19話 紋章官(その5)
そのころ、バルドルは二人の若い紋章官に呼び出されて、晩餐会の余興をする舞台裏にいた。
昨日のこともあり、今日こそは晩餐会を思う存分楽しもうと意気込んでいたのに、呼び出され、バルドルは不機嫌になっていた。
「なんだ、これから晩餐会が始まるんだから早く要件言え」
紋章官は憂鬱な眼をして答えた。
「実は余興をする予定だったゲストが喉を枯らして出られないんですよ」
「は!? 代役はいないのか」
「……立てていませんでした」
バルドルはあまりにもお粗末な紋章官の運営に呆れ気味に言った。
「……マジかよ」
すると、隣にいた紋章官がバルドルに頼み込んだ。
「あんた、ハンディマンだろ。なんとかしてくれ」
バルドルはこの男の言っている意味を察して首を激しく振った。
「俺は吟遊詩人じゃねぇ。いきなりそんなことを言われても困る」
紋章官はバルドルにすがりつくように懇願した。
「お願いします。余興の責任者は俺たちなんです。ここでやらかしたらトトリ紋章官に叱られるじゃ済まされないんです。確実に左遷されます」
「どうか、俺たちを助けてください」
バルドルは二人の紋章官に頭を下げられてしまい、少し考えてから渋々答えた。
「分かったよ、やってやる。じゃあ、俺の言うこと聞いてくれ」
バルドルは二つの条件を紋章官二人に言うと、意外だと驚いていた。
「それだけでいいんですか」
バルドルは頷いた。
「ああ。分かったら、さっさと用意しろよ」
バルドルは紋章官に派手に装飾された仮面とカツラを身につけて壇上に立った。
晩餐会ではすでに、それぞれが談笑や立食を楽しんでいる。壇上に目を向ける者はほとんどいなかった。
だが、頼まれた以上は最後までやってやる。
バルドルはそう開き直ると、一度ゆっくりと息を吸った。
そして次の瞬間、会場いっぱいに響き渡る、低く力強いバリトンが轟いた。
それまで談笑していた婦人たちも、酒を片手に騒いでいた騎士たちも、一斉に壇上へ振り向く。
厚みのある歌声が会場を満たしていく。力強さだけではない。声を張るところでは力強く、静かに歌うところでは柔らかく。抑揚を自在につけながら、バルドルは歌い続けた。
知っている歌など、昔、祖父から教わったものくらいしかない。
それでも、歌い始めてしまえば不思議と声が出た。
最初は頼まれたから仕方なく歌っていただけだった。だが、いつの間にか違っていた。歌うことが、楽しい。
そう気づいた頃には、バルドルの身体は自然と音楽に合わせて動いていた。腕が、肩が、足が、歌声に合わせてわずかに揺れる。
本人さえ気づかないほど自然な動きだった。
そして最後の一節を歌い終える。
一瞬の静寂のあと、会場から一斉に拍手と歓声が沸き起こった。
バルドルは一礼し、壇上から舞台袖に戻ると仮面とカツラを取った。
「……ふう、やりきったな」
すると、紋章官の二人がバルドルに近づいて今にも泣きそうな声で感謝の言葉を述べた。
「最高でしたよ! 歌上手ですね」
「本当に、ありがとうございます」
思いもよらない言葉にバルドルは嬉しそうにはにかんだ。
「いいってことさ。お前ら、約束通りに手配したか」
「はい、しました」
「じゃあ、俺戻るから」
舞台裏を出て、晩餐会の会場に向かおうと人気のない廊下をいくと聞き覚えのある笑い声が後ろから聞こえた。
「紋章官とは随分面白い仕事しているな、バルドル・グランフェルト」
まさかと思い振り向くと、アテナ傭兵隊・総隊長のクルエラが立っていた。
バルドルは口元をピクリと動かして、嫌そうに言った。
「ゲ、クルエラ。なんでお前がアルテミスのトーナメントに来ているんだよ」
