ただの護衛
夜明けの光が、ガルツ村の柵を淡く照らしていた。村の外には、戦いの跡が残っている。割れた地面。抉れた土。折れた木。大級夜骸の残骸。その中心に、深い一筋の断裂があった。大級の体を裂き、そのまま地面まで届いた痕だった。アルドたちは、夜明けとともに宿屋へ戻った。誰も無傷ではない。
外套には土がつき、服のあちこちが擦れている。レイスは額の汗を拭い、ノルは翠穿を抱え直していた。セレスは肩で息をし、ルシアンは全員の様子を見ながら歩く。エディンは大剣を担いでいたが、いつもの笑みも少し薄かった。宿の主人は、入口の前に立っていた。眠れていない顔だった。それでも、アルドたちの姿を見ると、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
声が震えていた。
「本当に……ありがとうございます。村が、助かりました」
ハインが一歩前へ出る。
「ご無事で何よりです」
「ハインさんも、ご無事で」
主人は顔を上げ、六人を見た。しばらく迷ったあと、控えめに聞く。
「あの……皆さんは、いったい何者なのですか」
答えたのは、ハインだった。
「ただの護衛ですよ」
主人は一瞬だけ目を丸くした。それから、疲れた顔のまま、少し笑った。
「では、そういうことにしておきます」
その言葉に、誰も何も返さなかった。主人は扉を開ける。
「どうぞ。今は、少しでもお休みください」
六人は借りた部屋へ戻った。荷物を壁際へ寄せ、武器を手の届く位置に置く。寝台に腰を下ろした瞬間、セレスが小さく息を吐いた。
「……疲れた」
「同じ」
ノルが窓際に立ったまま言う。ルシアンは薬包を取り出しかけたが、アルドに止められた。
「先に休め」
「でも」
「全員、今すぐ倒れるほどじゃない」
レイスが言った。
「本格的な処置は少し休んでからでいい」
ルシアンは迷ったが、頷いた。ハインは同じ部屋の隅で、荷物の確認をしていた。商品は無事。荷馬車も無事。馬も、怯えてはいたが怪我はない。それだけで、彼の肩から少し力が抜けていた。しばらく、静かな時間が流れた。その時だった。
「……まずいわね」
エディンが呟いた。全員の目が向く。ノルがすぐに窓の隙間から外を見た。
「十人くらい」
短い声。
「紋章は?」
レイスが問う。
「巨象」
空気が一気に張った。王都討祓軍第二部隊。大級の報告を受けて来たのだろう。アルドは無言で立ち上がりかけたが、レイスが片手で止めた。
「待て」
「どうする」
「出れば終わりだ」
ハインの顔色も変わっていた。彼はすぐに帳簿と荷札へ目を落とす。何が記録されているか。誰の名前が残っているか。何を聞かれるか。部屋の中で、数秒だけ考えが錯綜した。そこへ、足音が近づいてきた。急いでいる。扉が開いた。宿の主人だった。
「皆さん」
主人は声を低くした。
「荷物を持って、こちらに」
アルドたちは顔を見合わせた。だが、迷っている時間はない。主人は廊下の奥を指した。
「早く」
六人はそれぞれ荷を掴んだ。武器も持つ。外套もそのまま。ハインだけが部屋に残った。何かを考えながら部屋を眺めていた。主人に案内され、六人は廊下の奥へ進む。厨房の横を抜け、さらに奥の扉を開けると、小さな私室があった。寝台と机。古い棚。畳まれた毛布。主人の部屋だった。
「こちらへ」
六人は荷物ごと押し込まれるように中へ入った。主人は扉を閉める前に、丁寧に頭を下げた。
「少しの間、どうか音を立てずに」
扉が閉まった。部屋は狭い。六人と荷物が入ると、身動きも取りづらい。ノルは窓の位置を確認し、エディンは扉の横に立った。レイスは耳を澄ませ、アルドは息を殺した。外では、第二部隊の調査が始まっていた。彼らはまず、村の外へ向かった。戦闘跡。大級の残骸。深く裂けた地面。十人の隊員は、しばらく誰も喋らなかった。
「……本当に大級だ」
誰かが言った。巨体は左右に割れていた。骨も肉もまとめて断たれ、傷口の周囲は黒く焦げている。地面には、まっすぐ深い裂け目が走っていた。
