川辺の四人
川音だけが、夜を満たしていた。幅のある川だった。水量は多くない。だが、流れは速い。月の薄い光を受けた水面が、黒く揺れている。川岸には古い石積みが残り、半ば崩れた渡し場の跡が草に埋もれていた。その前に、赤鎖の四人が立っている。荷車は、彼らの少し後ろ。赤鎖の荷が積まれたまま、川岸の石の上に止められていた。
「さっきから尾けてきてるお前らは、誰なんだ?」
男の声は軽かった。だが、その軽さの奥に、刃のようなものがあった。アルドは緋喰刃の柄を握る。レイスは剣に手をかけたまま、周囲を見る。ノルは翠穿を構えた。セレスは足元の土へ魔力を落とす。ルシアンは指輪に触れ、すぐに支援へ移れる姿勢を取った。エディンは、大剣を静かに抜いた。赤鎖の四人は、誰も慌てなかった。一人は短剣。一人は細い片刃の剣。
一人は両手に短い刃を持っている。最後の一人は、小さな湾曲した刃を指先でくるりと回していた。腰には赤い短鎖。けれど、末端の盗賊たちとはまるで違う。立ち方が違う。重心が違う。目が違う。
「もう一度聞くぜ」
短剣の男が言った。
「お前らは誰だ」
アルドは一歩前へ出た。
「旅人だ」
短剣の男は笑った。
「へぇ。旅人にしちゃあ、ずいぶん静かに歩くんだな」
「お前らは盗賊か」
「そうだ」
男は軽く片手を上げた。
「こんばんは」
その挨拶と同時に、男が消えた。いや。消えたように見えただけだった。一歩が速い。水音に紛れるように、男はアルドの懐へ滑り込んでいた。アルドは緋喰刃を抜き、振り下ろす。刃が夜を裂いた。短剣の男は、それを正面から受けなかった。短剣の腹を緋喰刃の側面へ当て、斜めに滑らせる。力を受け止めるのではなく、流す。アルドの刃がわずかに外側へ逸れた。
その瞬間、男の短剣が刃の流れに乗って上がる。緋喰刃の縁を滑るように、アルドの顔へ向かって走った。アルドは上体を逸らす。刃先が鼻先を掠めた。同時に、腰を捻る。右足が地面を蹴り、男の脇腹へ向かって走る。男の左手が伸びた。蹴りが入る寸前、足首を掴まれる。
「いい足」
男が言った。ふざけた声だった。だが、動きはふざけていない。男は振り切った短剣の勢いを殺さず、そのままアルドの足へ刃を落とした。足首を掴まれたままでは、避ける余地がない。アルドは緋喰刃を横へ薙いだ。金属音。短剣と緋喰刃がぶつかる。刃が止まる。だが、男の左手は足首を離さない。アルドは左足で地面を蹴った。体が浮く。
空中で腰をひねり、掴まれていない左足を男の腹へ叩き込む。男は足首を離した。空いた左手を腹の前へ差し込み、蹴りを受ける。それでも衝撃は殺しきれなかった。男の体が後方へ飛ぶ。足が川岸の石を削り、二歩、三歩と下がった。アルドは着地する。その刹那、男が指をこちらへ向けた。指先に、小さな雷が集まる。
「雷荷壱式 雷弾」
雷の弾が放たれた。大きくはない。拳ほどの雷光。だが、速い。アルドは左手を上げた。手のひらに雷を纏わせる。雷弾が触れる寸前、アルドはそれを横へ弾いた。雷が逸れる。川面へ落ちる。次の瞬間、水が爆ぜた。白い水飛沫が夜の中へ舞い上がる。短剣の男は濡れた髪を軽く払った。
「お前、旅人じゃねぇだろ」
「お前も盗賊の強さじゃないな」
アルドは緋喰刃を構え直した。
「王都討祓軍にでも入ったらどうだ」
「興味あるね」
男は短剣を逆手に持ち替える。
「入隊試験って何歳まで受けられるんだ?」
「十五から十八だ」
「残念」
男は笑った。
「年齢オーバーだ」
その頃、少し離れた場所で、レイスは片刃の剣を持つ男と向き合っていた。男は細身だった。だが、軽くはない。足はほとんど動かない。剣先だけが、水面の反射のように揺れている。レイスが踏み込む。男は半歩下がる。距離が変わらない。レイスは剣を横へ振る。男は刃を合わせず、剣の根元で受け、すぐに外す。剣同士が噛み合う前に離れる。金属音は小さい。静かな打ち合いだった。
