陽剣旅団
「いいよ」
セレスは、当たり前のように言った。あまりにも自然な声だった。アルドは、少しだけ目を瞬いた。
「セレス、話聞いてたか?」
「聞いてたよ」
「国と敵対するんだぞ」
「うん」
セレスは毛布を肩に掛けたまま、壁際に座っていた。目はもう眠っていなかった。
「ただ逃げ続けるなんて、無理があるでしょ。それに、このまま何も知らないまま死ぬなんてごめんだから」
言葉は静かだった。でも、迷いはなかった。
「それより、私は別のことが疑問」
「別のこと?」
「なんで私を起こさなかったのか、理解できない」
部屋の空気が、少しだけ止まった。アルドが視線を逸らす。レイスも、わずかに眉を下げた。ノルは翠穿を抱えたまま、すっと目を逸らした。エディンだけが、口元に手を添えて笑っている。
「それは申し訳ない」
レイスが最初に頭を下げた。
「すまない」
アルドも続く。
「ごめん」
ノルが短く言った。
「ごめんねぇ」
エディンが柔らかく言う。セレスは全員を見てから、少しだけ肩の力を抜いた。
「まあ、いいよ」
そこで、ハインが小さく手を上げた。彼も起きていた。首筋には、まだ薄い赤い線が残っている。セレスの治療で傷は塞がっているが、刃を当てられた跡までは消えていない。
「では、みなさんはこれから身を隠すのをやめるんですか?」
レイスが頷く。
「そうだな。これからは逃げないで迎え撃つ」
「わざわざ、こちらから向かっていく必要はないが、逃げる必要もない」
アルドが言った。ハインは少しだけ目を伏せ、それから小さく笑った。
「隠れるより、そちらの方がみなさんらしいです」
「そうだな」
アルドは息を吐いた。
「偽名呼びも終わりだ」
ノルの目が、ほんの少しだけ明るくなる。
「良かった」
セレスが微笑んだ。
「良かったね、ノーラ」
「やめて。私はノル」
「ふふっ、ごめんごめん」
それは、本当に小さなやり取りだった。だが、部屋の空気が少しだけ戻った。偽名をやめる。それは、逃亡の一つを脱ぐことでもあった。
「この後はどうする?」
セレスが聞く。レイスは少し考えた。
「とりあえず、ハインを南に送る。その間に考えよう」
「分かった」
セレスが頷く。その時、ハインがもう一度手を上げた。
「あの」
「どうした?」
「なら、皆さんの名前を決めませんか?」
アルドが首を傾げる。
「名前?」
「はい。もう隠れる必要はなくなったのでしょう? それなら、名を売った方がよろしいかと」
レイスの目が細くなる。
「何故だ?」
ハインは真顔で答えた。
「金です」
あまりにもまっすぐな言葉に、アルドが一瞬止まった。ノルが小さく吹き出す。エディンは楽しそうに目を細めた。
「アルドさんたちが名を売れば、その強さが知れ渡ります。そうすれば、今回の私のように、仕事を依頼したいと思う人が出てくるかもしれません」
「報酬を得ることができるってことか」
「はい」
ハインは頷いた。
「仲介は私がやります。仲介料もいただきますけど」
「ちゃっかりしてるな」
アルドが言う。
「商人ですので」
ハインは少しだけ胸を張った。その姿に、セレスが柔らかく笑う。だが、レイスはすぐには頷かなかった。
「だが、そうなると依頼人を巻き込むことになるかもしれない」
ハインは、レイスを見た。意見をぶつける恐れはあった。それでも、目を逸らさなかった。
「レイスさん。冷たいことを言うようですが、誰も巻き込まずにその道を歩むのは不可能です」
レイスは黙る。
「必ず、どこかで詰みます。私と出会った時のように」
部屋の中が、少しだけ静かになった。ハインは続ける。
