逃亡者と反逆者
川下に着いた頃には、東の空が白み始めていた。夜はまだ完全には明けていない。けれど、黒かった森の輪郭は少しずつ薄くなり、川面には灰色の光が滲み始めている。組立式の浮船は、よく働いた。板材と革袋、折り畳み式の金具を組み合わせた小さな浮船は、荷を抱えたまま川の流れに乗り、馬で進むよりもずっと早く下流へ運ばれた。追跡の痕跡も、水がほとんど奪ってくれた。川下で荷車へ積荷を移し替えると、一行はまた歩き出した。
レイスは少し遅れて、後方からついてきている。川辺に残った足跡、草の倒れ方、荷を引き上げた跡。そうしたものを一つずつ消しながら進んでいるためだ。本来なら、休むべきだった。第三部隊との戦闘。夜骸との遭遇。川下り。ルシアンの連行。誰もが限界に近い。それでも、休もうとは誰も言わなかった。言葉にした瞬間、立ち止まってしまう気がした。考えてしまう気がした。ルシアンがいないことを。追うなと言われたことを。
ハインに託された言葉を。だから、ただ歩いた。何も考えないように。足を前に出すことだけを、身体に命じ続けた。荷車は、土でできた大きな人形が引いていた。人形、と呼ぶには、少し大きい。肩幅があり、背が低く、ずんぐりとしている。顔らしい顔はないが、頭の部分には鼻のような出っ張りがあり、両腕は太く、足は短く頑丈だった。地面から生えたような土の身体が、ぎし、ぎし、と音を立てながら荷車を引いている。
アルドはその背中を見て、ぽつりと言った。
「これ、便利だな」
セレスが少しだけ顔を上げる。目の下には疲れが濃く出ていたが、声だけはどうにかいつもの調子に寄せていた。
「でしょ。この前、ゴードを思い出して、試しに作ってみたんだ」
アルドは土人形の背を見た。太い腕。黙って進む背中。荷を引く姿。敵の前に立つわけではない。盾を構えるわけでもない。それでも、見ているだけで、少しだけ胸が痛くなる。
「確かに……似てるな」
アルドは小さく笑った。
「頼もしさとか」
後ろから追いついてきたレイスが、土人形を見上げた。
「無口なところも似ている」
エディンが首を傾ける。
「顔も少し似てるわぁ」
ノルが即座に言った。
「ギリギリ悪口かも」
「そうかしらぁ。可愛いじゃない」
「それもギリギリ悪口かも」
いつも通りのやり取りだった。ひどく薄い、いつも通りだった。誰かが少し笑った。けれど、会話はそれ以上続かなかった。また足音だけになる。土人形が荷車を引く音。荷が揺れる音。ハインが抑えきれずに漏らす、浅い呼吸。セレスの治療がまだ済んでいない傷が、誰かの動きに合わせて小さく痛む気配。レイスが後方を確認する足音。ルシアンがいたなら、と。誰も言わなかった。
「あそこです」
ハインが、掠れた声で前方を指差した。森の切れ間の先に、小さな村が見えた。畑があり、木の柵があり、低い屋根の家がいくつか並んでいる。王都近郊の村に比べれば、ずっと小さい。宿場町でもない。ただ、人が暮らしているだけの村だった。
「あそこで休息を取る予定でした」
「行こう」
アルドが答えた。その時、道の脇の土が盛り上がった。泥と枯葉が混じった塊が、二つ。ずるりと形を変えながら、道を塞ぐ。雑級夜骸。まだ夜が残っている。朝日が完全に昇る前の、最後の暗がりに引きずられて出てきたような姿だった。誰も構えなかった。構えるより早く、アルドの右手に蒼い炎が灯った。蒼炎が、夜明け前の空気を照らす。雑級が蠢いた。アルドは一歩も止まらず、右腕を振った。蒼い火が走る。炎は二体の雑級を包み、泥と枯葉のような身体を一瞬で焼いた。
核が弾ける音が、二つ。夜骸は崩れた。誰も、何も言わなかった。アルドも振り返らなかった。一行は、ただ進んだ。夜明けと同時に、村へ着いた。荷馬車はない。馬もいない。だが、土の人形が荷車を引いているため、移動だけなら大きな問題はなかった。問題は、自分たちの見た目だった。服は破れ、泥に汚れ、血の跡がある。ハインの首筋には傷があり、セレスの腕も震えている。ノルは目の焦点が合わないまま歩き続け、エディンでさえ肩の動きが重い。
