金がない
川は、何も返さなかった。月の光を細く裂きながら、黒い水だけが流れていく。赤鎖の荷が落とされた方角を追い、六人は可能な限り川沿いを下った。岸の草が倒れている。濡れた石に、擦れた跡が残っている。細く裂けた縄の切れ端もあった。だが、痕跡は途中で途切れた。
川幅が少し広くなり、流れが速くなる場所だった。そこで荷を引き上げたのか、別の者が待っていたのか、それとも最初から追跡を切るために仕組まれていたのか。分からない。分からないまま、時間だけが削れていく。レイスは膝をつき、湿った土を指でなぞった。何も言わない。その沈黙だけで、答えは十分だった。
「……駄目?」
ノルが短く言った。レイスは指についた泥を払って立ち上がる。
「ああ。これ以上追っても、こっちの体力を削るだけだ」
「分かった」
アルドは低く返した。分かっている。追えば追うほど、赤鎖の本体がどれだけ準備していたかが見えてくる。荷を川へ落とす仕掛けも、煙で姿を消す手際も、追跡を切る場所も、全部が一歩先に置かれていた。戦闘で負けたわけではない。だが、目的では負けた。その事実が、剣で斬られるよりよほど腹立たしかった。
「腹立つね」
ルシアンが小さく言った。声は穏やかだった。けれど、柔らかくはなかった。セレスは流涙の柄に触れたまま、川下を見ていた。エディンは大剣を肩に預け、少しだけ目を細めている。ノルは翠穿を抱え直し、何度も流れの先を確認していた。誰も、すぐには動かなかった。だが、川は止まらない。赤鎖も止まらない。
灰冠も、王都討祓軍も、彼らが悔しがる時間を待ってはくれない。
「離れるぞ」
アルドが言った。
「ここに残っても、何も出ない」
その言葉に、誰も反論しなかった。六人は川を離れた。木々の間へ入り、足元の石を避けながら進む。濡れた草の匂いが夜気に混じっていた。背後で、川の音が少しずつ遠くなる。赤鎖を逃した悔しさが、全員の肩に重く乗っていた。その重さを振り払うように歩いていた時だった。森の奥から、低い唸りが重なった。アルドが足を止める。レイスがすぐに周囲を見た。
「五体」
ノルが言う。
「低級だね」
月明かりの届かない木陰から、獣の輪郭をした影が五つ這い出してくる。一体は、地を嗅ぐように頭を低くしていた。細い胴と長い脚が、夜の草を裂く。別の一体は、大きな猫科の獣を思わせる肩の沈め方で、音もなく距離を測っている。黒い翼の残骸を引きずるものもいた。猛禽めいた爪が土を掻き、首だけが不自然に長い。残る二体は、厚い前肢と牙を持っていた。
肉も骨も黒く歪み、月光の下で、自然の生き物にはあり得ない継ぎ目を見せている。五体の低級夜骸が、森の中に並んだ。アルドは緋喰刃を抜く。刃へ意識を落とした。いつものように、火炎の魔力を呼ぶ。燃えろ。そう命じる。だが、刃は沈黙した。赤い火は灯らない。緋喰刃の金属が月光を受けて、冷たく光るだけだった。
「……ちっ」
アルドの舌打ちが落ちる。正面の低級が跳んだ。アルドは火を待たずに踏み込む。緋喰刃を横に払い、伸びてきた爪を弾いた。火炎をまとわない刃では、いつものように焼き切れない。それでも、剣筋は鈍らなかった。
「雷流弐式 絡縛」
レイスの声が低く響く。細い雷が水気を拾って地面を走り、低級の脚へ絡みついた。跳ぼうとしていた一体が、膝から崩れる。
「ノル」
「見えてる」
ノルが翠穿を構えた。三つの銃身が、月明かりを細く返す。
「旋風壱式 導弾」
銃声。風をまとった弾丸が木々の隙間を曲がり、絡縛で鈍った低級の頭部を撃ち抜いた。黒い肉片が散る。セレスは流涙を逆手に持ち、もう片方の手で地咬を抜いた。足元の湿った土へ、静かに魔力を流す。
「大流参式 泥鎖」
