9-10話 世界の音
ようやく、本当にようやく、罪悪感により生まれた恐怖、それも自分の力に対する恐怖が消え去った。
プランは自分の力を怖いものなんだと思わなくなる事が出来る様になったのは、幼少時ハルトを傷つけてから初めての事だった。
とは言え、戦いの事が怖くなくなったのかと言えばそう言う訳でもなく、今でも怖いものは怖い。
戦う事が怖いという感情は、決して消えていない。
特に理由がなく、争い事とは怖いものであるとプランは痛い程理解していた。
ただし、今までと異なりその恐怖にはちゃんと立ち向かえる。
それは十分打ち勝つ事が出来る恐怖でしかなかった。
それをプランは、ハルトの背中を見続けてきたプランは知っていた。
そんな自分への恐怖がなくなり、一人で部屋にいるプランが今どんな感情を抱いているかと言えば……一言ではとても表しきれない程にはぐちゃぐちゃで、絡み合った糸の様にこんがらがった感情だった。
具体的に言えば、喜び六割怒り三割、そして悲しみと安堵が少々。
それらがぐちゃぐちゃに混じり合い、お互いを刺激する。
そんな感情を覚えつつ、プランはベッドの上でゴロゴロと自堕落に過ごしていた。
「やる事がなくなったなぁ……」
そうぽつりと呟き、プランは天井を見る。
ぼーっとして天井を見ているプランの頬は緩んでいた。
現在、プランの中にある一番強い感情は喜びである。
それはどうしてか。
ハルトが、幼い時の大切な約束を果たしてくれた。
それ自体も嬉しい事であるのは間違いないが、どちらかと言えばその事により認識が変わった事が大きい。
プランは自分が普通であると思っている。
周りがどう言おうと、どれだけ凄いと言ってくれようと、それでも自分はどこにでもいるただのちょっと地味な女の子だと信じていた。
だが、ただ一つだけ、剣の腕だけはとても普通とは呼べない事を理解している。
だからこそ、それが怖かった。
努力もなしに誰にも負けないなんて悍ましい才能が、プランはとても怖かった。
だが、もうそんな恐怖はない。
全力を出し切って、その上でしっかり敗北を刻まれたからだ。
だからこそ、今のプランは胸を張って宣言出来る。
私は普通なんだと。
そんな普通である事を取り戻したからこそ、プランの中には怒りと悲しみが生まれていた。
その正体は単純で、戦った事のある人なら誰であれ感じた事のある不変であり普通の感情、悔しさである。
全力を出して戦ったからこそ、普通であるプランは思った。
めちゃくちゃ悔しいと……。
生まれて初めて心の底から全力を出す事が出来、その上で負けたからこそ、プランは生まれて初めてそんな気持ちを覚えた。
「……次はあっと言わせてやる」
次も勝てる自信はないし、最終的に自分は必ずハルトに負ける。
確かにそう心の底で信じているのだが、それでもそれはそれ、これはこれである。
負ける事が悔しい事に変わりはなく、次こそは勝ちたいという欲求が生まれるのは当たり前の事だった。
「……次の時は手を貸してね。ワイス」
自らの相棒が入る妖精石を握りしめ、プランはぽつりと呟く。
妖精石はそれに答える様僅かに揺れ、強く光を放った。
その様子は、復活の時がそう遠くないのだと言っている様だった。
負けた悔しさに自分が普通であると再確認出来自信が取り戻せた安堵に喜び。
そんな感情を抱きながら、プランはそっとドアを見た。
普段ならちょくちょく現れるリーゼだが、今日は姿を見せない。
自棄ジュースでも一緒にと思っていたプランは少しだけそれが寂しかった。
ようやく、ハルトは自分が特別になれた様な気がした。
何も記憶にない。
ないはずなのだが……ハルトの心はその感情を覚えていた。
たった一人の護るべき女の子を苦しめた自分の不甲斐なさを、自分の心の弱さを。
そして、その女の子から全てを奪い去ってしまった力のなさを――。
だからこそ、ハルトの心は何も認識出来ていない記憶とは裏腹に安堵に包まれていた。
今ならはっきり言える。
