58話 バルドル、容疑者になる(後)
カインはアイザックと共に、ボーリックの自宅を訪れた。
ドアを叩くと、しばらくして一人の女性が姿を現した。腕には包帯が巻かれ、顔には疲労の色が見えていた。
「貴女がボーリックさんですか」
「えぇ……あなたは?」
「私はカイン・グランフェルトと申します」
「グランフェルトって、容疑者の家族ですか」
「そうですね」
ボーリックはわずかに身構えた。
「……私に恨み言を?」
「私の弟は、ひったくりをするような男ではありません。金髪で、目撃証言が多いというだけで容疑者になっているようなので、真犯人を探しているのです」
「真犯人を……」
カインは穏やかな口調で尋ねた。
「ええ、ですので、私に事件のことを教えていただけませんか」
隣で聞いていたアイザックは、内心で少し意外に思っていた。
「(カインにしては冷静な口調だな……)」
普段のカインなら、相手の言葉尻を捕らえたり、遠回しに嫌味を挟んだりすることもある。しかし、今は被害者を刺激しないよう、慎重に言葉を選んでいた。
「いきなり、背後から金髪の男にカバンを盗まれました。それ以上のことは何も……」
「なるほど。ですが、ひとつ確認させてください。
なぜ、背後からひったくられたのに、犯人を男だと分かったんですか?」
「カバンを取られたとき、少し犯人ともみ合いました。一瞬だけ見えたんです。金髪で、男だと分かりました。でも他に特徴は……」
ボーリックは記憶をたどるように眉を寄せた。
「あっ、そういえば、手首に入れ墨がありました」
「入れ墨……具体的に覚えていますか?」
「すみません。一瞬の出来事だったので、そこまでは……」
カインは丁寧に頭を下げた。
「いえ、十分です。ありがとうございます。大変参考になりました」
二人がボーリックの家を出ると、アイザックが呟いた。
「入れ墨の男……そんなやつ見つかるか」
カインはすぐに踵を返した。
「今から女将さんのもとへ行きましょう。良い情報が手に入ると思います」
「……やっぱり女将の場所には行くのか」
「迅速な解決のためです。行きますよ」
「分かったよ……」
アイザックは渋々と頷き、カインの後に続いた。
カインとアイザックは、女将の酒場『フルジェンテ』へ入った。
昼間ということもあり、店内に客の姿は少ない。カウンターの奥で作業をしていた女将が、二人に気づいて顔を上げた。
「カイン、いらっしゃい。あれ、アイザックさんと来たの? 珍しい組み合わせね」
「今日は飲みに来たわけではありません」
「そうなの?」
女将は少し残念そうにしながら、二人を見比べた。
「女将さん、入れ墨を入れている男のたまり場や、王都にいる彫り師の居場所を、できる限り教えてください」
「なんか依頼でもあったの?」
「バルドルが容疑者で捕まりました。このままでは、私のハンディマン生活に汚点がつきます」
女将の表情が変わった。
「……バルドルくんがピンチなら助けたいわね。今、従業員たち呼び出して、場所を聞いてくるわね」
「ありがとうございます」
女将はすぐに店の奥へ向かい、従業員たちに声をかけ始めた。
普段から客の出入りが多い酒場だけあって、従業員たちは王都の人間関係や噂にも詳しい。思わぬところから、有力な情報が出てくるかもしれなかった。
「座って待っててね。アイザックさんは何を飲みますか?」
「水で……いいですよ」
「そう? カインはどうするの?」
「いつものをお願いします」
カインがそう言うと、女将は頬を緩めた。
「はーい、ただいまご用意いたします」
アイザックが呆れた声を出した。
「カイン……お前な」
「こういうときこそ、通常運転がいいんですよ」
「捜査中だぞ」
「ええ。だからこそ、焦りは禁物です」
カインは何事もなかったかのように、女将が用意した飲み物を口にした。
アイザックはそんなカインを見て、深くため息をついた。
しばらくすると、女将のもとに従業員たちが集まり、それぞれが知っている情報を口にし始めた。
女将と店の従業員たちから得た情報を整理し、カインとアイザックは二手に分かれて捜索を開始した。
夕方になると、カインとアイザックは一度グランフェルト邸に戻り、それぞれの捜査報告をした。
「金髪で手首に入れ墨のある男は、彫り師界隈では見つかりませんでした」
「俺は一件あった。従業員曰く、そいつは金髪の若造で、よく路地の酒場にいるみたいだ。金遣いは荒くて、手も出てしまうほど厄介者らしい」
「その人を追いかけますか」
「今から暗い時間帯だ。若造がたまりそうじゃねぇか」
