復帰任務
隊舎の呼び鈴が鳴ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。広間では、ルカが長椅子の端に座っている。黒地に白と赤の線が入った眼帯は、退院した日に着けた時よりもずっと顔に馴染んでいた。とはいえ、視界そのものに慣れたわけではない。机の杯へ手を伸ばせば、指先が僅かに横を通る。廊下から足音が来れば音の方へ顔ごと向け、左側へ誰かが立てば気づくのが一拍遅れる。
それでも、昨日よりはましだった。
「今日、僕かなり自然じゃないですか?」
杯を取り直しながら言うと、向かいで銃の手入れをしていたノルが顔も上げずに返した。
「少しだけ」
「少しだけですか」
「昨日よりはまし」
「褒め方が渋いですね」
「褒めてる」
「なら受け取っておきます」
厨房から顔を出したルシアンが、そのやり取りに小さく笑う。
「ルカ、無理に目を動かしすぎないでね。疲れたら休むんだよ」
「はい。大丈夫です」
「その大丈夫、七割?」
「今日は八割です」
「残り二割は?」
「今、育ててます」
「育てないで休ませて」
ルカが笑ったところで、もう一度呼び鈴が鳴った。
「あ、私出るね」
ルシアンが手を拭きながら玄関へ向かう。少し離れた机で書類を見ていたアルドが顔を上げた。
「誰か来る予定あったか?」
「ない」
レイスは紙から目を離さず答えた。玄関で扉が開き、間もなくルシアンの驚いた声が飛んでくる。
「えっ、ローグレスさん?」
アルドが立ち上がり、レイスもすぐに書類を閉じた。ルシアンが戻ってくる。その後ろにいたのは、黒い軍服を纏ったローグレスだった。
「急にすまない」
総隊長室で見るのと同じ姿のはずなのに、第一部隊の広間にいるだけで妙に見える。ローグレスは部屋へ入ると、真っ先にルカへ目を向けた。
「ルカ。具合はどうだ」
ルカは反射的に立とうとする。
「はい、大丈夫です」
「座ったままでいい」
腰が浮く前に止められ、ルカは少し気まずそうに座り直した。
「退院したばかりだろう」
「もう数日経ってますし、動くくらいは平気です」
「平気と言う者ほど、平気ではないことがある」
「ローグレスさんまでそれ言います?」
「お前の隊の者たちが、同じ顔をしているからな」
ルカが周囲を見る。ルシアンは少し困ったように笑い、セレスは腕を組んでいる。ノルは視線を逸らし、ゴードはいつものように黙ったまま。エディンだけが椅子にもたれてゆるく笑っていた。
「皆さん、そんな顔してます?」
「してるわよぉ。ルカちゃん、分かりやすいものぉ」
「最近そればっかりですね」
「分かりやすいからな」
アルドまで加わる。
「アルドさんに言われるの、納得いかないです」
「なんでだよ」
「なんとなくです」
「雑だな」
ローグレスの表情が僅かに緩んだが、すぐに戻った。
「今日は任務の話で来た」
アルドが眉を上げる。
「ローグさんが直接?」
「ああ。本来ならお前とレイスを呼ぶところだが、今回はルカの状態も直接見ておきたかった」
レイスが姿勢を正した。
「任務内容は何でしょうか、ローグ様」
「王都北西の林道付近で夜骸の目撃があった。低級二体、中級一体。規模としては第一部隊なら難しくない」
そこでローグレスは再びルカを見る。
「だが、ルカ。お前は行かなくてもいい」
ルカの笑みが止まった。
「……僕だけ、ですか?」
「そうだ」
「でも、もう退院してます」
「退院と復帰は同じではない」
責める響きはなかった。
「今回の任務は軽い。だからこそ、無理をする必要はない。隊舎で休んでいても誰も責めない」
ルカの右手が、膝の上で軽く握られた。誰も責めないことは分かっている。アルドたちも、ローグレスも、自分を置いていくことを責めたりはしない。それでも、自分がいなくても第一部隊は任務へ行ける。その事実を隊舎で待ちながら見送る方が、今のルカには怖かった。
「行きます」
誰もすぐには口を挟まなかった。
「前線には出ません。無理もしません。後ろから見ます。必要なら支援します。でも……行きます」
「理由は」
ローグレスに問われ、ルカは一度だけ息を吸った。
