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火のない食卓

 肉の匂いが、滝の奥に落ちた。煙は、ほとんど立っていない。火は小さかった。濡れた石に囲まれた洞窟の隅で、乾いた枝を少しずつ噛ませるように燃やしているだけだ。明るさも、温もりも、煤鳩亭の炉とは比べものにならない。肉を焼くためというより、食べられる形にするための火だった。エディンが戻ってきたのは、空がまだ白みきらない頃だった。片手に兎を二羽。


 肩に、若い猪の肉を裂いたもの。服の裾は水と泥で汚れ、藤色の髪には細かな葉が絡んでいた。それでも、洞窟に入る足音はほとんどしなかった。


「ただいまぁ」


 いつもの調子に近い声だった。けれど、返事は少なかった。ノルが入口で銃を抱えたまま、短く目だけを向ける。


「遅い」


「ごめんなさいねぇ。猪ちゃんが思ったより元気で」


「派手にやってない?」


「おねぇさんを誰だと思ってるのぉ」


 エディンはそう言って、兎を岩の上に置いた。誰も笑わなかった。ルシアンはアルドのそばに座っている。左手はまだアルドの胸元に添えられ、指輪の淡い光が弱く灯っては消えていた。セレスは濡れた布を替え、アルドの額を拭いている。レイスは洞窟の奥で壁に背を預け、目を閉じていたが、眠ってはいなかった。エディンは全員を一度ずつ見た。それから、何も言わずに肉の下処理を始めた。


 刃を使う手つきは静かだった。兎の皮を剥ぎ、骨を外し、食べられる部分を小さく分ける。猪の肉も、火が通りやすいように薄く裂いた。滝の水で手と刃を洗い、匂いが外へ流れすぎないように岩陰で作業する。その間、洞窟には滝の音だけがあった。誰も、肉のことを喜ばなかった。誰も、腹が減ったと言わなかった。それでも、焼けた肉が差し出されると、全員が受け取った。


 生きるためだった。


「ルシアンちゃん」


 エディンが、薄く裂いた肉を葉に乗せて差し出す。


「食べなさいなぁ」


「……あとで」


「今」


 ルシアンは首を振る。


「アルドが」


「アルドちゃんの分は、おねぇさんがあとで噛み砕いてでも押し込むわぁ」


「そんなの」


「冗談よぉ」


 エディンは、いつもなら笑って流すところで、笑わなかった。


「食べなさい。手が動かなくなるわ」


 ルシアンは、ようやく肉を受け取った。だが、口に運ぶまでに時間がかかった。指先が震えている。焼けた肉は温かいはずなのに、ルシアンはそれを持つ手に力を入れられなかった。セレスが隣から小さく言う。


「ルシアン、少しでいいよ」


「うん」


 ルシアンは頷き、肉をかじった。噛む。飲み込む。ただ、それだけだった。味はしなかった。ノルは入口近くで、肉を片手で食べている。もう片方の手は翠穿《すいせん》から離さない。食べるというより、口の中へ入れているだけに見えた。セレスも、同じだった。少しずつ噛み、飲み込み、水を飲む。目はアルドとルシアンの手元を何度も往復していた。


 レイスは、差し出された肉をしばらく見ていた。


「レイスちゃんも」


 エディンが言う。


「食べないと倒れるわよぉ」


「分かっている」


 レイスは肉を受け取った。口に運ぶ。噛む。何の味もしない。煤鳩亭の肉なら、誰かが必ず文句を言った。焼きすぎだとか、少ないとか、酒が足りないとか、もっと大きいのを寄越せとか。そういう声がない。洞窟の隅で、小さな火が音を立てた。アルドは眠っている。


 眠っている、というより、意識の底へ沈んでいる。呼吸は昨夜より少しだけ安定していた。だが、目は開かない。声も出さない。ルシアンの治癒魔法は、傷を塞ぐほど強くはない。ただ、血を止め、息を繋ぎ、命を今の場所に留めているだけだった。


