雪鳥の揚げ鳥
赤い短鎖の件から、数日が経った。夜になれば夜骸は出るし、人間の悪意が消えたわけでもない。それでも王都の昼は何事もなかったように続き、第一部隊の隊舎にも少しずつ普段の時間が戻っていた。ルカは中庭で双銃の手入れをし、その少し離れた場所ではノルが翠穿の銃身を覗き込んでいる。セレスは食堂の棚を確認し、ルシアンは薬箱の中身を入れ替え、ゴードは壊れた椅子の脚を黙々と直していた。
エディンは窓辺で茶を飲みながら、その様子を眺めている。食堂の隅では、アルドとレイスが赤い短鎖の一件に関する報告書の控えを確認していた。
「ハインの荷は、今日で一通り整理がつくそうだ」
「そうか」
「盗まれた分は完全には戻っていない。使われた物資もある。だが、集落に置かれた分は現地引き渡し扱いで処理するらしい」
「らしいな」
「かなり無理な帳尻だ」
「でも、あいつならやるだろ」
紙を追っていたレイスの目が、そこで初めてアルドへ向いた。
「気に入っているな」
「ハインか?」
「他に誰がいる」
「まぁな」
あっさり認めると、レイスの眉が僅かに動いた。
「珍しいな。お前がそこまで素直に言うのは」
「そうか?」
「ああ」
アルドは椅子の背へ身体を預けた。
「戦えない。金もない。護衛も雇えない。襲われた時は震えていた」
「本人もそう言っていたな」
「でも、逃げなかった。荷の行き先も忘れなかった。自分にできることを探して、帳簿を持って立っていた」
窓の外では、ルカが外した銃の部品を落としかけ、慌てて掴んでいる。それを見たノルが何か言い、すぐにルカの抗議する声が返ってきた。アルドはそちらを眺めたまま言った。
「強いだろ、あれは」
「戦闘能力とは別の強さだな」
「ああ」
「お前が気に入る理由は分かる」
その時、隊舎の入口で呼び鈴が鳴った。澄んだ音が食堂まで届き、棚を確認していたセレスが顔を上げる。
「誰か来たみたい」
セレスが食堂を出ていくと、ほどなく入口の方から聞き覚えのある声がした。
「あ、あの。失礼します」
「ハインさん?」
「はい。荷の整理と、買い直せる商品の手配が一段落しましたので。その、ご挨拶とお礼に伺いました」
アルドが顔を上げるのと同時に、ルカが中庭から飛び込んでくる。
「ハインさん来たんですか?」
その声につられるようにノルも銃の手入れを止め、ルシアンは薬箱を抱えたまま顔を出した。ゴードも直していた椅子の脚を持ったまま廊下へ出てきて、エディンも茶を置いて立ち上がる。結局、全員が入口へ集まった。扉の前にいたハインは商人らしく服を整えていたが、両手にはいくつもの包みを抱えている。足元には、さらに丁寧に布で包まれた冷たい箱まで置かれていた。
「ハイン」
アルドが声をかける。
「来たのか」
「はい。先日は、本当にありがとうございました」
ハインは深く頭を下げると、持ってきた包みを見せた。
「今日は、皆さんへお礼をお渡ししたくて。大した物ではありませんが、それぞれ使えそうな物を選びました」
「全員分?」
セレスが目を丸くする。
「はい。皆さんには本当にお世話になりましたので」
入口脇の小卓へ一つずつ並べられた包みには、それぞれ小さく名前が添えられていた。アルド、レイス、ルカ、ノル、セレス、ルシアン、ゴード、エディン。さらにハインは足元の箱を両手で持ち上げる。
「それと、こちらも。積荷の一部だった高級食材です。幸い、盗まれずに残りました。皆さんで食べていただければと思いまして」
「肉ですか!?」
「ルカ」
レイスにたしなめられ、ルカは少し姿勢を正した。
「すみません。でも箱が肉っぽかったので」
「箱で判断するな」
ハインは思わず笑った。
「はい。肉です」
「やっぱり!」