村人たちは最初、警戒した。当然だった。夜明けに、見知らぬ一団が、土の人形に荷車を引かせて現れたのだ。だが、ハインが前に出た。商人として名乗り、荷を守る途中で襲撃を受けたこと、しばらく休む場所が欲しいこと、代金は払うことを、掠れた声で丁寧に説明した。村長はしばらく悩んだ末、村の隅にある空き家を使っていいと言ってくれた。宿屋はなかった。大きな村ではない。空き家は、かつて猟師が使っていたらしい小さな家だった。
壁には隙間があり、床板は少し軋む。台所らしきものはあるが、火は落ちて久しい。寝台もなく、古い毛布と藁束が残っているだけだった。それでも、壁がある。屋根がある。外から見えない。今の一行には、それだけで十分だった。セレスは土人形を家の入口の外へ座らせた。土の背中が、扉を塞ぐようにどっしりと落ち着く。アルドはそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「本当に、似てるな」
セレスは答えなかった。ただ、土人形の肩に軽く手を置いた。
「少しだけ、守ってて」
土人形は何も言わない。ただ、入口の前で動かなくなった。家の中へ入ると、全員がその場で崩れ落ちそうになった。
「先に治療する」
セレスが言った。誰も反論しなかった。セレスは両手を胸の前で合わせ、小さく息を整えた。水の魔力が、淡く指先に集まる。ルシアンの治療とは違う。あの柔らかな光のような手つきではない。痛みを包むような温度も、傷ついた者の呼吸に合わせる丁寧さも、少しだけ足りない。けれど、セレスの手は迷わなかった。傷を洗い、血を止め、浅い裂傷を塞ぎ、腫れた場所を冷やす。ルシアンほどではない。それでも、手際はいい。
必要な順番を間違えない。ハインの首筋の傷を見た時だけ、セレスの指が止まった。
「……痛む?」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ」
「……少しだけ、痛いです」
「最初からそう言って」
セレスはそっと水の魔力を流した。ハインが小さく息を吸う。傷が塞がる。だが、首に残った赤い線は、すぐには消えなかった。アルドは、壁に背を預けて座っていた。右手を見ている。何度も、何度も。蒼炎は出していない。ただ、自分の手を見ている。何かを掴めなかった手。ルシアンを取り戻せなかった手。ノルの翠穿を、下ろさせた手。
「アルド」
レイスが声をかけた。アルドは顔を上げない。
「寝ろ」
「……ああ」
返事だけはした。けれど、目は閉じなかった。ノルは壁際に丸くなって、翠穿を抱えたまま座り込んでいた。
「それ、置いたら?」
セレスが言う。
「嫌」
「寝にくいでしょ」
「寝ない」
「寝るの」
「嫌」
セレスはため息をついた。
「じゃあ、抱いたまま寝なさい」
「そうする」
ノルはそのまま目を閉じた。数秒後には、呼吸が浅く整い始める。限界だった。エディンは部屋の隅に腰を下ろし、大剣を膝元へ置いた。
「セレスちゃんも寝なさいなぁ」
「全員診てから」
「その全員に、あなたも入ってるわよぉ」
「分かってる」
「分かってない顔ねぇ」
「エディンも寝て」
「あら、おねぇさんはまだまだ――」
「寝て」
セレスの声が、少しだけ強くなった。エディンは一瞬だけ目を丸くし、それからゆるく笑った。
「はいはい。怖いわねぇ」
そう言って横になった。ハインは壁際で膝を抱えていた。まだ眠れそうにない顔をしていたが、まぶたは何度も落ちかけている。
「ハインさんも」
セレスが言う。
「……はい」
ハインは素直に頷いた。誰も、ルシアンの名を出さなかった。名前を出せば、そこに穴が開く。今は、眠るしかなかった。生きるために。考えるために。取り戻すために。セレスの治療が終わる頃には、部屋の中は静かになっていた。アルドだけが、しばらく目を開けていた。壁の隙間から、朝の光が細く差し込んでいる。その光を見ながら、アルドはずっと考えていた。逃げること。生きること。守れなかった者たちのこと。
取り戻せなかった手のこと。そして。このまま逃げ続けた先に、何が残るのかを。
◇