レイスは二手目を入れる。男の肩口へ。男は剣を立て、刃を受け流す。そのまま、レイスの手首へ切っ先を落とした。レイスは手首を引き、剣の柄で相手の刃を弾く。足を踏み替える。左から入る。男も同時に角度を変える。互いの刃が、相手の急所へ届きそうで届かない。
「お前らの目的は何だ」
レイスが聞いた。剣を交えながら。男は笑った。
「言うわけねぇだろ。頭悪いのか?」
「お前らほどじゃない」
「言うねぇ」
男の剣が低く走る。レイスは跳ばない。跳べば次の刃に入る。地面を滑るように足を引き、膝を折って刃をかわす。その姿勢のまま、男の太腿へ剣を返す。男は剣の柄で受けた。鈍い音。足元の草が揺れる。
「旅人にしては質問が物騒だな」
「盗賊にしては守りが固いな」
「俺ら、繊細なんだよ」
「そうは見えない」
「ひどいねぇ」
男は笑った。その笑いの間にも、剣先は止まらない。胸。手首。喉。細かい刺突が、間を置かずに飛んでくる。レイスはそれを受けず、ずらす。最小限の動きで、致命点だけを外す。剣の音は、川音に混じるほど小さかった。エディンは、最初の一合で判断した。大剣では遅れる。相手は両手に短い刃を持っていた。
左右の刃が別々に動く。片方で視線を奪い、もう片方で脇を狙う。踏み込みは浅い。だが、速い。エディンは大剣を地面へ突き立てた。
「あら、重いものは置いていくのか?」
相手の男が言った。
「あなた相手だと、少し邪魔なのよぉ」
エディンは素手で構える。男の目が細くなった。
「舐めてんのか」
「まさか」
エディンは笑う。
「ちゃんと警戒してるわぁ」
男が来た。左の刃が首へ。右の刃が腹へ。エディンは首を傾け、腹側の刃を肘で外へ弾く。皮膚すれすれを刃が通り過ぎた。次に男の手首を掴もうとする。男は掴ませない。手首を抜き、逆にエディンの指を切りに来る。エディンは手を引かず、男の手の甲を指先で押した。ほんの少し。それだけで刃の軌道がずれる。男の右肩がわずかに開く。そこへエディンの膝が入った。男は肘で受ける。
骨同士がぶつかる鈍い音。二人は同時に離れた。
「あなたたちは、国を倒すつもりなのぉ?」
エディンが聞いた。息は乱れていない。男も、まだ笑っている。
「誰からそんなこと聞いた?」
「お友だちからよぉ」
「そのお友達、ろくな奴じゃねぇから縁切った方がいいぞ」
「アドバイスは聞いてないわぁ」
エディンは踏み込む。拳を真っ直ぐ打つ。男は左の刃で受けるふりをして、右の刃で肘を狙った。エディンは拳を開き、刃の峰を指で押さえる。同時に、肩を入れる。男の体がわずかに崩れる。だが、倒れない。足を引き、腰を落とし、地面に縫い付けたように踏みとどまる。強い。エディンの目が少しだけ細くなる。
「やっぱり、国を倒すつもりなのかしらぁ」
「さぁな」
男は短く笑った。
「知らねぇ」
「あなたたちは、そればっかねぇ」
「便利なんだよ」
男が再び刃を振る。エディンは半歩で間合いを潰した。刃の内側へ入る。男の胸元へ掌底。男は肘で受ける。衝撃が逃げる。そのまま二人は、川岸の石の上を音もなく移動した。一方、セレスは苦戦していた。相手は、湾曲した小剣を持つ軽薄そうな男だった。笑っている。ずっと。だが、間合いがいやらしい。近づけば小剣が走る。離れれば踏み込まれる。
セレスが足元の土をわずかに盛り上げる。男の足首を取ろうとした。だが、男はそれを読んでいたように跳んだ。高くはない。ほんの少し。土の隆起を避けるだけの跳躍。着地と同時に、小剣がセレスの肩口を狙う。セレスは短剣で受ける。重くはない。だが、角度が悪い。刃が滑り、セレスの腕に浅い線が走った。
「ぐっ」
「どうした女」
男はにやりと笑った。
「お前だけ弱いな」
「うるさいな」
