流す刃、止める刃
翌日の昼、第一部隊隊舎の広間には窓から明るい陽が差し込んでいた。低い机には茶器と食べかけの焼き菓子が残り、任務帰りの騒がしさも出撃前の緊張もない。そんな昼の空気の中、セレスはソファーの端へ座って膝の上に二本の短剣を置いていた。一本は途中から刃が大きく欠け、もう一本も鍔元に細かな亀裂が走っている。柄まで僅かに歪み、形だけならまだ短剣でも、昨日の任務へ持ち出せる状態ではなかった。
「……どうしようかな」
この短剣は、昔に露店で買ったものだった。値段は手頃で握り心地も悪くない。水流の魔力もそれなりに通ったから選び、そのまま長く使ってきた。何度も役に立ったし、助けられた場面もある。けれど、失うことそのものが惜しくて仕方ないわけではなかった。
道具は道具だ。役目を終えたなら、それでいい。問題は、次に何を持つかだった。また似た短剣を探すのか。それとも今の自分の戦い方に合わせて選び直すのか。
水を流す。地面を崩す。足を奪う。毒を通す。味方が踏み込める場所を作る。
考え始めるほど、今までと同じ短剣を二本持てばいいのか分からなくなってくる。
「セレス?」
顔を上げると、広間の入口にルシアンが立っていた。手には小さな布袋を持っており、中から焼き菓子らしい甘い匂いがしている。
「何してるの?」
「んー」
セレスは膝の上の短剣を持ち上げた。
「これ、どうしようかなって」
ルシアンは隣へ腰を下ろし、二本を覗き込む。
「直せそう?」
「どうだろう」
「多分無理」
向かいから短い声が飛んできた。ノルがいつの間にか布袋へ手を伸ばし、焼き菓子を一つ取っている。
「判断早くない?」
「見れば分かる」
「分かるんだ」
「分かる」
ノルは菓子をかじりながら、短剣の刃元を指した。
「魔力を通すところ、割れてる。無理に通したら砕ける」
「……やっぱり?」
「やっぱり」
セレスが刃を返して見ると、水流の魔力を込めるたび淡く光っていた筋が亀裂のところで途切れていた。
「直すだけならどこかでやれるかもしれない」
背後からレイスの声が加わった。書類を片手に広間へ入ってきたレイスは机の短剣へ気づくと一本を受け取り、刃と柄を手早く確かめる。
「けど戦場に持っていくのはやめておけ。途中で砕けたら洒落にならない」
「レイスまでそう言う?」
「言う。見た目で分かるくらい限界だ」
短剣をセレスへ返す。
「確か露店で買ったものだろう」
「そうだけど」
「なら、十分働いた方だ。役目は果たした」
「それはそうだけど」
言われてみれば、その通りだった。何となく次も同じものを使うつもりでいたから迷っていただけで、役目を終えたものを無理に戦場へ戻す理由はない。
「じゃあ、この際新しいの作れば?」
今度はアルドが広間へ入ってきた。
「新しいの?」
「また露店で似たようなの買うより、今のセレスに合うやつ作った方がいいだろ」
「今の私に合うやつ、ね」
口に出すと、少しだけ興味が湧く。だが、そのまま乗るのも何となく悔しくて、セレスは壊れた短剣を一本持ち上げた。
「じゃあ、露店で探してくる。『今の私に合う短剣ください』って言えば、一本くらい出てくるかも」
「出てこないだろ」
「分かんないじゃん」
「出てきたら逆に怖いだろ」
アルドが笑う横で、レイスは真顔だった。
「露店で済ませる気なら、やめておいた方がいい。今のセレスの使い方には合わない」
「信用ないね、私」
「信用の話じゃない。短剣の話だ」
「正論で刺してくる」
「刺さるなら聞いておけ」
セレスが息を吐いたところへ、広間の奥からルカの声が弾んだ。
「短剣二本、新調するんですか?」
黒い眼帯をつけたルカがこちらへ寄ってくる。
「いいじゃないですか、それ。セレスさん専用武器ってことでしょ? 絶対かっこいいやつじゃないですか」
「まだ作るって決まったわけじゃないよ」
「でも作る流れですよね、これ。分かります。今すごく作る流れです」
窓際ではゴードが黙って茶を飲んでいたが、短剣を見る目だけは真面目だった。隣のエディンは頬杖をつき、楽しそうに笑う。
「いいじゃなぁい。女の子が新しい刃を持つ日って、ちょっと特別よぉ」
