をした人物は大勢おり、その周りには武装した兵が彼らを護衛する様取り囲んでいた。
「それもそうだ。僕には彼ら冒険者を案内するという大役があるからな。悲しい事にご学友を招いてわいわいと好き放題楽しむ様な暇は僕にはなかったな。忘れていたよ」
そうシルドが言葉にすると、学者風の集団はどっと笑い、同時に嘲笑の様な笑みをマルクに向けた。
「ひぃっひぃっひ。次期公爵様もまぁたお人が悪い事で。その様な愚かな人物、いる訳ないではないですか」
「そうか。未来の筆頭文官のお主が言うのなら間違いないのであろうな」
「いえいえそんなめっそうもありません。私も間違える事は多いですとも。と言っても、誰が当主に相応しい人物であるかを間違える事だけはありえませんけどね」
そう言葉にし、その老人はマルクに従うキュリオに嘲笑めいた笑みを浴びせる。
その後、老人はマルクの後ろにいるプラン達を値踏みする様な目を向け、そしてサリスに目を付けた。
ねちっこくて、嫌らしくて、不快を通り越して気持ち悪い。
それはそんな情欲を隠そうともしない瞳だった。
「マルク坊ちゃまの連れは庶民の女子ばかりな様で……。どうやら相当歪に色に目覚められた模様ですね。いえいえ大変結構。文句などございません。種馬になるのも貴族縁者としての立派な勤めですね。ええ大変結構で羨ましい事ですとも。もし宜しければ一人位こちらに――」
「止めぬか!」
シルドの叱責を聞き、老人はびくりとした後驚きの表情を浮かべた。
「彼らはマルク様の客人、公爵家の客人である。兄に対してはともかく彼女達への無礼は我が家の恥であるぞ」
「そ、そうでした。大変申し訳ございません次期公爵様。さ、流石次期公爵様。なんと誇り高いのでしょうか!」
老人はあたふたと動揺しながらシルドに返事をする。
その様子は、どう見てもおべっかであるのだが、それでもシルドは満足そうに微笑み頷いた。
「うむ。僕は間違える事はないからな。僕に従うと良い。では行くぞ。この領にわざわざ来ていただいた彼ら高名なる冒険者を案内せねばならぬからな」
「ははっ! 我ら文官も是非御供させていただきます」
そう老人が言葉にすると、シルドを先頭にした乗馬集団はマルクに挨拶もなく表通りを堂々と歩みだした。
騎乗した人達、馬車群、文官、武官、兵士達が次々にその後ろを追う。
その列は非常に長く、彼らと周囲にいた野次馬達がいなくなりプラン達だけになるまで、実に三十分以上も時間が掛かった。
「……皆、すまぬな。嫌な思いをさせた。特にサリスは……アレは不快という次元ではなかったな」
マルクは下を向き、ぽつりと呟いた。
「ま、気にするな。手を出して来たら殺すけど」
サリスはにかっと笑い、マルクの背をどんどんと何度も叩いた。
「う、うむ。すまんな本当。そして、プラン、サリス、エージュ、クコ。皆良く我慢してくれた。僕の言う通り何もしないでくれて本当に助かった」
そうぺこりとマルクが頭を下げると、サリスとエージュは目を丸くして驚き、そしてマルクを笑った。
「なあ、俺、エージュ、クコは別に何も我慢してないぞ」
「ぬ? そうなのか?」
「ああ。俺らが何もしなかったの我慢したからじゃなくて、大した問題はないと思ったからだ。理由をぶっちゃけるなら、厄介事の切り込み隊長様があの様子だからな」
そう言ってサリスはプランを親指で指し示す。
そのプランは、ずっと黙ったままニコニコと見ている人がぽかぽかしそうな、向日葵の様な笑顔を浮かべ続けていた。
「こいつはお前が事前にどう言おうと動くべきと判断したら勝手に動き勝手に話をまぜっかえし、そして話を大きくしてすとんと話を良い感じに持っていく。これはそういう劇物だ。その劇物様がこの満点の笑顔で全く動きもしない。だから問題ないし……こいつが喜ぶ様な何か事情があるんだろ?」
そうサリスが言うとマルクは居心地悪そうに頬を掻いた。
「あー……その、プラン。君は一体何を思ってそんな風に笑顔になっているのか教えてもらって良いだろうか?」
