ガルツ村
翌日、ハイン商会は朝から慌ただしかった。出発はまだできない。商品を詰める順番、道中に使う食料、馬の状態、護衛に渡す旅具、宿の手配。どれも一日で整うものではあったが、雑に済ませていいものではなかった。六人は、その間に自分たちの準備を進めた。アルドは緋喰刃を拭き、刃筋を確かめた。
レイスは剣と道具を机に並べ、必要なものだけを残して荷を軽くしていく。ノルは翠穿の銃身を丁寧に覗き込み、弾を小分けにした。セレスは流涙と地咬を布で包み直し、抜き差しの感覚を確かめる。ルシアンは薬と包帯を整理し、エディンは大剣を磨いていた。午後になると、ハインを交えて道の確認をした。カリオス村から西へ向かう街道。途中で休める村。
盗賊が出やすい林道。夜骸の目撃が増えている場所。レイスが細かく聞き、ハインが答える。アルドはそれを横で聞きながら、必要な場所だけ地図に目を落とした。商会裏の荷捌き場では、大きな荷馬車へ商品が積み込まれていた。木箱、布包み、細長い筒状の荷、油紙で丁寧に包まれた織物。
商会の者たちが声を掛け合いながら、荷の重さと積む順番を確かめていく。隙間ができないよう、ひとつひとつ噛み合わせるように最大積載量限界まで詰めていた。作戦会議は早めに終わった。その夜、六人は食事を取り、風呂に入り、もう一度寝台で眠った。翌朝。朝食を終えた頃、ニードがいくつもの包みを抱えてやってきた。
「お待たせいたしました」
ニードは包みを卓へ置き、穏やかに頭を下げた。
「皆さんの服です。替えも含めて、同じ仕立てのものを数着ずつご用意しています」
ノルが一番に包みへ手を伸ばした。紐をほどく。中から出てきた布を見て、全員が少しだけ黙った。赤みがかった茶。乾いた赤土を思わせる、くすんだ色だった。派手ではない。けれど、安っぽくもない。濃紺の差し色が、襟裏や袖口、合わせの内側に控えめに入っている。動いた時だけ、夜の色がちらりと覗くような仕立てだった。
「同じ色なんだね」
ルシアンが服を手に取る。
「はい。色は揃えていますが、形はそれぞれ変えています」
ニードは順に服を広げた。アルドの服は、剣を振る動きを邪魔しない半長衣だった。肩と胸まわりには余裕があり、腰から下の布には深い切れ込みが入っている。レイスの服は、高襟の細身の上着だった。すっきりとしているが、内側には小さなポケットがいくつも仕込まれている。ルシアンの服は、柔らかい線の軽いコートだった。袖口は邪魔にならないよう絞られている。
セレスの服は短めの上着に、腰まわりの布が重なる形だった。足さばきが軽く、短剣の動きを邪魔しない。ノルの服は、肩まわりに余裕のある短装だった。飾りは少なく、必要なところだけが丈夫に作られている。エディンの服は、同じ赤茶なのに、少しだけ華があった。長すぎない裾がゆるく落ち、立っているだけで形が綺麗に見える。
「あらぁ」
エディンが自分の服を広げて笑う。
「いいじゃない」
「ありがとうございます」
ニードは真面目に言い、その様子を見たセレスが小さく笑った。外套もあった。同じ赤茶の布。ただし無地ではない。外套全体に、濃紺の模様が疎らに走っていた。筆に染料を含ませ、布の上を荒く払ったような、かすれた線だった。濃いところもあれば、薄く消えかけているところもある。規則性はない。遠目には、落ち着いた赤茶の外套に見える。
近づくと、濃紺の筆跡が布の上に静かに浮かぶ。
「これ、いい」
ノルが短く言った。
「かなり気に入ってるね」
セレスが言う。
「うん」
ノルは素直に頷いた。外套にはフードが付いている。ニードはフードをめくり、首元を指で示した。
「こちらの首元には、ハインさんからいただいた図案を入れています」
そこには、小さな印があった。盾を背に、炎をまとった剣が一本。白と黒だけで縫われた、控えめな刺繍だった。