土を主に、水を絡める。低級の足元が泥へ変わり、鎖のように脚へ巻きついた。大きな前肢を持つ一体が、勢いを殺されて横へ傾く。
「エディン!」
「はいはい、任されたわぁ」
エディンが笑う。大剣が月光を斬った。重い刃が、姿勢を崩した低級の脚を断つ。夜骸が沈むより早く、エディンはもう一歩踏み込み、首の根元へ大剣を返した。黒い身体が崩れる。ルシアンは指輪をはめた手を前へ出した。指輪に淡い魔力が灯る。
「旋風弐式 風槍」
細く圧縮された風が、アルドの横を抜けた。背後へ回ろうとしていた翼持ちの低級を貫き、黒い翼の残骸ごと木の幹へ叩きつける。
「助かった」
アルドは振り向かずに言い、踏み込んだ。緋喰刃が低級の首へ入る。火はない。だが、刃は迷わない。硬い部分を避け、継ぎ目を裂き、骨の歪みへ刃を滑らせる。アルドは炎がなくても、夜骸の倒し方を知っていた。最後の一体は、ノルの二射目で前脚を撃ち抜かれ、レイスの雷流で動きを鈍らせられたところを、セレスとエディンが左右から仕留めた。戦闘は、すぐに終わった。
息が切れるほどでもない。苦戦と呼ぶには短すぎる。ただ、アルドの剣には、最後まで火が灯らなかった。誰も、すぐにはそれを口にしなかった。アルド自身も、緋喰刃を鞘に戻す時だけ、一度刃を見た。月光を受けた刃は、冷たいままだった。
「先へ行こう」
レイスが言った。
「死骸に寄ってくるものがいるかもしれない」
「ああ」
アルドは短く答える。六人はまた歩き出した。しばらく進んだ先で、ようやく野営できそうな場所を見つけた。大きな岩が風を遮り、木々が少し開けている。周囲の見通しも悪くない。安全とは言えない。だが、今の彼らには十分だった。拾った枝を集め、小さな焚き火を作る。火は小さい。明かりを広げすぎれば、遠くから見つかる。煙もなるべく出したくない。
六人は、その小さな火を囲むように座った。誰も、すぐには喋らない。疲れがあった。赤鎖を逃した悔しさもあった。そして、夜骸との戦闘で改めて突きつけられたアルドの火炎不調もあった。レイスは焚き火の向こうで、地図を膝に広げていた。その顔が、険しい。アルドはそれに気づき、片眉を上げる。
「また何か重要な問題に気づいたか?」
レイスは地図から目を離さない。
「ああ」
その返事に、空気が少し張った。ノルが翠穿を抱えたまま顔を上げる。
「赤鎖について?」
「違う」
セレスが火の向こうからレイスを見る。
「夜骸のこと?」
「違う」
エディンが枝を一本、焚き火へ足した。
「感知ができないからかしらぁ」
「アルドがあっさりできた時は腹が立ったが、違う」
「やっぱ腹立ったんじゃねぇか」
アルドが即座に言った。レイスは無視した。ルシアンが心配そうに首を傾げる。
「じゃあ、どうしたの?」
レイスは地図を閉じた。そして、今まで赤鎖や灰冠の話をしていた時と同じ声で言った。
「金がない」
沈黙が落ちた。焚き火が、ぱちりと鳴った。ノルが瞬きをする。セレスも動かない。ルシアンは口を開きかけて、何も言えずに閉じた。エディンだけが、少しだけ目を細めている。アルドは真顔のまま、レイスを見た。
「……金?」
「ああ」
「今、それをその顔で言ったのか?」
「重大な問題だ」
レイスは本気だった。その本気さが、逆に一同を黙らせる。レイスは荷袋から小さな革袋を取り出し、中身を確認するように揺らした。乾いた硬貨の音が、頼りなく鳴る。
「残金は約二万セリオ」
セレスが眉を寄せた。
「二万……」
「六人分で、だ」
レイスが言う。
「食料を買えば減る。薬や包帯を買えば減る。宿に泊まれば、さらに減る。数日もまともに使えば消える」
ノルが焚き火を見る。
「……夜骸より面倒」
「夜骸は斬れる」
レイスは淡々と言った。