ルカの目が一気に輝く。アルドはそんなルカを横目に、ハインが抱えた箱を見た。
「高いんじゃないのか」
「もちろん」
「なら、売った方がいいだろ。商会の損失もあるんじゃないのか」
「そうですね」
「なら」
「ですが、これはお礼です」
返事は迷いなく返ってきた。
「今回、皆さんに助けていただいた分を金額で返すことはできません。ですから、私が今できる中で、一番良いものを持ってきました」
損失が出ているのは本人が一番分かっている。それでも、これは渡すと決めて持ってきた物なのだろう。アルドはそれ以上止めなかった。
「分かった。ありがたく受け取る」
「はい」
ハインはほっとしたように笑い、そのまま一歩下がった。
「では、私はこれで失礼します」
一瞬、誰も動かなかった。セレスが目を瞬かせる。
「え?」
「え?」
ハインも同じ顔をする。
「お礼を渡しに来ただけですので。お忙しいところ、長居してはご迷惑かと」
「何言ってるの。持ってきた人が食べないのは変でしょ」
「あ、いえ、私は商人としてお礼を――」
「はいはい。いいから入って入って」
「え、あの」
「肉はすぐ見たいし、料理するならハインさんも食べる。決まり」
「いえ、本当に私は」
セレスはもう聞いていなかった。
「ルカ、席空けて」
「はい!」
「ノル、お皿出して」
「ん」
「ルシアン、飲み物お願い」
「分かった」
「エディン、扉閉めてもらえる?」
「あらぁ、任せて」
ルカは食堂へ走り、ノルは皿を取りに向かい、ルシアンも笑いながら湯を沸かし始める。ゴードは何も言わず、食卓から椅子を一つ引いて空けた。エディンが入口の扉を閉めても、ハインだけはまだその場で目を瞬かせていた。
「え、あの、皆さん」
「手、洗う場所はこっち」
セレスに腕を軽く引かれ、断る間もなく隊舎の中へ連れていかれる。アルドはその様子を見て笑った。
「諦めろ、ハイン」
「……はい」
気づいた時には、ハインも食卓を囲む一人になっていた。
◇
セレスが冷たい箱を開けると、淡い色の肉が丁寧に収められていた。きめ細かな脂が入り、表面には薄く艶が浮いている。
「すごい……本当に良い肉」
ルカがすぐ隣から覗き込む。
「何の肉ですか?」
「雪鳥です。北の寒く厳しい地域に棲む鳥です。寒さに耐えるために脂を蓄えるので、脂の甘みがあります。ですが、肉自体の味も強い。うまく調理すると、脂だけではなく、肉の旨みがしっかり出ます」
「絶対おいしいやつじゃないですか」
ルカが真剣な顔で言う横から、ノルも箱を覗いた。
「揚げる?」
セレスは肉を見ながら少し考える。
「うん。揚げ鳥にしようかな。薄く衣をつけて、香草と塩で」
「天才ですか?」
「まだ作ってない」
「でももう美味しいです」
「気が早い」
ルシアンが笑う。レイスは肉よりもハインの方を見ていた。
「本当に売らなくてよかったのか」
「はい。高級料理屋へ卸せば、それなりの額になります。でも、今回ばかりは売るより、皆さんに食べていただく方が価値があります」
「商人らしくないな」
「商人だからです」
ハインは少し照れながら続ける。
「お礼を惜しむ商人は、次の縁を失います」
アルドはそれを聞いて、小さく笑った。
「やっぱり、あいつは面白いな」
「顔に出ているぞ」
「そうか?」
「ああ」
レイスに言われても、今度は否定しなかった。セレスは雪鳥の肉を薄く切り、塩と刻んだ香草を混ぜた衣をまとわせていく。鍋の油が温まったところへ一切れ落とすと、軽い音とともに細かな泡が広がり、食堂に香ばしい匂いが立ち始めた。
「今の音だけでお腹空きました」
「座って」
「座ってます」
「浮いてる」
ノルに言われて見ると、ルカの腰は椅子から少し離れている。
