9-4話 誠実さ(前編)
トキニア・ローグの人生は誰よりも幸福であり、正に順風満帆と呼べるものだった。
その生まれはとある貴族が外見が良いというだけで自分の所属するメイドに手を出してしまい……そしてそんなたった一度の過ちで授かったのがトキニアである。
本来ならば、トキニアという存在は生まれた瞬間から不幸になるべく決まった道筋となっていた。
潔癖という事で定評のある貴族の隠し子。
しかも正妻との間に生まれたのは女の子であり、男児はトキニア一人のみ。
殺されるか利用されるか。
だがどう足掻いても不幸になる事が決定していたのだが……トキニアには生まれすら覆すほどの大きな幸運を持っていた。
それは母親の存在である。
元々は流される事しか知らなかった極一般的な平民の母親であったのだが、守るべき我が子の不幸を予知し、その為にどうすべきかを考えていると……唐突に才能が開花した。
本来の人生なら一生芽を出す事のなかった才能、所謂政治屋と呼ばれる外交と話術の才能に目覚めた母親は領主と正妻相手に真正面から対峙して打ち負かし、憂いを取り除く為にトキニアを廃嫡する事を認めさせて、その上でがっつりと、家が傾く程の賠償金をもぎ取って堂々と館を後にした。
貴族に手を出され赤子と共に出ていく女。
そんな不幸の塊の様な外見であっても、現実は異なり息子と共に生きられる彼女は幸せの絶頂であり、そして同時に恐ろしい程に逞しく生きた。
母は強い。
それはトキニアにとって真理の一つだった。
その後も彼女は賠償金を上手く転がして一生涯困らない金を得て、息子共々愛してくれる旦那を見つけ、現在貴族並の豪邸でゴロゴロと好き放題に生きて優雅に暮らしている。
一歩間違えばどん底に落ちそうな人生だったからこそ彼女は目覚め、そして息子を守る為に自らの幸せを手にした。
だからこそ、トキニアは今日に至るまで何一つ不幸がなかった。
剣の才能があると見初められ天狗となった幼少時もあったが、あっという間に鼻っ柱を折られた。
その折った相手が今の師匠だからその事すらもトキニアの幸福の一つである。
才能に驕らず、優れた師匠の元で着実に剣の腕を磨き続けるトキニア。
万人に一人の才能を持ち、高位武官で指導役としても優れた師匠を持ち、恵まれた資産を持つ母が湯水の如く金銭を投資し、それでいて一切油断も慢心もせず、妥協なく己を鍛え続ける。
将来には武官となる事が約束された道筋、完璧なる栄光の道。
トキニアの未来は光が差す事のみが決定付けられていた。
その道筋までの一つ、それが今剣技トーナメントだった。
流石にトキニアも優勝出来るとは思っていない。
ここに優勝するのはそれこそ自らの師匠クラスの実力が最低でも必要になるからだ。
それでも、そこそこは勝ち上れると思っていた。
思っていたのだが……結果は一回戦敗退。
それ自体は気にしていない。
悔しくはあるが自分なら絶対負けないなんて思い上がる程愚かな考えを持つ様な腑抜けた訓練を受けていないからだ。
だが……それでも、対戦相手のその瞳だけは我慢出来なかった。
自分よりほんの少しだけ年上の少女が、自分に対して……敗者に対して哀れみの目を向ける様な状況に。
同じ様に外見で侮られる相手に対して油断して逆上し、何も出来ずに負けた挙句に同情の目を向けられる状況だけは、悔しくて悔しくてしょうがなかった。
勝てば正義。
敗者は文句を言う資格はない。
それがわかっているからこそ、トキニアは歯を食いしばり悔しがる事しか出来なかった。
プランは困り果てていた。
戦いは終わり、試合中奪った剣を返そうと少年に剣を差し向けるのだが……少年は受け取ろうとしてくれない。
ただ瞳に目いっぱい涙を浮かべ睨みつけて来るだけである。
そんな少年に対してプランは申し訳なさがどんどんと募ってくる。
勝敗自体はあっけないほど決まったものだが実力自体にはそこまで差はなかった。
そうプランは思っているのだが……このタイミングでそれを言う事は出来ない。
勝者が敗者にかける慰め程逆効果となるものはない。
どれだけ素晴らしい言葉であろうと敗者をいたぶる行為に外ならない。
かと言って武器を受け取ってもらえないとプランは帰る事も出来ない。
そんな理由はプランは困っていた。
「……えっと……良い武器だね」
とりあえずの選択として、本人を褒めるでも貶すでもなく武器を褒めてみた。
とは言え、別にお世辞ではない。
プラン自身でも振れそうな程の軽さでありつつも重心が安定しており、それでいてしっかりとした丈夫な刃を持った剣、
こんな物そうそうお目にかかれない。
嘘偽りなくこの武器は名剣と呼ばれる類の武器だった。
その言葉を聞いた少年は涙を拭ってからプランを睨みつけ、剣をふんだくる様に取り返した。
「……トキニア」
「え?」
「僕の名前はトキニアだ! 覚えておけ! もう武器を持っていないからといって絶対に油断しない。次は僕が勝つからな」
それだけ言い残し、少年は返事も聞かずその場を後にする。
その小さな背中にはプランの想像するより何倍も強い悔しさで溢れていた。
プランは何も言わず、振り向いてその場を離れる。
何か言葉にするのが無粋でしかない。
そうプランは初めての戦いで理解した。
プランは今日、初めて本当の意味で剣を競い合った。