「置いていかれたくないからです」
口にしてから、少しだけ笑う。
「……って言うと、子どもっぽいですかね」
「いや」
ローグレスは短く答えた。
「正直でいい」
ルカの右目が僅かに見開かれる。
「ただし、条件がある。前線には出ない。中級に単独で向かわない。視界に違和感が出たらすぐ申告する。痛みや疲れをごまかすな」
「はい」
「アルド」
「はい」
「ルカを前に出すな」
「分かってます」
「セレス。今回はお前も前線に入れ。アルドと二枚で押さえろ」
「分かりました」
「レイス」
「はい」
「判断は任せる。危ないと思えば撤退させろ」
「承知しました」
ローグレスは広間を見渡した。
「軽い任務だ。だが、軽いからといって雑に扱うな。特に今の第一部隊は、ルカの復帰直後だ」
「僕、そんなに注意対象ですか?」
「そうだ」
即答だった。
「お前は明るい顔で無理をする」
今度こそルカは言い返せなかった。ルシアンが小さく頷き、セレスも「ほんとそれ」と呟く。
「セレスさん」
「何?」
「そこ同意するんですか」
「するわよ」
広間に小さな笑いが起きたところで、ローグレスも僅かに息を吐いた。
「出発は夕刻。現地到着は日没後でいい。報告はいつも通り、アルドとレイスが来い」
「分かりました」
「承知しました」
最後にローグレスがルカを見る。
「戻ることを急ぐな。戻れなくなる方が困る」
ルカは今度だけ、少しゆっくり頷いた。
「……はい」
◇
夕刻、第一部隊は王都を出た。西の空は橙から紫へ変わりつつあり、街道を抜ける風も穏やかだった。普段なら任務前としては軽い空気のはずなのに、ルカだけは何度も左側へ顔を向けてしまう。見えない場所を確かめたくなる。その癖を隠そうとするほど、動きが不自然になった。
「首だけで見ようとするな」
隣を歩くレイスが言う。
「はい」
「身体ごと向けろ」
「分かってます」
「分かってる返事は軽い」
「今日それ何回目ですか?」
「必要な回数だ」
少し前を歩いていたアルドも振り返った。
「疲れたら言えよ」
「まだ王都出たばっかりですよ」
「それでもだ」
「はい」
セレスも腰の短剣へ手を添えながら隣へ来る。
「今日は前に出なくていいから」
「分かってます」
「本当に?」
「本当にです」
「ならいいけど」
腰には、長く使ってきた二本の短剣がある。何度も水流の魔力を通してきた刃だった。
「今日はセレスさんが前線なんですね」
「不満?」
「頼もしいなって思ってます」
「ならよし」
後ろからノルの声が飛ぶ。
「無理したら撃つ」
「僕をですか?」
「足元」
「怖いですよ」
「冗談」
「ノルさんの冗談、分かりづらいです」
「たぶん冗談」
「たぶんって言いました?」
エディンがくすくす笑った。
「ほらぁ、こういう感じで行きましょうねぇ。重くしすぎても夜骸が困っちゃうわぁ」
「夜骸は困らなくていいです」
ルシアンも笑いながら、ルカの足取りからは目を離していない。
「ルカ、足元は大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
何度目かのその返事を聞いても、誰ももう突っ込まなかった。
◇
林道へ着いた頃には、完全に夜になっていた。薄い月明かりの下、馬車道の両側から草が伸び、ところどころ浅くなった轍へ影が落ちている。目撃された夜骸は、すぐに見つかった。低級二体。その奥に中級一体。
中級は木の幹へ大きな身体を擦りながらこちらを向き、低級二体はその周囲を這うように動いている。
「情報通りだな」
レイスが全体を見てから指示を出す。
「アルド、セレス。前」
「ああ」
「分かってる」
緋喰刃が抜かれ、セレスも二本の短剣を構えた。ルカは言われた通り、少し後ろへ下がる。たったそれだけの動きが、思ったより胸に引っかかった。以前なら前へ出ていた。アルドと並ぶのではなくても、遊撃として横を走り、撃ち、懐へ入って短剣を振るい、蹴りで姿勢を崩す。
今は、その場所へ行かないことが役目だった。
「ルカ」
レイスが隣を指す。
「後ろを見る。俺の左側に立て」
「はい」
