湖の見える家
翌朝の第一部隊隊舎は、いつもより静かだった。食堂には朝食の匂いが残っている。皿はほとんど片づけられ、机の上にあるのは冷めかけた茶と、誰も手をつけなかった焼き菓子が少しだけだった。ルカはいない。療養院にいる。それだけで、いつもの食堂が広く見えた。
アルドは椅子に座らず、机の端へ片手をついている。肩と脇腹には包帯が巻かれ、顔色もまだ悪い。レイスはその横で腕を組み、セレスは布に包んだ流涙と地咬を膝へ置いていた。昨夜、泥も血も落とした。それでも二本を握れば、旧材木道の夜がまだ手の中へ戻ってくる。
「行くなら、早い方がいい」
レイスが言った。全員の視線が集まる。
「旧材木道周辺の異常は、本部へ正式に報告済みだ。夜骸同士の捕食。捕食後の形態変化。これだけでも、継続調査の理由にはなる」
「キレイナ町を拠点にする理由も立つわねぇ」
エディンが壁際から続ける。
「旧材木道にも近いし、王都から離れすぎてもいない。町もそれなりに大きい。物資も揃う。宿場町だもの」
「任務の建前としては十分」
ノルが淡々と言った。
「建前、か」
ゴードの低い声に、食堂が僅かに静まった。本当の理由は別にある。ルカが、いつかみんなで住みたいと言った町。湖が綺麗で、店が多くて、食べ物がおいしくて。任務の途中だというのに目を輝かせて歩いた町。
その願いを叶えるため。けれど、それをそのまま外へ出すことはできない。アルドは短く息を吐いた。
「ローグさんには、旧材木道周辺の継続調査って話で通す」
「嘘ではない」
レイスが言う。
「ああ。嘘じゃない」
アルドも頷いた。
「でも、全部じゃない」
ルシアンが小さく呟く。昨日、ルカの傷を押さえ続けていた手が、膝の上で僅かに強張っていた。
「全部言えないの、少し苦しいね」
「苦しいからって、言える話じゃない」
レイスの声は静かだった。
「ルカを守るためでもある。今は、外へ出すべきではない」
「うん」
ルシアンは小さく頷く。セレスが膝の上の布を撫でた。
「ルカには、なんて言うの?」
アルドとレイスが黙る。代わりにノルが口を開いた。
「旧材木道の調査拠点。療養も兼ねて移動」
「それが一番自然ねぇ」
エディンが続ける。
「ルカちゃん、自分のせいだって思うもの。みんなであなたのために引っ越すのよ、なんて言ったら、あの子、喜ぶ前に潰れちゃうわぁ」
誰も否定しなかった。ルカなら、きっとそうする。最初は喜んでも、すぐに第一部隊が動く理由を自分へ結びつける。
「じゃあ、そうする」
アルドが決めた。
「旧材木道周辺の調査。第一部隊の臨時拠点。ルカは療養を兼ねて同行」
「ローグ様には、俺から書類面を補足する」
「頼む」
「お前は余計なことを言うな」
「言わねぇよ」
「その返事が信用しづらい」
「ひどくないか?」
「日頃の行いだ」
いつものやり取りだった。誰も笑い声までは上げなかったが、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。
◇
王都討祓軍本部は、朝から人が行き交っていた。書類を抱えた兵が廊下を抜け、階段を急いで上がっていく。昨日の旧材木道で確認された異常も、すでに一部では共有され始めているらしい。話題になっているのは、夜骸のことだけだった。低級が中級へ襲いかかったこと。
中級が七体を喰い返したこと。その後、形態まで変化したこと。ルカについては、任務中に負傷した隊員としてしか記録されていない。今は、それでいい。総隊長室の前で、アルドが扉を叩いた。
「ローグさん、アルドです」
「入れ」
室内にはローグレスとジークがいた。机の上には昨夜の報告に関する書類が積まれ、ジークはその横で記録用の紙を準備している。ローグレスは二人を見るなり、アルドの包帯へ視線を落とした。
「療養院へ行けと言ったはずだが」
「行きました」
