織物の行き先
三日後。カリオス村の通りを、ロザリアとクライスが歩いていた。ロザリアは村の通りを見ながら、退屈そうに息を吐いた。
「残っていた痕跡も、村人から得られた情報も、巨象からの報告通りだったわね」
隣を歩くクライスは、手元の記録紙を軽く整える。
「だから私は反対だったんです。無駄足だと」
「あら、冷たい」
「隊長が確認するとおっしゃったので同行しましたが、ガルツ村の現場検証も聞き取りも、第二部隊の報告と大きな差はありませんでした」
「巨象が痕跡から全部拾い上げてるとは思わないじゃない」
ロザリアは軽く肩をすくめる。
「彼らも、不器用なりに腕を上げてるわね」
「それ、ヴァルム隊長の前で絶対に言わないでくださいよ」
「はいはい」
ロザリアの返事に、反省の色はなかった。ガルツ村で確認したものは、確かに第二部隊の報告と一致していた。大級夜骸の残骸。地面ごと断たれた痕跡。切断面の焼け焦げ。夜の間、村人は村長の指示で外へ出ていない。村長も、討祓者の所在を知らない。宿屋に残っていた記録は、行商人ハインの名だけ。だが、そのハインが取った部屋は二つ。一つは本人用。
もう一つは荷の保管用。あまりにも整っていた。整いすぎていた。そして、ハインという商人の名は、ロザリアの記憶にも残っている。赤い短鎖の事件。荷を奪われながらも、帳簿を抱えて立っていた若い商人。その男が今、カリオス村に商会の拠点を持っている。偶然と呼ぶには、少しばかり綺麗すぎた。
「ここがハイン商会ね」
ロザリアが足を止める。通りに面した建物は、村の中では目立つ大きさだった。派手ではない。だが、看板も入口も整えられている。扉には、盾を背にした天秤と、その上に止まる白い鳩の紋章が掲げられていた。
「はい」
クライスが答える。
「秘書の女性がいるはずです」
「有能?」
「そこまではわかりません」
「楽しみね」
「楽しむ場面ではありません」
「分かってるわよ」
ロザリアは扉へ向かった。中へ入ると、受付台の向こうに女性が一人立っていた。落ち着いた色の服。きちんとまとめた髪。穏やかな表情。だが、入ってきた二人の服と紋章を確認する視線は早かった。
「ようこそ、ハイン商会へ」
女性は丁寧に頭を下げる。
「大変申し訳ございませんが、ただいま会長のハインは――」
「ハイン殿が不在なのは承知しています」
クライスが遮った。女性の表情が、わずかに変わる。それでも、礼儀は崩さない。
「私は、王都討祓軍第三部隊副隊長のクライス。こちらは隊長のロザリアです」
「ロザリアよ。よろしく」
ロザリアは軽く手を振った。女性はすぐに姿勢を正した。
「よろしくお願いいたします。わたくし、ハイン商会で秘書をしております、ベリタと申します」
「ベリタ」
ロザリアは名前を転がすように繰り返した。
「ええ。覚えたわ」
「ありがとうございます」
ベリタは微笑む。
「それで、討祓軍のお二人が、なぜこのようなところへ?」
ロザリアは受付台へ近づいた。そして、行儀悪くその端へ軽く寄りかかる。ベリタの顔を見ない。自分の髪の先を指に巻きつけ、ほどき、また巻きつける。
「私たち、ハインがどこに向かっているのか知りたいのよ」
受付の空気が、少しだけ冷えた。ベリタはすぐに答えなかった。沈黙。ロザリアは髪の先をいじったまま、横目でベリタを見る。
「どうしたの? 秘書なのに知らないの?」
ベリタは静かに口を開いた。
「安全保障上、部外者の方にお教えすることはできません。申し訳ございません」
「部外者ねぇ」
ロザリアが笑った。笑みは薄い。温度がない。
「こんな商会、いつでも潰せるのよ。安全保障上、言った方がいいと思うのだけれど」
ベリタの目が、ロザリアの背をまっすぐ睨んだ。受付台の上に置かれた指先が、わずかに強くなる。
「隊長」
クライスが低く言った。
「相手は民間人です」
「分かってるわよ」
「分かっている方の言い方ではありません」
「口うるさいわね」
ロザリアは髪から指を離した。クライスは一歩前へ出る。ベリタへ向き直り、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「いえ」
ベリタの声は硬かった。クライスは表情を変えずに続ける。
「現在、我々が追っている一団があります。ある事件の重要参考人でして、その一団がハイン殿と同行している可能性が高いと考えています」
ベリタは何も言わない。
「ですので、行き先を教えていただけませんか。ハイン殿に危害を加えるつもりはありません」
「……ということは」
ベリタは静かに聞いた。
「その一団の方々には、危害を加えるということですか?」