「見える範囲だけでいい。見えないところを無理に拾うな」
「……はい」
双銃を抜く。重さも握り心地も変わらない。指も動く。変わったのは、その先にある世界だった。
「来るぞ」
低級の一体が地面を蹴り、アルドが正面から迎える。
「火炎壱式 炎刃」
火を纏った緋喰刃が振り下ろされた腕を外へ流し、その勢いのまま肩口を斬り裂いた。崩れかけた夜骸へセレスが続く。二本の短剣へ薄い水流を纏わせ、硬い表皮を避けて関節へ滑り込ませる。
「核、右胸寄り!」
アルドは返した刃をそのまま胸へ入れ、核を断った。一体目が崩れる。第一部隊にとっては、重い相手ではない。自分が何もしていない間に一体が消えたことを、ルカは後ろから見ていた。
「ルカ、左後方」
「はい!」
左。音へ反応して首だけを向けかけ、途中で身体ごと回る。その一拍の遅れで、木の影を回り込んだ低級はすでに距離を詰めていた。
「見えました!」
銃声が林へ響く。弾は夜骸の脚を掠めたが、動きは止まらない。
「浅い」
ノルの声が飛ぶ。
「分かってます!」
もう一発。今度は脚の付け根へ入った。体勢が崩れたところへゴードが踏み込み、足元へ大地の魔力を流す。土が盛り上がり、夜骸の進路を塞いだ。
「助かる!」
セレスが低級の横へ滑り込み、一方の短剣で振り回された腕を外しながら、もう一本を胸元へ走らせる。その横から、中級が動いた。巨腕がセレスへ振り抜かれる。ルカの右目に映ったのは、攻撃へ集中しているセレスの背中だった。身体が先に前へ出ようとする。ローグレスに言われた。
アルドにも、レイスにも言われた。前線には出ない。踏み出しかけた足が止まった。
「セレス!」
アルドの声が飛ぶ。セレスも気づき、振り返らないまま二本の短剣を逆手へ持ち替えた。受け流す。そう動いたはずだった。しかし中級の腕と噛み合った角度が悪く、刃に力がまともに乗る。甲高い音が鳴った。
亀裂が走り、短剣が折れる。銀色の刃先が夜の中へ弾けた。
「っ」
ルカの呼吸が止まる。アルドはその時にはもう、中級の懐へ踏み込んでいた。
「豪炎参式 炎断」
緋喰刃の炎が風を巻き込み、一気に膨らむ。振り抜いた一撃が中級の腕を断った。巨体が傾いたところへノルの三発が走り、片脚を撃ち抜く。ルシアンの支援がセレスの足元を補い、ゴードは崩れた土を固めて中級の踏み込みを殺した。エディンも残った低級の前へ入り、刃で進路を遮る。
「終わりだ」
アルドが露出した核へ緋喰刃を突き立てる。中級はその場へ崩れ、残る低級もセレスとエディンが仕留めた。負傷者はいない。林道も守った。任務としては、それで終わりだった。それでもルカの耳には、短剣が折れた音だけが残っていた。
「セレスさん!」
駆け寄ろうとした一歩目で、また足が止まる。走るなと言われていた。それを守っただけなのに、その止まり方まで嫌だった。先にルシアンがセレスのもとへ寄る。
「大丈夫?」
「私は平気。短剣は駄目だけど」
「怪我は?」
「ない。受け方が悪かっただけ」
折れた刃を拾い上げるセレスへ、アルドが眉を寄せた。
「悪い。俺の入りが遅れた」
「違うわよ。私の短剣がそろそろ限界だったの。無理に受けた私が悪い」
セレスは刃元を確認して息を吐く。
「むしろ、今までよく保った方ね」
怒ってはいなかった。レイスも折れた刃を見る。
「鍛冶屋に見せるしかないな」
「修理できるかな」
「無理なら作り直しだ」
「出費が痛いわね」
ノルが翠穿を下ろしながら言う。
「必要経費」
「ノル、そういう時だけ潔いわね」
「武器は大事」
「それはそう」
いつもの調子で会話が転がっていく。ルカだけが、そこへうまく乗れなかった。
「ルカ」
セレスが先にこちらを見る。
「はい」
「あなたのせいじゃないからね」
何も言っていなかった。それでも、もう見抜かれていた。
「僕、何も言ってないですよ」
「顔に出てる」
「……そんなにですか」
「そんなに」
セレスは折れた短剣を鞘へ戻した。
「私が前に出て、私が受けて、私の短剣が折れた。それだけ。あなたのせいじゃない」
「でも」
「でもじゃない」
強い声だったが、責める響きはなかった。
