31話 ブロムベルク旅行(その3)
二日目
カインは珍しくバルドルよりも早く起床した。
隣のベッドではバルドルがぐっすりと眠っており、カインは今何時だろうかと時計を見た。
「(おや、まだ七時前ですか。今日も天気が良さそうですから、少しお散歩に行きましょうか)」
カインは宿の外に出て、城下町の近くを流れる川辺を散歩することにした。
今日は太陽の日差しが眩しいものの、風が吹いていて、ゆらりと紅葉が舞っていた。
カインはただ運動や健康のために散歩しているわけではなく、足を眺めるために歩いていた。
このように天気のいい日は、女性たちが朝早くから川辺に洗濯物を持ってきて、裾を捲し上げ、素足で川の中に入って洗濯物を踏みながら作業していた。
川の中で洗濯する人たちを見つけると、紅葉狩りを装って足を見ることができた。
さすがに近くで足をまじまじと見ると警戒されてしまうので、少し離れたところから見て、このときほど自身の視力のよさに感謝することはない。
「(本当に川辺とは最高の場所です。もう少し早起きを頑張らないといけませんね)」
気分をよくしたカインは、上流の方へ歩いていると、一風変わった男が川辺で目をつぶって寝そべっていた。
軍人のようなきっちりとした身なりに刀を携帯していた。近衛兵とも違う雰囲気があった。
釣竿や洗濯物があるわけでもないのに、何しに川辺にいるのかと気になり、カインは男の元へ歩いていった。
「こんにちは。貴方は先ほどから何をしているのですか」
男は声をかけられたことに驚き、少し間をおいて答えた。
「……水の音を聞いている」
カインは不思議そうに頭をひねった。
「水の音ですか?」
男は体を起こして、川を見ながら言った。
「ああ、今日の天気がいいから、川の流れも穏やかで静かな音がしている。こういう音は心が癒されるから聞いていたんだ」
カインは柔らかな笑みを浮かべ、素直に男の感性に同意した。
「風流なご趣味ですね。確かに水の音は癒されます。雫が一滴落ちた音でも愛らしさというものがありますからね」
男はコクリと頷いた。
「そうだ。水の音は天気や場所、時間帯によっても聞こえ方が異なる。こうやって静かに水の音を楽しめることが俺の喜びなんだ。……お前も水の音を聞きに来たのか」
「いえ、私はただ綺麗なお姉さんがいるか見に来ただけですよ。まだ素敵な出会いがありませんがね」
「そうか」
その言葉は少し残念そうに聞こえた。
カインは、自分と同じく他人には理解されにくい趣味を持つ者として、この男に親近感を覚えた。
カインはふと思い出した場所を男に教えた。
「アルテミスのラインハルトという場所はご存じですか」
男は横に首を振った。
「いや、知らない」
「そこは秘境の滝があり、とても綺麗な場所です。一度行ってみる価値がありますよ」
「そんな場所があったのか。教えてくれてありがとう」
カインはニコリと笑った。
「そろそろ私の弟が起きるので帰りますね。また、お会いしましょう」
「ああ、さようなら」
カインがいなくなると、男の部下の声が聞こえてきた。
「レヴェ部隊長、いますか! いるなら返事をしてください」
レヴェはもう迎えが来たかと、部下に手を振った。
「ここだ、ブラッド」
ブラッドは良かったとほっとした表情を浮かべ、レヴェの傍に来た。
「レヴェ部隊長、探しましたよ。なぜ、出かけるときに一言言ってくれないんですか」
レヴェはブラッドに小さく頭を下げた。
「すまん。すぐに帰るつもりだったんだが、川の音が心地よくて眠ってしまった」
それを聞いてブラッドは小さくため息をついた。
「またですか。みんなが心配しますから勘弁してください」
「悪かった。これから寝ないように努力する」
「さあ、戻りますよ。今日中にパリス副官に報告書を送らないといけませんからね」
「ああ、分かった」
レヴェは立ち上がり、ブラッドと一緒に宿へ戻っていった。
☆ ☆
カインはバルドルと一緒に朝食を済ませると、城下から少し離れた北東の方へ連れて行った。
緩やかな渓流が流れる、空気の澄んだ穏やかな場所だった。
しかし、人の姿はなく、これといって変わったものもない。
ここに何をしに来たのだろうとバルドルが思っていると、カインは満面の笑みで言った。
「面白いものを見せてあげますので、素足になって目を瞑ってください」
「どうしてそんなことを……」
「さっさと従いなさい」
バルドルは諦めたように「はい」と返事をして、靴を脱いで目を瞑った。
「……こうでいいか」
「ええ。開けてもいいというまで開けないでくださいね」
「わ、分かったよ」
「では、そのまま前進してください」
カインに言われた通り、慎重に右足を川の中に入れた。
くるぶしまでしか浸からない浅瀬で、温泉のように温かい水だった。
温かい水だと分かると、左足も入れた。
「(川のわりには温かいな。……それにしても何かが足の周りにまとわりついているような気がするぞ)」
「目を開けていいですよ」
「……ってさ、魚!?」
目を開けるとバルドルの足元に小魚が無数に群れていた。
バルドルが魚を追い払うように川から出ようとすると、カインに呼び止められた。
「出なくていいのですよ。それが彼らの役割なのですから」
「ど、どういうことだ」
カインは川辺で魚について説明した。
「彼らはガラ・ルファという淡水魚で、人の古い皮膚を食べるのです。牙はないので、怪我をする心配もありません」
「皮膚が餌?」
「マッサージ効果もあるそうですよ。ドクターフィッシュとも呼ばれています」
「そんな魚がいるのか……ってめちゃくちゃ魚が集まってきやがった」
バルドルの足元には再び小魚たちが集まってきた
「さて、私も川の中に足を入れますか」
カインは足だけを川の中に入れて、石のふちに座った。
小魚についばまれる感覚が、人にくすぐられているようで、バルドルの顔から笑みがこぼれた。
「くすぐったいな。……全然人がいないってことは、まだここは観光地として知られていないのか」
「ええ。つい最近ガラ・ルファが見つかったばかりですから。宣伝すれば人気が出ると思いますよ」
「ったく、目を瞑れとか言われたから一体何されるんだと思ったら、これかよ。ビビッて損したぜ」
カインは悪戯っぽい笑みを見せた。
「せっかくの旅行なのですから少しくらいいいではありませんか」
「まあ、これくらいいいけどよ」
カインの足元を見ると、バルドルよりも小魚が少なかった。
「カインのところ、魚少ないじゃねぇか。おい、お前らカインのところにも行けよ」
足で小魚をくいくいとカインの方へ追いやろうとしたが、少し散っては戻ってきてしまった。
どうしてだろうと思っているとカインはクスクスと笑った。
「あまりにも貴方の足が汚いので同情で居座ってくれているんですよ。彼らに感謝した方がいいですね」
「汚くないわ。毎日洗っているぞ」
「本当ですか。私が直々に足の手入れの仕方を伝授してあげましょうか」
そう言われると、バルドルはきっぱりと断った。
「いや、そんなことするくらいならドクターフィッシュにお世話になったほうがいいわ」
「(単純にお前が魚に嫌われているだけだろう)」