同じ頃。峡谷の出口近くでは、第三部隊の隊員たちが地面に転がっていた。死んではいない。だが、起き上がれる者はほとんどいなかった。拘束網は破れ、短槍は折れ、地面には焦げ跡と水の跡、弾痕と血の跡が残っている。夜骸の残骸も、朝の光に晒されて黒ずんでいた。クライスは、ゆっくりと目を開けた。頭が重い。全身が痛む。それでも、意識が戻った瞬間に、まず周囲を見た。隊員の数。負傷者。死亡者の有無。
装備の破損。追跡可能な痕跡。そして、ロザリア。彼女は岩肌に背を預けて座っていた。片膝を立て、腕をその上に乗せ、空を見上げている。いや、見上げているのではない。睨んでいた。
「隊長」
クライスは上体を起こした。喉が掠れている。
「追いますか」
ロザリアの目だけが、クライスへ向いた。
「何を言ってるの」
声は静かだった。静かな分だけ、冷たい。
「この状況で追えるわけないでしょ。少しは自分の頭で考えなさい」
「……すみません」
「もう十分寝たでしょ」
ロザリアは立ち上がった。服には土がつき、袖の一部は裂けている。頬にも薄く傷があった。それでも、立ち方は崩れていなかった。
「全員を叩き起こしなさい。動ける者で負傷者を運ぶ。王都に戻るわよ」
「了解しました」
クライスは立ち上がり、近くの隊員へ向かった。背後で、ロザリアが空を睨む。朝日が峡谷の上へ差し始めている。黒豹はもういない。ハインも、荷もない。そして、彼女の部隊は潰された。捕縛対象に、殺さずに。ロザリアの唇が、ゆっくりと動いた。
「次は殺す……」
クライスは、それが聞こえなかったふりをした。聞こえたことにすれば、止めなければならない。今は、隊員を起こす方が先だった。
◇
ノルは目を覚ました。最初に見えたのは、薄暗い天井だった。木の梁に、小さな蜘蛛の巣がある。次に、部屋の中の呼吸を数えた。アルド。レイス。セレス。エディン。ハイン。全員、寝ている。エディンですら、深く寝入っていた。かなり珍しい。いつもなら、こちらが起きた時には先に目を開けていて、寝たふりか本当に寝ているのか分からない顔で笑っている。今は違う。呼吸が深い。疲れている。ノルは翠穿を胸元に抱えたまま、目を細めた。
意識を、部屋の中へ広げる。空気の流れ。魔力の濃淡。床板の隙間。壁の穴。誰がどこで寝ているか。全部、分かる。アルドは壁際。レイスは扉に一番近い位置。セレスはハインの近く。エディンは部屋の隅。ハインは膝を抱えたまま眠っている。さらに広げる。入口の外には、土の人形が座っていた。どっしりと。動かず。扉を塞ぐように。ゴードみたいだ、とノルは思った。意識をさらに外へ逃がした。村の朝が見える。
正確には、見えているわけではない。けれど、分かる。近くの家で、子どもが母親の料理を手伝っている。小さな手で、何かを混ぜている。ノルは料理ができない。混ぜるくらいならできるかもしれない。でも、できたところで多分まずい。さらに広げる。畑がある。男が土を耕している。畝の形。葉の伸び方。あれは、たぶんキュウリだ。嫌いだ。あの瓜くささが、どうも苦手だ。さらに広げる。別の男が、畑の端へ近づいている。
妙に足音が軽い。手を伸ばした。キュウリを一本、もいだ。ノルは目を細めた。
「盗んだ」
小さく呟く。指先を上げる。空気を豆粒ほどに丸めた。魔力をほんの少しだけ通す。撃つほどではない。殺すためでも、傷つけるためでもない。ただ、当てるだけ。ノルの指先から、小さな空気の弾がふわりと離れた。壁の穴をするりと抜ける。外へ出る。そこから、風で弾道を曲げる。家の陰。柵の隙間。畑の上。キュウリを盗んだ男の額。こつん。
「いてっ! なんだ!?」
遠くで声が上がった。
「あ! おまえ! またオラのキュウリを食ったな!」
「やべ! 逃げろ!」
足音が二つ、畑の周りを走り始める。ノルは満足げに、指先へ息を吹きかけた。
「ふふっ。命中」
「もう、そこまで使えるようになったのぉ?」
背後から声がした。ノルは振り向く。エディンが、少し驚いた顔でこちらを見ていた。寝起きのはずなのに、髪の乱れまで妙に様になっている。
「起きてたの?」
「今起きたのよぉ。そしたら、面白いものを見ちゃったわぁ」
「うん」
「凄いわねぇ。アルドちゃん以上じゃない?」