「そのまま寝ていろ、という意味だった」
「すみません」
アルドが素直に頭を下げると、ローグレスは息を吐いた。
「それで、今度は何だ」
レイスが一歩前へ出る。
「旧材木道周辺の継続調査について、第一部隊から申請があります」
「続けろ」
「昨日確認した夜骸同士の捕食、および捕食後の形態変化は、既存の遭遇例と照合しても危険度が高いと判断しています。旧材木道周辺は過去にも夜骸および不審事案が重なっているため、一定期間の監視と即応体制が必要です」
ジークの筆が静かに走る。続いて、アルドが口を開いた。
「第一部隊を、しばらくキレイナ町に置きたいです」
ローグレスの目が僅かに細くなる。
「キレイナ町か」
「はい」
机の上の地図へ視線が落ちた。王都。旧材木道。キレイナ町。ローグレスの指が三点を順に追う。
「旧材木道への動線を考えれば、確かに王都より早い。町の規模もある。物資も宿もある。王都との連絡も切れない」
「はい」
「臨時拠点という扱いか」
レイスが答える。
「本隊移転ではありません。第一部隊の一時駐在、または出張拠点として申請します。期間はまず二週間から三週間。旧材木道周辺の夜骸発生状況、捕食行動の痕跡、町周辺への影響を確認します」
「必要に応じて延長、か」
「その判断は、ローグ様へ報告の上で行います」
ローグレスは黙ったまま地図を見た。アルドも余計なことは言わない。本当の理由を隠していることだけが、胸の奥へ残る。
「ジーク」
「はい」
「キレイナ町の空き家、宿舎、駐在に使えそうな建物の記録はあるか」
「確認します」
ジークは棚から薄い台帳を取り出し、頁をめくった。
「町役場から以前提出された資料があります。湖畔から二本奥の通りに、空き家が一軒。元は商家の別宅です。部屋数は多く、短期滞在用に整備可能と記録されています」
「第一部隊が入れるか」
「人数だけで見れば可能です。ただし、武器保管と治療用品の置き場は追加調整が必要です」
「町側への通達は」
「本日中に出せます」
ローグレスが頷く。
「なら、その家を仮拠点候補にしろ。キレイナ町には、夜骸異常調査のための第一部隊一時駐在として通達する」
「承知しました」
ジークが新しい紙へ筆を走らせる。アルドは僅かに息を吐いた。横からレイスの視線が飛んでくる。まだ終わっていない。そう言われた気がして、すぐに姿勢を戻した。
「ルカの負傷は」
「命に別状はありません。療養院で処置を受けています」
「動かせるのか」
「フィオナ隊長の許可が出てからにします」
レイスが答えた。
「馬車移動。歩行は最小限。到着後も療養優先にします」
「そうしろ。負傷者を調査任務の名目で引きずり回すな」
「はい」
「アルド、お前もだ」
「はい」
「返事だけはいいな」
「そこは昔からです」
「褒めていない」
アルドが口を閉じる。ローグレスはもう一度地図を確認してから、二人へ向き直った。
「許可する。ただし、第一部隊の一時駐在扱いだ。任務範囲は旧材木道周辺およびキレイナ町周辺の夜骸警戒。現地で異常があれば即報告。勝手に範囲を広げるな」
「分かりました」
「ありがとうございます」
ジークが整えた申請書へ、ローグレスの印が押される。赤い印の上には、第一部隊、キレイナ町一時駐在、旧材木道周辺異常調査と必要事項が並んでいる。そこに、ルカのことはない。
「町側への通達は本部から出す。お前たちは準備をしろ。無理はさせるな」
「はい」
アルドが申請書へ手を伸ばす。その前に、レイスが受け取った。
「お前は落としそうだ」
「怪我人扱いしすぎじゃないか?」
「怪我人だ」
ローグレスまで同じことを言う。アルドは何も返せなかった。
◇
本部を出ると、朝の光は少し高くなっていた。レイスは申請書を折らないよう持ち、アルドの歩幅に合わせて廊下を進む。
「通ったな」
「ああ」
「早かった」
「正当な理由があるからな」