「んー? そりゃ、事前に色々と良くないって聞いてたけどさ、実際の所兄弟仲良さそうだったからね。いやー良かった良かった」
そう、プランは先程の様子を見た上ではっきりと言い切った。
「……逃した魚は、やはり大きかった様だ。……いや、最初から僕では吊り上げる事が出来ぬ程大きかっただけか」
そうマルクは呟き、苦笑いを浮かべた。
隣でキュリオがハンターの様な鋭い目でプランを見つめていた。
マルクが案内したのは公爵領らしからぬ普通の一軒家だった。
大きな館でもなければ豪勢な城でもない。
それどころか二階すらない。
極々一般的で、表通りからも相当離れた立地も含めてただの民家。
そこが今マルクが住んでいる場所だった。
幾ら自身が招いた友人とは言え公爵家長男である十二歳のマルクに、公爵領が一人の護衛も出さないというのは本当にあり得ない状況である。
それがどれだけマルクの状況を追い詰めているかの証拠とさえ言っても良い。
だが、その本人のマルクはその様に追い詰められた様な雰囲気は一切発していなかった。
「さて……何から話すべきだろうか。正直このまま何も話さず君達にはこの公爵領を楽しんで貰うというのもありな気がしてきた」
マルクは憂鬱そうな顔で呟いた。
「だとさ。プラン。どうする?」
サリスの言葉にプランは少し考え、笑顔のまま答えた。
「んー。別にどっちでも良いよ。困ってる事あるなら教えて。出来るだけ助けたいから。特にご飯とか掃除とかなら。畑仕事でも可」
「……そなたの軸は本当ブレないよのぅ。では、少しだけ僕の……いや、僕達の昔話をするから付き合って欲しい」
その言葉に、その場にいる全員が頷いた。
マルクは弟と自分の事情を、ゆっくりと話し出した。
優秀で優しい弟シルドは、兄へのコンプレックスをこじらせその結果、さっきの様な奸物に目を付けられた。
確かにシルドは優秀ではあった。
だが、優秀なだけであり、またその優秀さは兄には遠く及ばなかった。
長男である為地盤が安定し、既に潔癖である面が見えるマルクと比べるなら奸物達にはシルドがとても利用しやすい神輿に見えた。
そして残念な事に、奸物達はその能力だけは優れてしまっていた。
優れた奸物共に担ぎ上げられ、兄へのコンプレックスから領主の座を心より望んだシルド。
その結果、シルドこそが公爵領の跡取りであるという声はマルクを求めるソレよりも多くなっていた。
「そんな事情があり、僕は学園に向かった。英雄になる為に、公爵の跡を継ぐ大義名分を得る為にね」
「……お父様はどうしたの?」
プランがそう尋ねると、マルクは少し考え込む様な表情を見せた。
「……兄弟争いが始まってから、公的な場以外で顔合わせをしていない。だから推測だけど……たぶん全部わかった上でずっと放置してるんだと思う」
「どうして?」
「兄弟の争いだからというのが一つ。たぶん、どっちにも肩入れしたくないんだと。もう一つの側面として為政者としての考えもあるのだと思う。どうせどちらかしか跡取りになれないから選別のつもり……なんだと思う。あくまで予想だけど。父上の考えは僕では計り知れぬ」
「……冷たい、とは違うんだね」
そうプランに言われ、マルクは頷いた。
「それだけは違う。父は確かに親として、僕達に愛情を注いでくれた。為政者で、公爵家当主として生きる人ではあるけど……それでも父親らしい事をしてくれた事もあった」
「そか。んじゃ良かった」
そう言って、プランは微笑んだ。
「話の続きをしよう。それで学園に行き皆に会って、プランに会って、僕は自分の矮小さを理解したんだ。そしてその結果、僕は公爵領の跡を継ぐ事を諦めた」
「……それで良いの?」
プランが悲しそうにそう呟く。
それを聞いて、マルクは微笑んだ。
「僕が欲しいのは公爵領を継ぐ事なんかじゃない。この場の皆が幸せになる事だ。それは当然、僕が本気を出して弟と争うよりも弟に譲った方が可能性が高い。もちろん、今のまま弟に譲るのだけは駄目だけどね」