自分は強くなれたのだと。
例え――プランと戦った後の次の試合で圧倒的大差を付けられ負けたとしても……。
負けた理由に関しては単純。
ぶっちゃけプランの所為だ。
限界まで体を酷使させられた上に愛用の大剣をぶち壊された。
その上、プランに勝った事によりこの数か月ずっと続いていた緊張の糸がぷつりと切れた。
これでは勝てる試合も勝てない。
例え万全の状態でも怪しい相手であった事もあり、ハルトはあっさりと敗退し、ハルトのトーナメントもプランと一日違いで終了した。
「……ま、後悔はないがね」
元々勝ち負け自体にさほど興味がない。
むしろ、ようやく強くなるという焦燥感が消え心と体がすっきりしている位だった。
「んじゃ、もう強さに拘りはない感じかしら?」
寂れた宿とは言え、個室を選んだはずなのに自分の部屋で知らない声に話しかけられるハルト。
それに対してハルトは慌てもせず、会話を続けた。
「いや。勝敗に興味はないが力には飢えているぞ。渇望していると言っても良い」
「あら。どうして?」
「誰だが知らないあいつが本気で強くなるって言ってたからな。才能あるあいつに追い抜かれない様これまで以上に強くなる必要が俺にはある。……うん。何も変わってないな俺」
「そんな事ないわよ? 昨日までの飢えは焦って慌てた様なこじんまりとした感じだったけど、今の貴方はとても堂々としてる。強者の風格って奴ね」
「あんがとさん。そんで、あんたはどこのどちら様ですかい?」
ハルトの言葉に対し、幼い容姿の少女はぽいっと何かを投げた。
それは柑橘系の果物だった。
「これは?」
「手ぶらで来るのも悪いかなと思って。お土産」
「そりゃどうも。それで、あんたは誰だ?」
「そうねぇ……。んじゃ、メロウって事で――」
「……リーゼか」
そうハルトに言われ、リーゼは顔を顰めた。
「なんで知ってんの?」
「昨日の戦いの時、リーゼって奴が見ているってあいつが言ってた。んでこのタイミングで出て来るなら……あの色々ありそうなあいつの関係者だろう。そう考えた上でカマかけしてみた」
「……あいつの騎士とは思えない位鋭いじゃない」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ何も。ご明察の通りリーゼよ。ハルト君」
「ああ。それで、俺の部屋に忍び込んで何の用だ?」
軽く警戒した様子でリーゼを見つめるハルト。
死ぬほど怪しくて胡散臭いはずなのだが……何故かハルトは彼女を疑う気持ちをあまり持てずにいた。
それどころか、リーゼに対して何故か安らぎの様な物を感じていた。
「あの子に勝ったお祝いを用意してきたって言ったら信じる?」
その言葉にハルトは目を丸くして驚愕の表情を浮かべた後、真顔となりぽつりと呟いた。
「ああ。信じるぜ」
その言葉に意外そうにリーゼは微笑んだ。
「あら。こんな怪しい女を信じるの? それともこういう幼い容姿が好みなのかしら? だとしたら趣味悪いわね」
「残念。俺の好みはボンキュッボンのお姉さんだ。あんたもあいつも俺の趣味じゃない。ちなみに信じる理由は単純だ。俺はある程度なら嘘が見抜ける」
「あら。私嘘つきよ? それでも?」
「ああ。あんたでも嘘かどうか簡単に区別着くぞ? 正直うちにいる腹黒性悪眼鏡よりよほどわかりやすい」
その言葉に嘘やはったりが見えないリーゼは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「野性的なのと相性悪いみたいね私。ああ面倒。ま、そう言う事よ。頑張ったあんたにご褒美を持って来たわ。と言っても、今一番欲しいであろうあんたの剣を用意するのは私じゃ難しいけど」
「だろうな。さくっと斬られたけどあれ結構な代物だし」
「いえ。あの程度の質で良いならなら幾らでも用意出来るわ。あんたの剣を用意出来ないのはもっと単純な理由よ」
「それは?」