ただまっすぐ、競い勝つ為だけに剣を振った。
怖くて嫌で悲しくて。
そんな気持ちは消えてないが……決してそれだけではなかった。
やり遂げたという小さな満足感と春の日差しに流れる風の様な爽やかさを胸にプランはそう考えた。
試合会場を出てそのまま闘技場自体から外に出た瞬間、プランの頬に冷たい何かが当たった。
「おつー。良い感じにやったじゃん」
そう言いながら頬に飲み物を押し当てるリーゼ。
プランは飲み物を受け取り、リーゼに微笑みかけた。
「ありがと。勝ったよ」
「知ってる。余裕だったね」
「んー。どうだろ。一手ズレたら逆だったと思うし余裕って事はないかな」
「その一手が……まあ良いや。ただ、綺麗に勝ちすぎたね」
「ん? どして?」
渡された薄甘い液体を飲みながらそうプランが尋ねると、リーゼはプランの背後を指差す。
そしてプランが振り向いた先には、職員らしき服を着た男性がプランを追いかけていた。
「選手プラン。初戦突破おめでとうございます」
そう言葉にし、男性はぺこりと頭を下げた。
「あ、はい。ありがとうございます」
「いえ。それで次の試合何ですが……」
「ああそっか。次の試合はいつですか?」
「三十分後に予定しておりますので準備の程をお願いします」
「はい。――はい?」
現実が理解出来ず首を傾げるプランに男性はにっこりと微笑んだ。
「では宜しくお願いしますね」
それだけ言い残し男性はその場を後にした。
「……なして?」
首を傾げたまま目をまーるくするプランを見てリーゼはニヤニヤと笑った。
「だから言ったじゃん。綺麗に勝ちすぎたって。疲労のない選手、汚れのない会場、そして短い試合時間で余った時間に退屈を覚える観客。ね?」
「……疲れてない訳じゃないんだけど……」
肉体的には余力は断然ある。
だが初めてのこういう場での戦いで、しかも無刀取りをかましたのだから精神的な疲労は決して少なくない。
それでも断れない事位はプランも理解していた。
「ま、頑張りなさい」
「りーぜー何かやる気が出る事言ってよー」
「しょうがないわね。終わったらご飯奢ってあげるわよ」
「まじで?」
「ええ。もちろん。そこそこは良い物食べさせてあげるから気合いれなさい」
「あい!」
プランは元気良く手を上げ、控室に走っていった。
「単純ねぇ……」
苦笑いを浮かべながらリーゼはそう呟き、観客席の方に歩き出した。
プランは二人目の対戦相手を見て、少しだけ安堵を覚えた。
一人目の相手の少年もそうだが、プランが来るまで戦っていた二人もどことなく身なりが良かった。
鎧や武具という話ではなく、インナーやズボンなどが明らかに高級品であり、武官とか貴族の生まれとかそういう話である。
だからこのトーナメントに来るのはそんな人達ばかりなのかと思い自分が場違いに思えた。
だが、そうではない。
普通の剣技トーナメントと同じくドレスコードなどなくどんな人間であっても、実力さえあればこの場に立つ事が出来る
明らかにガラが悪く、野蛮な様子の対戦相手に変な共感と安堵を覚えながらプランはそう考えていた。
細身の体にボロの布切れ、ところどころが不格好なジグザクの切り跡になってるのは自分でやったらしい。
裁縫が苦手なのだろう。
そんな酷い恰好なだけでなく態度や風格も普通ではないレベルのガラの悪さをしていた。
具体的に言えば場末の酒場に出て来る冒険者よりも数段下であり、それはギャリシーレベルのガラの悪さだった。
そんな男はプランを上から下までねちっこい視線で見た後、ぽつりと呟いた。
「乳臭いメスガキが紛れ込んで来たか」
その一言にプランは苦笑いを浮かべるだけで黙っておいた。
「選手クル。相手への暴言は……」
「へいへいわーってるわーってる。だからさっさと初めてくれ」
そう言いながら対戦相手の男、クルは退屈そうにしながら審判にそう言った。
「……選手プラン。準備は?」
「あ、はい。いつでも」
そう言葉にしてプランは剣を抜いた。
薄刃で刀身の長い剣、プランの為だけに作られた無銘で未名の剣。
その剣を見て、クルはわずかながら驚きの表情を作りニヤリと笑った。
「良いじゃねーか。思ったよりも殺しがいがありそうだ」
「選手クル! 故意の殺人は……」
「わーってるわーってる。言葉のアヤだ。気にすんな」
そう言葉にしてからクルは軽薄な笑みを止め、まるで狼の様な獰猛な笑みを浮かべ武器を構える。
ショートソードよりも更に短いダガー程度の刀身が順手側だけでなく逆手側にもついている。
しかもそれは棘の様な形状をしており斬る事は絶対に出来ず突く事専門。
その形状だけなら槍と呼んでも良い位だろう。
そんな不思議な両刃短剣の二刀流、計四本の棘を持ち、男は拳でのファイティングスタイルにも似た構えを見せた。
それに対してプランは普通に肩の力を抜き、正眼の構えを取る。
相手が奇道だからこその王道の構えの対峙。
挑発的な笑みを浮かべる相手に対しての無表情。
対比であるからこそ、ジリジリと焼け付く様な戦場の空気が漂う。
一瞬一秒も逃せない冷たい空気ではなく、ただただ暴虐で熱い空気。
それは正しく対戦相手クルの空気、純粋な闘争の空気だった。
「た、対戦始め!」
空気に飲まれかけた審判はそう言葉にしてからすぐさま二人から距離を取った。
ありがとうございました。