「……なるほど。つまり、マルク様はこの領をシルド様に託す事が出来る状況を作っているという事ですか」
そうエージュが分析し、呟いた。
「ああ。その通りだ。さっきの文官の様な蛆を全て排出し、シルドが善政を敷ける土台を作る事。それが僕の今のやりたい事だ」
そう、十二歳程度である少年ははっきりと、決意を込めた瞳で言葉にする。
その姿は誰であっても従いたくなるほどであり、まさしくカリスマと呼ばれるそれであった。
「と言う訳で……君達に紹介したい人がいる。僕の協力者……協力者? に近い何かだ」
マルクは曖昧に困った顔のままふわふわした言い方をしてみせる。
それを聞き、皆が首を傾げた。
「それ、ガンネがいない事と関係ある感じか?」
サリスがそう尋ねるとマルクは少し考え、そして頷いた。
「うむ。間接的にではあるが、関係あるな。詳しくは紹介してからにしよう。少し待ってくれ」
マルクは本棚の前に立ち、本を並び変える。
その瞬間、がこんと言う音がどこからか響き渡った。
「そこの暖炉が地下への入り口になっている。暖炉と言っても使った事はないから煤は付かんから汚れは心配しなくても良い。着いてきてくれ」
そう言葉にし、マルクは暖炉の方に移動して暖炉の下にあるはしごをつたい地下に移動した。
「……なにそれカッコいい。私もこういうギミックある家欲しい」
キラキラした瞳を浮かべわくわくするプランと違い、サリスとエージュは何がしらの厄介事の予感を感じ小さく溜息を吐いた。
降りた先を一言で表すなら、秘密基地またはシェルターとなるだろう。
巨大な空間が均一に石レンガで舗装され、食料や武器、防具、治療用の道具等がこれでもかと丁寧に並べられている。
誰もいないという事を除けば、それはもはや完全に軍事施設のそれだった。
「……なあ。ここ……一体何を目的にして作ったんだ?」
サリスが茫然としながらそう呟くと、マルクは困った顔を浮かべた。
「……僕もわからん。一応秘密の会合所として使っておるが……どういった理由で作ったか……僕はわかりたくない」
そう呟くマルクの言葉には、わかるけど理解したくないという感情が色濃く映っていた。
「さて、間違いなくこの先で出待ちしいるだろうから……紹介しよう。彼が、僕の協力者だ」
そう言葉にし、マルクは備え付けられたドアを開く。
扉の先にいた少年は満面の笑みを浮かべている。
その顔には、この場にいる全員が見覚えあった。
「先程ぶりです皆様。偉大なる兄様の愚鈍なる弟、シルドです。どうかシルドとお呼びください兄様のご友人方」
そう言葉にし、先程地上で会ったばかりのシルドは深々と礼儀正しくお辞儀をした。
「……そう言う事かぁ。だからプランはあんな事言ったんだなぁ」
そう、サリスは苦笑しながら呟く。
エージュはその横で目を丸くし驚いていた。
「え? 兄様。何かあったんです?」
きょとんとした顔でシルドはマルクにそう尋ねた。
「そこのプランに我らの関係を見抜かれていた。演技をしていたのがバレバレだったらしいぞ」
シルドはとたんに顔を曇らせ、悲しそうな顔でプランの方を見つめた。
「プランさん、ですね。参考にしますからどうして見抜かれたのか教えていただけますか? 自分では完璧な演技が出来ていたつもりなのですが……」
「ああうん。そだね……何と言うかね、お兄ちゃん大好きオーラがはっきり見えてた」
シルドはころっと表情を変え、ニコニコとご機嫌な様子に変貌した。
「あー。それなら仕方ないですね。偉大なる兄様に敬愛を示さない事など僕には出来ません。それはどうしようもない事ですねー。いやー隠しきれなかったかー」
そう、やたらと嬉しそうにシルドは繰り返した。
「……先程のぼっちゃまの話。少しだけ補足しておきましょう。私達で」
キュリオはそう呟くと同時に扉から現れたもう一人の人物、背の高い男の隣に移動する。
その人物は、ガンネだった。
「よ、久しぶり」
そう言いながらガンネは手を上げサリス達に挨拶した。