「血は」


 レイスが聞いた。ルシアンは指輪の光を見つめたまま答える。


「少し、落ち着いた」


「動かせるか」


「無理」


 短い答えだった。レイスは頷いた。


「分かった」


 それ以上は聞かなかった。聞かないようにした。火が消えかける。セレスが細い枝を一本、そっと足した。赤い火が小さく揺れる。洞窟の壁に、六つの影が映った。いや。六つしかない。ノルが、肉を噛む手を止めた。


「私が、撃ててれば」


 誰もすぐには反応しなかった。滝の音だけが返る。ノルは入口の方を向いたまま、続けた。


「もっと早く、撃ててれば。あの時、止められた」


「ノル」


 セレスが呼ぶ。


「違う。あそこは私が止める場面だった」


「何が違うの」


 ノルの声が少しだけ尖った。


「私の射線が遅れた。左側の動きも、もっと早く拾えた。拾うべきだった」


「ノルだけの話じゃない」


「じゃあ誰の話」


 セレスは肉を置いた。


「私の話でもある。足場を崩すのが遅かった。ルシアンを守る位置も、間違えた」


「それは庇ってるだけ」


「庇ってない。事実を言ってる」


「事実なら、私が撃ち切れなかったのも事実」


「二人ともやめろ」


 レイスの声が落ちた。低く、硬い声だった。だが、そこで止まらなかった。ノルがレイスを見る。


「レイスは黙ってて」


「黙っていられる状況じゃない」


「そう。黙っていられない。だから言ってる」


 ノルの指が、翠穿の銃身を握る。


「私がもっと早く撃ってれば、ルカは」


 その名前が出た瞬間、洞窟の空気が止まった。ルシアンの肩が揺れる。セレスの顔色が変わる。レイスの目が細くなった。


「ノル」


「何」


「それ以上はやめろ」


「やめたら戻るの?」


 ノルの声は静かだった。静かなぶん、鋭かった。


「戻らない。言っても戻らない。分かってる。でも、言わないと残る」


「残るのは全員同じだ」


 レイスが立ち上がりかける。だが、足元が揺れた。すぐに壁へ手をつく。疲労が、怒りより先に体を掴んでいた。それでも、レイスは言った。


「撤退の判断を切るのが遅かった。俺の責任だ」


「違う」


 セレスが即座に返す。


「違わない」


「違うよ。あの時、誰も正しく見えてなかった」


「それを見なければならないのが俺だ」


 レイスの声が少しだけ荒くなる。


「アルドが前に出る。ルカが深く入る。ゴードが受ける。ノルが撃つ。ルシアンが支える。セレスが止める。エディンが穴を埋める。全部を見て、切るのが俺の役目だ」


「役目なら、私たちにもある」


 セレスも立ち上がった。普段より声が強い。


「レイスだけが背負う話じゃない」


「背負う話だ」


「違う」


「違わない」


 ノルが横から言う。


「レイスの判断は遅かった」


 レイスの視線がノルへ向いた。セレスが息を呑む。ノルは続ける。


「でも、それを言うなら、私の射撃も遅かった。セレスの足止めも遅かった。ルシアンの防御も間に合わなかった。アルドは無茶した。エディンは隠してたことが多すぎる」


「ノルちゃん」


 エディンの声が、少し低くなる。ノルは振り返らなかった。


「何」


「今、それを並べても、誰も楽にならないわよぉ」


「楽になるために言ってない」


「じゃあ、何のため?」


 ノルは答えなかった。代わりに、セレスが言った。


「責める相手がいないから」


 その言葉は、小さかった。だが、洞窟の中でやけに響いた。


「みんな、自分を責めてる。だから、誰かが言った言葉に反応してるだけ」


「分かってるなら黙ってろ」


 レイスが低く言った。セレスの目が揺れる。


「黙ってたら、また同じことになる」


「同じことにしないために、今は情報を」


「情報じゃない」


 セレスの声が上がった。


「まだ、情報じゃない。今、言ってるのは、誰が悪かったかって話だよ」


「それを整理しないと進めない」


「進めるために、傷を広げてる」


「傷はもう広がってる」


 レイスの言葉に、ルシアンの手が止まった。指輪の光が、ふっと弱くなる。アルドの呼吸が、わずかに浅くなった。ルシアンが慌てて手に魔力を込め直す。セレスがそれに気づき、口を閉じた。だが、ノルはまだ止まれなかった。


