Episode 3「親方の忠告」
翌朝、貧民街の空はまだ薄曇りだった。
リトは早くから目を覚まし、そっと毛布の中のセラの額に手をあてる。
熱はなく、呼吸も穏やかだった。
「……落ち着いてるみたい。よかった……」
まだ眠るセラを残し、リトはバンリとともに縫製工場へと向かった。
──
工房の奥では、親方のタゴスがいつものように作業台に向かっていた。
白髪まじりの無精ひげに、しわだらけのごつい手。
その指先は今日も迷いなく針に糸を通している。
バンリが口を開いた。
「親方、話がある」
その声に針が止まる。
「……その顔。いつもより余計なもん抱えてやがるな」
バンリは肩をすくめ、隣のリトを目で促した。
「……親方。実は昨日、林で女の子を見つけて……今、俺の部屋で休ませてて……」
その瞬間、タゴスの手がぴたりと止まる。
「首に、タリア公国の紋章のネックレスをつけてた。名前はセラ……セラフィーヌって」
しばらくの沈黙。
タゴスは低く鼻を鳴らし、しわだらけの指で煙草を取り出す。
「バカだなぁ、お前ら……。そいつが何者か、分かってんのか?」
「……わからない。でも、助けたくて……」
「昨日の夜な、裏の革屋から聞いた。街道の外れで“王族の馬車が野盗に襲われた”って話だ」
その言葉に、リトとバンリは思わず息を呑んだ。
「馬は逃げて、馬車も街道から姿を消したって話だ。その子が生き残りだとすりゃ、追っ手が出てるだろうよ」
煙草に火をつけ、くゆらせるタゴス。
その目は煙の向こうから鋭く二人をにらんでいた。
「いいか。これは、お前らが関わっていい話じゃねぇ」
「でも、あの子は“リズマール帝国に行かなきゃ”って……!」
「帝国だぁ? 余計にダメだ。リズマールが絡んでるなら、そいつは相当厄介な事情を抱えてるかもしれないな。お前らみたいな小僧が、守りきれる相手じゃねぇんだよ」
言葉を失うリト。
やがて、タゴスはくるりと背を向け、作業台に向き直り、もう一度針を持つ。
「……今日のノルマ、四着。文句言う暇があるなら、手ぇ動かせ」
その背中は、いつもより少しだけ険しかった。
──
夕暮れ。
石畳の路地を歩く帰り道、二人はしばらく無言だった。
「……やっぱり、無理なのかな。親方があそこまで強く止めるなんて……」
「俺たちじゃどうにもできないってことだろ」
風が吹き抜ける石畳の路地。
その向こうに、今日も変わらない貧民街の夕日が沈んでいった。
けれど、リトの胸にはまだ小さな火種が残っていた。
それは、ゆっくりと息を吹き返そうとしていた。