「そうだな」
窓の外には王都の屋根が並んでいる。キレイナ町は見えない。それでもアルドの頭には、以前見た湖の色が残っていた。
「全部じゃないけどな」
レイスは少し黙ってから答えた。
「全部話せば、守れないものもある」
「分かってる」
「なら、そんな顔をするな」
「どんな顔だよ」
「自分だけ悪いことをしている顔だ」
アルドが苦く笑う。
「してるだろ。隠してるんだから」
「隠すことと、裏切ることは違う」
レイスは前を向いたまま言った。
「今は、ルカを守るために隠している」
「……ああ」
「それを忘れるな」
「忘れない」
◇
隊舎へ戻ると、準備はすでに始まっていた。エディンは布袋を広げて衣類を詰め、ノルは弾薬と工具を分けて必要数を並べている。ゴードは食料と調理道具の箱を運び、ルシアンは薬や包帯、日用品をまとめていた。セレスも自分の荷物を最低限にし、流涙と地咬の手入れ道具だけは別に包んでいる。
「早いな」
アルドが言う。
「許可、出たんでしょ?」
「出た」
「じゃあ早い方がいい」
「みんな同じこと言うな」
「隊長様が遅いだけ」
ノルが言った。
「俺、怪我人なんだけど」
「荷物は持たなくていい」
「そういう優しさ?」
「邪魔だから」
「ノル」
アルドが目を細める。
「怪我人は座ってて」
「結局優しいのか冷たいのか分からないな」
「両方」
エディンが笑った。
「アルドちゃん、今日は指示だけしてなさいなぁ。変に荷物持って傷開いたら、レイスちゃんが怖いわよぉ」
「もう怖いですよ」
「聞こえているぞ」
レイスが申請書を机へ置く。食堂に、少しだけ笑いが戻った。昨日の夜ほど重くはない。それだけでも十分だった。準備は昼過ぎまで続いた。武器、予備装備、書類、薬、衣類、寝具、調理道具。
短期の駐在とはいえ、八人分となれば荷物はかなりの量になる。
「これ、誰の?」
セレスが荷の中から菓子の缶を持ち上げた。ルシアンが僅かに目を逸らす。
「……みんなの」
「ルシアン?」
「キレイナ町で食べるかもしれないし」
「食べる」
ノルが即答した。
「ほら、みんなの」
「ノルは一人で食べるでしょ」
「分ける」
「本当?」
「たぶん」
「たぶんって言った」
その間にも、ゴードが次の箱を持ち上げる。アルドが手を伸ばした。無言で取り上げられた。
「少しくらい持たせてくださいよ」
ゴードは首を横へ振る。
「座ってろ」
「ゴードまで」
結局、アルドは食堂の椅子へ座らされた。
「俺、隊長なんだけど」
「だから座ってて」
セレスが返す。
「隊長が倒れたら面倒」
「言い方」
◇
夕方前、療養院から移動許可が出た。馬車移動であること。歩行は最低限。揺れを抑え、到着後は必ず休ませること。その条件つきだった。療養院の玄関へ迎えに行くと、ルカは少し困ったような顔で待っていた。
肩から脇腹には厚い包帯が巻かれ、片腕も動かしづらそうにしている。顔色はまだ白い。それでも第一部隊の姿を見ると、右目が少し明るくなった。
「みなさん、すみません。わざわざ」
「迎えくらい来るでしょ」
セレスが言う。
「歩ける?」
「少しなら」
「歩かなくていい」
レイスが即座に返した。
「馬車まで運ぶ。ゴード、頼む」
「分かった」
ゴードが前へ出る。ルカは慌てて腕を上げかけ、傷に響いたのか顔をしかめた。
「い、いや、本当に大丈夫です」
「大丈夫じゃない」
ノルが言う。
「動くと傷が開く」
「でも、僕」
「黙って運ばれて」
「ノルさんまで」
困ったように笑うルカを、ゴードは慎重に抱え上げた。ルカの身体が一瞬固まる。
「あの、恥ずかしいんですけど」
「我慢しろ」
レイスが言った。
「療養も任務のうちだ」
「任務なら……はい」
「素直ねぇ」
エディンが笑う。ルシアンはすぐそばで包帯の位置を確認した。
「痛くない?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「少し痛いです」