「依頼人への説明は、危険性も含めて、私が言える範囲でしっかり行います。何かあれば、私の商会の信頼にも関わりますので」
「……」
「もちろん、全ての危険を消せるとは言いません。ですが、危険を隠して取引する商人は、次の縁を失います」
レイスは長く息を吐いた。その顔には、悔しさと納得が半分ずつ浮かんでいた。
「……ハインの言う通りだな」
レイスは低く言った。
「俺たちがしなければならないのは、それを含めての覚悟ということか」
「はい」
ハインは頷いた。
「巻き込まない覚悟ではなく、巻き込んでもなお、守り通す覚悟です」
アルドが、少しだけ笑った。
「レイスがハインに言い負かされる日が来るとはな」
「す、すみません」
「いや」
レイスは首を横に振った。
「少し嬉しかった。いい言葉も貰えた」
ハインの目が揺れた。
「……ありがとうございます」
「そうなるとさぁ」
ノルが翠穿の銃床に顎を乗せながら言った。
「新しく考えないとダメだよね」
「なんで?」
セレスが聞き返す。
「だって、黒豹はもう名乗れないでしょ。私たちを示す、別の呼び名が必要」
アルドは腕を組んだ。
「なるほどな」
全員が、同時に黙った。改めて考えると、難しい。王都討祓軍第一部隊、黒豹。その名は、彼らが背負ってきた居場所だった。だが、もうその名を使うわけにはいかない。黒豹は、討祓軍の獣章だ。今はもう、討祓軍ではない。
「緋剣団はどうだ?」
アルドが言った。
「却下」
レイスが即答した。
「え! なんでだよ! かっこいいだろ!」
「かっこよくないし、そもそもお前の炎はもう赤くないだろ」
アルドは自分の右手を見た。
「そっかぁ」
少しだけ本気で落ち込んだ声だった。
「はぁい」
エディンが片手を上げる。レイスが視線を向けた。
「エディン」
「藤風は?」
アルドが割り込む。
「響きはいいけど、隊長は俺だ。却下」
「あらぁ、残念」
エディンは本気で残念そうに肩を落とした。
「はい」
セレスが控えめに手を上げる。
「セレス」
「アルド軍団」
「安直すぎるな。却下」
「だよね」
セレスは素直に頷いた。
「はい」
ノルが手を上げる。全員が一斉にノルを見る。ノルは真面目な顔で言った。
「アルドと愉快な仲間たち」
沈黙。アルドが目を見開く。レイスも固まる。セレスは口元を押さえた。ハインは、商談中なら絶対に見せない顔でぽかんとしている。エディンだけが、笑う直前の顔で必死に耐えていた。ノルは首を傾げる。
「え? なに?」
アルドが恐る恐る聞いた。
「ノル、それ本気で言ってるのか?」
「うん。明るくて親しみやすくていいと思って」
レイスが額を押さえた。
「ここまでセンスがない奴がいるのか」
「翠穿ってつけたセンスはどこに忘れていったんだ」
アルドも真顔で言う。セレスが困った顔をする。
「ノル……さすがにそれは……」
ノルの肩が少しずつ落ちていく。
「え……そんなに?」
エディンが優しく微笑んだ。
「ノルちゃん。さすがに、おねぇさんでも擁護できないわぁ」
ノルはさらに落ち込んだ。
「……ひどい」
「いや、今のひどいの名前の方だ」
レイスが言う。ノルは翠穿を抱え直し、壁の方を向いた。
「もう案出さない」
「拗ねるな」
「拗ねてない」
アルドは少し笑ってから、息を吐いた。
「んー、改めて集団の名前って難しいんだな」
「そうだな」
レイスはハインへ目を向けた。
「ハインは何か案あるか?」
「私ですか?」