「気持ちは座ってます」
「体も座って」
ルシアンが笑いながら肩を押し、ルカを椅子へ戻した。揚がった雪鳥は淡い黄金色になっていた。薄い衣を切れば中から澄んだ肉汁が滲み、脂の甘い匂いへ香草の青い香りが重なる。セレスが大皿へ盛って食卓へ運ぶ。
「熱いから気をつけて」
「はい!」
ルカが早速手を伸ばしかけ、その手首をレイスに掴まれた。
「全員分が行き渡ってからだ」
「分かってます。今のは確認です」
「何の確認だ」
「熱さの」
「食べようとしていただろ」
「少しだけ」
「駄目だ」
そのやり取りを見ていたハインが、声を殺して笑っている。アルドが気づいて声を掛けた。
「笑っていいぞ」
「いえ、失礼かと」
「いつものことだ」
「そうなんですか」
「そうだ」
「いつものことじゃないです!」
ルカがすぐに抗議する。
「いつものこと」
「ノルさんまで!」
全員の皿へ揚げ鳥が行き渡り、ハインの前にも当然のように一皿置かれた。
「いただきます」
待ちきれなかったルカが真っ先に頬張り、すぐに目を丸くする。
「……うまっ」
もう一口。
「え、これ、すごいです。外がサクッとして、中がじゅわって。脂がすごいのに重くないです。肉の味が強い。うまいです。すごいです」
「語彙が減っている」
「だってうまいんです」
ノルも一口食べた。数度噛んでから、短く言う。
「うまい」
「ノルさんが二文字以上言わないくらい美味しいってことですね」
「三文字」
「そこは数えなくていいです」
セレスは自分の分を食べ、火の通りを確認してからようやく表情を緩めた。
「よかった。火の通りも大丈夫そう」
「脂が甘いね。でも香草があるから食べやすい」
ルシアンも気に入ったようで、ゆっくり次の一口を食べる。
「あらぁ、ハインちゃん。これはいい贈り物ねぇ」
「そう言っていただけて安心しました」
エディンも楽しそうに味わっている。ゴードは何も言わず食べ続けていたが、皿だけは誰より早く減っていた。ルカがそこに気づく。
「ゴードさん、めちゃくちゃ気に入ってません?」
「……うまい」
「ですよね!」
アルドも揚げ鳥を口へ運ぶ。薄い衣の香ばしさの奥から肉の濃い旨みが広がり、噛むほどに脂がほどけた。
「うまいな」
「はい!」
なぜかルカが返事をする。
「お前が作ったのか?」
「食べる係として、気持ちは込めています」
「食べる係って何」
セレスが呆れた声を出した。向かいでハインも自分が持ってきた雪鳥を食べている。しばらく味わったあと、皿へ目を落として小さく言った。
「……よかった」
「どうした」
「いえ」
アルドに聞かれ、ハインは少しだけ間を置いた。
「この肉も、荷の一部でした。盗まれなかった荷です。盗まれた荷のことばかり考えていたので、こうして美味しく食べてもらえると……少し、救われます」
セレスが揚げ鳥の皿をハインの方へ少し寄せた。
「ちゃんと届いたよ」
ハインが顔を上げる。
「はい」
それだけ答えて、もう一つ手に取った。
◇
食事が進んだところで、今度はハインが持ってきた包みを開けることになった。
「食べながらで悪いが、開けてもいいか」
「もちろんです。気に入っていただけるかは分かりませんが」
「もう気に入ってます」
ルカが即答する。
「まだ開けてないだろ」
「でもハインさんが選んだなら、たぶんいいやつです」
ハインは少し照れたように笑った。まずアルドが包みを開くと、中には小さな砥石と手入れ用の油が入っていた。
「良い剣を持つ方は、手入れを怠らないと聞きましたので」
「助かる」
砥石を手に取り、指先で表面を確かめる。
「いいな、これ」
「分かるのですか」
「何となくな」