「正直でよろしい」
セレスが言うと、ルカも小さく笑った。その笑顔は、まだ弱い。馬車へ向かう途中、ルカがふと首を傾げた。
「そういえば、どこに行くんですか?」
一瞬だけ、空気が止まった。アルドが答える。
「キレイナ町」
「……キレイナ町?」
ルカの目が丸くなった。
「あの、湖の?」
「ああ」
「どうして?」
レイスが自然に引き継ぐ。
「旧材木道周辺の調査拠点として、第一部隊が一時的に駐在することになった。お前は療養も兼ねて同行だ」
「僕も?」
「置いていく理由がない」
ノルが言った。
「怪我してるから馬車」
「そういうことじゃなくて」
ルカは全員を見回した。
「僕、足手まといじゃ」
「ルカ」
アルドが遮る。
「療養も仕事だ」
「……でも」
「今はそれ以上考えるな」
柔らかい声だった。ルカはまだ何か言いたそうだったが、やがて頷いた。
「分かりました」
少しだけ弱い返事。けれど、次の瞬間には右目へ小さな光が戻った。
「キレイナ町……」
その呟きを聞いたルシアンは、何も言わずに笑った。
◇
馬車は王都を出た。荷物を積んだ馬車が二台。人を乗せた馬車が一台。周囲の警戒は、歩ける者が交代で行う。アルドは自分も歩くと言い張ったが、レイスとゴードに同時に見られ、早々に諦めた。
「俺、隊長なんだけど」
「怪我人」
ノルが言う。
「隊長でも怪我人だ」
レイスも続ける。
「二人で言わなくてもよくないか?」
「必要」
「必要だ」
「息合ってるな」
アルドは背もたれへ身体を預ける。向かいでは、ルカが窓のそばへ座っていた。
「お揃いだな、ルカ」
「お揃いですね」
ルカが笑う。その右目は、流れていく景色を忙しく追っていた。王都の外壁が遠ざかり、畑が続く。道端の木々が窓の向こうを流れ、傾き始めた陽が空を柔らかく染めていく。
「前に来た時は、任務でしたね」
ルカがぽつりと言った。
「今回も任務」
ノルが向かいから返す。
「そうですけど」
「違う?」
「……ちょっと違います」
ルカは窓の外を見た。
「前より、荷物が多いです」
「住むから」
「住む……」
その言葉を、ルカは噛みしめるように繰り返す。すぐに振り向いた。
「本当に、キレイナ町に住むんですか?」
「一時的にね」
ルシアンが答える。
「拠点が必要だから」
「一時的でも、すごいです」
ルカはまた窓の外へ顔を向けた。
「前に、ここにみんなで住めたら楽しそうって言ったことがあって」
ノルが瞬きをする。馬車の隅に座っていたエディンも、僅かに目を細めた。
「そうなんだ」
ルシアンは普段と同じ声で返した。
「はい。湖が綺麗だったから」
「ルカらしいね」
「そうですか?」
「うん」
ルカは少し照れたように笑った。誰も、その願いを覚えていたからここへ来たとは言わなかった。馬車はそのまま進んだ。王都の石と煙の匂いが薄れ、少しずつ土と水の匂いが混ざり始める。やがて道の向こうに、夕陽を受けた広い水面が見えた。湖だった。
キレイナ町は、その湖のそばに広がっている。白っぽい壁の家々。宿の看板。湖畔へ続く道。遠くに見える天祈像。町へ近づけば、馬車の車輪の音に魚を売る声や宿の客を呼ぶ声、走り回る子どもたちの声が混ざった。
ルカが窓へ身を寄せようとして、途中で顔をしかめる。
「無理しないで」
すぐにルシアンが支えた。
「あ、すみません」
「キレイナは逃げないよ」
「はい」
そう答えても、ルカの右目は湖から離れなかった。
◇
町役場の者に案内され、第一部隊は湖畔から二本奥へ入った通りへ向かった。そこに、これから使う借家があった。古いが手入れはされている。白い壁に濃い色の屋根。入口の横には小さな鉢植えが二つ置かれていた。
二階建てで部屋数も多く、裏手には小さな物置もある。
「ここか」
アルドが見上げる。
「思ったより広いな」