「じゃあ言えばいい。私が撃てなかった。セレスが止められなかった。レイスが判断を間違えた。ルシアンが」


「もうやめて!」


 ルシアンの叫びが、滝の音を裂いた。洞窟の中が、凍った。ルシアンはアルドの胸元に手を置いたまま、顔を上げていた。目は赤い。頬は濡れている。いつから泣いていたのか、誰も気づいていなかった。


「もう、やめて……」


 声が震える。けれど、確かに怒っていた。


「誰のせいとか、あの時こうすればとか、今言わないで……お願いだから、今は言わないで」


 ノルが目を伏せる。セレスが唇を噛む。レイスは動けなかった。ルシアンは、アルドの体へ視線を落とした。


「アルドが、まだ目を覚まさないの」


 指輪の光が、震える。


「ゴードも、ルカも、もう……」


 そこから先は、言葉にならなかった。言えば、形になる。形にすれば、もう戻せない。それでも、全員が分かっていた。


「私、今、アルドを繋ぐので精一杯なの」


 ルシアンは息を吸う。吸った息が、震える。


「お願い。これ以上、壊さないで」


 誰も、何も言わなかった。滝の音が戻ってくる。水が落ちる。洞窟の火が、小さく爆ぜる。最初に口を開いたのは、レイスだった。


「……悪い」


 声は掠れていた。


「ルシアン。今のは、俺が悪かった」


 ルシアンは首を横に振る。


「違う。レイスだけじゃない」


「それでも、悪かった」


 ノルが、翠穿を膝の上へ置いた。


「私も」


 短い言葉だった。だが、その声は先ほどより低く、静かだった。


「ごめん」


 セレスも座り直した。


「私も、ごめん。ルシアン。レイス。ノル」


 ルシアンは、涙を拭わないまま頷いた。


「私も、叫んでごめんなさい」


「謝らなくていい」


 レイスが言う。


「今のは、止めてくれて助かった」


 エディンは火のそばで、ゆっくり息を吐いた。


「じゃあ、おねぇさんも謝っておこうかしらねぇ」


 レイスがエディンを見る。


「エディンは、何にだ」


「色々よぉ」


「曖昧だな」


「曖昧な方が、今は角が立たないでしょう?」


 その言い方に、ほんの少しだけ空気が緩んだ。笑えるほどではない。でも、誰かが次の言葉を出せるくらいには。レイスは再び腰を下ろした。


「状況だけ、最低限確認する」


 ノルが頷く。セレスも頷いた。ルシアンはアルドの胸元に手を置いたまま、目だけを向ける。レイスは指で濡れた岩をなぞり、簡単な位置関係を示した。


「キレイナで大級が出た。俺たちは交戦した。ルカは……」


 そこで言葉が止まる。誰も急かさなかった。レイスは、一度だけ目を閉じてから続けた。


「ルカは、戻らない。ゴードも戻らない」


 滝の音が強くなる。いや、強くなったように聞こえただけだった。


「アルドは意識不明。俺たちは追っ手に囲まれた。エディンが最初の一人を止め、アルドが炎禍嵐遷《えんからんせん》で道を作った。今はここに隠れている」


「追っ手は」


 ノルが言う。


「黒灰色の外套。数は八から十。気配を消す技術が高い。第三部隊とは違う」


 レイスはエディンを見る。


「エディン。あれが何か、分かるか」


 エディンは少しだけ目を細めた。


「名前までは、言えないわぁ」


「言えない、か」


「ええ。言えない」


 その言葉の重さに、レイスは踏み込まなかった。今は、そこを裂く余裕がない。


「なら、現時点では王国側の秘匿部隊、とだけ見る」


「いいと思うわよぉ」


「俺たちは追われている」


 セレスが小さく言う。


「王都には」


「戻れない」


 レイスは即答した。ルシアンが顔を上げる。


「ローグレスさんには」


「報告したい。だが、今戻れば、ローグ様に会う前に捕まる可能性が高い」


「……うん」