「あんたに適した武器は重すぎるわ。この私が持ってこれるわけないじゃない」
「そりゃそうだ」
そう呟きハルトは苦笑いを浮かべた。
「だから、変わりにこれをあげるわ」
そう言葉にし、リーゼは指で弾き綺麗な音を鳴らせながら大きな硬貨を一枚ハルトに投げ渡した。
「ふむ? ……大銀貨か。悪いなありがたく貰っておくぜ」
他人に渡すには少々大きな金額であるが、遠慮するのも悪いだろう。
そう考え、ハルトは素直にその大きな硬貨を受け取り礼を伝えた。
それを聞いてリーゼはくすくすと楽しそうに笑った。
「それを大銀貨と思って支払いなんてしたら相手の店が潰れちゃうわよ」
「は?」
そう言葉にし、ハルトは渡された銀貨を見つめる……。
よく見るとその輝きは銀ではなく、白。
しかもそれは武器何かに使われる金属とは違う美しい色で、白銀ですらない。
正しくその輝きは金、色こそ白いが明らかにこれは金だった。
「六色金貨の一つ、クリア神硬貨よ。正しく言えば何たら記念なんたらかんたら記念何たらかんたら白金貨だけど……忘れちゃった」
「……ほーん。これで買い物とか出来んの?」
しげしげと見つめながらそうハルトが尋ねるとリーゼは微笑んだ。
「ええ。それなりに価値のあるものよ。少なくとも金貨よりも高いわ」
「まじか! そんな物くれるのか。悪いなぁ……。それで、これ金貨何枚位分? くっそ高い飯屋でがっつり食べられる位にはなる?」
わくわくした様子のハルトに、リーゼは楽しそうにトドメを刺した。
「ええ、なるでしょうね。それ最低でも金貨千枚はするから」
「……は?」
「良かったわね。どれだけ高級で、何なら女の子が出て来る様なお店でも軽く一年は豪遊出来るわよ」
「……いや、冗談……だよな?」
「貴方。私の嘘が見抜けるんでしょう?」
その言葉が明らかに真実であるとわかるハルトは全身からだばーっと滝の様な汗を出し手の震えを覚えた。
「……おま……うちの領の年間予算より絶対多いだろこれ。いやまじか……つか何でそんなもん俺にくれるんだよあんた何だよ」
「さあ。何ででしょうかね」
何か明らかな思惑があるのにそれを見せないリーゼ。
それを見て、ハルトは自分の失敗を理解した。
嘘が見抜ける事を、黙っておかなければいけなかったのだという大きな失敗を……。
「ま、悪い様にはしないわよ。それで、どうするの? その白金貨」
「どうするもこうするもマジならそんな怖いもん勝手に使えるかよ。返す……ってのはないな。絶対受け取らんだろう。だったらこのまま俺の領の文官さんにぽいだ。あ、俺武官で……」
「知ってるから言わなくても良いわよ。それでさ、領にぽいって言うけど、どうやって受け取った事情を説明するの?」
「いや……それは……どうしようか」
何も思いつかないハルトを見てリーゼはニヤリとほくそ笑んだ。
「じゃ、私が付いて行って説明してあげましょう。それなりに有名だし渡した本人が居た方が良いでしょ。だから……代わりにヨルンにも会わせなさい」
その言葉を聞き、ハルトは背筋に冷たい空気を感じた。
それが、リフレスト領に行く事が目的である事は薄らとだが、ハルトは察した。
それをわざわざハルトに察させようとしている事も含めて。
じゃあどうして来たいのか。
何でこんな回りくどい事をしているのか。
そもそも、どうしてヨルンを知っているのか。
聞きたい事は複数ある。
あるのだが……とりあえずハルトの答えは決まっていた。
「あいよ。んじゃ今からリフレスト領に行こう」
その言葉にむしろリーゼの方が面食らった。
「はぁちょっと待って!? もう少し考えて言いなさいよ! 私が密偵とか、そうでなくても悪意を持って接してたらどうするつもりよ。あんただけじゃなくて領に被害が行くのよ!?」
「そう言っている時点でその心配もないだろ。それに……リーゼは何か信用出来る様な気がするしな」
「予感って……そんな曖昧な……」
「大丈夫大丈夫。俺の勘は当たるし。それにそもそもの話、お前がガチでうちに敵対しているんなら、ヨルンが後腐れなくお前を消す。だから大丈夫だ」
