赤鎖の根
「突入するぞ」
アルドの声が、低く落ちた。森の奥。粗末な柵に囲まれた盗賊のアジトには、複数の焚き火が揺れていた。小屋が三つ。荷置き場が一つ。見張りが二人。奥には、酒を飲んで笑っている男たちの声がある。腰に揺れる、赤い短鎖。間違いない。赤鎖だった。レイスが短く指示を出す。
「殺すな。逃げ道を潰す。声を上げられる前に落とす」
ノルが頷く。
「見張り、右を撃つ」
「左は俺が行く」
アルドが言った。セレスは足元の土へ指を添える。
「足場を崩す」
「おねぇさんは裏へ回るわぁ」
エディンが、いつもの柔らかい声で言った。だが、大剣はすでに背から下ろしている。ルシアンは指輪に触れ、息を整えた。
「防御と拘束補助に回る」
「頼む」
アルドは一度だけ全員を見た。そこに、もう迷いはなかった。
「行くぞ」
次の瞬間、黒豹は森を裂いた。ノルの銃声が、夜気を叩く。弾は見張りの耳元を掠め、背後の杭を砕いた。驚いて振り向いた男の足元へ、二発目が撃ち込まれる。男が腰を抜かすより早く、アルドが柵を越えた。緋喰刃は抜かない。外套の裾を翻し、見張りの首筋へ手刀を落とす。男は声を出す前に崩れた。もう一人の見張りが鐘に手を伸ばす。その足元が、不自然に沈んだ。
「なっ」
セレスが土を崩したのだ。男の体勢が傾いたところへ、レイスが踏み込む。剣の柄で鳩尾を打ち、膝が折れた瞬間に首元を押さえて地面へ沈めた。
「敵襲だ!」
奥で誰かが叫んだ。小屋から男たちが飛び出してくる。十人。いや、もっといる。だが、遅い。反応も、構えも、雑だった。盗賊たちは獲物を襲うことには慣れている。だが、真正面から制圧されることには慣れていない。ノルが低い位置で銃を構える。
「動くな」
それでも突っ込んできた男の足元へ、弾を撃ち込んだ。土が跳ねる。男が怯んだ瞬間、ルシアンの風が横から吹き、体勢を崩す。そこへセレスの短剣の柄が入り、男はその場に倒れた。別の男がエディンへ斬りかかる。
「あらぁ」
エディンは笑った。大剣を振るうまでもない。足を半歩引き、男の腕を避ける。柄の先で手首を叩き、落ちた刃を足で蹴り飛ばす。次に膝裏を蹴る。崩れた男の背を軽く押すと、男は地面に顔から落ちた。
「もう少し静かに倒れてくれる?」
返事はなかった。赤鎖の盗賊たちは、次々と倒れていった。殺してはいない。腕を折る。足を払う。腹を打つ。首筋を落とす。動けなくする。ただ、それだけだった。だが、それだけで十分だった。彼らにとって、黒豹は旅人ではなかった。獲物ではなかった。災害に近かった。
「くそっ、何なんだよこいつら!」
男の一人が小屋の奥へ走る。レイスが追おうとした瞬間、エディンの声が飛んだ。
「口元!」
男が、自分の奥歯へ指を入れようとしていた。レイスが踏み込む。間に合わない。そう思った瞬間、エディンの投げた短い木片が男の手首を打った。男の指がずれ、口の端から小さな黒い粒が落ちる。毒。服毒用の小さな粒だった。アルドが男の顎を掴み、無理やり口を開かせる。
「吐け」
「ぐっ、離せ!」
「吐け」
男の口から、もう一つ小さな粒が落ちた。ノルがそれを見下ろす。
「また」
「やっぱりねぇ」
エディンは目を細めた。
「捕まるくらいなら死ぬように、仕込まれてるわぁ」
その言葉に、場が静まった。倒れた盗賊たちの顔からも、血の気が引いている。抵抗する者は、もういなかった。制圧は、終わった。赤鎖のアジトは、あっけないほど静かになった。焚き火の音だけが残っている。男たちは全員、手足を縛られて広場の中央へ集められた。傷の深い者には、ルシアンが最低限の治療を施した。盗賊たちはそれを怪訝そうに見ていたが、誰も礼は言わなかった。