「エディンさんが言うと物騒に聞こえます」
「あら、褒めてるのよぉ」
「セレスさん、完成したら絶対見せてくださいね。僕、そういうの好きです」
「ルカは武器ならだいたい好きでしょ」
「好きです!」
迷いのない即答に、セレスが少し笑う。そんな中、隣にいたルシアンだけはしばらく短剣を見ていた。
「セレス、ちょっと待ってて」
「え?」
「すぐ戻るから」
布袋を机へ置くと、そのまま広間を出ていく。セレスは背中を見送った。
「……何?」
「さぁ?」
アルドも首を傾げる。
「アルドも知らないの?」
「知らない」
「ルシアンのことなのに?」
「俺だって何でも知ってるわけじゃないって」
「へえ」
「何だよ、その顔」
「別に」
向かいではノルが焼き菓子をもう一つ取っていた。
「この菓子、おいしい」
「ノル、それルシアンのじゃないの?」
「置いていった。つまり共有」
「すごい理屈」
やがて廊下から足音が戻ってきた。ルシアンが両手で抱えていたのは、小さな木箱だった。
「あ」
セレスには見覚えがある。ルシアンの部屋の机、陽の当たる窓際に小さな布を敷き、その上へ置かれていた箱だった。ルシアンが大事にしていることも知っていた。目の前へ戻ってきたルシアンは少しだけ緊張した顔で蓋を開く。中には、水色の鉱石が入っていた。
透明ではないが濁ってもいない。昼の光を受けた表面の奥で、水の色だけが静かに揺れている。
「潤流鉱石」
ルシアンが言った。
「キレイナ町で、アルドに買ってもらったの。二人で町を歩いてた時に、綺麗で珍しいからって」
知っている。何度かルシアンの部屋で見た。綺麗だねと声を掛ければ、そのたびに少し嬉しそうに笑っていたことも覚えている。だから、差し出されても手が出なかった。
「……駄目だよ」
「え?」
「それ、机に飾ってたやつでしょ。大事なやつじゃん」
「うん」
「うん、じゃなくて。そんなの私が貰っていい訳ない」
セレスは反射的に一歩引いた。
「使ってほしいの」
ルシアンは木箱を引かなかった。
「飾っておくのも好きだった。でも、セレスの短剣になるならその方がいい」
「いや、でも」
困ってアルドを見る。アルドも驚いていたが、ルシアンから視線を向けられるとすぐに表情を戻した。
「アルド」
「ん?」
「これ、セレスにあげてもいい?」
「もちろん。ルシアンがいいなら、俺はもちろんいい」
「ほんと?」
「ああ」
アルドも木箱の鉱石を見る。
「飾られてるより、使われた方が鉱石も喜ぶはずだ」
「でも、これ、アルドからルシアンへの贈り物でしょ」
「だから、私からセレスへの贈り物にするの」
ルシアンは迷いなく笑った。
「いいから使って」
「ルシアン……」
「セレスが使ってくれたら、私、嬉しい」
そこまで言われてもなお断る方が難しかった。セレスは木箱の中へ目を落とす。露店で短剣を選んだ時とは、まるで違う。自分の戦い方を知る仲間が、次に使う刃のために大事なものを差し出している。
「……ほんとに、いいの?」
「うん」
「あとで返してって言っても、短剣になったら返せないよ」
「言わないよ」
「やっぱり飾りたかったって言っても?」
「言わない」
「じゃあ……」
セレスは両手で木箱を受け取った。
「ありがと。大事に使う」
ルシアンが嬉しそうに笑う。その横から、アルドがぼそりと付け加えた。
「俺からのでもあるな」
「増やさないで」
「何でだよ」
「重くなる」
「軽いよりいいだろ」
「そういう意味じゃない」
ノルが焼き菓子を食べながら言う。
「贈り主二人。責任重大」
「ノルまで増やさないで」
「事実」
「今日みんな事実ばっかり言う」
セレスは木箱を抱えたまま、壊れた短剣へ目をやった。嫌いになったわけではない。もう役目を終えた。それだけだった。
「鍛冶屋、行く?」
「行くか」
アルドが当然のように頷く。
「今から?」
「作れるか聞くだけなら早い方がいいだろ」
レイスも手元の書類を持ち直した。
「もし素材を動かすなら、本部を通す必要がある。勝手に倉庫は漁れないからな」
「分かってるって」
「お前の分かってるは、信用しないことにしている」