「ええ。その酒場に向かえば、本人に会える可能性は高そうですね。
ですが、向かう前に、アイザック大隊長には準備をしていただきます」
アイザックが怪訝そうに眉をひそめた。
「準備? 何をするためだ」
カインは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「罠ですよ」
☆ ☆
アイザックとカインは、金髪の入れ墨男が出入りする酒場へ向かった。
すると、一人の金髪の男を発見した。
一人で浴びるように酒を飲み、顔はすでに真っ赤になっていた。
カインはバレないように近づいて、手首に入れ墨があることを確認した。
「(こいつか……)」
「カイン、行くぞ」
「ええ」
カインとアイザックが向かうと、金髪の男は不機嫌そうに声を上げた。
「てめぇら、オレになんの用だ」
「貴方、随分と酔っ払っていますね。何かいいことでもありましたか」
「俺は近衛兵だ。中央広場で起きたひったくり事件を追っている。すまないが、いくつか質問に」
金髪の男はジョッキを落として、人をかき分けて店を出た。
露骨な態度にアイザックは呆れつつ、カインへ尋ねた。
「……カイン、あれって当たりでいいと思うか」
「近衛兵の職質に逃げたんです。つまり、そういう意味です。予定通り、作戦を決行します」
「はいよ……。あんまり体力ねぇからな」
「お願いします」
アイザックが小さく息を吐くと、カインの指示どおりに動き始めた。
カインは追いかけることなくその場に残っていた。
「おい、待て!」
アイザックが追いかけるが、金髪の男は足を止めなかった。
金髪の男は急ぎ足で、路地を駆け抜けた。
途中、道端にあった泥水に何度か足を滑らせたが、金髪の男はそれを気に留めなかった。靴が汚れた程度で大した痛手ではなかった。
やがて、背後を振り返ると追っ手はなく、男はそのまま自宅へ帰ってこれた。
「た、助かった。なんで、近衛兵がオレに会いに来るんだよ」
男は荒い息を吐きながら、荷物をまとめて、ここから離れる準備を始めようとした。
そのとき、玄関ドアをドンドンと叩く音が響いた。
「こんばんは。貴方が逃げてしまうので、こちらから会いに来ましたよ」
「!?」
聞き覚えのある声に、金髪の男は顔を引きつった。
アイザックが呆れたように言った。
「カイン、タネ明かししてやれ」
「簡単ですよ。貴方が店から逃げることを想定し、逃走しそうな路地の数カ所に、あらかじめ泥水を撒いておきました。貴方はそこを通ったため、靴に泥が付着した。その足跡を追えば、ここまでたどり着けます。」
金髪の男は足元へ視線を落とした。
泥で汚れた靴が、男がどの道を通ってきたかを物語っていた。
「貴方は、その罠に気付かない時点で詰みですよ。我々を、容易くここまでご自身で誘導したんですからね」
「……そ、そんな」
アイザックは、そろそろ話を終わらせようと力強くドアを叩いた。
「今すぐドアを開けろ。こんなドア、蹴破ってもいいんだぞ」
金髪の男は観念して、ドアを開いた。
カインとアイザックが室内に入ると、棚の近くに置かれたカバンを見つけた。
「部屋に女物のカバンあるな。あれ、ひったくったもんだろ」
「……」
金髪の男は、何も言い返せなかった。
☆ ☆
近衛兵本部
バルドルはようやく釈放され、近衛兵本部の建物から外へ出た。
長時間の取り調べから解放されたことで、バルドルはほっと息をこぼした。
「マジで助かった……。ありがとうな、カイン、おっさん」
カインは当然ですよとばかりに、穏やかな笑みを浮かべていた。
「いえいえ」
その隣で、アイザックは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「バルドル、近衛兵の早合点で嫌な思いさせてすまなかった」
バルドルは肩をすくめて答えた。
「いいよ、おっさんが悪いわけじゃねぇし。犯人が捕まって良かったよ」
怒っているわけではない。だが、自分を疑った相手をいつまでも責め続けるより、事件が解決したことのほうが大事だと考えているようだった。
「そうですね。バルドル、さっさと家に帰りましょう。シャロンさんが心配してますよ」
「そうだね、じゃあなおっさん」
「ああ、気をつけて帰れよ」
二人の後ろ姿が遠ざかっていくのを見送りながら、アイザックは小さく呟いた。
「……本当に、バルドルが犯人じゃなくて良かった」
アイザックはしばらくその場に立っていたが、やがて踵を返し、近衛兵本部へ戻っていった。