言える空気でもなかった。アルドは、広場の中央に立った。
「殺すつもりはない」
最初にそう言った。盗賊たちが顔を上げる。
「話を聞かせろ。知っていることを話せば、命は保証する」
「……信用しろってか」
声を出したのは、縛られた男の一人だった。年は三十前後。髭が伸び、頬には古い傷がある。服は汚れているが、周囲の盗賊たちがちらちらとその男を見ている。下っ端ではない。だが、頭領というほどでもなさそうだった。レイスが一歩前へ出る。
「お前がここのまとめ役か」
「まとめ役ってほど立派じゃねぇよ」
男は吐き捨てるように言った。
「だが、こいつらの中じゃ多少は話が分かる」
「なら、お前に聞く」
「その前に、こっちが聞きてぇ」
男はアルドたちを見回した。
「お前ら、ただの旅人じゃねぇな」
誰も答えなかった。男は鼻で笑う。
「そりゃそうだ。うちの連中が弱いのは認めるが、ここまで一方的に潰されるほどじゃねぇ」
視線が、レイスへ向く。
「軍人か」
沈黙。それが、答えになった。男の目が冷える。
「王国の犬に話すことはない」
セレスの表情がわずかに動いた。ノルは黙っている。ルシアンは男の傷口を見ていた手を止めた。アルドが、低く言う。
「今はもう違う」
男の眉が動いた。
「何?」
「俺たちも、国には恨みがある」
広場の空気が変わった。焚き火の音が、やけに大きく聞こえる。男はアルドを見た。
「王国の犬が、国を恨む?」
「奴らのせいで、仲間を殺す羽目になった」
ルシアンの指が、微かに震えた。レイスは何も言わない。ノルも、セレスも、エディンも。男はしばらくアルドを見ていた。嘘を探すように。弱みを探すように。そして、ふっと笑った。
「お前らも、訳ありってか」
「そうだ」
レイスが答えた。
「だから、お前たちが俺たちと同類かどうか確認したい」
「同類ねぇ」
男は縛られた手を少し持ち上げる。
「俺らは盗賊だぞ。綺麗な人間じゃねぇ」
「分かっている」
「奪った。脅した。人も殺した」
「それも消えない」
アルドが言った。
「だが、ここでお前たちを殺す理由にはならない」
男の目が細くなる。しばらくの沈黙。やがて、男は大きく息を吐いた。
「いいぜ。答えてやる」
他の盗賊たちがざわつく。
「おい」
「話していいのかよ」
「黙ってろ」
男が低く言うと、周囲は静まった。男はアルドたちを見る。
「ただし、俺は下っ端に毛が生えた程度だ。ほとんど知らねぇ。それでもいいか」
「ああ」
レイスが頷く。
「知っていることだけでいい」
「なら聞けよ」
レイスは赤い短鎖を取り出した。
「まず、お前たちの組織名は何だ」
「そんなもんはねぇ」
返答は早かった。ノルが眉を寄せる。
「いきなり知らないの」
「嘘はついてねぇよ」
男は肩をすくめた。
「俺らは元々、ただの盗賊団だった」
「ただの」
「ああ。旅人を襲って、商人を脅して、国軍の目を避けて生きる。そういう連中だ」
自嘲するような声だった。
「いつも通り悪さをやってたら、ある日、男が一人で来た」
「男?」
「腰に、この赤い鎖を垂らしてた」
男は自分の腰を見る。そこにあった赤鎖は、すでに外されている。
「そいつが言ったんだよ。この腐った王国を潰さねぇか、ってな」
レイスの目が細くなる。
「潰す、か」
「ふっ、最初は頭沸いてんのかと思ったぜ」
男は笑った。
「ただの盗賊団に何ができる。そう聞いたら、そいつは言った。指示通りに動けば、国は潰せるってな」
「ずいぶんな自信だな」
「全くだ」
男は焚き火を見る。