クライスの返答が、ほんのわずか遅れた。
「彼らから話を聞きたいだけです」
「話次第では、連行するのでは?」
沈黙が落ちる。クライスは目を逸らさなかった。
「否定はしません」
ベリタの表情が引き締まった。
「彼らは、会長の護衛を引き受けてくださっています」
声は丁寧だった。だが、先ほどよりも強い。
「その護衛を引き剥がされると、会長の身が危ないです」
「もしそうなった場合は」
ロザリアが口を挟んだ。
「第三部隊から、タダで好きなだけ護衛を派遣するわ」
ベリタが初めて目を丸くした。
「え?」
「聞こえなかった?」
ロザリアは受付台に肘をつく。
「あなたの王子様の身の安全は保障するわ。だから早く教えなさい。目的地はどこ?」
ベリタはロザリアを見る。その目に、恐怖はあった。だが、それだけではなかった。
「……知りません」
ロザリアの眉が動く。
「あなたねぇ」
「本当です」
ベリタは言った。
「今回は、会長がご自身で取引を行うとのことでしたので」
「それと、あなたが行き先を知らないことに何の関係があるの?」
「わたくしが知る必要がない、ということです」
ベリタは姿勢を崩さない。
「会長は、情報の価値を誰よりも分かっています。ですので、必要な情報の共有は、必要な人物のみに絞っています」
ロザリアはベリタを見た。それから、小さく笑った。
「生意気ねぇ」
髪の先をもう一度、指に巻く。
「あの時も、頭だけはよく回ってたわ」
ベリタはその言葉の意味を知らない。だが、誰を指しているのかは分かった。
「ですので、申し訳ございませんが、お役には立てません」
「いいわ。分かった」
ロザリアはあっさりと受付台から体を離した。ベリタの目に、わずかな警戒が浮かぶ。あまりにも早く引いた。ロザリアは笑う。
「なら、積んだ荷のリストを見せなさい。何かのヒントになるかもしれない」
「荷の中身ですか?」
「ええ」
ロザリアはベリタへ顔を向ける。
「まさか、知らないなんて言わないでしょうね? もしそうなら、ハインが一人で荷運びをしたことになる。この規模の商会で、そんなことはありえない」
ベリタは口を結んだ。ロザリアは続ける。
「それとも、見られたくない荷でも運んでいるのかしら」
「そのようなことはありません」
「なら見せなさい」
ベリタは少しだけ黙った。クライスは、ロザリアの横で何も言わない。ここで無理に止めても、話は進まない。ロザリアはさらに一歩踏み込む。
「安心なさい。他言はしないし、説明も求めないわ。荷の行き先を直接聞いているわけでもない。ただ、積荷の一覧を見るだけ」
ベリタの指が、受付台の下で軽く握られた。やがて、彼女は小さく息を吐く。
「……承知いたしました。少々お待ちください」
ベリタは受付台の引き出しから一枚の紙を取り出す。しかし、その顔にはまだ納得していない色が残っていた。
「これが積荷のリストです」
「ありがと」
ロザリアは紙を受け取った。そこに並ぶ品目を、上から順に追っていく。保存食。薬草。油。乾燥果実。道具類。細工物。織物。さらに下まで読む。数。量。箱数。梱包単位。護送に必要な馬車の重量。ロザリアの指が、一度止まった。だが、顔には出さない。ロザリアは黙ったまま、紙を見続けた。クライスが声をかける。
「何か分かりましたか?」
ロザリアは答えない。もう一度、上から見る。保存食。薬草。油。乾燥果実。道具類。織物。そして、数量。ロザリアの唇の端が、少しだけ上がった。
「なるほどね」
彼女は紙を畳まず、そのままベリタへ返した。
「分かったわ。ありがと」
ベリタは紙を受け取る。
「お役に立てたのでしょうか」
「ええ」
「それは、よかったです」
声は丁寧だったが、よかったとは思っていない顔だった。ロザリアは出口へ向かう。クライスも続いた。
「隊長、何か分かりましたか?」
「ええ」
「ここで得るものは、もうないわ」
「はい」
二人が扉へ向かう。その途中で、ロザリアがふと足を止めた。振り返る。
「ああ、それと」
ベリタが視線を上げる。
「その一団っていうのは、何人だったかしら?」
「人数ですか?」
「ええ。念のため確認よ」
ベリタは少し考えた。
「確か、六人だったかと思います」
ロザリアの目が、ほんのわずかだけ細くなった。
「……へぇ。六人ね」
「はい」
「間違いないわね?」
「わたくしの知る限りでは」
「分かったわ」
ロザリアは軽く手を振った。
「それじゃ」
クライスがベリタへ一礼する。
「ご協力、感謝します」
ベリタも深く頭を下げた。
「お気をつけて」