「普段はフードで隠れます。フードを被ると、首元が出て印が見える形です」
レイスが外套を手に取り、その印を見た。
「見覚えがないな。この印は?」
声は静かだった。ニードはハインを見た。
「図案はハインさんからお預かりしました」
「ありがとうございます、ニードさん」
ハインが頭を下げる。
「調整が必要でしたら、出発前にお申し付けください」
「大丈夫そう」
ノルが自分の袖を軽く引いた。
「ぴったり」
「それはよかった」
ニードは道具を片づけ、商会を出ていった。扉が閉まる。ベリタも静かに下がり、部屋にはハインと六人だけが残った。アルドは外套の首元を見たまま、指で小さな印に触れた。
「ハイン」
「はい」
「これ、どういう意味だ?」
ハインは少しだけ背筋を伸ばした。
「私が考えました」
六人の視線が、ハインへ向く。
「盾は、皆さんがどんな立場になっても、誰かを護る人たちだと思ったからです」
ハインは、首元の小さな印を見た。
「燃える剣は、アルドさんをイメージしました」
アルドは何も言わなかった。
「皆さんが変わらず仲間であること。その中心にアルドさんがいること。そういう印にしたかったんです」
部屋は静かになった。ルシアンが外套を胸に抱く。セレスは自分の外套の首元を見つめ、ノルは無言で指先を印へ滑らせた。エディンは少しだけ目を細めている。レイスは、外套のフードを軽く持ち上げた。
「よく考えてあるな、配置含めて」
「見えすぎないようにはしました」
ハインは少し照れたように笑う。
「本当は、もっと良いものにしたかったんですが」
「十分だ」
アルドが言った。短い言葉だった。だが、ハインはそれで十分だったらしい。深く頷いた。昼前、一行はハイン商会を出た。荷馬車を引く馬は二頭。荷台には、商品が隙間なく積み込まれていた。織物も、通常商品も、箱も、袋も、きっちり固定されている。人が乗る隙間はない。ハインは荷馬車の先頭に座り、手綱を握った。
アルドたちは、それぞれ旅具を背負い、荷馬車を囲むように歩き出した。前にアルド。右にセレスとルシアン。左にレイスとノル。後ろにエディン。形は自然に決まった。カリオス村を抜ける時は、余計な名を呼ばなかった。人の視線がある。商人の荷馬車と、腕の立つ旅人たち。それ以上に見えなければ、それでいい。村を離れ、街道が林へ入る頃、ようやく空気が少し緩んだ。
木々の間を、荷馬車の車輪がゆっくり進む。馬の蹄が乾いた土を踏み、車輪が小石を押す音が続く。枝葉の隙間から落ちる光が、赤茶の外套をところどころ明るくした。
「こういう道、久しぶりだね」
ルシアンが小さく言った。
「ただ歩いてるだけなのに」
「荷馬車の護衛中だ」
レイスが返す。
「分かってるよ。でも、少しだけ散歩みたいだなって」
「散歩でこの荷物は重い」
ノルが言った。
「それはそう」
セレスが笑う。ハインが前から振り返った。
「皆さんが乗る場所まで確保できず、申し訳ありません」
「気にするな」
「旅具まで持たせてしまって」
アルドが荷馬車の横へ視線を向ける。
「自分のものは自分で持つ。当たり前だ」
「そうそう」
セレスが頷いた。
「こんな商機、逃す方がもったいないよ」
「同意見」
ノルが言う。レイスは荷台の積み方を見ていた。
「これがいくらになるのか、全く想像がつかないな」
「私たちの報酬が本当に正規の額なら、かなりの取引なんじゃない?」
ルシアンが言った。
「商会がもっと大きくなるって言ってたもんね」
セレスも荷台を見る。ハインは前を向いたまま、少しだけ肩を縮めた。
「皆さん」
「何だ」
「なんだか、こそばゆいので探らないでください」
エディンが後ろで笑った。
「かわいいわねぇ、ハインちゃん」