「今日は復帰任務でしょ。いきなり全部できたら、逆に怖いわよ」
「……はい」
ルカは頷いた。今は、それ以上言えることがなかった。
「任務は完了だ。戻るぞ」
アルドが緋喰刃を収める。
「はい」
◇
帰り道では、エディンが折れた短剣の話を妙に大きく扱い始めた。
「短剣ちゃんの送別会もしないといけないわねぇ」
「やめてくださいよ。縁起でもない」
セレスが嫌そうに返す。
「だって長い付き合いだったんでしょう?」
「そうだけど、まだ修理できるかもしれないでしょ」
「じゃあ快復祈願?」
「短剣に?」
「武器だって祈られたら嬉しいかもしれないわぁ」
ノルが横から言う。
「たぶん無理」
「ノルちゃん、冷たいわぁ」
「金属だから」
「そういう意味じゃないのよぉ」
ルシアンが笑いを堪えている。ルカも笑った。ちゃんと笑えた。それでも、胸の奥には小さな重さが残ったままだった。
◇
王都へ戻ると、アルドとレイスは総隊長室へ向かった。
「俺たちは報告に行く。お前らは先に煤鳩亭に行っててくれ」
「ルカは?」
ルシアンに問われ、レイスがルカを見る。
「行けるか」
「はい。大丈夫です」
「無理なら隊舎に戻れ」
「大丈夫ですって」
「なら、楽しめ」
「はい。待ってます」
アルドとレイスを見送り、残る六人は煤鳩亭へ向かった。戦場とは違う夜の音が王都を満たしている。酒場から漏れる笑い声。石畳を踏む靴音。店先から流れてくる焼いた肉の匂い。
煤鳩亭の扉を開けると、温かな空気が身体を包んだ。
「いらっしゃ……」
奥から顔を出したミナの声が途中で止まった。視線がルカの黒い眼帯へ向く。ほんの一瞬だけ。それから、いつものように笑った。
「ルカ君」
「はい。戻ってきました」
「うん。おかえり」
返事をしようとして、喉が少し詰まる。
「……ただいまです」
厨房からドランも顔を出した。
「なんだ、戻ったのか」
「なんだって言い方、ひどくないですか?」
「歩いてるなら上出来だろ」
頭から足元まで一度だけ見られる。
「無茶はするなよ。うちの飯がまずくなる」
「それ、心配の仕方ですか?」
「他に何に聞こえる」
「ちょっと分かりづらいです」
「分かれ」
ルカが笑うと、ミナがいつもの席を示した。
「今日もいつもの席ね。ルカ君はこっちの方が座りやすいと思うから」
「あ、ありがとうございます」
椅子が少し引かれ、左側を気にしなくても座りやすい向きへ整えられる。
「ルカ、今日は諦めなさい。みんなそういう日なのよ」
セレスが横から笑った。
「みんな過保護じゃないですか?」
「退院後初任務なんだから当然でしょ」
「食べられるもの、まだ軽めの方がいい?」
ミナが水を置く。
「あ、はい。でも、ちょっとなら普通のものも――」
「じゃあ軽めにして、少しだけ普通のものも足すね」
「それなら嬉しいです」
ドランが厨房へ戻りながら声を投げる。
「肉は小さく切っとく。喉に詰まらせるなよ」
「子ども扱いが増えてません?」
「怪我人扱いだ」
ルカは一瞬だけ黙り、肩から力を抜いた。
「……ありがとうございます」
ドランは振り返らず、片手だけ上げた。
「心配してたのよ、あれでも」
ミナに言われ、ルカは笑う。
「分かります。すごく、分かります」
いつもと同じ煤鳩亭の温かさが、今は少しだけありがたすぎた。席へ着くと、エディンがすぐに口を開く。
「今日は何祝いかしらぁ」
「任務完了祝いでいいんじゃないですか?」
「退院後初任務祝いもあるよ」
ルシアンが加える。
「短剣折れた慰め会も追加ね」
セレスがため息をついた。
「自分で言うんですか」
「言わないとエディンが変な名前つけるから」
「もう考えてたわよぉ」
「ほら」
ノルが水を飲みながら言う。
「兼ねればいい」
「何を?」
「全部」
ゴードも頷く。
「いい」
「ゴードまで?」
食事が運ばれてくると、ルシアンはルカの皿を気にし、セレスは「それはまだ重い」と料理を止めた。ノルは食べやすそうな皿を右側へ寄せ、エディンが甘い物まで追加しようとしてルシアンに止められる。ゴードは何も言わず、少し左にあった皿をルカの右手側へ移した。
「ありがとうございます」