「全員入れる」
ノルが言う。
「台所もある」
ルシアンの顔が少し明るくなる。
「よかった。薬も分けて置けそう」
「武器置き場は裏手ねぇ」
エディンは家の周囲を見回していた。
「窓の位置も悪くないわぁ」
その間にも、レイスは入口、裏口、階段の位置を確認している。
「部屋割りは後で決める。まず荷物を入れるぞ。ただし、怪我人は動くな」
アルドとルカへ視線が向く。
「俺もか」
「当然だ」
「少しくらい」
「駄目」
ルシアンが先に止めた。アルドが黙る。
「ルシアンに言われると弱いのねぇ」
エディンが笑う。
「いや、別にそんなことないですよ」
「弱い」
ノルが言う。
「弱いわねぇ」
「弱いな」
ゴードまで加わった。
「ゴードまで?」
それでも結局、アルドは玄関横の椅子へ座らされた。ルカも窓際の椅子へ座る。
「僕、軽いものなら運べます」
「運ばない」
レイスが即答した。
「でも」
「今の仕事は座っていることだ」
「座るのが仕事……」
「難しい?」
ノルが訊く。
「いえ、できます」
「ならやって」
「はい」
ルカは困ったように笑い、アルドの隣へ座り直した。
「お揃いだな、ルカ」
「お揃いですね」
荷物運びが始まった。ゴードが重い箱を二つまとめて運び、エディンは長物を抱えて裏手へ向かう。セレスは自分の荷物と短剣の手入れ道具を二階へ運び、ノルは弾薬箱の置き場所を決めるため床の湿気まで確認していた。ルシアンは台所の棚を開けたり閉めたりしながら、薬箱や食器の位置を考えている。
「ここ、日が入るね」
「薬は日が当たらない方がいい」
ノルが横から言う。
「うん。だから薬はこっち。日が入るところはお茶とか」
「菓子」
「菓子は隠す」
「なんで」
「ノルが食べるから」
「分ける」
「たぶん?」
「……分ける」
「今ちょっと迷ったよね」
家の中を声が行き交う。ルカは椅子からその様子を見ていた。自分は動けない。荷物も持てない。それでも、同じ家の中で仲間たちが物を運び、置く場所を決め、言い合っている。その一つ一つを、右目で追っていた。
「退屈か?」
隣からアルドが訊く。
「いえ」
ルカは首を横に振る。
「なんか、不思議です」
「何が?」
「みんなで本当にキレイナに住むんだなって」
「一時的にな」
「それでも」
ルカは少し笑った。
「楽しいです」
アルドは一度だけ返事に詰まり、それから笑う。
「そっか」
「はい」
その時、二階からセレスが降りてきた。
「ルカ、二階の部屋、湖見えるよ」
「本当ですか?」
「うん。ちょっとだけだけど」
「見たいです」
「傷に響かないようにね」
ルシアンがすぐに言う。
「はい」
ルカが立ち上がろうとすると、ゴードがすぐそばへ来た。
「支える」
「すみません」
「いい」
腕を借り、ゆっくりと階段を上がる。一段ずつ。途中で傷が痛んだのか、ルカの顔が僅かに歪んだ。それでも急がず、ゴードに支えられて二階まで上がった。奥の一室へ入る。
荷物はまだほとんどなく、床には薄く埃の跡が残っている。壁際には古い棚が一つ。けれど、窓を開けると風が入った。水の匂いがした。ルカは窓辺へ寄る。すぐ後ろにはゴードがいて、セレスとルシアンも少し離れて見守っていた。
建物の間から、湖が見える。夕方の光を映した水面。遠くで揺れる小舟。湖畔の道を歩く人影。赤くなり始めた空が、水の上へ長く伸びていた。ルカは何も言わず、それを見ていた。
しばらくして、ぱっと顔を明るくする。
「皆さん! 湖、すごく綺麗ですよ!」
窓から差し込む夕陽の中で、ルカが笑っていた。
今回もお読みいただきありがとうございました。
引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。
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