「狂ってると思ったね。だが、嫌いじゃなかった」
「なぜ」
「俺らはみんな、大なり小なり国に踏み躙られてる」
その言葉に、セレスが目を伏せた。男は続ける。
「村を見捨てられた奴がいる。税で家を潰された奴がいる。貴族に畑を取られた奴がいる。家族を兵に取られて、戻ってこなかった奴がいる」
火が爆ぜる。
「月酔いになった家族を、国に連れて行かれた奴もいる」
ルシアンの手が止まった。ノルの目が細くなる。アルドは何も言わない。男はその反応を見て、薄く笑った。
「知ってる顔だな」
「続けろ」
レイスが言う。
「月酔いになれば、国が引き取る。治療だの保護だの、綺麗な言葉を並べる。だが戻ってこねぇ」
男の声に、低い熱が混じる。
「死んだとも言われねぇ。どこにいるとも言われねぇ。問い合わせれば、記録がない。確認中だ。待て。待て。待て。待て。そう言われ続けて、何年も経つ」
誰も動かなかった。その言葉の先にある真実を、黒豹は知っている。だからこそ、何も言えなかった。
「その赤鎖の男は言ったよ」
男は続ける。
「王国は簡単に村を見捨てる。貴族は庶民から奪うだけ。家族が月酔いになれば国に奪われ、戻っても来ない。立派な軍がある? ああ、あるさ。けど、それは王都のためのもんだろ。貴族の地位と資産を守るためのもんだ。俺らの家族を救うためじゃねぇ」
レイスは否定しなかった。否定できなかった。国軍も、討祓軍も、王都を守ってきた。民を守るためだと信じて。けれど、その陰で届かなかった声があることも、今はもう分かっていた。
「俺らは、その通りだと思った」
男は笑った。乾いた笑いだった。
「だから、鎖を受け取った」
「赤い短鎖を」
「ああ」
男は地面に置かれた短鎖を見る。
「家族や友人の血で染まってるように見えたよ」
沈黙が落ちる。ルシアンは唇を噛んだ。セレスは小さく拳を握っている。ノルは地面を見ていた。エディンは男の顔をじっと見ている。嘘を探しているのか、痛みを見ているのか、分からなかった。男は、わざとらしく肩をすくめた。
「自分語りはこれで終わりだ」
レイスが赤鎖を握る。
「お前たちは、何をさせられていた」
「荷を奪え。書類を奪え。指定された家を襲え。そう言われたからやった」
「理由は」
「知らねぇ」
「中身は」
「知らねぇよ」
男は眉を寄せる。
「俺らは学者でも政治家でもねぇ。荷の中身が何か、書類が何を意味するかなんて分からねぇ。ただ、どこにある何を奪えと指示されたから奪った」
「それはどこへ渡る」
「南だ」
アルドとレイスの視線が合った。
「南?」
「ああ」
男は頷く。
「指定の場所に置けって指示だ。毎回、場所は変わる。今回の分は、南の古い石倉だ」
「誰が取りに来る」
「知らねぇ」
「本当に知らないのか」
「知らねぇって言ってんだろ」
男は苛立ったように言ったが、嘘には聞こえなかった。レイスは少し考え込む。アルドが言った。
「俺たちも連れて行け」
男は目を丸くした。次の瞬間、笑った。
「バカ言うな」
「なぜだ」
「俺らはもう降りる」
広場が静まった。男は縛られた仲間たちを見る。
「お前らは俺らを殺さないでくれるんだろ」
「ああ」
アルドが答える。
「なら、俺らはここで降りる」
「戻らないのか」
「戻れるわけねぇだろ」
男の声が少し低くなる。
「お前らに制圧された時点で、俺らに残された道は二つだ。自決するか、本体に殺されるか」
「殺されるのか」
「ああ。本体に辿り着かせないためだろうな」
ノルが静かに言う。
「切り捨て」
「そういうことだ」
男は笑った。