セレスは水を足元へ走らせる。小さな水の線が、男の踵へ絡む。男は足首を捻ってそれを外した。動きが軽い。セレスは踏み込み、短剣を横へ払う。男は上体を倒してかわし、そのまま近づく。小剣が腹へ来る。セレスは膝を入れて止める。男はそれを避けず、腿で受けた。痛みを無視して、逆に肩で押してくる。セレスの体勢が崩れる。
「俺の女になるなら、戦わなくても毎日楽しく暮らせるぜ」
「誰が!」
セレスは水を跳ね上げた。目潰しではない。男の視界の端に、薄い水膜を作る。男が一瞬だけ目を細めた。その隙に、セレスは短剣の柄を男の脇腹へ入れる。男は笑いながら肘で受けた。
「こう見えて金はあるんだ」
「最悪よ!」
「悪い話じゃないだろ」
「最悪だって言ってる!」
セレスは地面を蹴る。今度は土ではなく、水を使った。自分の足元に薄い水を走らせ、滑るように横へ移動する。男の小剣が空を切った。セレスは背後へ回り込み、短剣を男の背へ向ける。男は振り返らない。足だけを後ろへ蹴った。踵がセレスの手首を狙う。セレスは短剣を引く。また距離が開く。
「安心しろ」
男は笑った。
「俺はお前だけを愛する。愛人は作らない。約束する」
「うるさいなぁ!」
セレスの声が、川音を裂いた。その横で、ノルは一度、翠穿の引き金を引いた。弾は赤鎖の男の肩と太腿、脇腹を狙っていた。だが、男は見ていなかったはずの弾を、ひらりと避けた。弾は背後の石へ当たり、砕ける。二発目。エディンと戦う男の足元へ。男はエディンの体を盾にする位置へ半歩ずれた。撃てない。三発目を撃つ前に、ノルは指を止めた。戦場が狭すぎる。四つの戦いが近すぎる。
撃てば、味方の動きを縛る。ノルは銃口を下げた。
「邪魔になる」
悔しさの混じった声だった。ルシアンも動けなかった。防御を張るには、全員の距離が近すぎる。風を入れれば、味方の足を乱す。治療するほどの傷は、まだない。支援の手を伸ばそうとしても、戦いが一瞬ごとに形を変える。速い。狭い。静か。大きな魔法が入る隙間がない。ルシアンは歯を噛み、全員を見ていた。何かあれば、すぐに動く。だが、今はまだ何もできない。戦闘は続いた。
派手な爆発はない。大きな魔法もない。川音。金属音。短い息。土を踏む音。布が擦れる音。それだけが、夜の中で重なっていく。アルドは短剣の男と何度も刃を交えた。火は使わない。使えない。だから、剣だけで詰める。男の短剣が内側へ潜る。アルドは柄で弾く。男の膝が来る。アルドは脛で受ける。アルドの肘が男の顔へ走る。男は額を下げて避け、逆に肩で押し込んでくる。近い。
刃よりも、体の使い方が厄介だった。
「本当に旅人か?」
男が聞く。
「そう見えないか」
「全然」
「なら見る目がある」
「褒められた?」
「多分な」
二人は同時に踏み込んだ。刃が交差する。火花は小さい。だが、腕にかかる圧は重かった。レイスは片刃の男の剣を受け流し続けていた。攻め切れない。相手も攻め切れていない。だが、互いに分かっている。一度崩れれば、終わる。
「お前ら、何を運んでいる」
レイスが問う。
「さぁな」
「知らないで運んでいるのか」
「知る必要がない」
「便利な頭だな」
「軽くて助かってる」
男は笑う。レイスの剣がその笑みを裂くように走った。男は首を傾けて避ける。頬に薄い血が滲んだ。男の目が、少しだけ変わる。
「危ねぇな」
「当てるつもりだった」
「正直だな」
「事実だ」
今度は男が踏み込む。剣が低い。腹を狙うと見せて、途中で切っ先が跳ねる。喉。レイスは体を開き、刃を紙一重で外す。そのまま男の手首を取りに行く。男は手首を捻り、剣を離さずに引いた。互いの距離が戻る。息が上がり始めていた。エディンも、少しずつ呼吸が深くなっていた。両刃の男は強い。細かい。いやらしい。
刃を受けたと思えば、次の刃が来る。腕を押さえたと思えば、肩が抜ける。膝を入れれば、肘で殺される。エディンは笑みを消していた。
