Episode 21「月の森」
──オソノの工房──
セラは窓辺に立ち、遠くの山々を見つめていた。
太陽と月。
祖母が語ってくれた伝承。
そして、フィルノアの森の奥にあったとされる織師たちの工房。
思い出した言葉は増えた。
けれど、肝心な答えには辿り着けていない。
本当に自分は何かを見落としているのだろうか。
そんなことを考えていると、後ろから声がした。
「考え込むのもいいが、進まなきゃ何も始まらないよ」
オソノだった。
「……はい」
セラは小さく頷く。
工房へ入ってきたグラフが、地図を畳みながら言った。
「フィルノアへ向かう準備ができた。何かを確かめるなら、まずは現地へ行くしかない」
それを聞いて、オソノは腕を組む。
「フィルノアには興味があるね。それに、織物のことを調べるなら知識のある人間がいた方がいいだろ?」
グラフが少し驚いたようにオソノを見る。
「来てくれるのか?」
「ここまで首を突っ込んだんだ。今さら放っておけないよ」
グラフが笑う。
「あなたほど頼もしい人はいない」
「そうと決まれば、大急ぎで準備しなきゃだね!」
オソノが工房の奥へ向かって声を張る。
「バカ息子ども!留守の間、道具の手入れしとくんだよ!」
「母ちゃん、任せろ!」
「こっちは心配いらないって!」
「ゆっくり帰ってきていいよ!」
「誰がゆっくりするかい!」
奥から笑い声が響いた。
セラは静かに息を吐く。
逃げ出したあの日とは違う。
今度は自分の意思で向かうのだ。
──数日後──
一行は荷馬車に揺られながら山道を進んでいた。
夜は野営を繰り返し、朝になれば再び馬を走らせる。
フィルノアの森は古くから人を寄せ付けない場所として知られ、近づこうとする者も少ない。
グラフは森へ続く道を見ながら言った。
「ここから先は、私も初めてだ」
昼下がり。
荷馬車の揺れに身を任せながら、セラはふとリトの手元に視線を向けた。
そこには少し色褪せたハンカチがあった。
「リト。お母さんのこと、聞いてもいい?」
「母さん?」
「うん。そのハンカチを作った人なんでしょ?」
「ああ」
リトはハンカチを見つめる。
「正直、母さんのことはあんまり覚えてないんだ」
「病気で亡くなったのも小さい頃だったし」
「でも、服を直したり刺繍したりしてた姿は覚えてる」
「今思うと、親方より器用だったかもしれない」
向かいに座るオソノの目がわずかに細くなる。
「刺繍が得意だったのかい?」
「たぶん。父さんも、母さんのことはほとんど話してくれなかったし」
リトは少し色褪せたハンカチへ目を落とす。
「だから、こうやって母さんが残したものの意味を知れるかもしれないのは……ちょっと嬉しいんだ」
オソノはリトを見つめ、小さく頷いた。
「そうかい。何か見つかるといいね」
「うん」
──さらに二日後──
荷馬車はフィルノアの森の奥深くまで進んでいた。
木々は空を覆うように生い茂り、昼間だというのに辺りは薄暗い。
やがて木々の向こうに、水面が見えてくる。
セラが息を呑む。
「……願いの泉」
あの日、白銀のローブを纏い、願石に願いを託した場所。
何も起こらなかった泉が、あの時と変わらず静かにそこにあった。
グラフが荷馬車を止め、森のさらに奥へ目を向ける。
「ここから先は、荷馬車じゃ無理そうだな」
道らしい道は途切れ、木々と草が行く手を塞いでいる。
「馬もここに残していった方がいい」
オソノが頷く。
「織師たちの工房があるとすれば、この先だろうね」
一行は荷馬車と馬を泉の近くに残し、必要な荷物だけを持って森の奥へ進んだ。
だが、工房らしき場所はなかなか見つからない。
木々の間を進み、何度も行く手を阻まれながら、手掛かりを探し続ける。
日が傾き始めた頃、オソノが足を止めた。
「……待ちな」
落ち葉の中から拾い上げたのは、朽ちかけた小さな木片だった。
グラフが覗き込む。
「これは?」
オソノは土を払い、じっと見つめる。
「織機の一部だね。ずいぶん古いけど、間違いない」
リトが森の奥を見る。
「じゃあ……この近くに?」
「かもしれないね」
そこからさらに木々をかき分けて進んでいく。
やがて、生い茂る草木の向こうに、不自然に並ぶ石が見えた。
「……あれ」
リトが足を止める。
蔦に覆われた石壁。
半ば土に埋もれた柱。
長い年月、人の手が入った形跡はない。
グラフがゆっくりと近づいていく。
「こんな場所が……」
セラもその光景を見つめる。
「ここが……織師たちの工房なの?」
オソノは首を振る。
「まだ分からないよ」
リトは巾着袋の中にある小さな鍵を思い出す。
母がなぜ、あの鍵を残したのか。
その答えが、この先にあるのかもしれない。
一行は草木に覆われた石造りの建物へ、ゆっくりと近づいていった。