「だが、逆に言えば、本体まで辿り着けば組織名くらいは分かるんじゃねぇか」
「とっかかりがない」
レイスが言う。
「あるじゃねぇか」
男は顎で、荷置き場を示した。
「そこに」
アルドが振り返る。箱。書類袋。布で包まれた荷。赤鎖の指示で奪ったもの。
「その荷と資料だよ。お前らが運べばいい」
「お前たちの代わりにか」
「ああ」
男は笑った。
「くれてやる。好きに使え」
「いいのか」
「いいも何も、俺らはもう関係ねぇ」
男は少しだけ顔を背ける。
「それに、命の恩人への礼だ」
「礼?」
「盗賊に身を落としても、仁義は通す」
「仁義……」
「犯罪者になろうがこの国みてぇにはならねぇ」
その言葉に、アルドはしばらく黙った。それから頷く。
「分かった。ありがたく使わせてもらう」
盗賊たちの拘束が解かれた。もちろん、武器は返さない。毒も回収した。だが、命は取らない。男たちは戸惑ったように立ち上がった。足元はまだふらついている。先ほどまで敵だった者たちを前にして、誰もすぐには動けなかった。アルドが言った。
「もう自決するなよ」
「しねぇよ」
男が吐き捨てる。
「無闇な殺人もするな」
「説教か?」
「忠告だ」
男は鼻で笑った。
「そうだな。どっかの村で畑でも耕すとするかな」
「それがいい」
セレスが小さく言った。男はセレスを見る。
「綺麗事だな」
「うん」
セレスは否定しなかった。
「でも、生きるなら、その方がいい」
男はしばらくセレスを見ていた。それから、ふっと笑う。
「……そうかもな」
アルドが言った。
「今度、食わせてくれ」
「なら金持ってこいよ」
「命の恩人から金を取るのか」
「それとこれとは別だろ」
ノルが小さく頷く。
「正しい」
「味方するな」
アルドが言う。男は少し笑った。そして、ふと思い出したように腰へ手をやる。赤鎖はない。だが、近くの盗賊から集められた赤い短鎖が、袋に入れられていた。男はその袋を拾い、アルドへ投げた。
「これ」
アルドが受け取る。
「何だ」
「赤鎖だよ。これがねぇと、潜り込めねぇだろ」
レイスの目が細くなる。
「本当にいいのか」
「だから、俺らはもう関係ねぇって言ってんだろ」
男は肩をすくめる。
「使えるもんは使え。あいつらを出し抜けるなら、勝手にやれ」
アルドは袋を見下ろした。赤い短鎖が、幾つも重なっている。軽い音を立てた。
「ありがとう」
男が固まった。それから、急に吹き出した。
「ふっ」
「何がおかしい」
「おかしいだろ」
男は笑う。
「元軍人が、元盗賊に礼を言ってんだぞ」
アルドは少し考えた。それから、口元を上げる。
「それもそうだな。確かにおかしい」
「だろ」
重かった空気が、ほんの少しだけ緩んだ。男は仲間たちへ顎をしゃくる。
「行くぞ」
元盗賊たちは、荷も武器も持たずに歩き出した。森の奥へ。アジトとは違う方向へ。国とも、赤鎖とも、少なくとも今は違う方へ。
「気をつけろよ」
アルドが言った。男は振り返らず、片手をひらひらと振った。
「分かってる」
「もう悪さするなよ」
ノルが言う。
「へいへい」
男は気の抜けた声で返す。元盗賊たちは、薄暗い森の中へ消えていった。残されたのは、赤鎖の荷。南へ運ばれるはずだった書類。そして、袋いっぱいの赤い短鎖。レイスが、それを見下ろす。
「南へ向かう理由が増えたな」
アルドは頷いた。
「ああ」
森の奥で、元盗賊の一人がまだ手を振っているのが見えた。それが木々の影に隠れるまで、誰も動かなかった。
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