返事の代わりに、ゴードが頷く。誰も大げさには扱わない。それでも、今までとは少し違う形で席が整えられていく。しばらくしてアルドとレイスが合流した。
「報告終わった?」
セレスが尋ねる。
「ああ」
アルドが空いていた椅子へ座る。
「ローグさん、ルカのこと聞いてたぞ」
「え、僕ですか?」
「無理してないかって」
「してないですよ」
「って報告した」
「本当に?」
「本当に」
水を受け取ったレイスが続ける。
「無理はしていない。ただ、まだ感覚は戻りきっていない。そう報告した」
「正確ですね」
「正確に報告するのが俺の仕事だ」
「そこまで正確じゃなくても」
「ローグ様相手に雑な報告はしない」
「それはそうですね」
アルドは料理へ手を伸ばした。
「あと、セレスの短剣も報告した」
「それも?」
「任務中の装備破損だからな」
「はぁ……鍛冶屋行かなきゃ」
「素材相談も必要かもね」
ルシアンが言う。
「前より強いのにする?」
「出費次第」
「現実的」
エディンがくすくす笑った。
「じゃあ次は、セレスちゃんの短剣探し回かしらぁ」
「勝手に回にしないでくださいよ」
会話はそのまま転がっていく。アルドが「復帰初任務にしては十分だろ」と言い、ルシアンは「無事に帰ってきたのが一番」と続ける。
「短剣以外はね」
セレスが自分で言う。
「短剣は犠牲」
「ノル?」
睨まれてもノルは食事を続け、ゴードは黙って肉を口へ運んでいる。エディンは再び甘い菓子を頼もうとして、またルシアンに止められた。ルカも笑っていた。いつもの第一部隊の席に、自分もいる。そのはずだった。
◇
隊舎へ戻った頃には、夜も深くなっていた。
「ルカ、傷口見る?」
それぞれの部屋へ戻る前にルシアンが尋ねる。
「大丈夫です。痛みもないですし」
「本当に?」
「ええ。何かあったらすぐ言います」
「絶対だよ」
「はい」
セレスも自室へ向かいながら振り返った。
「明日、短剣見に行くから、ついてきてもいいわよ」
「いいんですか?」
「無理しないならね」
「行きます」
「即答」
「短剣のこと、気になりますし」
セレスは一度だけルカを見てから頷く。
「じゃあ、明日ね」
「はい」
皆の扉が閉じていく。ルカも自分の部屋へ入り、最後に扉を閉めた。机にはゴードからもらった焼き菓子の箱がある。その横には予備の包帯と眼帯の替え紐。壁際には双銃と短剣が置かれていた。
椅子へ腰を下ろす。今日の任務を思い返した。低級二体。中級一体。軽い任務だった。アルドは前へ出た。
セレスも前へ出た。ノルは撃った。ルシアンは支えた。ゴードは足場を作り、エディンも敵を処理した。レイスは全体を見ていた。自分は。
ルカは右手を見た。銃は撃った。一発目は脚を掠めただけだった。二発目で、ようやく体勢を崩した。左後方への反応は遅れた。セレスを助けに行こうとして、止まった。
短剣が折れた。
「……何してたんだろ」
誰も責めなかった。セレス自身が、自分のせいではないと言った。ローグレスから言われた通り前線へ出ず、無理もしなかった。任務は成功し、誰も怪我をしなかった。それなのに、それでいいとは思えなかった。指先が眼帯へ触れる。
黒地に白い線と赤い糸。もらった時は、第一部隊へ戻ってきた証のようで嬉しかった。今も嬉しい。ただ、戻ってきただけでは足りない。左側は見えない。距離感はずれる。
撃てたはずの弾が浅く入り、助けたい時に足が止まる。無理をしてはいけないことは分かっている。では、無理をしない自分は何ができるのか。ルカは壁際の双銃へ目を向けた。手を伸ばしかけて、やめる。皆と食事をしている時は笑えた。
復帰任務も無事に終わった。部屋にはゴードの菓子も、アルドからもらった眼帯の替え紐も残っている。それでも、一人になれば今日の遅れだけが浮かんだ。ルカは椅子の背へ身体を預け、右目を閉じる。視界の残っていた側まで暗くなった。
「僕、これからどうすればいいんだろう」
答える声はなかった。
今回もお読みいただきありがとうございました。
引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。