「ひどくないか?」
「日頃の行いだ」
「そこまでか」
「鍛冶屋で話だけ聞いてくるといい。必要な素材が分かったら、こっちで申請を通す」
「了解」
「それと、露店で余計な短剣を買うなよ、セレス」
「買わないって」
セレスは少しだけ笑う。
「今日はたぶん」
「たぶんを付けるなら信用しない」
ノルが空になった布袋をルシアンへ返した。
「菓子、おいしかった」
「全部食べたの?」
「共有だった」
「そんな話知らないよ?」
ルシアンが笑いながら空の袋を受け取る。セレスは潤流鉱石の木箱を抱えたまま立ち上がった。
◇
王都の通りには昼の人出が残っていた。露店には果物が積まれ、馬車の車輪が石畳を鳴らす。その間をセレスは木箱を胸へ抱え、アルドとルシアンに挟まれて歩いていた。
「そんなに嬉しいか?」
隣から聞かれ、セレスはアルドを見る。
「悪い?」
「悪くねえよ」
「じゃあ聞かないで」
「顔に出てるから」
「……出てる?」
「かなり」
今度はルシアンを見る。少し笑いながら頷かれた。
「出てる」
「そんなに?」
「うん。すごく楽しそう」
セレスは前を向いた。
「だってさ」
木箱を少しだけ抱え直す。
「自分の短剣を作るんでしょ。ちゃんと、私の戦い方に合うやつ」
今までの二本は、使えるから使っていた。今度は違う。水をどう流し、どこで受け、何を止めるか。そのために自分で刃を選ぶ。
「前の短剣は?」
「露店で買ったやつ。使いやすかったけど、まあ、道具かな」
「はっきりしてるな」
「道具は道具でしょ。役目は果たしたってレイスも言ってたし」
「便利に使うな」
「便利な言葉なんでしょ」
アルドが笑い、ルシアンもつられて口元を緩めた。三人は路地を一本入り、赤茶けた煙突のある鍛冶屋へ向かった。工房からは金属を打つ重い音が続いており、扉の前には研ぎ待ちの包丁や農具、兵士の剣が立てかけられている。アルドが扉を開けた。
「親父さん、いる?」
「あ?」
炉の横から大柄な鍛冶屋の親父が顔を出す。腕まくりした太い腕には、細かな火傷の跡がいくつも残っていた。
「おお、アルドじゃねぇか。次は何壊した?」
「俺、そんな毎回壊してねぇよ」
「壊す時は派手だからな」
「今日は俺じゃない。また仲間の武器を作ってほしいんだ」
「ほう」
親父は鍛冶台を空けた。
「話聞かせろ」
セレスは壊れた二本の短剣を差し出した。
「これ、前の短剣」
親父は刃、柄、鍔元の亀裂まで順に見ると、すぐに鼻を鳴らした。
「こりゃ駄目だな」
「やっぱり?」
「形だけなら直せるが、魔力を通す武器としては終わってる。戦場で使うならやめとけ」
「だってよ」
アルドが横から言う。
「分かってたけど、みんなに言われるとさすがに諦めつくね」
親父は二本を台へ置いた。
「で、今日は修理じゃねぇな?」
「うん」
セレスは胸に抱えていた木箱を置き、蓋を開けた。炉の赤い光の中へ、水色の鉱石が現れる。親父の目が少しだけ細くなった。
「……潤流鉱石か」
「作れる?」
「作れるか作れねぇかで言えば、作れる」
セレスの顔が明るくなったところで、親父は指を一本立てた。
「ただし、一本だ」
「一本?」
「ああ。飾り石にしちゃいい大きさだが、短剣二本にしっかり使うには足りねぇ。薄く分けりゃ二本に入れられなくもねぇが、そんな使い方をする石じゃねぇな」
「もったいない?」
「ああ」
親父は鉱石を覗き込みながら続ける。
「こいつは魔力の通りがいい上に、水流魔法の威力を増幅させる。それに刃全体へ混ぜ込めば、汚れすら流すような滑らかな刃になる。使うなら一本に絞った方がいい。刃の芯にしっかり通して、水を流すための短剣にする。それが一番いい」
「水を流すための短剣……」
セレスは鉱石を見る。刃へ水を薄く流し、毒を傷へ運ぶ。足元へ水を走らせる時にも使える。片方の役割が決まった。
「で」
親父が腕を組む。
「嬢ちゃんは短剣を二本使うんだろ?」
「うん」
「二本目のイメージはあるのか?」
セレスは少し考えた。これまでは二本とも、ほとんど同じ役割だった。斬る、刺す、魔力を通す。片方を失っても、もう片方がある。けれど、今の戦い方なら同じものを二本持つ必要はない。
