Episode 10「憧れの人と、届かない現実」
翌日、昼──。
リトたちは約束通り、グラフの仕事場を訪れていた。
リトはその扉の前で、落ち着かない様子で深呼吸を繰り返していた。
「……おい、緊張してんのか?」
「してないってば……いや、してるけど。だって、グラフって俺の憧れなんだぞ」
「確かにあの人のデザインはカッコイイよな」
リトは興奮気味に続ける。
「貧民街出身で、世界に通じるデザイナーになった人だぜ?廃材からでも服を作る発想力。環境のせいにせず、道を切り拓いたってところ……マジでカッコいいって思ってる」
「まぁ、憧れの人が目の前にいると思うと緊張するよな」
セラは静かにその会話を聞きながら、そっとドアをノックした。
中から現れたのは、物腰の柔らかいイーランだった。
「お待ちしておりました。グラフが奥でお待ちです。どうぞ、お入りください」
三人が奥へと進むと、広々とした作業空間に、整然と並んだ布や型紙、裁ちばさみ。
そこに立つ一人の男──グラフがいた。
背筋を伸ばし、整ったシャツの袖をまくり、黙々と布の端を測っている。
指先は驚くほど繊細で、美しく整った所作だった。
リトはその姿に見惚れたように、言葉を失っていた。
(……この人が、グラフ)
グラフは手を止めて、三人に視線を向けた。
「君たちか……私はグラフだ。ナパラのタゴスさんにはお世話になっている。彼の紹介なら、歓迎しよう」
リトは緊張しながら答える。
「あ、ありがとうございます……俺はリト。こっちはバンリと、セラ」
「実は俺たち、タゴスさんの縫製工場で働いてるんです。グラフさんが依頼したサンプルを見て、一目でカッコイイって思って……それからずっと大ファンで。今日会えるの、楽しみにしてました!」
グラフは穏やかな笑みを浮かべて、静かに頷いた。
「それは嬉しいね。こんな若い子に気に入ってもらえるなんて。君たちがサンプルを作ってくれてたんだね」
「で、今日は私になんの用だい?」
セラが口を開く。
「……実は、探しているものがあるんです。『白銀のローブ』ってご存知でしょうか?」
グラフの眉が、かすかに動いた。
「……あぁ。有名だね。だが、今となっては幻に等しいものだ」
「幻……?」
「アトリウム社が“白銀のローブ”の再現に成功したと発表している。帝国お抱えの巨大企業でな。周辺の綿畑を買収し、最高級のシルクもほとんど買い占めている」
グラフは手元の布をそっと置く。
「製作も流通も厳しく管理されていて、手にできるのはアトリウム社と繋がりのある上流階級の者くらいだ」
リトの表情が曇る。
「ってことは、手に入れるのは……」
「不可能ではないが、限りなく難しい。金か、地位か、あるいは……」
「……」
グラフはそれ以上は語らず、手元の布に視線を戻した。
バンリが二人を見る。
「どうする?白銀のローブが手に入らないとなったら、俺たちの計画も頓挫するぞ……」
「やっぱり私が行くしか……」
リトがグラフに尋ねる。
「ダメ元でアトリウム社に行ってみるとか?……ちなみに、グラフさんでも手に入れるのは難しいですよね?」
「あぁ。申し訳ない。私は貧民街出身なんでね、簡単には手に入らない。あれは金だけで買えるものじゃないんだ」
グラフが三人を見渡す。
「しかし、何か事情があるみたいだね?」
「……はい。どうしても必要なんです。どうにか手に入らないかと思って」
バンリが疑問を口にする。
「でも、白銀のローブって、そんな簡単に作れるものなんですかね?」
「簡単ではないだろうね」
グラフの表情が少し曇る。
「噂では、リズマールの第二皇子セディルがアトリウム社を後ろ盾にしているらしい」
「セディルが資金を出し、腕の良い仕立て職人を集め、綿畑や上質な素材まで押さえているという話だ」
セラがその名を呟く。
「セディル……」
グラフは少し間を置いた。