次にレイスが自分の包みを開ける。中にあったのは細身の筆だった。軽い軸は握りやすく、穂先も綺麗に揃っている。
「現場で記録をされることが多いようでしたので。書きやすく、長く使えるものを選びました」
レイスは筆を指先で確かめる。
「よく見ているな」
「商人ですので」
「これは使える」
淡々とした返事だったが、すぐに手元へ置いたのを見れば十分だった。ルカの包みには、銃の手入れに使える柔らかな布と小さな菓子が入っていた。
「お菓子!」
「ルカ」
セレスがすぐ横から言う。
「先に布に反応しなさい」
「もちろん布も嬉しいですよ! でもお菓子も嬉しいです!」
ノルが包みを覗き込んだ。
「甘いやつ?」
「はい。クミの実を少し使っています」
「少しちょうだい」
「ノルさん、僕への贈り物ですよ」
「一つ」
「一つだけですよ」
言いながらも、ルカはすでに菓子の包みをノルの方へ寄せていた。ノルには弾薬用の防水袋と、翠穿を包める厚手の布が用意されている。
「長銃を持ち歩くなら、湿気が一番厄介だと聞きましたので」
ノルは防水袋を手に取ると、縁から縫い目までじっくり確認した。
「縫い目、いい」
「職人に頼みました」
「使う」
それだけ言って自分の横へ置く。反応を測りかねたハインへ、ルカが小声で教えた。
「それ、かなり気に入ってます」
「そうなんですか?」
「はい。ノルさん基準では大絶賛です」
「聞こえてる」
「すみません」
セレスの包みには、細い砥石と刃の汚れを落とす布、油を染み込ませる綿、それらをまとめられる薄い革の巻き袋が入っていた。
「短剣を使われていましたので。大きな刃物用ではなく、細かい手入れがしやすいものを選びました」
「そんなところまで見てたの?」
「はい。現場で、短剣の柄に手を置かれていたので」
「商人ってすごいね」
「見て覚えるのも商売ですから」
セレスは革の巻き袋を手に取り、道具を一つずつ収め直してみる。
「ありがとう。大事に使う」
ルシアンには包帯留めと、薬草を保管できる小さな木箱だった。
「医療のことは分かりません。でも、道具を清潔に保つことは大事だと聞きました」
「すごく助かるよ」
ルシアンは木箱の蓋を開け、中を確かめる。
「ありがとう、ハインさん」
「こちらこそ、あの日は御者の処置までしていただいて」
「当たり前だよ」
ゴードへ用意されていたのは厚手の作業手袋だった。
「盾や荷を扱う方は、手を痛めやすいかと思いまして」
受け取ったゴードは手袋を裏返し、縫い目や手のひら側の厚みまで確かめてから一言だけ返す。
「……助かる」
ハインが一瞬固まる。エディンがそれを見て笑った。
「ゴードちゃんがすぐ使いそうな顔してるわねぇ」
「そうなんですか」
「ええ。かなり気に入ってる顔よ」
ゴードは否定しなかった。最後にエディンが包みを開ける。中から出てきたのは、細い銀色の髪留めだった。
「エディンさんは、実用だけでは失礼かと思いまして」
「あらぁ」
エディンが指先で持ち上げ、光へ翳してみる。
「ハインちゃん、女の子の喜ばせ方も勉強してるの?」
「商人として、贈り物の選び方は大事ですので」
「かわいい答えねぇ」
髪へ軽く当て、ハインの方を見る。
「似合うかしら?」
「似合います」
即答され、エディンは楽しそうに目を細めた。
「そういうところ、いいわねぇ」
今度はハインの方が少し赤くなる。アルドはその様子を見て笑いながら、自分の砥石をもう一度手に取った。
「ハイン」
「はい」
「よく、ここまで見てたな」
「商売柄です」
「それだけじゃないだろ。相手をちゃんと見てないと、こういう贈り物は選べない」
ハインは少しだけ黙った。
「……皆さんには、きちんとお礼をしたかったので」
「十分だ。ありがとう」