「これを、誰が」
「村にいた者で、できるとは思えない」
「少なくとも、普通の人間ではないな」
隊員たちは残骸を調べ、足跡を見た。いくつかの魔法の痕も残っている。泥が固まった跡。雷に焼かれた草。水で削れた土。大剣の重い打撃痕。そして、最後の一撃。調査を終えると、彼らは村へ戻った。最初に村人へ聞き取りをした。畑の男。井戸端の女。戸口にいた老人。誰に聞いても、答えはほとんど同じだった。
「村長に、夜は外へ出るなと言われていました」
「家の中にいました」
「音は聞こえました。でも、外は見ていません」
「誰が倒したのかは知りません」
それでも、最後に必ず似た言葉がついた。
「助けていただいたことは、分かっています」
「どなたかは知りませんが、恩義はあります」
「村を守ってくださいました」
第二部隊の隊員たちは、次に村長の家へ向かった。村長は、家の前で彼らを迎えた。
「大級を討祓した者について、知っていることを」
隊員の一人が問う。村長は静かに首を横に振った。
「今どこにいるかは、分かりません」
「見ていないのですか」
「夜骸を討祓してから、姿は見ておりません」
「名は」
「聞いておりません」
「所属は」
「存じません」
隊員の目が細くなる。村長はそれでも、同じように答えた。
「村の者には、外へ出るなと伝えておりました。私自身も、夜の間は村人を家から出さぬよう見ておりました。戦いの詳細を見た者は、村にはおりません」
嘘ではなかった。だから、揺らがない。最後に、第二部隊は宿屋へ来た。宿の主人は、いつもより少し背筋を伸ばして彼らを迎えた。
「現在、泊まっている者は」
「行商人のハインさんだけです」
主人は丁寧に答える。
「記帳を確認しても?」
「もちろんです」
帳簿が開かれる。そこに記されている名は、ハインだけだった。しかし、隊員の視線が止まる。
「二部屋、取っているな」
「はい」
「一人で二部屋を?」
その時、奥からハインが姿を見せた。きちんと上着を整え、商人らしい穏やかな顔を作っている。視線が、隊員たちの胸元へ向いた。巨象の紋章。
「その紋章、王都討祓軍第二部隊の方々ですか?」
「そうだ」
隊員の一人がハインを見る。
「あなたがハインさんか」
「はい。行商をしております、ハインと申します」
「一人で二部屋を取っている理由を聞きたい」
「荷の保管用です」
ハインは落ち着いて答えた。
「他に客がいないとのことでしたので、貴重品保管用の部屋として一部屋余分に借りました。商談用の品や、手元に置いておきたい商品がありましたので」
「部屋を確認しても?」
「もちろんです」
主人が鍵を取り出し、二階へ案内する。第二部隊の隊員たちは、まずハインが使っている部屋を確認した。寝台。荷袋。帳簿。旅用の衣服。商人の部屋だった。次に、もう一つの部屋を開ける。そこには木箱や布包みが置かれていた。封のされた箱、油紙に包まれた織物、小さな鍵付きの荷箱。人が泊まっていた痕跡はない。隊員は部屋を一通り見た。窓。寝台。床。荷物の陰。
それから、ハインへ向き直る。
「失礼しました。本当のようですね」
「いえいえ」
ハインは穏やかに頭を下げた。
「状況を見れば、怪しむのは当然です」
「大級を討った者に、心当たりは」
「私は、昨夜は宿におりました」
ハインは言った。
「外へ出ないよう言われていましたので」
これも、嘘ではなかった。隊員はしばらくハインを見ていたが、それ以上は追及しなかった。
「協力に感謝します」
「お役に立てたのなら何よりです」
第二部隊は宿を出ていった。足音が遠ざかる。扉が閉まる。しばらく、誰も動かなかった。完全に気配が消えてから、宿の主人が奥へ戻ってきた。主人の部屋の扉が開く。中から、アルドたちが出てきた。まずエディン。次にノル。セレス、ルシアン、レイス。最後にアルド。狭い部屋から荷物ごと出るだけで、少し時間がかかった。ハインは大きく息を吐いた。
「……助かりました」
主人は首を横に振った。