「宿代は斬れない」
アルドは黙っていたが、数秒後、低く呟いた。
「黒豹は夜骸には勝てる」
「ああ」
「赤鎖とも戦える」
「ああ」
「灰冠からも逃げてる」
「ああ」
「宿代には勝てねぇのか」
「勝てない」
真顔だった。あまりにも真顔だった。ルシアンが困ったように笑いそうになり、すぐに口元を押さえる。セレスは真剣に頷いた。
「宿代だけじゃないよ。野営しようにも野営道具が足りない。今はどうにかしてるけど、雨が降ったら厳しい。毛布も、火を起こす道具も、調理道具も、まともに揃ってない」
「そうだ」
レイスが頷く。
「討祓軍にいた時は、必要なものは支給か、経費で処理できた。今は違う。飯も宿も薬も道具も、全部自分たちで用意しないといけない」
ノルが唇を曲げる。
「逃亡者って、思ったより地味にきつい」
「派手にきついことも多いだろ」
アルドが言った。
「地味にきつい部分が増えただけだ」
「最悪じゃん」
エディンがくすりと笑った。
「おねぇさん、世の中で一番怖いものは夜骸じゃない気がしてきたわぁ」
「何だよ」
「支払い」
「笑えねぇ」
「笑ってないわよぉ」
エディンは笑っていた。だが、全員が同じくらい真剣でもあった。レイスは地図をもう一度広げる。
「売れるものはあるか」
「武器は駄目」
ノルが即答した。
「翠穿は論外。流涙と地咬も駄目。アルドの剣も目立つ。エディンの大剣も、売ったら戦力が落ちる」
「そもそも売らねぇ」
アルドが言う。
「分かってる」
レイスは短く返した。セレスが考え込む。
「荷運びや護衛なら、少しは稼げるかもしれない。でも、身元を聞かれる可能性があるよね」
「治癒で稼ぐのは?」
ルシアンが自分で言って、自分で首を横に振った。
「……駄目だね。目立つ。下手に噂になったら、追われる」
「軽い怪我なら薬師でも治せる」
レイスが言った。
「ルシアンの治癒が必要な怪我は、それだけで人が集まる」
「じゃあ狩り」
ノルが言う。
「獲物を売る」
「獲れればな」
アルドが地図を見る。
「弾も無限じゃない。大きな獲物を担いで村に入ったら、それはそれで目立つ」
「食べる分ならいいけど、金にするには効率が悪いね」
ルシアンが言った。エディンが軽く手を上げる。
「おねぇさんが旅芸人として踊るのは?」
「却下」
レイスが即答した。
「あら、早い」
「目立つ」
「そこ?」
「そこだ」
「レイちゃん、もう少し褒めてから却下してもいいのよぉ」
「却下だ」
ノルが小さく息を吐く。
「エディって呼ぶんじゃなかったの?」
エディンはにっこり笑った。
「ノーラちゃんに言われると新鮮ねぇ」
「やめて」
即答だった。そのやり取りで、ほんの少しだけ空気が緩む。だが、レイスの表情は緩まない。
「冗談抜きで、金を作る方法が必要だ」
「分かってる」
アルドは地図を覗き込んだ。焚き火の小さな光の中、道の線が浮かび上がる。川から離れた南側に、村の印がある。
「ここは?」
アルドが指さした。レイスが地図を寄せる。
「カリオス村。周辺では大きめの村だ。街道にも近い。人の出入りもあるはずだ」
「つまり、仕事もあるかもしれない」
セレスが言った。
「可能性はある」
レイスは慎重に答える。
「ただし、長居はできない。手配が回っているかどうかも確認する必要がある」
「行くしかないでしょ」
ノルが言う。
「ここで地図見ててもお金は増えない」
「そうだな」
アルドは頷いた。
「明日はカリオス村だ。そこで、金を作れそうなことを探す」
誰も反対しなかった。それが、まるで赤鎖対策か、灰冠対策か、夜骸の真相に関わる重大方針のように決まった。残金約二万セリオ。宿代には勝てない。野営道具を買う金もない。黒豹は焚き火を囲んで、その現実に真剣に向き合った。夜が深くなると、見張りを決めた。最初はアルドだった。