「……受け止めたい」
「受け止める?」
「うん。夜骸の爪とか牙とか、全部じゃなくても一瞬止められる硬さが欲しい。あと、切りつける時にちゃんと刃が負けないやつ」
口にし始めると、欲しいものが少しずつ形になる。
「水を流すのは潤流鉱石の方でいい。でも、もう一本は普通に戦う時に使いたい。受ける、切る、地面に刺す。大地魔法を込めた時に、ちゃんと地面に噛むような短剣がいい」
親父はしばらく聞いたあと、にやりと笑った。
「なるほどな。流す刃と、止める刃か」
「うん」
「なら、地脈鉱石だな」
棚の奥から分厚い素材帳が出され、荒っぽく頁がめくられる。
「これだ」
セレスは身を乗り出した。開かれた頁には、琥珀色の鉱石が描かれている。鈍い光で、絵だけでも重さがありそうだった。
「地脈鉱石。大地魔法の通りがいい。だが、一番の特徴はそこじゃねぇ」
「何?」
「硬い」
親父は短く言った。
「とにかく硬い。並の短剣より遥かに粘る。刃こぼれしにくい。大地魔法を込めりゃ、受ける時にさらに重くなる。あんたが言った使い方には合う」
「それ、いい」
セレスはもう一度頁へ目を落とす。
「すごくいい」
「ただし、加工は面倒だ」
「面倒?」
「硬いからな。削るのも鍛えるのも手間がかかる。扱い慣れてねぇ鍛冶屋なら嫌がる」
「親父さんは?」
「俺を誰だと思ってる」
親父が胸を張る。アルドが横で笑った。
「腕のいい親父さん」
「分かってんじゃねぇか」
セレスとルシアンも笑う。
「入手自体はそこまで難しくねぇ。採掘量は多いからな。ただ、加工が面倒だから素材だけ倉庫に眠ってることが多い」
「倉庫って、討祓軍の?」
アルドが訊く。
「可能性はあるな。王都討祓軍なら、大地魔法用の補助素材くらい置いててもおかしくねぇ」
「なら、本部だな」
アルドが頷く。
「今から行く?」
セレスが即座に訊いた。
「行く気満々だな」
「うん」
迷いなく答える。
「だって、流す短剣と、止める短剣でしょ。潤流鉱石と地脈鉱石。今の私に、すごく合う」
右手に水の刃。もう片方に地の刃。敵の爪を受け、足元を崩し、泥を走らせる。毒を通し、仲間が踏み込む場所を作る。頭の中で、昨日までとは違う動きが組み上がっていく。親父がそんなセレスを見て笑った。
「いい顔してるじゃねぇか」
「そんなに?」
「ああ。武器を作る時に一番いい顔だ」
「どういう顔?」
「欲しい形が分かってる顔だ」
セレスは一度、自分の手を見た。昨日まで握っていた二本と同じ形を探す必要はない。欲しいものは、もう分かっている。
「うん。今なら分かる」
親父へ礼を言い、潤流鉱石をもう一度木箱へ収める。
「じゃあ、決まりだな。潤流鉱石で一本。地脈鉱石で一本」
「素材が手に入ればな」
「分かってる。行こう、アルド」
「はいはい」
「ルシアンも」
「うん」
セレスは木箱を大事に抱えた。壊れた二本も布へ包み、腰の袋へ入れる。工房を出ると、王都の空はまだ明るかった。
「ねえ、アルド」
「なんだ?」
「地脈鉱石って、実物はどんな色かな」
「知らねえ。見れば分かるだろ」
「じゃあ早く見に行こう」
「本当に楽しそうだな」
「楽しいよ」
セレスは振り返り、ルシアンを見る。
「あと、途中で焼き菓子買っていい?」
「さっきノルに全部食べられたから?」
「そう」
ルシアンが笑った。アルドは呆れたように頭を掻く。
「レイスに余計なもの買うなって言われたばっかだろ」
「余計じゃない。必要」
「何に」
「やる気に」
「そりゃあ、必要だな」
セレスは笑い、そのまま本部へ向かって歩き出した。胸には潤流鉱石の水色がある。その隣へ置く地脈鉱石は、まだ素材帳の絵でしか見ていない。それでも二本の役割は、もうはっきり分かれていた。流す刃と、止める刃。壊れた短剣をどうするか迷っていた時間は終わり、今は次の二本を早く形にしたかった。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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