「助けていただいたのは、こちらです」
そして、六人へ深く頭を下げる。
「あの化け物から村を守ってくださり、本当にありがとうございました」
レイスは主人を見た。
「なぜ、そこまでしてくれたんですか」
声は低いが、責めてはいない。
「事情も分からない相手を匿うのは、危険です」
主人は少しだけ目を伏せた。
「事情までは存じません」
ゆっくりと言う。
「ですが、皆さんがあの化け物から村を護ってくださったことは分かっています」
部屋の空気が静かになる。
「それに、ハインさんの護衛をされている方々です。悪い方ではないのだろうと、そう思いました」
「それだけで?」
レイスが問う。
「はい、十分です」
主人は微笑んだ。
「せめてもの恩返しです」
そして、少しだけ肩の力を抜く。
「それに、私は嘘は申しておりません。今、宿に泊まっているのは記録上ハインさんだけです。まぁ、動揺していて全員分の記帳を忘れていた私のミスですが」
ノルが小さく呟く。
「ミスに救われた」
主人は困ったように笑った。
「それに、昨夜何もできませんでしたから」
「十分だ」
アルドが言った。主人はその短い言葉に、もう一度頭を下げた。その日は、予定通り休むことになった。昼は温かい食事が出た。夜も同じだった。村の者が、少しずつ食材を持ち寄ったらしい。宿の食堂には、煮込み、焼いた芋、香草を散らした卵料理、黒パン、塩漬け肉が並んだ。表立って感謝の宴を開くわけではない。大声で騒ぐわけでもない。ただ、食事の量だけが、少し多かった。
「食べきれるかな」
ルシアンが小さく言う。
「食べる」
ノルが即答した。
「頼もしいね」
セレスが笑う。ハインも同じ卓についた。宿の主人は余計なことを聞かなかった。ただ、皿が空くたび、静かに料理を足した。その夜、六人はもう一度寝台で眠った。翌朝。ハインの荷馬車は、予定より少し遅れてガルツ村を出た。村人たちは大きく見送りはしなかった。ただ、戸口や畑の端から、静かに頭を下げる者がいた。アルドはそれを見て、短く息を吐いた。何も言わない。
言えば、余計なものになる気がした。荷馬車は林道へ入る。ハインが二頭の馬を操り、アルドたちは荷馬車を囲むように歩いた。昼を少し過ぎた頃だった。道の先に、男たちが現れた。五人。いや、林の脇にもう二人。腰に粗末な剣を下げ、布で顔の下半分を覆っている。服は汚れていたが、動きは妙に慣れていた。盗賊だった。
「止まれ」
先頭の男が言う。ハインが手綱を引く。馬が鼻を鳴らした。
「荷を置いていけ。命までは取らない」
レイスが目を細める。ノルは翠穿に手を添えた。セレスが腰を落とす。だが、アルドが一歩前へ出た。盗賊の男が笑う。
「一人で何を――」
アルドが指先を、ひょいと払った。次の瞬間、盗賊たちの足元で蒼い炎が噴き上がった。
「うわっ!?」
炎は地面を舐めるように走り、乾いた土を激しく燃やす。盗賊たちの靴のすぐ前。足元ぎりぎり。熱に煽られ、男たちが悲鳴を上げて飛び退く。林の脇にいた二人も、顔を青ざめさせて後ずさった。蒼い火は、すぐに細く収まった。アルドは指を下ろす。
「次は当てる」
盗賊たちは、一斉に逃げた。誰も追わなかった。ノルが逃げていく背中を見送る。
「速い」
「命がかかると、人は速くなるね」
ルシアンが言った。セレスは蒼炎の燃え跡を見る。
「今の、火力高かった割にかなり細かく動いてたね」
「ああ」
アルドは自分の指を一度開いて、握った。
「前より動かしやすい」
レイスが見る。
「赤い炎とは、別に使えるようになったのか」
「違う」
アルドは即答した。
「今までの火炎が、ああなった」
「赤い炎は?」
「もう使えない」
その言葉に、ルシアンが少し驚いた顔をした。
「使えないの?」
「ああ。出そうとしても、たぶん蒼くなる」
「不便?」
ノルが聞く。
「いや」
アルドは首を横に振った。
「魔力の減りは変わらない。威力は倍くらいある。しかも、前より軽い」
「軽い?」
セレスが首を傾げる。