他の五人は、岩陰や木の根元に体を預けるようにして横になった。毛布と呼ぶには薄すぎる布を体にかけ、荷物を枕にする。焚き火は小さく残してある。アルドはその前に座り、緋喰刃を膝に置いていた。火を見ていると、どうしても自分の魔力を思い出す。燃えろと命じても、燃えない。あれだけ当たり前に手の内にあったものが、今はどこにもない。アルドは目を閉じた。周囲へ意識を広げる。
エディンが感知と呼んだもの。空気中に漂う、ごく薄い魔力を拾う。物や人がある場所だけ、その流れが途切れる。初めは、近くの輪郭だけだった。焚き火。岩。横になっているルシアン。少し離れたセレス。翠穿を抱えたまま寝ているノル。大剣に手が届く位置で眠るエディン。眠っているようで、完全には力を抜いていないレイス。さらに深く集中する。音が遠ざかる。
自分の魔力は外へ出さず、周囲にある微細な魔力の途切れだけを追う。そうすると、少しだけ拾える範囲が広がる気がした。木の幹。草。夜の湿り気。遠くを走る小さな獣。そして。誰かが起きた。アルドは目を開けた。振り向く。すぐ後ろで、ルシアンが両手をそっと伸ばしかけていた。アルドの目を塞ごうとしていたらしい。ルシアンは、手を空中で止めたまま目を丸くした。
「……すごい」
小さな声だった。
「本当に感知できてるんだね」
「ああ」
アルドは少しだけ口元を上げた。
「二度と俺の目は塞げないよ」
「残念」
ルシアンは本当に残念そうに言った。そして、アルドの隣に座る。焚き火の光が、ルシアンの横顔を淡く照らした。指輪をはめた手が、膝の上でゆるく重なっている。
「寝てろよ」
「アルドこそ、休める時に休んだ方がいいよ」
「見張りだ」
「うん。だから、少しだけ」
ルシアンは焚き火を見た。火は小さい。少し風が吹けば消えそうで、けれどまだ消えない。
「これから、どうすればいいんだろうね」
静かな声だった。アルドはすぐには答えなかった。夜の森は、焚き火の外側で深く沈んでいる。
「南に行けば、逃げられるのかな」
ルシアンが続ける。
「灰冠から。王都から。ローグレスさんたちから」
「さあなぁ」
アルドは正直に言った。
「南へ行けば遠ざかる。だが、それだけだ。逃げ切れるかは分からない」
「逃げるだけで、いいのかな」
「それも分からない」
アルドは膝の上の緋喰刃に目を落とした。
「俺たちは、知った。人間が夜骸になることを。月酔いの先に何があるのかを。王国が何を隠してるのかを、見た」
ルシアンは黙って聞いていた。
「赤鎖も、ただの盗賊じゃない。あいつらも王国を恨んでる。理由がある。だが、やってることは人を踏みにじることだ」
「うん」
「ローグさんは……」
そこで、アルドの声が止まった。少しだけ、喉の奥が詰まる。
「俺たちを追わせるだろうな」
ルシアンが焚き火を見たまま言った。
「総隊長だから」
「ああ」
アルドは短く答えた。
「あの人なら、そうする。俺たちを信じてないからじゃない。それがあの人の仕事だ」
「苦しいね」
「苦しいな」
二人の間に、火の音だけが残った。ぱちり、と枝が爆ぜる。ルシアンは少し膝を抱えた。
「ルカは、南に行きたいって言ったかな」
その名前が出た瞬間、アルドの指が緋喰刃の鞘に強くかかった。
「……言ったかもしれないな」
アルドは言った。
「でもたぶん、どこでもいいって言う。みんながいるならって」
「うん」
ルシアンの声が震えた。
「ゴードは?」
「ゴードは……」
アルドは目を伏せる。懐の奥にある隊章の重みを、嫌でも思い出す。
「黙って荷物持って、最後尾を歩く」
「うん」
「で、俺たちが揉めたら、でかいため息つく」