ノルは鼻で笑った。
「まぁ、才能ってやつ?」
「調子に乗ってるな」
アルドの声がした。ノルとエディンが同時に振り向く。アルドは壁際で上体を起こしていた。目は眠そうだが、声はもう普段に近い。
「聞いてたのぉ?」
エディンが笑う。
「凄いわねぇ、から聞いてた」
「最初からじゃん」
ノルが顔をしかめる。アルドは立ち上がり、二人の近くへ来て腰を下ろした。外では、まだキュウリ泥棒を追う声がしている。それが、少しだけ現実を遠くした。少しだけ。アルドは膝に肘を乗せ、手を組んだ。
「昨日からずっと考えてた」
ノルの顔から、薄い笑みが消えた。エディンも、アルドを見る。
「いや、ぼんやりとなら、もっと前からか」
「何を?」
ノルが聞いた。
「俺たちの目的だ」
「目的?」
「ああ」
アルドは部屋の中を見た。眠っているレイス。セレス。ハイン。入口を塞ぐ土の人形。そして、いないルシアン。
「俺たちは王国の秘密を知った。だから逃げるしかなかった。そして今、追われてる」
「そうねぇ」
エディンが静かに返す。
「その先に何がある」
アルドの声は、低かった。
「このまま逃げ続けて、何が残る? 何を得られる?」
ノルは少し考えた。
「生き残れる」
「ああ」
アルドは頷いた。
「だが、それだけだ。王国から出て、逃げ切って、国外で寿命で死ぬ人生だ」
「……うん」
「そんな天寿を全うしたところで」
アルドの拳が、少しだけ強く握られる。
「向こうでバルト、ルカ、ゴードに合わせる顔がない」
エディンが息を吐いた。
「耳が痛い話だわぁ」
「ルシアンも取り戻せない」
ノルが、小さく言った。アルドは頷いた。
「ああ」
その一言だけで、部屋が少し重くなる。ルシアンの名前は、やはり穴を開ける。それでも、もう避けられなかった。
「多分、俺たちは国側の人間以外で、国の秘密を知る唯一の人間だ」
「でしょうねぇ」
「見る角度が違えば、たどり着く答えも違うはずだ」
ノルが目を細める。
「……何が言いたいの?」
アルドは、ゆっくりと言った。
「月酔いの治療法を探す」
エディンが目を丸くした。それから、少しだけ笑う。
「……大きく出たわねぇ。さすがアルドちゃん」
ノルは即座に聞いた。
「そんなこと、できるの?」
「分からない」
アルドは正直に答えた。
「でも、このまま逃げ続けるくらいなら、三人に報いることができる道を選びたい」
「なるほど」
「それに」
アルドは少しだけ視線を落とした。
「治療法が分かれば、王国に教えることを交換条件に、ルシアンの引き渡しを交渉できる」
エディンの目が、わずかに細くなる。
「間違いなく乗ってくるでしょうねぇ」
「うん」
ノルも頷いた。
「乗ってくる」
「治療法が分かれば、の話だけれど」
エディンの言葉に、三人は黙った。分かっている。そんなものが簡単に見つかるなら、とっくに誰かが見つけている。王国も。白天還教も。灰冠も。何かを知っている誰かが、何かをしているはずだ。それでも、今の彼らには、それしか道がなかった。
「……やる価値はある」
低い声がした。レイスが、目を開けていた。壁に背を預けたまま、こちらを見ている。アルドが少しだけ眉を上げた。
「起きてたのか」
「ああ」
レイスは上体を起こした。
「そんな大事な話を俺抜きでするな」
「すまん。流れでな」
「流れで人生を決めるな」
ノルが小さく笑った。レイスはそれを見てから、すぐに表情を戻した。
「俺も考えていた」
「月酔いの治療法か?」
「いや」
レイスは首を横に振った。
「夜骸の方だ」
「夜骸の方?」
「ああ」
レイスは膝の上で指を組んだ。
「月酔い患者が夜骸になることは、ルカの件で確定だ」
「だが、全員が大級になっているわけじゃない」
「だろうな」
アルドが言う。
「そんなことになってたら、もうこの国は夜骸の国になってる」
「その通りだ」
レイスは頷いた。
「だから、夜骸になる条件や等級が決まる条件があるはずだ」
「夜骸化条件ってことか?」
「そうだ」
レイスの目が、いつもの鋭さを取り戻していく。
「思い浮かんでいることはある。だが、どれも根拠は全くない」