軽く咳払いをしたハインは手綱を握り直した。林道は緩やかに曲がっていた。木々は深すぎず、空もところどころ見える。風が吹くと、葉がさらさらと鳴った。レイスは歩きながら、何度も周囲へ意識を向けていた。眉間に皺が寄っている。
「まだやってるのか」
アルドが横目で見る。
「当然だ」
「前も言ったろ。自分の魔力を静かにして、周りの薄い魔力を拾うんだって」
「理屈は分かっている」
レイスは低く返した。
「空気中には、ほんのわずかに魔力が漂っている。物がある場所だけ、その流れが途切れる。だから、その途切れた形を読めば配置が分かる。だろ?」
「分かってるじゃねぇか」
「分かることと、できることは別だ」
「できそうか?」
「できない」
「正直だな」
「腹立たしいほどにな」
エディンが、荷馬車の後ろでくすりと笑った。
「本当に繋げることもできるわよぉ」
アルドの足が、少しだけ止まりかけた。
「本当に?」
「ええ」
エディンは何でもないことのように言う。
「空気中の魔力と、自分の魔力を本当に繋げるの。そうすると、形だけじゃなくて、相手の強さも分かるわぁ」
レイスの目が鋭くなる。
「危険は?」
「あるわよぉ」
エディンはさらりと答えた。
「相手が同じくらい感知できるなら、こっちが触れたことに気づくわ。見ているつもりが、見られることもある」
「先に言え」
「あらぁ、今言ったわぁ」
「遅い」
ノルが短く言う。
「危ない」
「そうねぇ。だから慣れないうちは、やらない方がいいわぁ」
ルシアンがエディンを見る。
「エディンは、どこまで分かるの?」
「おねぇさん?」
エディンは少し笑った。
「強さと、だいたいの感情くらいかしらぁ」
「感情?」
セレスが目を丸くする。
「怒ってるとか、怯えてるとか、焦ってるとか。そういう揺れねぇ」
アルドは少し黙った。
「……それ、俺たちにやってないだろうな」
エディンはにっこり笑った。
「ふふふっ」
「やってるな、これ」
レイスが即座に言った。
「まずいな」
アルドが低く呟く。
「筒抜けだ」
「あらぁ、失礼ねぇ。おねぇさんだって、何でもかんでも覗いてるわけじゃないわよぉ」
「覗いてる時点で問題だろ」
「必要な時だけよぉ」
「必要の基準が信用できない」
ノルが言った。
「同意」
エディンは楽しそうに笑った。ハインが前で肩を震わせている。
「笑ってるな、ハイン」
アルドが言う。
「いえ、護衛の皆さんが仲良くて安心しているだけです」
「笑ってるじゃねぇか」
「少しだけです」
そんな軽口を挟みながらも、警戒は緩めなかった。アルドは前方を見る。レイスは木々の間と地面の跡を確認する。ノルは鳥の飛び方や、草の揺れを見ている。セレスは荷馬車の横から離れすぎない。ルシアンはハインと馬の様子を気にし、エディンは後方を歩きながら、ときおり林の奥へ目を向けた。穏やかで、少しだけ気が抜けている。それでも、護衛だった。
夕暮れが近づく頃、一行はガルツ村へ着いた。林から少し外れた場所にある、やや大きめの村だった。畑が広がり、道は荷車が通りやすいように踏み固められている。家々の煙突からは細く煙が上がり、軒先では女たちが干し草を束ねていた。畑帰りの男が鍬を肩に担ぎ、子どもが二人、木の棒を持って走っていく。寂れた村ではない。人の声もある。
誰かが井戸端で水桶を受け渡し、別の誰かが家の戸口から夕飯の支度を急かしている。牛の鳴き声が遠くから聞こえ、荷車の車輪が土を噛む音もした。ただ、そのどれもが少し低かった。笑い声は上がるが、長く続かない。人々は話しながら、ふと村の外へ目を向ける。子どもを呼ぶ声には、少しだけ焦りが混じっていた。戸口の明かりは早く灯り、窓の板を閉める手つきが妙に急いでいる。
村の中心には、白い像が立っていた。天祈像。筋骨隆々な男が、片手に鍬を担いでいる姿だった。胸を張り、大地を踏みしめている。祈りというより、今から荒地を切り開きに行くような力強さがあった。