「お前、笑わない方が怖いな」
男が言う。
「あら、褒め言葉?」
「半分な」
「もう半分は?」
「趣味が悪い」
「失礼ねぇ」
エディンは右手を伸ばす。男はそれを切りに来る。エディンは手を引かず、刃の手前で指を折るように曲げた。刃が空を切る。その瞬間、エディンの左拳が男の胸へ入る。男は後ろへ飛んだ。だが、倒れない。膝を地面につける寸前、刃を石へ突き立てて体勢を戻す。エディンの目がさらに細くなる。
「いい動きねぇ」
「そっちこそ」
「国を倒すには、これくらい動けないと駄目なのかしら」
「知らねぇって」
「本当に?」
「本当に」
男は笑った。
「嘘をつく必要もねぇ」
セレスは何度目かの斬撃を短剣で受けた。腕が痺れる。相手は軽いのに、衝撃の入れ方が上手い。力ではない。角度。タイミング。嫌な場所へ、嫌な力を入れてくる。
「どうだ。そろそろ俺の女になる気になったか?」
「なるわけないでしょ!」
「頑固だな」
「あなたがしつこいの!」
セレスは足元の水を細く伸ばした。今度は男の足ではない。男が踏み込む予定の場所へ、あらかじめ薄く置く。男が笑ったまま踏み込む。その足が滑った。
「お」
一瞬。ほんの一瞬だけ、男の体勢が崩れる。セレスは逃さなかった。短剣の柄を男の胸へ叩き込む。男の息が詰まった。だが、男はその場で笑った。胸に柄を受けながら、セレスの手首を掴む。
「やるじゃん」
「離して」
「嫌だね」
男の小剣が、セレスの腕へ向かう。セレスは地面を隆起させた。小さな土の壁。小剣がそれを削る。その隙に、セレスは手首を抜いた。二人はまた離れる。セレスの呼吸も、少し荒くなっていた。長い戦いではなかった。だが、密度が濃い。一呼吸ごとに、刃が来る。一歩ごとに、判断を迫られる。黒豹も強い。だが、赤鎖の四人も、間違いなく強かった。やがて。
赤鎖の四人が、ほぼ同時に一歩引いた。武器が下がる。アルドたちも、追い込まない。全員の呼吸が乱れていた。盗賊たちも同じだ。短剣の男が肩で息をしながら、笑った。
「いやぁ、強いな、旅人」
「そっちもな」
アルドが答える。レイスは剣を構えたまま、目を細めた。
「観念したか」
「まさか」
片刃の男が言った。その時だった。
「積荷がない!」
ルシアンの叫びが響いた。全員が振り返る。荷車。そこにあるはずの箱が、なかった。いや。荷車そのものが、軽くなっている。さっきまで積まれていた赤鎖の荷が、消えていた。
「何……?」
セレスが息を呑む。川。アルドの視線が、水面へ向いた。荷車の後ろ、草に隠れた場所に、切られた縄が落ちている。石積みの下に、細い溝がある。荷はそこから川へ落ちたのだ。戦いの最中に。準備運動に見えたあの動き。荷車の横で伸ばしていた腕。足首を回していた仕草。全部、仕掛けを外すための動きだった。川の下流。暗がりの中を、何かが流れていく影が見えた。浮き具をつけた荷。
すでに遠い。短剣の男が、楽しそうに笑った。
「じゃあな」
次の瞬間、煙が巻き上がった。黒い煙ではない。灰色の、薄い煙。川岸の石の隙間から、一斉に噴き出した。
「ノル!」
レイスが叫ぶ。
「見えない」
ノルが翠穿を構える。だが、撃てない。煙が薄い幕のように視界を潰している。アルドは踏み込む。だが、短剣の男の気配はすでに遠ざかっていた。エディンが目を細める。
「足音も消してるわねぇ」
煙が晴れた時。赤鎖の四人は、もういなかった。川音だけが戻ってくる。荷車は空。荷は下流へ。赤鎖の四人も消えた。ノルが歯を噛む。
「逃げられた」
セレスは川を見ていた。
「戦うためじゃなかった」
「足止めだ」
レイスが低く言った。
「最初から、荷を逃がすつもりだった」
アルドは緋喰刃を握りしめる。燃えていない刃だけが、夜の中で冷たく光っていた。
お読みいただきありがとうございます。
引き続き明日の20時頃更新予定です。