「うん」
「飯の時は、ルカの皿に肉を分ける」
ルシアンは目元を押さえた。涙を落とさないように、少しだけ上を向く。
「……そうだね」
アルドも、それ以上は言わなかった。言えなかった。言葉にすると、二人がいないことが確かになってしまう。もう十分すぎるほど確かなのに、それでも。ルシアンはしばらく黙ったあと、視線をアルドの剣へ向けた。
「炎は、出せないの?」
アルドは緋喰刃を見る。
「ああ。さっぱりだ」
「何も?」
「雷荷も、旋風も、水流も感じる。けど、火炎の魔力だけ、何も感じない」
アルドは自嘲するように笑った。
「俺の炎は、死んだのかもな」
「そんなことない」
ルシアンの声は、すぐに返ってきた。柔らかいのに、強かった。ルシアンはアルドの手を取る。指輪の硬さが、アルドの指に触れた。その手は温かい。
「そんなことないよ」
「分からないだろ」
「分かる」
「何で」
「アルドの炎だから」
理由になっていない。だが、ルシアンは本気だった。焚き火の光を受けた瞳が、まっすぐアルドを見ている。
「きっと、戻るよ」
「……そうか」
「うん。灰冠から逃げる時、全魔力を使って、すごい火炎魔法を使ったでしょ? だから、炎が疲れて寝ちゃってるんだよ」
アルドは一瞬黙り、それから小さく吹き出した。
「……だとしたら、相当な寝坊助だな」
「アルドの炎だからね」
「どういう意味だよ、そりゃ」
「そのままの意味」
「俺が寝坊助みたいに聞こえたんだが」
「聞こえたなら、そうなのかも」
「否定しろよ」
ルシアンが少し笑った。アルドも、ほんの少しだけ笑った。火炎は出ない。赤鎖は逃した。灰冠に追われている。討祓軍からも、追われる。ルカはいない。ゴードもいない。それでも、焚き火の前で、ルシアンの手は温かかった。
「寝ろ」
アルドが言った。
「うん。もう少ししたら」
「今」
「アルドも、交代したら寝てね」
「ああ」
「約束」
「分かったよ」
ルシアンはようやく立ち上がり、元の場所へ戻っていく。アルドはその背を見送ったあと、もう一度焚き火へ目を向けた。その少し離れた場所で。横になり、目を閉じていたエディンの口元が、ゆっくりとにんまり歪んだ。翌朝。六人は夜明けとともに動き出した。焚き火の跡を消し、踏み跡をできるだけ乱し、カリオス村へ向かう。昼頃、村の外れに着いた。
カリオス村は、これまで通った小さな集落よりも大きかった。道は人と荷車で踏み固められ、村の入口には商人らしき者たちの姿もある。家の数も多く、簡単な市場のような場所まで見えた。人が多い。それは、仕事があるかもしれないという意味でもあり、見られる危険が増えるという意味でもあった。村に入る前、レイスが全員を見た。
「名前を間違えるな」
「アル、レイ、ルシア、ノーラ、セラ、エディ」
エディンが楽しそうに言った。
「ね、ノーラちゃん」
「それ、やっぱり嫌」
ノルが即座に言う。
「我慢しろ」
レイスが言った。
「レイに言われたくない」
「俺も好きでレイになってるわけじゃない」
「アルは短くていいな」
アルドが言うと、ノルの目が細くなる。
「アルドだけずるい」
「俺に言うな」
そんなやり取りをしながらも、全員の目は周囲を見ていた。気は抜いていない。村に入ると、六人は三組に分かれた。レイスとノル。ルシアンとセレス。アルドとエディン。村の中で金を作れそうなものを探すためだった。レイスとノルは、まず荷車の集まる場所へ向かった。
木板には、農具の修理、短期の荷運び、畑仕事の募集らしき紙がいくつか貼られていた。だが、どれも村人か顔見知り向けの仕事ばかりで、よそ者がすぐ入り込めるものではない。
「身元確認あり」
レイスが小声で読む。