「いえ。こちらこそ」
ハインは深く頭を下げた。
◇
贈り物を開け終えても、食事はまだ続いていた。ハインが食卓に慣れてきた頃には、今度はルカの質問が止まらなくなっている。
「商会って何人いるんですか?」
「私を含めて、今は五人です」
「五人で商会ってできるんですか?」
「一応できます。かなり大変ですが」
「何を売ってるんですか?」
「保存食、薬草、布、油、食材。小さな輸送も受けています」
「雪鳥はいつも扱ってるんですか?」
「いつもではありません。高いので」
「また食べられますか?」
「それは、皆さんのお財布次第です」
ルカが真剣な顔で黙った。
「高いんですね」
「高いです」
「じゃあ、今日めちゃくちゃ味わいます」
「もう三つ食べてる」
ノルが皿を見ながら言う。
「味わってます」
「早い」
ルシアンが笑った。質問されれば、ハインは一つずつ答える。相手がルカでもノルでも、分からないだろうと決めつけて流すことはなかった。いつの間にか、第一部隊の食卓へすっかり馴染んでいる。
「ハイン」
「はい」
「これからどうするんだ」
アルドに訊かれ、ハインは手を止めた。
「商会のことですか」
「ああ」
「まずは、今回の損失を埋めます。買い直せる荷は買い直して、届け直せる場所には届け直します。信用を戻すのが先です」
「戻せそうか」
「簡単ではありません。ですが、完全に失ったわけではありません。集落では、盗まれた荷であっても、必要な物資が届いた事実があります。私はそれを責めず、正式な記録にしました。そこから繋ぎ直します」
ハインは少し姿勢を直した。
「それと、今回の件で分かりました。小さな商人が一人で荷を運ぶのは、危険すぎる」
「護衛を雇えないからか」
「はい。私のような弱小商会では、毎回まともな護衛を雇う金はありません。でも、同じ日に同じ街道を使う商人をまとめれば、話は変わります」
レイスの目が僅かに細くなった。
「複数の商人で、護衛を分け合うのか」
「はい。一人では雇えない護衛でも、五人、十人の商人が同じ日に荷を出すなら、費用を分けられます。荷の量や危険度に応じて負担を変えれば、不公平も減らせる」
ルカが首を傾げる。
「えっと、つまり……皆でお金出して、皆で守ってもらうってことですか?」
「簡単に言えば、そうです」
「なるほど。分かりました」
「たぶん分かってない」
ノルが言った。
「分かってますよ。皆で守るやつです」
「雑」
「でも大体合ってますよね?」
ハインが笑って頷く。
「合っています」
「じゃあ、すごいです」
「肉食べながら言ってると軽い」
「でも本当にすごいと思ってます。あとこれ、うまいです」
「それはもう分かった」
今度はレイスが口を開いた。
「それだけではないな」
ハインの表情が少し変わる。
「はい」
「護衛を手配するなら、街道の情報が集まる」
「その通りです。どの道で盗賊が出たか。どこで夜骸の目撃が増えたか。どの橋が壊れかけているか。どの宿場に物資が足りていないか。どの集落が何を必要としているか」
レイスが身を僅かに乗り出す。
「情報そのものを商品にするつもりか」
「はい。もちろん、何でも売るわけではありません。人を危険に晒す情報や、討祓軍の動きに関わるものは扱いを考えます。でも商人にとって、道の危険、物資の流れ、集落の不足は金と同じくらい大事です」
「その手があったか」
レイスが低く漏らし、食卓が少し静かになった。
「そんなにか」
アルドが訊く。
「ああ。護衛手配だけなら、ただの仲介だ。情報だけなら、信用されるまで時間がかかる。だが、二つを繋げるなら別だ」
レイスはハインを見たまま続ける。