「……信用してるのね」
「まな。ついでに言えばだが、もう一つ俺がリーゼを信用する理由もある」
「はあ。それは何?」
「その前に質問なんだが……俺達ずっと昔に会ってないか?」
その言葉に、リーゼは押し黙った。
「どうしてそう思うの? それともそれナンパのつもり?」
「いや……何というか、あんたから懐かしい香りがするんだ。こう……どこで会ったかわからないけど、何か知り合いの様なそうでない様な……」
「……はぁ。さて、どうでしょうね。ただ、女の子に香りとかあんたちょっと気持ち悪いわよ」
リーゼは優しく微笑みながら、曖昧にそうとだけ答えた。
「はいはい。それで、どうするんだ? すぐに行くか?」
「いいえ。ツレに連絡取らないといけないしついでにまだこっちで色々しておきたいから……三日後位でどう?」
「あいよ。夜なら帰ってるからその時間帯に来てくれ」
「ん。私の泊まってる場所と部屋番書いた紙をそのベッドに置いてるから何かあったらそっちからも連絡頂戴。じゃ、またね」
それだけ言い残しリーゼは煙の様にぱっと姿を消した。
「……っかしーな。どこだったかなぁ……」
知っているはずなのに、知らない香り。
それを確かに覚えているのに、それが何時だったのかまるで思い出せない。
だからこそハルトは思い出せそうで思い出せないもやもやを抱え後頭部を掻きむしり必死に思い出そうとしてみた。
そして五分ほど格闘した結局、思い出せないけどまあ悪い人じゃないだろうと勝手に決めつけハルトは考える事を放棄した。
「あ。俺もツレいる事言った方が良かったかな。……いやどうせ知ってるか。何でも知ってそうだったし」
一人の部屋でそう呟き、ハルトは外を見る。
ハルトの祭りは終わったが、祭り自体はまだ終わっておらず外は盛大に賑わっていた。
「……どこ行ったんだろうなぁ……。宿かなぁ。……でもリーゼどこの宿に泊まってるんだろう」
あまりに暇すぎてトーナメント会場内をうろうろとしているプランはそんな寂しい独り言を呟いた。
本当はハルトの試合を見に来たのだが、残念ながらハルトは昨日の内にとっとと負けてしまったらしい。
がっかりという気持ち三割にざまあみろという気持ち三割、それと慰めたいなと思う気持ち四割。
悪友が負けた事に対してそんな気持ちを胸に秘めていた。
そんな風に退屈と戦っているその最中に――。
「おお! ついに私は私の花を見つけた! そこにいる薔薇の様に美しい姫君よ! どうか私に貴女に対して愛を囁く名誉を与えて下され!」
そんなあり得ない愛の言葉が、どこかで聞いた様な声で、プランの耳に届く。
慌てて振り向くと、そこにはいつぞやと同じ様に美形の男が目の前に跪いていた。
薄い紫がかった髪に、グリーンアイ。
女性が好きそうな儚げで幸薄そうな淡くも甘いフェイス。
こんな歯が浮きそうな言葉を、プランの外見に対して言いそうな人物なんてプランは一人しか知らないし、きっと今後も彼一人だけだろう。
「リカルド……」
つい、プランはその名前をぽつりと呟いてしまっていた。
昔の知り合い、今の他人。
覚えているけど、向こうは知らない。
にもかかわらず、久しぶりに出会ったリカルドを見てプランは驚きが我慢出来なかった。
「おお! 貴女様に名を知っていただけているとは光栄の極みです。トーナメントにすら参加していない俺にどうしてとか野暮な事は聞きません。むしろこれが運命――ってあれ?」
リカルドはプランの顔を見て固まり――そしてきょとんとした顔で、呟いた。
「あれ? ……プランちゃん?」
その言葉に、プランは目を見開いた。
リカルドは、ピシリとどこかで何がに罅が入った様な、音を耳にした。
妖精の奇跡、神の作りたもうた世界の法則。
絶対の力、理。
破る事は死を意味する。
そんな法則を、リカルドは大した理由もなく、簡単に飛び越えた。
ありがとうございました。