「面倒」
ノルが言った。
「次」
二人は市場も見た。だが、売るものがない。翠穿を売るわけにはいかない。弾も減らしたくない。細かな装備品を売れば、今後の移動に響く。
「金を稼ぎに来たのに、売れるものがない」
ノルがぼそりと言う。
「致命的だな」
レイスも真顔で返した。一方、ルシアンとセレスは薬師の店や小さな診療所のような場所を見ていた。怪我人はいないわけではない。畑仕事で手を切った者、荷車で足を痛めた者、腰を押さえて歩く老人。だが、ルシアンが治癒魔法を使えば目立つ。あまりに綺麗に治せば、噂になる。噂は足を持つ。足を持った噂は、追手より早い時がある。
「駄目そうだね」
セレスが小さく言った。
「うん」
ルシアンは指輪をそっと隠すように手を握った。
「困ってる人がいるのに、治せないのは嫌だけど」
「今は、見つかるわけにはいかないよ」
「分かってる」
それでも、ルシアンの顔は少し曇った。アルドとエディンは、力仕事を探していた。材木置き場。倉庫。荷下ろし場。どこも人手がまったく足りないわけではなかった。だが、よそ者をすぐに雇うほど緩くもない。特にアルドは、どうしても目立つ。顔を伏せ、髪を乱し、旅人らしく振る舞っても、体つきと歩き方が戦う者のそれだった。
「もう少し弱そうに歩けないのぉ?」
エディンが隣で囁く。
「無茶言うな」
「肩で村を威圧してるわよぉ」
「してない」
「してるわぁ」
「……してない」
「してるわぁ」
アルドは自分の肩を見る。
「肩ってどうやって弱くするんだ」
「まず、その顔をやめるところからかしらぁ」
「顔は変えられない」
「あら、困ったわねぇ」
結局、二人も成果はなかった。昼を過ぎ、六人は村の隅に集まった。家々の影になる場所で、邪魔にならず、なおかつ人目が多すぎないところだった。隠れていると言うには中途半端で、休んでいる旅人に見えなくもない。レイスが結果を確認する。
「荷運びは身元確認あり。市場で売れるものなし。治癒は目立つ。力仕事は顔見知り優先」
「詰んでるじゃん」
ノルが言った。
「まだ詰んでいない」
レイスは言う。
「残金は二万ある」
「それ、昨日も聞いた」
「減っていないだけましだ」
セレスが真剣に頷く。
「減ってないのは大事だよ」
「前向きだね、セラ」
ルシアンが少し笑う。
「前向きに考えないと、途方に暮れるから」
「もう暮れてる」
ノルが言った。アルドは村の通りを見る。人はいる。金も動いている。だが、彼らが掴める金はない。夜骸なら斬れる。赤鎖なら追える。だが、村の片隅で、六人は真剣に途方に暮れていた。その時だった。
「あれ?」
聞き覚えのある声がした。全員が同時にそちらを見る。
「ん?」
声の主は、人混みの向こうにいた。荷を背負い、片手に包みを持った若い商人。こちらを見て、目を丸くしている。レイスの顔色が変わった。
「!!……まずい!」
言うより早く、レイスが走り出す。声の主は、ぱっと顔を明るくして手を振っていた。
「なんでこんなところにいるんですか!? お久しぶりです! 黒――」
最後の一文字が出る前に、レイスが間に合った。全速力で距離を詰め、必死の形相で男の口を塞ぐ。
「声を落とせ。ここでは、その呼び方は禁止だ」
レイスの声は低かった。男は目を白黒させた。口を塞がれたまま、状況がまったく分からない顔をしている。アルドも、ルシアンも、ノルも、セレスも、エディンも、その男を見た。見覚えのある顔。以前より少し日に焼け、荷物の持ち方も商人らしくなっている。だが、驚いた時の顔は変わらない。声の主は、ハインだった。
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