「ローグ様が敵だと言ってるわけじゃない」


「分かってる」


 ルシアンは小さく頷いた。


「でも、会えないんだね」


「今はな」


 レイスはそう答えた。短い確認だった。これからどこへ行くか。何を探るか。誰を信じるか。そこまでは進めなかった。進める状態ではなかった。レイス自身も、ノルも、セレスも、ルシアンも、限界だった。エディンだけが余裕を残しているように見えたが、それが本当かどうかは誰にも分からない。やがて、洞窟の外の光が少しずつ変わり始めた。水の膜の向こうが、青から橙へ沈んでいく。


 夕暮れだった。


「見張りは交代で」


 レイスが言いかける。


「おねぇさんがやるわぁ」


 エディンが遮った。レイスは眉を寄せる。


「エディンは休んでくれ」


「休んだわよぉ」


「いつ」


「みんなが言い争ってる間に、心だけ少し」


「休んだうちに入らない」


「じゃあ、今夜休むためにも、おねぇさんが見張るのが一番ねぇ」


 レイスは反論しようとした。だが、言葉を飲み込んだ。エディンが見張るのが、一番安全なのは事実だった。


「……無理はしないでくれ」


「ええ。レイスちゃんも寝なさい」


「寝られる状況では」


「寝るのよぉ」


 エディンの声が、少しだけ強くなった。


「副隊長が倒れたら、今度こそ終わりよ」


 レイスは目を伏せた。


「分かった」


 ノルは入口近くから動こうとしなかったが、エディンに肩を軽く叩かれて、ようやく奥へ下がった。


「ノルちゃんも」


「まだ撃てる」


「撃つ時が来たら起こすわぁ」


「……絶対」


「約束」


 ノルは少しだけ迷い、それから翠穿を抱えたまま座り込んだ。セレスはルシアンの隣で、アルドの布を替え終える。


「ルシアン、少し横になって」


「私は」


「少しだけ。指輪、持ってる手はそのままでいいから」


 ルシアンは首を振りかけた。だが、セレスが手を重ねる。


「お願い。ルシアンが倒れたら、アルドを繋げなくなる」


 その言葉に、ルシアンは抵抗をやめた。アルドのそばに体を寄せ、左手だけを伸ばしたまま、浅く横になる。指輪の光は、まだ弱く灯っていた。誰かが完全に眠るまでには、時間がかかった。けれど、疲労は容赦がない。ノルの瞼が落ちる。セレスが壁にもたれる。レイスは最後まで起きていようとしたが、いつの間にか目を閉じていた。


 ルシアンは眠っているのか、祈っているのか分からなかった。アルドは、目を覚まさない。エディンだけが、滝の裏に立っていた。水の膜の向こうは、夜になっている。滝の音が、世界を隠している。エディンは大剣に手を添えたまま、じっと外を見ていた。しばらくして、もう片方の手を自分の手首へ落とす。細い銀の輪が、そこにあった。紫がかった小さな石が三つ。


 滝の飛沫を受けて、かすかに光る。エディンは指先で、その石をなぞった。似合います。まだつけてもいないうちから、そう言い切った声を思い出す。真剣な顔で値切っていた。可愛くお願いしていた。八万セリオにしてもらって、ぱっと笑っていた。店を離れたあと、得意げに手を上げた。ぱん、と鳴った二度目のハイタッチ。あの時の手の温度まで、なぜかはっきり残っている。


「……ルカちゃん」


 名前は、滝の音に溶けた。返事はない。エディンは、しばらくブレスレットを見ていた。いつもの笑みは、そこにはなかった。


「これから、どう動くべきかしらねぇ」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟く。滝は答えない。夜も答えない。ただ、銀の輪の小さな石だけが、暗い水音の奥で静かに光っていた。朝は、白く冷たかった。洞窟の外から差し込む光は、滝の水に砕かれて揺れている。夜よりは明るい。けれど、温かさはほとんどなかった。エディンは夜明け前に、また少し外へ出た。