「火が遅れない。指先でも動かせる。広げるのも、絞るのも前より楽だ」
アルドは少し考える。
「鋭い。そんな感じだ」
レイスは黙っていた。その顔は、明らかに計算している。
「同じ消費で威力が倍。操作性も上がった」
「たぶんな」
「反則だな」
「俺に言うな」
エディンが、後ろから楽しそうに目を細めた。
「それは魔法の覚醒よぉ」
全員の視線が向く。
「覚醒?」
ルシアンが聞き返す。
「ええ」
エディンは大剣を肩に預けたまま歩く。
「五属性の魔法にはね、どれも覚醒という段階があると言われているの。稀有な才能を持つ者が、死線を何度も潜るような経験を積んだ時、魔法そのものが別の段階へ進む。そういうものねぇ」
レイスが眉を寄せる。
「見たことがあるのか」
「一度だけね」
エディンは指を一本立てる。
「雷荷魔法だったわぁ。黄色いはずの雷が、紫だったわぁ」
「紫雷」
「そう呼ばれていたわねぇ」
ノルがアルドを見る。
「蒼炎は?」
「初めて見たわぁ」
エディンはあっさり言った。
「だから、おねぇさんも少し驚いたのよぉ」
「少しって顔じゃなかったけどな」
アルドが言う。
「あら、見てたの?」
「見てた」
「なら、かなり驚いたわぁ」
セレスが聞く。
「他の属性はどうなるの?」
「分からないわねぇ」
エディンは肩をすくめた。
「覚醒があるとは言われているけれど、実際に見られるものじゃないもの。おねぇさんが知っているのは、紫雷と、今ここにある蒼炎だけよぉ」
ハインが荷馬車の上から、ぽつりと言った。
「すごい話を、普通の道中で聞いていますね」
「私もそう思う」
ルシアンが小さく笑った。
「盗賊が出た直後だけど」
「その盗賊はもういない」
ノルが言った。
「確かに」
セレスが苦笑する。荷馬車は、そのまま西へ進んだ。その夜、一行は林の切れ目で野営した。ハインが馬を休ませ、セレスとルシアンが簡単な食事を整える。ノルは周囲を見て回り、レイスは地図を広げた。エディンは焚き火のそばで大剣を手入れしている。アルドは少し離れた場所で、指先に小さな蒼炎を灯していた。火は静かだった。揺らす。細くする。消す。もう一度、灯す。
「遊んでる?」
ノルが横から言った。
「確認してる」
「楽しそう」
「否定はしない」
ノルは少しだけ目を細めた。
「便利」
「ああ。便利だな」
「盗賊には、かなり」
「お前も使いたいのか」
「銃でいい」
「そうか」
「でも、ずるい」
アルドは小さく笑った。夜が深くなると、見張りを決めた。最初はアルドとルシアンだった。他の者たちは、荷馬車の近くで横になる。ハインは毛布に包まり、疲れ切ったようにすぐ眠った。エディンは眠っているのか起きているのか分からない顔で目を閉じている。焚き火は小さい。アルドの指先にある蒼炎も、それより小さい。ルシアンは隣に座り、しばらくその火を見ていた。
「本当に蒼いね」
「ああ」
「炎、起きたね」
アルドは少し黙った。それから、口元をわずかに上げる。
「寝起きで色が変わったけどな」
ルシアンが小さく笑った。
「寝相が悪かったのかも」
「火の寝相って何だ」
「分からない」
「適当だな」
「アルドに言われたくない」
焚き火が、ぱちりと鳴った。少し離れた場所で、ノルが寝返りを打つ。レイスは地図を抱えたまま眠っていた。エディンの口元が、少しだけ笑っている。セレスは毛布を肩まで引き上げていた。ハインは、深く眠っている。ルシアンは夜の林を見る。
「でも、よかった」
「何が」
「炎が戻って」
アルドは指先の蒼炎を見た。
「戻ったのかは分からない」
「そうだね」
ルシアンは頷いた。
「でも、アルドの炎だよ」
その声は、焚き火より柔らかかった。アルドは蒼炎を消した。夜の中に、小さな光の余韻だけが残る。
「ああ」
短く答える。
「俺の炎だ」
風が林を抜けた。荷馬車の布が、かすかに揺れる。夜は静かに更けていった。
お読みいただきありがとうございます。
引き続き明日の20時頃更新予定です。