扉が閉まる。外へ出ると、村の空気が少しだけ温かく感じられた。クライスはすぐにロザリアへ視線を向ける。
「隊長、何が分かったんですか」
「積荷のリスト自体に、おかしなところはなかったわ」
ロザリアは歩き出す。
「どれも普通の商品だった」
「はい」
「でも、特徴的なものが一つ」
「特徴的なもの?」
「ええ。織物よ」
クライスが少し眉を寄せる。
「織物の何が特徴的なんですか」
「数が異常だったわ」
「数」
「織物でまず思い浮かぶのは隣国」
ロザリアは通りの先を見る。
「今は戦争が激化している。共和国産の織物は、今王国内では貴重なはずよ」
「はぁ」
「もし、ハインがこの戦争の長期化を予測して、あらかじめ大量に仕入れて寝かせていたとしたら?」
クライスの顔が変わった。
「利鞘が大きくなりますね」
「そう」
ロザリアは軽く頷く。
「そして、大級が出たガルツ村は西の方角にある。そのまま西へ向かえば、治安の悪い山脈地帯に入る」
「そこで売れば、利益を最大化できるということですか」
「多分ね」
ロザリアは少しだけ楽しそうだった。
「行き来する商人が少ないなら、それだけ高く売れそうじゃない? 素人考えだけれど」
「ですが、あの山脈地帯は一介の商人が通れるような……」
クライスの言葉が途中で止まる。
「あぁ」
低く呟いた。
「そういうことですか」
「ええ」
ロザリアは笑う。
「護衛が黒豹なら可能よ」
クライスは黙って頷いた。
「ほぼ確定ですね」
「ハインが信用していて」
ロザリアは指を一本立てる。
「大級を倒せる強さを持ち」
二本目。
「剣に炎を纏って戦う剣士がいる」
三本目。
「確定よ」
「掴みましたね」
「ええ」
ロザリアの歩調が少し速くなる。
「急ぐわよ」
「はい」
クライスはその背に続いた。同じ日の昼頃。アルドたちは、西の山脈地帯の入口に到達していた。そこは、道というより裂け目だった。左右には、乾いた岩壁が高くそびえている。長い年月をかけて大地が割れたような、乾いた峡谷だった。底には細い道が続いている。荷馬車一台が、どうにか通れる幅。ところどころで岩が迫り、車輪が片側へ寄ればすぐに擦れそうになる。空は細い。
見上げても、青は岩の隙間にわずかに見えるだけだった。前へ進むか。後ろへ戻るか。それ以外の道はない。ハインは手綱を握ったまま、峡谷の入口を見つめていた。
「ここが、最大の難所です」
声はいつもより少し低い。
「この先は、しばらく脇道がありません。途中で襲われれば、進むか下がるかの二択です」
レイスが地形を見る。
「荷馬車を反転させる場所は」
「かなり限られます」
ハインは答える。
「途中に二か所、少し広い場所があります。ですが、そこまで進まなければ戻るのも難しい」
「待ち伏せには向いてるね」
ルシアンが言った。
「嫌な言い方ですが、その通りです」
セレスは岩壁を見上げる。
「上から狙われる可能性もある」
「ある」
ノルが短く言った。翠穿を抱え直し、岩の上へ目を向けている。エディンは入口の少し先を見て、ゆるく目を細めた。
「夜骸が出る時間までには、抜けたいわねぇ」
「どのくらいかかる」
アルドが聞く。
「順調に進めば、半日ほどです」
ハインは言った。
「ただ、荷が重い。道が荒れているところで車輪を取られれば、もっとかかります」
「半日か」
レイスは周囲を見た。
「今から入れば、抜ける頃には夕方だな」
「途中で止まるよりはいい」
アルドが言った。
「ここで野営しても、どうせ危険だ」
「同意」
ノルが言う。
「入口で待ってる方が、狙われそう」
「進むなら、警戒の配置を変えよう」
レイスはすぐに言った。
「アルドが先頭、エディンが後方、俺が右でセレスが左、ルシアンはハインの横だ」
「私は?」
ノルが聞く。レイスは荷馬車の上を指差す。
「荷馬車の上に乗れ、上を警戒だ」
「行儀悪い」
「ノル」
「分かってる。上」
「セレス」
「左側と車輪を見る」
「エディン」
「あらぁ、任されたわぁ」
アルドは峡谷の奥を見た。細い道が、岩の間へ消えている。風が通り抜けるたび、乾いた砂が足元を撫でた。背後には、今来た道がある。前には、逃げ道の少ない岩の裂け目。その向こうに、商機がある。追手がいる。夜骸がいる。何が待っているかは分からない。それでも、止まる理由にはならなかった。アルドは緋喰刃の柄に手を置いた。
「行くぞ」
短い言葉だった。誰も反論しない。ハインが手綱を握り直す。二頭の馬が、一歩進んだ。車輪が乾いた土を噛む。荷馬車は、ゆっくりと峡谷の中へ入っていった。
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