ハインは少し驚いた顔をした。それから、真剣に考え込む。商人の目になる。名前。売る名。呼ばれる名。信用される名。恐れられすぎず、軽すぎず、彼らの強さと目的が伝わる名。ハインの視線が、ふとアルドの外套へ向いた。首元にある小さな印。盾。燃える剣。自分がアルド達に相応しいと考え、作った、黒豹に変わる印。ハインは、ゆっくりと言った。
「陽剣旅団」
部屋の中に、その言葉が落ちた。
「陽剣、旅団」
アルドが繰り返す。
「はい」
ハインは頷いた。
「月酔い患者を、太陽のように照らし、その剣で夜骸を祓う。そんな旅団をイメージしました」
誰もすぐには茶化さなかった。その名には、軽さがなかった。だが、暗すぎもしなかった。逃げる者の名ではない。討祓軍の名でもない。それでも、夜と月に抗う者たちの名だった。アルドは小さく頷いた。
「いいな」
レイスが言う。
「旅団ってほど人数はいないがな」
セレスが微笑んだ。
「それを言ったら、部隊ってほど人数いなかったよ」
「まあ、それもそうか」
肩を落としていたノルが顔を上げる。
「いいね。明るそう」
「ノルの大事な部分はそこなのね」
エディンが笑う。
「おねぇさんは賛成よぉ」
アルドは全員を見た。レイス。ノル。セレス。エディン。ハイン。そして、そこにいないルシアン。
「決まりだな」
アルドは言った。
「俺たちは、陽剣旅団だ」
その言葉に、誰も反対しなかった。
◇
昼食は簡単なものだった。村長が好意で分けてくれた硬いパンと、干し肉、少しの野菜スープ。ハインが持っていた保存食も合わせて、全員で少しずつ食べた。豪華ではない。煤鳩亭の飯とは比べものにならない。それでも、温かいものが胃に入るだけで、身体は少しだけ現実へ戻ってくる。食事を終えた後、アルドがレイスを見る。
「どうする? 村を出るか? それとも今日のところはこのまま休むか?」
レイスは少し考え、ハインへ視線を向けた。
「大きな怪我はないとはいえ、だいぶ体力を消耗している。ハイン、次の大きめの村はどこにある?」
「今の速度ですと、ここから三日といったところでしょうか」
「三日か。それまでは野営か?」
「はい」
レイスは短く頷いた。
「なら、明日までここで休もう。ちゃんと回復してから行くべきだ、追跡線も切っている」
「分かった」
アルドも頷いた。セレスが立ち上がる。
「じゃあ、護衛を増やすね」
「護衛?」
アルドが聞き返す。セレスは家の外へ出ると、入口の横に片膝をついた。片手を土へ当てる。大地の魔力が、静かに集まった。地面が、低く鳴る。
「大地参式 岩儡生成」
土が盛り上がった。一つ。二つ。三つ。四つ。五つ。人の半分ほどの大きさの土人形が、地面からむくりと生まれた。さっきの荷車用とは違う。小さい。身体は軽く、手足も細い。顔には目のような窪みが二つあり、口らしい線まである。どことなく人形じみていて、妙に愛嬌があった。アルドがしゃがみ込んで覗き込む。
「さっきのやつとは違って、ちっこいな」
その瞬間、一体がアルドへ向かって拳を構えた。短い腕を前に出し、足を開く。小さいくせに、妙にやる気がある。アルドの目が少し輝いた。
「お、やるか?」
「やらないで」
セレスが即座に止める。
「さっきのは荷物を運ぶ用だから、大きくて力がある形にしたの。今回は見張りだから、小さくて機動力がある形にした」
説明している間に、小さなゴーレムたちは部屋の中へ駆け込んだ。床板をたたたた、と軽い音で走り回る。一体は壁の穴を覗き、一体は窓の下へ行き、一体は天井を見上げ、一体は扉の影に隠れ、最後の一体はなぜか部屋の中央で両腕を広げてポーズを決めた。ノルが真顔で言った。
「俊敏だね」
「でしょ?」
セレスは少しだけ誇らしげに笑った。
「ゴーレムが怪しい人物を見つけたら、私に信号が送られるから分かる。壊されても分かるよ」