「それでも、最初はなかなか上手くいかなかったらしくてね。そこでセディルは、私の師匠でもあるオソノに製作を依頼した」
リトが驚く。
「グラフさんの師匠?」
「ああ。私が服作りを学んだ人だ」
グラフは遠くを見るように目を細めた。
「腕なら、今でもあの人以上の職人を私は知らない」
「じゃあ、そのオソノって人なら白銀のローブのことを……?」
「知っている可能性は高い」
グラフは少しだけ表情を曇らせる。
「だが、リズマールの一件以来、彼女は仕立ての世界から身を引いてしまった。今どこにいるのか、私にも分からないんだ」
「……そうなんですか」
「ああ。だから今すぐ彼女を頼るのは難しい」
リトとバンリが顔を見合わせる。
グラフは静かに告げる。
「とにかく、白銀のローブはそんな簡単に手に入るものじゃない。ここまで来てもらって申し訳ないが、今の私では力になれそうにない」
「いえ、こっちこそ忙しいのにありがとうございます!」
ここでイーランが一歩前に出て、にこやかに言った。
「せっかく来たのだから、リズマールを見て行かれますか?グラフのお店や、他にもオススメのお店をご案内しますよ」
リトが思わず目を輝かせる。
「えっ、グラフさんのお店!?」
「おい、リト」
バンリに制され、リトはハッとする。
「ありがとうございます!今日のところは一旦、宿に帰ってこれからのことを話そうと思います」
「そうですか。分かりました。また何かありましたら、いらしてください」
グラフも声をかける。
「タゴスさんにもよろしく伝えておいてくれ」
リトは少し名残惜しそうにしながらも、頷いた。
「……はい。分かりました!ありがとうございます」
──
その夜。
三人は宿に身を落ち着けていた。
薄暗い部屋に、月明かりが差し込む。
バンリが口を開く。
「……で、どうするよ。白銀のローブがダメだって話だったじゃん」
リトが少し考える。
「どうするかー?自分たちで作れたりしないかな」
バンリはため息をつきながら言う。
「そもそも綿畑も買い占めてるとか、無理だろ」
セラが俯く。
「……やっぱりこれ以上、二人を巻き込む訳にはいかない。これは元々、私がリズマールに行かなきゃいけない話だから」
その時、外からバタバタと足音が近づいてきた。
「ここだ!」
兵士の声が響く。
セラが息を呑む。
「……っ!?」
バンリが舌打ちし、すぐに叫ぶ。
「チッ、やばい!逃げろ!」
三人は部屋の窓から飛び出す。
リトがセラの手を引き、バンリが背後を警戒しながら路地を駆けた。
しかし――
角を曲がった先にも、リズマール兵が立ちはだかっていた。
「そこまでだ!」
リトが足を止める。
「っ……!」
バンリが振り返り、叫ぶ。
「逃げろ、リト!セラを連れて先に――!」
「でも――」
その瞬間、別の足音が迫る。
セラが背後を振り返った。
「こっちにも来てる!」
次の瞬間、後ろからも兵士が迫り、三人はあえなく拘束された。
セラは別の馬車へと連れて行かれ、リトとバンリは帝国の牢獄へと投げ込まれた。
──
冷たい石の牢屋。
鉄格子の奥、リトとバンリは背を向けて座っていた。
しばらくして、バンリが口を開く。
「……なぁ。もうやめようぜ。こんなの無理なんだよ」
「……なに言ってんだよ」
「俺は母さんと約束してんだ。無理なら帰ってこいって。なのに、こんなとこで……セラも、どうなるか……」
「じゃあ見捨てるのかよ……?」
「何ができる?白銀のローブも、シルクも手に入らない。伝承?そんなもん、俺ら貧民に関係ない話だろ!」
「……!」
バンリは吐き出すように続ける。
「現実を見ろよ!どうせ明日には尋問だ。俺は“何も知らない”って言い張って、少しでも軽くしてもらう」
「……勝手にしろ」
背を向けたまま、互いの言葉はもう届いていなかった。
――帝国の闇が、静かに彼らを飲み込んでいく。