「アルテミス王から誘いがあってな。暇つぶしに見に来たが、まさかこんな面白い余興が見られるとは思いもよらなかった。まあ、なかなかよかったぞ」
クルエラに自分が歌っていたことがバレてしまったことに落胆し、バルドルはやさぐれそうになった。
「悪かったな。下手で」
バルドルのふてぶてしい態度にクルエラは鼻で笑った。
「褒めているのにそう悪くとらえるとは疑い深いやつだ。兄はどうした? 来ているんだろう」
「知らねぇよ。なんだ、カインに会いたいのか? てっきり、嫌いだと思っていたぜ」
「ふん、あいつが一方的に嫌っているだけで私はそうでもない。あいつが口で私に負けたときの苦渋の表情はなかなか愉快だ」
カインと口喧嘩で勝ちたいだけだと知り、バルドルは呆れた。
「(本当に変態の考えていることってわかんねぇな)」
そんなことを思っていると見覚えのある青年が近づいてきた。
「あれ? 紋章官の格好なんてして何しているんですかバルドルさん」
クルエラの部下・ パリスが面白そうにバルドルを見ていた。
「ちょっと、紋章官のお手伝いをしているんだ」
パリスは納得したように頷いた。
「……ハンディマンも大変ですね」
「まあな。パリスがいるなら好都合だ。頼むからクルエラから目を離さないでくれ」
パリスはこっそりとバルドルに言った。
「それは難題ですよ。総隊長は首輪を付けても食いちぎるような人ですよ。私一人では無理がありますよ」
「そこを何とかしてくれ。カインに合わせたら厄介なことになるからよ」
クルエラは二人がコソコソと会話しているのに苛立ちを感じた。
「おい、何か言いたいことがあるのか。パリス、バルドル」
パリスは動揺せずに言葉を返した。
「別に何もありませんよ。総隊長、そろそろ公爵との会食のお時間ですから向かいましょう」
「もうそんな時間か。またな、バルドル」
クルエラが踵を返すと、パリスはバルドルをねぎらった。
「お仕事頑張ってくださいね」
「ありがとう、パリス」
二人の姿が見えなくなると、バルドルは大きなため息をこぼした。
「なんで次々と面倒ごとがでてくるんだよ」
重い足取りで晩餐会のバイキング会場に行くと、カインが歩み寄ってくれた。
「弟くん、さっき若い紋章官から聞きましたよ。わざわざ私が好きな料理をテントに運んでくれるように手配してくれたようですね」
「ああ、昨日みたいなことにならないようにと思って、一応やってもらったんだ」
「貴方が紋章官とそこまで仲良しになっていたとは意外でしたよ」
「そ、それは俺の技量を奴らが認めたんだよ」
カインは明らかに動揺する弟を見て、目を細めた。
「へぇー、そうなんですか。
そういえば、先ほど壇上に立った仮面の男性ですが……貴方の声にそっくりでしたね」
遠まわしな意地悪な言葉にバルドルはムッとしながらも頬を赤らめていた。
「本人だからな!」
カインは微笑んで、バルドルの肩をポンと叩いた。
「そんなむきにならないでください。貴方が何をしたのかは察しがつきます。
貴方の柔軟な対応お見事でしたよ」
意外なカインの発言に戸惑いを感じた。
「二日連続で褒めるなんてお前らしくねぇな」
「そうでしょうか、兄として弟を称賛するのは当たり前だと思いますが……弟くん、どうかしましたか」
「べ、別に。俺、腹減ったから飯を食べに行ってくる」
バルドルはまたカインに自分の恥ずかしい顔が見られると感じて、カインの元を離れてバイキングにあったフルーツやケーキを夢中になって食べた。
カインは先にテントへ戻り、バルドルが用意してくれた料理をありがたく食べた。
お互い、面倒な人物に会ったことは黙っていることにした。