「あれが、ガルツ様だそうです」
ハインが荷馬車をゆっくり進めながら言った。
「この村を開拓した立役者だそうです。林と荒れ地ばかりだったこの辺りを、畑に変えた人だと聞いています」
「キレイナと同じか」
アルドが像を見上げる。
「そうだな」
レイスが答えた。
「土地を開いた人間を、像として残している」
「形は全然違うけどね」
セレスが少し笑った。
「こっちは強そう」
ノルが言う。
「鍬で夜骸を殴れそうだね」
ルシアンが呟く。
「実際、殴りそうねぇ」
エディンが言った。アルドは像の前で足を止め、台座へ手を添えた。レイスが気づく。
「どうした」
アルドは短く息を吐いた。空気に漂う魔力を読む。像の内側。石の奥。そこに、何かがある。
「中に何かあるな」
「中?」
ルシアンが首を傾げる。
「ああ。石だけじゃない。何か納められてる」
「古い像だからな」
レイスは像を見た。
「奉納品か、記録か。そういうものだろう」
「お宝かも」
ノルが言った。
「盗賊みたいなこと言わないの」
セレスがすぐに返す。
「冗談」
「ノーラの冗談、たまに分かりにくいよ」
軽口を叩きながら、一行は村の中を進んだ。ハインは村の奥にある宿屋へ向かう。
「この村で馴染みにしている宿があります。主人は明るくて、いい方ですよ」
そう言ったハインの声も、少しだけ硬かった。宿屋は、古いが手入れの行き届いた木造の建物だった。入口の横には干し草の束が吊られ、窓には薄い布がかかっている。ハインは荷馬車を宿の横へ停め、扉を開けた。
「どうも。ハインです」
奥から声が返った。
「あ、ああ……ハインさん」
明るい声ではなかった。出てきた主人は、中肉中背の中年の男だった。普段ならよく笑いそうな顔をしている。だが今は、うっすらと目の下にくまがあり、何度も窓の方を見ていた。
「お久しぶりです」
ハインは慎重に言った。
「部屋を二部屋お願いしたいのですが」
「ああ。もちろんだ。空いてる。空いてるよ」
主人は慌てて帳簿を開いた。その手が、少し震えている。レイスは店内を見た。アルドも周囲へ意識を広げる。宿の中に人の形はあるが、こちらへ近づく動きはない。だが、空気が落ち着かない。手続きが終わると、ハインは鍵を受け取ったまま主人を見た。
「どうしたんですか」
声は柔らかかった。
「何か、あったんですか?」
主人は口を開きかけ、閉じた。それから、恐る恐る言った。
「一昨日から、夜骸が出てるんだ」
レイスが一歩前へ出た。
「失礼します」
落ち着いた声だった。
「俺はハインさんの護衛をしているレイと申します。その夜骸は、どのような見た目でしたか」
主人は、レイスを見た。
「あ、ああ。見た目は……いろんな獣が入り交じって、ぐちゃぐちゃだ。とにかくでかい。俺の身長の五倍はあると思う、普通じゃない」
セレスの顔が硬くなる。ルシアンも小さく息を止めた。ノルは何も言わない。
「それって……」
セレスが言いかける。レイスが低く言った。
「多分……大級だ」
主人の顔が、さらに青ざめた。
「だ、大級……?」
「そんなものが近くにいて、この村はなぜ襲われていないんですか」
主人は、村の中心の方へ目を向けた。
「ガルツ様のご加護です」
声が震えていた。
「あの像が、夜骸を追い払ってくれるんです。小さな夜骸は、遠巻きにこちらを見ると逃げていきます」
「小さな夜骸は」
レイスが繰り返した。
「でも、あいつは違うんです」
主人は両手を握りしめた。
「柵より内側には入ってきません。ガルツ様のご加護のおかげで、そこは守られている。でも、あいつは近づいてくるんです。毎晩、夜になると村の周りをうろうろする。ずっと、唸り声をあげながら、柵の外をぐるぐると」