「……どちらにせよ、情報が足りないってことねぇ」
エディンが言った。
「ああ」
レイスはエディンを見る。
「だが、その情報を取る方法がある」
ノルが嫌そうな顔をした。
「そんなの、どうやって取るの?」
レイスは短く答えた。
「灰冠だ」
アルドが眉を寄せる。
「灰冠を尋問するつもりか?」
「そうだ」
レイスは迷わなかった。
「まずは奴らと同じ地点に立たないと、先に進めない」
エディンが肩をすくめる。
「レイスちゃんまで大きく出たわねぇ……」
「つまり」
レイスは続けた。
「この道を歩むなら、俺たちは逃亡者から反逆者になる」
部屋の空気が変わった。
「国との全面戦争に近い」
ノルが小さく呟く。
「反逆者……」
「ハインの話では、灰冠はルシアンを殺せなかった。俺たちについても、即時殺害ではなく捕縛や連行を優先している可能性が高い」
「なんでだろうな」
アルドが言った。
「分からん」
レイスは即答した。
「だから敵対せず、逃亡者のままなら、これから先も生きていけるかもしれない」
誰も、軽く頷かなかった。生きていける。それは、間違いなく大事なことだった。ルシアンが守ろうとしたのも、それだ。ハインが生き残ったことを、レイスが無駄にするなと言ったのも、それだ。生きることは、軽くない。けれど。
「意見を聞きたい」
レイスは全員を見る。まだ眠っているセレスとハインにも、一瞬だけ視線を向けた。
「ここで、敵対ルートと逃亡ルートで分けよう。今後の人生を決める決断だ。それぞれ、納得できる方を選ぼう」
アルドが眉を寄せた。
「全員で同じ方に向くんじゃないのか?」
「ああ」
レイスは頷く。
「この先は、あまりに危険すぎる。それに、もう俺たちは討祓軍の人間じゃない。塊で動かなければならない決まりはない」
その言葉は、少しだけ痛かった。討祓軍の人間ではない。黒豹ではある。だが、王都討祓軍第一部隊ではない。命令もない。任務もない。帰る隊舎もない。ローグレスへ報告する朝もない。だからこそ、自分たちで選ばなければならない。
「俺は当然、敵対だ」
レイスが言った。
「アルドは?」
「敵対に決まってるだろ」
「お前はそうだな」
「聞く意味あったか?」
「一応な」
レイスはノルへ視線を向ける。
「ノルは?」
ノルは翠穿を抱え直した。
「逃げるのは性に合わない」
「ほう」
「敵対の方が楽しそう」
「軽く決めるな」
「軽くない」
ノルは真顔で返した。
「どうせ死ぬなら、楽しく生きる」
アルドが黙った。レイスも少しだけ黙った。それから、ぽつりと言う。
「……お前、アルドに似てきたな」
ノルの顔が歪んだ。
「……今までで一番の悪口」
「俺も傷つくんだぞ」
アルドが不満そうに言う。エディンが小さく笑った。ほんの少しだけ、部屋の空気が戻る。レイスはエディンを見た。
「エディンはどうする?」
「当然、ついて行くわぁ」
エディンはあっさりと言った。
「国と敵対するなら、強くならないと駄目でしょ? 先生は必要よぉ」
「助かる」
「あら、素直ねぇ」
「今は茶化す余裕がない」
「そういうところ、嫌いじゃないわぁ」
レイスはため息をついた。ノルがセレスの方を向く。
「えーっと、セレスは……」
全員の視線が、部屋の奥へ向いた。セレスは、ハインの近くで横になっていた。治療を終えた姿勢のまま、力尽きたように眠っている。ハインも、膝を抱えたまま寝息を立てていた。二人とも、深く眠っている。ノルが小さく言った。
「後でにしよっか」
アルドは頷いた。
「ああ」
レイスも、少しだけ表情を緩めた。
「後でだな」
外では、キュウリ泥棒を追いかける声が、まだ遠くで続いていた。入口の前では、土の人形が黙って座っている。朝日は、少しずつ村の屋根を照らし始めていた。逃亡者として迎えた朝だった。けれど、彼らはもう、ただ逃げることだけを考えてはいなかった。
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引き続き明日の20時頃更新予定です。
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