「おう。お前そっちにいたんだな」
「ああ。あのゴミ共がシルド様の本性に気づかない様にとシルド様の命を守る役目をマルク様より受けた」
「そうかい。ま、元気そうで安心したぜ」
「そっちもな」
言葉と同時に、二人は回りから見れば痛いだろうにと思う位拳を強くぶつけ合う。
その後二人は軽く睨み合い、そして笑いあった。
「良く知っている俺らから見てもな、学園後のマルク様は何と言うか……とんでもなかった」
ガンネの言葉にキュリオは横で何度も頷いた。
「そう。ぼっちゃま本当に凄かった。腐敗した部分、腐敗しそうな部分を切除しつつ、それでいてシルド様の周りに比較的マシな人材を集めた。凄いしとてもかっこよかった」
きりっとした口調で惚気だすキュリオ。
それを無視し、ガンネは続きを話し出した。
「んで、マルク様は一つの賭けとしてシルド様に取引を持ち掛けんだ。領主の座を譲り、自分はいなくなる。代わりに領にいる蛆虫を絞り出すから手伝ってくれと。そしてその結果……」
ガンネは少し不安そうに、ちらっとシルドの方に目を向ける。
シルドはかっかっと石レンガを鳴らせながらゆっくりと歩き、キュリオとガンネの間に移動した。
そして注目を集めた後、ゆっくりと息を吸い――。
「あの頃の僕はあまりに矮小過ぎた。兄様に勝てないなんて当たり前の事を悔しいと思ってこじらせ兄様を出し抜こうと愚鈍共の言いなりになってしまった。そんな僕の前に現れた兄様は僕の知っている兄様の何倍も恰好良くて凛々しくて素敵で素晴らしくて。僕は出会った瞬間に理解した。僕では兄様に勝てないとそれどころか戦う世界が違うのだと。実際その通り僕がコンプレックスで愛すべき領を好き放題する愚鈍な屑になっている間に兄様はこのロスカル領から塵共を綺麗に排除《掃除》していた。その上兄様は僕みたいに立場に固執せず己が全てを捨てて領に尽くしていた。だから僕こそが真の屑であると気づき兄様の素晴らしさと偉大さを再確認し僕が全てを捧げるべき人なのは兄様であると――」
一息で、恍惚とした表情で、シルドは良くわからない呪詛に近い愛を語り続けていた。
「……元々お兄ちゃんっ子だったんだが……コンプレックスの代わりに今度はそっちこじらせて超が付くブラコンになった……。ついでにマルク様みたいに何か有能に覚醒して」
顔に手を当て、ガンネはそう言葉を絞り出す様に呟いた。
「ま、坊ちゃまの素晴らしさを知ればこうなるのは当然ですけどね」
そうもう一人のこじらせた人間、キュリオは胸を張った。
「と言う訳で、既に僕とシルドは今の所協力関係にある。だから緊急を要する困り事はない。安心してこの領を楽しんでほしい」
マルクはプラン達の方を見て困り顔でそう言葉にする。
それを聞き、クコは首を傾げた。
「……何か、少し違和感があるな。協力関係は今だけなのか」
その言葉にトリップしていたシルドは我に返りクコの方を向いた。
「そうですお客様。実は僕の最終目標と兄様の最終目標は異なります」
「……そうなのか?」
「はい。兄様は僕を当主とする様動き実際今その流れになっています。ですが、僕はそれを好みません」
「どうしてだ?」
「だって、そうなると僕は兄様に会えなくなるじゃないですか。兄様の最終目標はこの領を僕に任せ自分は放逐される事なんですから」
事も無げに、当たり前の様にシルドは言い切った。
「え、えぇ……」
「あと、僕より偉大な兄様の代わりに僕が当主の座に付くのも正直ごめんです。なので僕は僕で兄様が当主になる様動きつつ兄様に従いゴミ掃除のお手伝いをしております。さきほどそちらの女性の方に卑猥な目を向けたあの糞ジジイも近い内に処理しますのでご安心を。もちろん、我慢出来なくなれば皆様が殺しても良いですよ。しっかりもみ消せますので」
にっこり笑顔で、シルドはそう言い放ち空気を冷ややかな物に変える。
その様子は尻尾を振る犬の姿そのものなのだが、内容はやけに物騒だった。
ありがとうございました。