「護衛を手配すれば、街道の新しい情報が入る。情報が集まれば、次の護衛手配の精度が上がる。安全な道、危険な道、荷の集まる場所、人の動く時期が分かる」
「はい」
「情報が正しければ、商人はお前を信用する。信用されれば、さらに荷と人が集まる。荷と人が集まれば、また情報が増える」
「その両輪で商会を大きくします」
ハインの声には、さっきまでとは違う力があった。レイスの口元も僅かに動く。
「面白い」
すぐにルカが反応した。
「レイスさんが面白いって言いました」
「言った」
「すごいことなんですか?」
「すごいことだ」
「なるほど」
ルカはまた揚げ鳥を口へ運ぶ。
「じゃあ、ハインさんすごいですね」
「お前、半分くらい肉の味で言ってるだろ」
アルドに言われ、ルカは真顔で考えた。
「半分じゃないです。七割くらいです」
「増えたぞ」
「でも三割はちゃんと話を聞いてます」
ハインが声を上げて笑った。これまで見た中で一番自然な笑い方だった。
「ハイン」
「はい」
「その商売、うまくいくといいな」
「はい」
「いや」
アルドは少し考えて言い直した。
「うまくいかせろ」
ハインが目を瞬かせる。
「お前みたいな商人が増えた方が、たぶん助かる人間が増える」
しばらく返事はなかった。やがてハインは深く頭を下げる。
「はい。必ず」
レイスも続けた。
「ただし、危険な情報を扱うなら、線引きを誤るな。情報は荷より軽い。だが、扱いを間違えれば荷より多く人を困らせる。最悪殺すことにもなる」
「肝に銘じます」
「必要なら相談しろ」
ハインが顔を上げる。
「よろしいのですか」
「全てに答えられるとは限らない。だが、間違えた時に取り返しがつかないものもある」
「ありがとうございます」
レイスは軽く頷くと、また自分の皿へ戻った。しばらくして、ハインが食卓を囲む面々をゆっくり見回した。
「私」
自然と皆の視線が集まる。
「もっと商会を大きくします。今はまだ、弱小です。護衛も雇えず、荷も守れず、皆さんに助けていただくことしかできませんでした」
ルシアンが何か言いかけたが、ハインは先に首を振る。
「でも、次は」
アルドを見る。
「次は、私が皆さんを助けられるようになります」
ハインは自分の言葉を一つずつ確かめるように続けた。
「物資を届ける。道の情報を集める。危険な場所を知らせる。護衛を手配する。商人として、できることを増やします」
そして、はっきりと言った。
「第一部隊が夜に動くなら、その前に昼の道を整えられる商人になります」
金も、人も、今はまだ足りない。それでも誰も笑わなかった。アルドはゆっくり頷く。
「期待してる」
ハインは返事をするまで少しだけ時間がかかった。
「はい」
「大きくするなら、まずは潰れないことだ」
レイスがすぐに続ける。
「はい」
「無理な仕事を受けすぎるな」
「はい」
「護衛費を削るな」
「……はい」
そこだけ返事が遅れ、レイスの目が細くなる。
「そこが一番怪しいな」
「努力します」
「努力ではなく計算しろ」
「はい。計算します」
ルカが笑った。
「ハインさん、レイスさんに商売の先生みたいなこと言われてますね」
「ありがたいです」
「僕なら三つ目くらいで泣きます」
「分かります」
「分かるんですか」
「はい」
二人が妙なところで頷き合い、食堂に笑いが起きた。
◇
雪鳥の揚げ鳥は、食事が終わる頃にはほとんど残っていなかった。空になりかけた大皿をルカが名残惜しそうに覗き込む。
「もうないんですね」
「食べたからね」
セレスが返す。
「また食べたいです」
「高いんだって」
「ハインさんの商会が大きくなったら、安くなりますか?」
ハインは少し考えた。
「安くはならないと思います」
「ならないんですか」
「高級食材なので」