レイスが顎に手を当てる。
「ゴーレムの目を掻い潜って侵入されない限りは分かるってことか?」
「うん。そして、ここにも」
セレスはもう一度、床へ手を当てた。
「大地参式 岩儡生成!」
部屋の中心に、細長いゴーレムが一体現れた。先ほどの五体より、さらに細い。身体は棒のようで、頭だけが少し大きい。アルドが首を傾げた。
「なんだこれ?」
「見せてあげて」
セレスが言う。次の瞬間、細長いゴーレムの首が素早く一回転した。ぎゅいん、と音が鳴る。アルドが目を丸くした。
「おお、三百六十度見れるのか」
レイスも少しだけ身を乗り出す。
「しかも回転が早いな」
「うん。私たちが寝てる間、回り続けるよ」
「頼もしいな」
レイスは頷いた。
「一体が定点で警戒、他の五体が巡回警備か」
「うん」
アルドが聞く。
「魔力は大丈夫なのか?」
「大丈夫。それなりに消費するけど、作った時だけ。常に消費するわけじゃないよ」
「便利だな。時間制限とかあるのか?」
「うん。最初に込めた魔力で、強さとか稼働時間が決まるの。今回はそこまで込めてないから、全然強くないし一日しか持たないよ」
その瞬間、小さなゴーレムたちが一斉に振り返った。目の窪みが見開いたように見える。アルドが吹き出した。
「本人たち驚いてるぞ」
「大丈夫だよ」
セレスはしゃがみ、小さなゴーレムの頭を撫でた。
「よろしくね」
ゴーレムたちは、目の窪みを嬉しそうに細めた。それから一斉に走り出し、それぞれの持ち場へ散っていく。扉の外。家の裏庭。屋根の影。二階に続く階段。そして、勝手口。細長い一体だけは、部屋の中央に残って首を回し始めた。ぎゅいん、ぎゅいん、ぎゅいん。アルドは満足そうに伸びをした。
「あいつらに任せて、俺らはたっぷり寝させてもらうか」
「そうだな」
レイスが頷く。エディンが窓の外へ手を振った。
「頑張ってねぇ!」
裏庭に向かった小さなゴーレムの一体が、振り返り、全身を使って手を振った。エディンの目が輝く。
「……すごくかわいいわねぇ」
セレスも頷いた。
「うん、かわいい」
「護衛として見ていいのか、それ」
レイスが呆れたように言う。だが、その声にも少しだけ柔らかさがあった。
◇
一行は早めの夕食を取った。日が傾く前に食べ、日が沈む前に眠る。夜に動く必要がないなら、身体を休めるべきだった。村人には、ハインが改めて事情を伏せたまま礼を伝えた。名は売ると決めた。だが、何もかも晒すわけではない。陽剣旅団。その名が本当に外へ出るのは、もう少し先のことになる。部屋の中では、全員が毛布を分け合いながら横になった。土の匂い。古い木の匂い。外から聞こえる虫の声。そして、部屋の中心で首を回し続ける細長いゴーレム。
ぎゅいん、ぎゅいん、ぎゅいん、ぎゅいん。レイスは毛布を肩までかけ、横になったまま、そのゴーレムを眺めていた。眠れる。ようやく眠れる。そう思った矢先。ぎゅいん、ぎゅいん、ぎゅいん、ぎゅいん。レイスは目を開けた。
「……少しうるさいな」
ゴーレムの首が、ぴたりと止まった。それから、少しだけ遅く回り始める。ぎゅいん……ぎゅいん……ぎゅいん……。レイスは、ふっと息を漏らした。
「気遣い感謝する」
その音を聞きながら、レイスは目を閉じた。外や死角では、小さなゴーレムたちが見張りに立っている。入口には、大きな土の背中がある。部屋の中には、眠る仲間たちがいる。ルシアンはいない。レイスは、ゆっくりと目を閉じた。
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