 戻ってきた時には、昨夜残した肉と、木の実のようなものをいくつか持っていた。食事と呼ぶには簡素すぎる。だが、何もないよりはましだった。火は、また小さく起こした。煙は岩に沿わせ、滝の飛沫に紛らせる。全員が少しずつ食べた。昨夜よりは、噛む速度が早かった。それだけだった。アルドはまだ目を閉じている。


 ルシアンは一睡もしていないような顔をしていたが、それでも昨夜より指先の震えは小さかった。セレスが何度も水を渡し、ノルは入口を見ながら肉を噛んでいる。レイスは濡れた岩の上に、細い枝で簡単な線を引いた。


「逃走経路を決める」


 その声には、まだ疲労が残っていた。だが、昨夜のような刺はない。


「ここに長く留まれば、いずれ見つかる。滝の音で隠れられるのは利点だが、逃げ道がない」


 ノルが頷く。


「袋小路」


「そうだ」


「追っ手が入口を塞いだら終わり」


「だから、動く必要がある」


 セレスが岩の線を見る。


「でも、アルドを運びながらだと速度が落ちる」


「ええ」


 エディンが頷いた。


「おねぇさんが担ぐにしても、ずっとは難しいわねぇ。追われながらだと、なおさら」


「魔法で足場を作ることはできる」


 セレスが言う。


「でも、長距離は無理。私も、まだ魔力が戻りきってない」


「私も弾は残ってる。でも多くない」


 ノルが翠穿を軽く叩いた。


「使いすぎたら終わる」


「ルシアン」


 レイスが見る。


「アルドを動かせるか」


 ルシアンは、アルドの顔を見た。しばらく答えなかった。


「……短い距離なら」


「長距離は」


「危ない」


「分かった」


 レイスは枝で線を引き直す。


「町道は使えない。キレイナに近い道もだ。第三部隊が出ているなら、聞き取りと周辺確認はもう始まっている」


「第三部隊に見つかるのも危険?」


 セレスが聞く。


「危険だ」


 レイスは即答した。


「全員が敵だとは言わない。だが、今の俺たちは説明できないものを抱えすぎている。捕まれば、ローグレス様に届く前に止められる可能性がある」


「ロザリアさんなら、追える」


 ノルが言う。


「あの人、嫌いだけど有能」


「同感だ」


 レイスは短く返した。エディンが少し笑う。


「嫌われているわねぇ、梟のお嬢さん」


「エディンもでしょ」


 ノルが言った。エディンは笑みを深めた。


「でしょうねぇ」


 その声には、どこか冷たいものが混じっていた。レイスはそこへ踏み込まなかった。


「西へ抜ける案。北の沢沿いを進む案。南へ下って村道を避ける案。この三つだ」


「西は?」


 セレスが聞く。


「森が深い。追跡は撒きやすいが、アルドを運ぶには厳しい」


「北」


 ノルが続ける。


「沢沿いなら足跡が消える。けど水音で近づかれても分かりにくい」


「南は」


 ルシアンが小さく言う。


「村道に近い。人目がある」


 レイスは頷いた。


「どれも悪い」


「良い道なんて、もうないわよぉ」


 エディンが言う。


「そうだな」


 レイスは枝を置いた。滝の音が、間を埋める。誰も、すぐには次を言わなかった。アルドの呼吸だけが、静かに続いている。レイスは、その呼吸を聞きながら、低く言った。


「どちらにせよ、アルドの意識が戻らない限り、ここを動くのは難しい」


 その時だった。背後から、掠れた声がした。


「なら、動くぞ」


 全員が振り返った。ルシアンの手が止まる。ノルが銃を取り落としそうになる。セレスが息を呑む。レイスは、言葉を失った。濡れた外套の下。青白い顔のまま、アルドが目を開けていた。

お読みいただきありがとうございます。

引き続き明日の20時頃更新予定です。

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