「現実は厳しいですね」
「はい」
ノルがぼそりと言う。
「働けば買える」
「重い言葉ですね」
エディンが楽しそうに笑った。
「あらぁ、ルカちゃん。お仕事、頑張らないとねぇ」
「夜骸倒して、雪鳥を食べる……」
「目的が変わってる」
ルシアンも笑う。その時、それまで黙っていたゴードが大皿を見た。
「……また食いたい」
一瞬だけ、全員の目がゴードへ向く。ゴードはいつもの顔のままだった。ハインだけが真剣に頷く。
「覚えておきます」
「商売につながった」
ノルが言う。
「つながりました」
ハインもそのまま返し、また食卓に笑いが起きた。
◇
夕方になり、ハインはようやく隊舎を出ることになった。アルドとレイスが入口まで見送る間も、食堂では残った皿や調理道具を片づける音がしている。
「本日は、本当にありがとうございました」
ハインが頭を下げる。
「礼を言うのはこっちだ。いいものを食わせてもらった」
「それなら、よかったです」
「また来い」
ハインが顔を上げた。
「よろしいのですか」
「駄目なら言わない」
「はい。ぜひ」
「今度は手ぶらでもいい」
「商人としては、手ぶらで訪ねるのは落ち着きません」
「なら、安い菓子でいい。ルカが喜ぶ」
「分かりました」
「ノルの分もな」
「はい」
「セレスには短剣用の手入れ布でもいいな。今日のやつ、かなり喜んでた」
「はい」
「ルシアンには薬草箱。ゴードには……丈夫なもの」
「承知しました」
「エディンには、適当に綺麗なものを持ってくると喜ぶ」
「覚えておきます」
隣からレイスが口を挟む。
「贈り物の指定を増やすな」
「あ、悪い」
アルドは悪びれもせず答え、ハインはそれを見て笑った。
「アルド隊長」
「なんだ」
「私は、第一部隊の皆さんが好きです」
真正面から言われ、アルドが少しだけ目を瞬かせる。レイスも僅かに視線を動かした。
「皆さん、強いだけではありません。怖いものを見ても、食卓に戻って、誰かを座らせてくれる。私は、そういう場所を初めて見ました」
ハインは少し照れながら、それでも言葉を止めなかった。
「だから、今度は私が、少しでもその場所の役に立ちたいです」
アルドはしばらくハインを見てから、右手を差し出した。
「期待してる」
ハインはその手を見て少し驚き、それからしっかり握り返した。
「はい」
剣や銃を握るための手ではない。帳簿を持ち、荷を数え、道を繋ぐ商人の手だった。
「またな、ハイン」
「はい。また伺います」
ハインは深く頭を下げ、隊舎を後にした。アルドは遠ざかる背をしばらく見送り、隣から声が来る。
「本当に気に入っているな」
「ああ。あいつはたぶん、大きくなる」
「商会がか」
「人としてもだ」
レイスは少し考えた。
「可能性は大いにある」
「お前がそう言うなら、かなりあるな」
「過信するな」
「してない」
アルドが笑ったところで、食堂からルカの声が飛んできた。
「アルドさん! 残りの揚げ鳥、ひとつだけありました!」
「お前が食べろ」
「いいんですか!?」
「いい」
「ありがとうございます!」
すぐにノルの声が重なる。
「半分」
「ノルさん!?」
ルシアンが笑い、セレスが「喧嘩しない」と声を掛ける。エディンの楽しそうな声も混ざり、その奥でゴードが何か低く返していた。アルドはレイスと一緒に食堂へ戻った。卓には空いた皿と開けた贈り物が残り、まだ揚げ鳥の香ばしい匂いが漂っている。夜までは、もう少しあった。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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