ハインの表情も強張っていた。
「国に報告はしたんですか?」
「ええ。使者を出しています。昨日の朝に。けれど、いつ来るかは……」
「分かりました」
レイスは静かに頷いた。
「教えていただき、ありがとうございます」
「いえ……皆さんもお気をつけください」
主人はハインと一行を見る。
「すぐ逃げられるように、準備だけはしておいた方がいいかもしれません」
「分かりました」
ハインは答えた。
「ありがとうございます」
一行は二階へ上がった。与えられた部屋は二つだったが、まずは片方に集まる。荷物は寝台の横へ置いた。外套を脱ぎ、武器も手の届く場所に置く。少しの間、誰も喋らなかった。窓の外には、まだ夕暮れの色が残っている。完全に夜になるまで、少し時間がある。
「どうする」
アルドが言った。声は低い。
「倒せる」
ノルが短く言う。
「でも、大級だよ」
ルシアンの声は静かだった。
「苦戦はする」
レイスが答えた。
「だが、倒せる」
「問題はその後だね」
セレスが言った。
「大きく消耗する。ハインさんの護衛が疎かになる」
「それに、ここで大級を倒せば、国に居場所を知られる可能性が高い」
レイスの言葉に、誰もすぐには返せなかった。
「確かに」
ルシアンが目を伏せる。
「そうねぇ」
エディンも茶化さなかった。沈黙が落ちた。アルドは、自分の外套の首元を見た。フードの布を少しだけ払う。そこに、小さな印がある。盾を背にした、燃える剣。ハインの言葉が、頭の奥に残っていた。どんな立場になっても、誰かを護る人たちだと思った。アルドは、その印に触れた。
「俺たちは、もう正義じゃない」
誰も動かなかった。
「法に背いた。盗賊を見逃した」
声が、少しだけ沈む。
「……仲間を殺した」
ルシアンが唇を結んだ。セレスは何か言いかけて、言えなかった。ノルは窓の外を見たまま、拳を握る。レイスも、黙っていた。
「だから、護れるものは護りたい」
アルドは続けた。
「見捨てることはできない」
指先が、印から離れる。
「今更綺麗事を言えた口じゃないが、正しく在る努力はしたい」
誰も反論しなかった。その時、扉が軽く叩かれた。荷の整理が終わったハインが顔を出す。
「失礼します」
部屋へ入ったハインは、全員の顔を見た。
「どうされるおつもりですか?」
アルドはハインを見た。
「大級を、俺たちで討祓したい」
ハインは、少しだけ笑った。
「皆さんなら、そう言うと思っていました」
全員がハインを見る。ハインは部屋へ一歩入った。
「皆さんのやりたいようにやるべきです」
「これは、お前の荷と商会にも関わる」
レイスが言った。声は抑えられている。
「分かっています」
ハインは頷いた。
「ですが、私はもう、皆さんの足枷にはなりません」
丁寧な声だった。けれど、弱くはない。
「自分の身は、自分で守ります」
アルドが片眉を上げた。
「戦えるようになったのか?」
「いえ」
ハインは即答した。
「全く」
沈黙。
「全力で逃げます」
最初に笑ったのは、エディンだった。
「ふふっ、いい答えねぇ」
セレスも吹き出す。ルシアンは肩の力を抜いて笑った。ノルが短く言う。
「大事」
「はい。逃げ足も商人には必要です」
ハインは真面目だった。アルドも、小さく笑った。重かった空気が、ほんの少しだけ動く。レイスはしばらく黙ったあと、息を吐いた。
「決まりだな」
「ああ」
アルドは頷いた。窓の外で、夕暮れが沈んでいく。もうすぐ夜が来る。村の外には、大級夜骸がいる。国に見つかる危険がある。護衛の任務も、消耗の危険も、すべて残っている。それでも、誰も目を逸らさなかった。アルドは緋喰刃へ手を伸ばす。
「大級を倒す」
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